オランダの三つの家の名前と、マンハッタンで立ち往生した一隻
フェッドシップは、世界で最も名の通ったメガヨットの名前の一つです。けれどこれは、一つの造船所の名前ではありません。公式の社史によれば、フェッドシップは 1949 年に、オランダのいくつかの造船所がアムステルダムのカフェに集まって作った、輸出のための組合の名前でした。なぜ組合が要ったのか。なぜアメリカだったのか。会社が公開している年表を、順に読んでいきます。
CHAPTER 1三つの家の名前
1-1 ファン・レント、デ・フリース、デ・フォークト
公式の社史は、最初にフェッドシップの成り立ちを一文で説明しています。フェッドシップは、オランダの二つの由緒ある造船所と、この国でいちばん名高い船の設計者との、ほかに無い形の組み合わせである、と。
三つの名前と、始まった年が並んでいます。ロイヤル・ファン・レント造船所が 1849 年。コーニンクレッカ・デ・フリース造船が 1906 年。デ・フォークト設計事務所が 1913 年。社史は、三つを合わせると 400 年を超える造船の経歴になる、と書いています。
いちばん古いのはファン・レントの側です。1849 年、オランダのリッセで、のちにファン・レントのもとになる家の人たちが船を造り始めました。1877 年には、カーフ島に新しい造船所の場所を持ちます。社史は、ここが、木の船、のちには鋼の船を造っていく次の世代の土台になったと書いています。1917 年、ケース・ファン・レントと義理の兄弟が「カーフ造船所」を作り、ファン・レントの造船の系譜がはっきりした形を取りました。
1-2 働く船から、遊びの船へ
デ・フリースの側は、1906 年に始まります。ハン・デ・フリースが、アールスメールの町の真ん中に最初の造船所を開きました。はじめに造っていたのは、頑丈な木の働く船です。
遊びの船へ移るきっかけは、土地の水でした。社史によれば、まわりに浅い湖が広がっていて、早くから水の上の遊びが行われていました。それでデ・フリースは 1910 年、個人の持ち主のための最初の遊びのヨットを造ります。1923 年には、ハンの息子のヘンクとヨハンが、別の造船所を作りました。修理と、冬のあいだの預かりと、しだいに手の込んでいく木のヨットが仕事でした。
三つ目の名前が、設計者のデ・フォークトです。アンリ・ウィレム・デ・フォークトは 1892 年に生まれ、早くからヨットと船の設計に夢中でした。1913 年、ハールレムの川のほとりに造船所を開き、長さ 6.50 メートルのレース用のヨットを進水させています。造船所として始まった家が、のちに設計の事務所として残ったことになります。
1-3 国王の船と、王女の船
社史の 1927 年の行は「デ・フリースの家との協力が始まる」です。その一隻は、チークとマホガニーで造った長さ 13.60 メートルの帆のヨットです。1931 年には、デ・フリースが外国の客のために、もっと大きいヨットを進水させています。社史が例に挙げるのは 11.80 メートルの船です。ファン・レントも 1933 年に、鋼で造り、仕上げに手をかけた、同じ型を続けて造る巡航艇を出して成功しました。
1936 年、デ・フォークトは、長さ 54.30 メートルの船を設計します。注文したのはペルシャの国王でした。社史は、この仕事が国の外でも注目を集めたと書いています。翌 1937 年には、長さ 31.00 メートルの船が造られました。オランダのユリアナ王女とベルンハルト王子の、結婚の祝いの贈り物です。
1939 年に 30 メートルの船が進水して、急に伸びた十年が締めくくられます。社史によれば、このころにはデ・フリースは、鋼のヨットの造り手として足場を固めていました。13.60 メートルから 54.30 メートルまで。十年のあいだに、扱う船の大きさは四倍になっています。
CHAPTER 21949 年のカフェと、アメリカ
2-1 「オランダの造船所の、最初の輸出組合」
1949 年、デ・フリースとファン・レントは、ほかの四つのオランダの造船所と一緒に、フェッドシップを作りました。場所は、アムステルダムのカフェ「デ・ローデ・レーウ」です。
フェッドシップという名前は、英語の頭文字を並べたものです。オランダの造船所の、最初の輸出組合。社史は、名前のもとになった英語をそのまま載せています。造船所の名前のように聞こえますが、もとは、国の外へ船を売るために手を組んだ集まりの名前でした。
設計者のアンリ・ウィレム・デ・フォークトは、そのすぐあとに加わります。社史によれば、彼が、最初の世代のフェッドシップに共通する設計の考え方を決めました。六つの造船所が別々に造っても、一つの名前で売る以上、船の姿と質がそろっていなければなりません。その役目を、一人の設計者が受け持ったわけです。
2-2 マンハッタンで立ち往生した「カプリ」
組合が向かった先は、アメリカでした。1951 年、フェッドシップはニューヨークのモーターボートの展示会に、三隻のヨットを出します。帆のヨットが一隻と、エンジンで走る巡航艇が二隻です。巡航艇の一隻が、二年後に話題になる「カプリ」でした。社史は、オランダの出品は、鋼で造ってあることと仕上げの良さで目立った、と書いています。
1953 年には、社史の中でいちばん絵になる出来事が起きます。長さ 16.76 メートルの「カプリ」を展示会へ運ぶ途中、マンハッタンの高架の線路の下で、船が通れなくなって止まってしまったのです。社史によれば、これが国の外でも注目を集めました。カプリは展示会の女王に選ばれ、会期のあいだに売れました。フェッドシップは、アメリカからいくつもの注文を取ります。
街なかで立ち往生した船が、かえって名前を広めました。輸出のための組合を作って四年で、アメリカの市場に足場ができたことになります。
2-3 フォーブスの「ハイランダー」
1956 年、マルコム・フォーブスが、長さ 29.80 メートルの「ハイランダー」を注文しました。社史は、これが長く続く関係の始まりだったと書いています。同じ持ち主が、繰り返し注文する。その信頼の上に成り立つ関係です。そしてこの一隻で、アメリカでの評判が固まりました。アメリカの国内の造船所の力を超える、大きな注文のヨットを頼むなら、フェッドシップだ、という評判です。
設計の側では、世代が替わります。フリッツ・デ・フォークトが父と並んで働き、1958 年から少しずつ設計の中心を引き継ぎました。父のアンリは 1963 年に亡くなるまで関わり続けています。
フリッツが設計した 1960 年の船は、長さ 35.25 メートルで、当時いちばん大きいフェッドシップでした。空調と、揺れを抑えるひれを備えています。1967 年には、新しいハイランダーが 35.40 メートルで、大きさの記録を塗り替えました。1986 年には、フォーブスの五隻目のハイランダーが出ます。長さ 46.00 メートルで、大胆な横顔と、ヘリコプターの降りる場所を持ち、船内はバネンバーグが手がけました。リュルセンのヨットを設計した、あの設計者です。社史は、これまでに造られた中で最も見分けやすいフェッドシップの一つだと書いています。
- 1949アムステルダムのカフェで、六つの造船所がフェッドシップを作る
- 1951ニューヨークの展示会に三隻を出す
- 1953カプリがマンハッタンで立ち往生し、展示会の女王に選ばれる
- 1956マルコム・フォーブスが最初のハイランダーを注文する
- 196035.25 メートルの船。当時いちばん大きいフェッドシップ
- 1986フォーブスの五隻目のハイランダー。46.00 メートル
CHAPTER 3王室の称号と、100 メートルと、水素
3-1 一つの名前として動く
造船所の側でも、大きい船のための準備が続きました。1962 年に、カーフ島に大きな新しい建屋が開きます。もっと長く、もっと背の高いヨットを造れるようになりました。1975 年に施設を広げると、60 メートルを超える船も造れるようになります。1990 年には、アールスメールに、屋根があって温度と湿度を整えられる乾いたドックが開きました。
1984 年について、社史は、フェッドシップの仲間が、一つのフェッドシップという姿のもとで、世界に向けた協力を強めたと書いています。その橋渡しをしたのが、設計者のフリッツ・デ・フォークトでした。1986 年には、設計の事務所にコンピューターの技術が入ります。1993 年、フリッツは日々の指揮をフーゴ・ファン・ヴィーリンゲンに渡し始め、自分は助言の役に回りました。
輸出のために集まった組合が、数十年かけて、一つの造船所のように動く集まりになっていったことが分かります。会社はいま、自分たちのヨットをこう説明しています。どのフェッドシップも、つまりは試作の一隻である。どの設計も白い紙から始まる。同じフェッドシップは二つと無い、と。
3-2 「ロイヤル」と「コーニンクレッカ」
2001 年、ファン・レントは「ロイヤル」の称号を受け、ロイヤル・ファン・レント造船所になりました。社史は、これを、長く国にとって大事だった会社にオランダの君主が与える、めったに無い名誉だと説明しています。
2006 年には、デ・フリースも同じ意味の称号「コーニンクレッカ」を受けました。これで、フェッドシップの二つの造船所は、どちらも王室の称号を持つことになります。
そのあいだの 2005 年、デ・フリースはマックムに二つ目の造船所を開きました。アールスメールでは造れない、ずっと大きいヨットのための場所です。社史は、この開所のときの小さな話を書き残しています。村の印刷屋をはじめ、土地の店が、開所の祝いの世話をしたそうです。社史はこれを、フェッドシップの造船所の真ん中にある、土地との強い結びつきの表れだと書いています。
2019 年には、アムステルダムに新しい施設が開きました。開所の式を行ったのは、マキシマ王妃です。カーフ島だけでは足りなくなった造る力を、ここで広げました。
3-3 混ぜて走る、100 メートルを超える、水素で動く
2015 年、長さ 83.50 メートルの「サヴァンナ」が進水しました。社史はこれを、世界で最初のハイブリッドのモーターヨットと呼び、環境に配慮した造船への、はっきりした転換の合図だったと書いています。
同じ 2015 年の行に、もう一隻あります。長さ 101.50 メートルの「シンフォニー」です。フェッドシップが届けた、100 メートルを超える最初のヨットでした。1960 年にいちばん大きかった船は 35.25 メートルです。半世紀あまりで、三倍近くになっています。
2019 年には、設計の事務所が、ヨットが環境に与える負担を数字で比べるための物差しを作りました。のちに、業界が一緒に進める計画へ育っています。
年表のいちばん新しい行は 2025 年です。「ブレイクスルー」という船が、水素の燃料電池で動く世界で最初の大型ヨットとして認められた、と書かれています。鋼の船体と仕上げでアメリカの展示会を驚かせた組合が、七十年あまりたって、こんどは動力のほうで最初を取りにいっています。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 2001 | ファン・レントが「ロイヤル」の称号を受ける |
| 2005 | デ・フリースがマックムに二つ目の造船所を開く |
| 2006 | デ・フリースが「コーニンクレッカ」の称号を受ける |
| 2015 | サヴァンナ(83.50 メートル)とシンフォニー(101.50 メートル) |
| 2019 | アムステルダムに新しい施設が開く |
| 2025 | ブレイクスルー。水素の燃料電池で動く |
SOURCES出典
- Feadship 公式サイト「History」
https://feadship.nl/history(2026-10-02 確認) - Feadship 公式サイト「About」
https://feadship.nl/about(2026-10-02 確認) - Lürssen 公式サイト「History」(設計者バネンバーグがリュルセンのヨットを設計したこと)
https://www.lurssen.com/en/about/history/(2026-10-02 確認)
この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や長さなどの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と艇名は、各社の商標です。