【論文243】「和で抑えられる」は一つの性質ではない

要旨

論文241 は「部分から全体が決まるか」を問い、決まらない量を並べた。本稿はその隣を問う。「$f(A \cup B) \le f(A)+f(B)$」という同じ形の不等式は、同じ性質を言っているのか。新しい数学定理も新しい法則も主張しない。

第一に、五つが同じ形をしている。エントロピー、ノルム、行列の階数、測度、部分空間の次元(第2節)。

第二に、合成が全部違う。テンソル積・和・和・合併・和:同じ「+」に見えるのは、論文241 が数えた記号のほうである(第3節)。

第三に、等号の条件も全部違う。エントロピーは積状態で $\mathbf{0}$、もつれた状態で $\mathbf{2.000000000}$ の隙間を空ける(第4節)。

第四に、受け側が有界だと、和は届く前に切れる。$\dim U=6$、$\dim V=7$ で $\dim(U+V)=\mathbf{10}$ となり、和の $13$ には決して届かない(第5節)。

第五に、これが本稿の芯である。一つは和ではなく最大で抑えられる。カントール集合と区間の合併の指数は $k=12$ で $\mathbf{0.996526}$ であり、和の $1.630930$ ではなく最大の $1$ へ行く(第6節)。

第六に、古典と量子で片方だけ落ちる。完全相関した二ビットは $H(XY)=\mathbf{1}$ で $H(X)$ を下回らないのに、ベル状態は $S(AB)=\mathbf{0}$ で $S(A)=1$ を下回る(第7節)。

第七に、最初の測り方は失敗した。点で標本を取ると、合併の指数が構成要素より小さいという不可能な値 $\mathbf{0.961077}$ が出た(第8節)。

射程(何を示さないか)

新しい数学定理も新しい法則も主張しない。フォン・ノイマンエントロピーの劣加法性、三角不等式、階数と測度と次元の劣加法性、ハウスドルフ次元が可算合併で最大を取ることは、いずれも標準的である。測定値を引かない。本稿の数はすべて定義から計算したか、擬似乱数で数えたものである。圏論を導入しない。「和で抑えられる」に対応する圏論の語があることには触れるが、本稿はその語を使って何かを導出しない。もつれの理論を作らない。第4節と第7節は二つの状態を並べるだけである。フラクタル幾何を論じない。第6節が使うのは区間の個数を数えることだけである。五つが「本当は同じもの」だとは主張しない。また「本当は違うもの」だとも主張しない。示すのは合成と等号条件が違うという形式的事実だけである。既刊との関係:論文241 は「部分から全体が決まるか」を問うた。本稿は決まらないまでも上から抑えられる場合を数える。論文227 は「$\le$」の等号が触れる場合と触れない場合を分けた。第4節は触れる条件を五つ並べ、全部違うことを示す。論文94 は「次元」が一つでないと示した。第6節はそのうち一つが和ではなく最大に従うことを数で見る。論文162 は全体が部分より知られていないことがあると示した。第7節は同じ事実の不等号側である。論文206 は箱数え次元の測り方で失敗した経験を書いた。第8節は同じ罠に別の形で落ちた記録である。加えたのは五つを同一の形式で並べたこと、合成と等号条件を分けて表にしたこと、受け側のモノイドが和でない例を一つ立てたこと、標本による測り方が不可能な値を返すことを数で記録したことである。

1. 記法と位置づけ

設定:量 $f$ と、二つのものを合わせる操作 $\ast$ について、$f(A\ast B)\le f(A)+f(B)$ という形の不等式を考える。

この形は、体系のあちこちに現れる。

  1. フォン・ノイマンエントロピー:$S(AB)\le S(A)+S(B)$(合成はテンソル積)
  2. ノルム:$\|x+y\|\le\|x\|+\|y\|$(合成はベクトルの和)
  3. 行列の階数:$\mathrm{rank}(A+B)\le\mathrm{rank}A+\mathrm{rank}B$(合成は行列の和)
  4. 測度:$\mu(A\cup B)\le\mu(A)+\mu(B)$(合成は合併)
  5. 部分空間の次元:$\dim(U+V)\le\dim U+\dim V$(合成は部分空間の和)

紙の上では五つとも同じ形である。本稿は、何が同じで何が違うかを数える。

圏論には、この形を指す語がある。本稿はその語に触れるだけで、そこから何も導出しない。

2. 合成は、五つとも違う

まず $\ast$ を見る。 記号は「+」や「$\cup$」に見えるが、何を合わせているかが違う。

量 合成 $\ast$ $A\ast B$ が住む場所
エントロピー テンソル積 合成系の状態空間
ノルム ベクトルの和 同じベクトル空間
階数 行列の和 同じ行列空間
測度 集合の合併 同じ可測空間
次元 部分空間の和 同じ全体空間

観察 2.1 テンソル積だけが、住む場所を変えている。他の四つは、$A$ と $B$ と $A\ast B$ が同じ場所にいる。したがって「同じ不等式」と呼ぶとき、比べているものの型が既に違う。

観察 2.2 論文241 は「+」に見える記号を八つ数えた。本稿が見ているのは、その記号ではなく不等号の側である。同じ体系の、隣の棚である。

3. 等号は、五つとも違う条件で触れる

検算 3.1:エントロピーで、等号に触れる場合と最も離れる場合を測る(単位はビット)。

状態 $S(A)$ $S(B)$ $S(AB)$ 隙間
ベル状態(もつれている) $1.000000000$ $1.000000000$ $0.000000000$ $\mathbf{2.000000000}$
最大混合の積状態 $1.000000000$ $1.000000000$ $2.000000000$ $\mathbf{0.000000000}$

検算 3.2:ノルムで、平行なベクトル $y=x$ を取る。$100000$ 組で $|2\|x\|-\|2x\||$ の最大は $\mathbf{0.000\times 10^{0}}$、すなわち厳密な等号である。無作為な二本では、$d=2$ で隙間の平均 $0.733737$、$d=10$ で $1.806171$、$d=100$ で $5.840427$ となる($200000$ 組ずつ、違反は $0$ 件)。

検算 3.3:他の三つで等号に触れる条件を測る。

量 等号になるのは 確かめた数
エントロピー 積状態のとき 隙間 $0.000000000$
ノルム 同じ向きのとき 隙間 $0.000\times 10^{0}$
階数 像が交わらないとき $\mathrm{rank}=3=3+0$
測度 重なりが零のとき $|A|=|B|=1$、合併 $2.0$、重なり $0.0$
次元 $U\cap V=\{0\}$ のとき $\dim U=3$、$\dim V=4$、和 $7$

観察 3.4 五つとも「等号に触れる」が、触れる条件は五つとも違う。積であること、平行であること、交わらないこと、重ならないこと、独立であること:一つの条件から、他の四つは出てこない。

観察 3.5 論文227 は「$\le$」の等号が触れる場合と触れない場合を分けた。ここでは五つとも触れる。ただし触れる場所が違う。

4. 受け側が有界だと、和は届く前に切れる

検算 4.1:$10$ 次元空間の中で、部分空間の和の次元を測る。

$\dim U$ $\dim V$ 和 $\dim(U+V)$ 全体の次元
$3$ $4$ $7$ $\mathbf{7}$ $10$
$6$ $7$ $13$ $\mathbf{10}$ $10$
$5$ $5$ $10$ $\mathbf{10}$ $10$

観察 4.2 二行目では、和の $13$ に決して届かない。上から押さえているのは劣加法性ではなく、全体の次元 $10$である。同じ不等式が成り立っていても、効いている天井が違う。

観察 4.3 「$f(A\ast B)\le f(A)+f(B)$ が成り立つ」と書いただけでは、それが効いているかどうかが分からない。別の天井のほうが低いことがある。

5. 芯:一つは、和ではなく最大で抑えられる

設定:合成を集合の合併とし、量を箱数え次元とする。カントール集合と区間 $[2,3]$ を用意する。目盛り $3^{-k}$ で、交わる区間の個数を直接数える。

$k$ カントール集合 区間 $[2,3]$ 合併 合併の指数
$4$ $16$ $81$ $97$ 、
$6$ $64$ $729$ $793$ $0.963991$
$8$ $256$ $6561$ $6817$ $0.983067$
$10$ $1024$ $59049$ $60073$ $0.992275$
$12$ $4096$ $531441$ $535537$ $\mathbf{0.996526}$

カントール集合の指数は、どの段でも $\log 2/\log 3=0.630930$ である。区間の指数は $1$ である。

観察 5.1 合併の指数は $1$ へ行く。和の $0.630930+1=1.630930$ ではない。ここでは受け側が $(\mathbb{R},+)$ ではなく $(\mathbb{R},\max)$ である。「和で抑えられる」という言い方が、そもそも当たっていない。

観察 5.2 五つのうち四つは和で抑えられ、一つは最大で抑えられる。分離子は受け側で何を足し算と呼んでいるかである。不等号の形は同じでも、右辺の演算が違う。

観察 5.3 論文94 は「次元」が一つでないと示した。本稿はそのうち一つが、他の四つの量と違う代数に住んでいることを見ている。

6. 古典では落ちず、量子では落ちるもの

検算 6.1:全体が部分を下回れるかを測る(単位はビット)。

系 部分 全体 全体は部分を下回るか
完全相関した二ビット(古典) $H(X)=1.000000$ $H(XY)=\mathbf{1.000000}$ 下回らない
ベル状態(量子) $S(A)=1.000000$ $S(AB)=\mathbf{0.000000}$ **下回る**

観察 6.2 劣加法性は古典でも量子でも成り立つ。ところが下からの押さえは、量子で落ちる。「同じ不等式が成り立つ」ことは、隣の不等式についても同じだとは言わない。

観察 6.3 論文162 は「全体のほうが部分より知られていないことがある」と書いた。本稿はそれを不等号の向きの側から見ている。同じ事実である。

7. 最初の測り方は失敗した

記録:第5節を、はじめは点で標本を取って測った。カントール集合を $2^{14}$ 点、区間を $200000$ 点で標本化し、格子に落として箱を数えた。

対象 標本による指数 正しい値
カントール集合 $0.676042$ $0.630930$
区間 $1.000000$ $1.000000$
合併 $\mathbf{0.961077}$ $1.000000$

観察 7.1 合併の指数が、構成要素である区間の指数を下回っている。これは不可能である。合併は区間を含むのだから、下回りようがない。数が不可能な値を返したので、測り方が誤っていると分かった。

観察 7.2 原因:標本の点数には上限がある。細かい目盛りでは、箱の個数が点の個数で頭打ちになる。傾きが人為的に下がる。論文206 も箱数え次元の測り方で同じ種類の罠に落ちた。そこでは格子の置き方、ここでは標本の有限性である。

観察 7.3 規律:対象に上限や飽和があるとき、細かい極限で測った量は、その上限を測ってしまう。検算の値が論理的に不可能な範囲に入ったら、結論ではなく道具を疑う。

8. 分離子と柵

分離子:三つある。

  1. 合成 $\ast$ が何か(テンソル積・和・合併)
  2. 等号に触れる条件が何か(積・平行・交わらない・重ならない・独立)
  3. 受け側の演算が何か($+$ か $\max$ か)

柵:

  1. 五つが本当は同じものだとは言わない。
  2. 五つが本当は違うものだとも言わない。言うのは、合成と等号条件が違うということだけである。
  3. 圏論の語を使って何かを導出しない。触れるだけである。
  4. 劣加法性から何かの物理的意味を引き出さない。
  5. 第6節は二つの状態を並べただけで、もつれの尺度も分類も扱わない。

9. 点呼と結び

  1. 五つが同じ形をしている(第2節):合成は五つとも違う。
  2. 等号の条件も五つとも違う(検算3.1〜3.3):隙間 $2.000000000$ と $0$。
  3. 別の天井が先に効くことがある(検算4.1):$6+7$ で $10$。
  4. 一つは最大で抑えられる(第5節):$0.996526$、和なら $1.630930$。
  5. 下からの押さえは量子で落ちる(検算6.1):$H(XY)=1$ に対し $S(AB)=0$。
  6. 標本による測り方は不可能な値を返した(第7節):$0.961077$。

結び:「和で抑えられる」は、一つの性質ではなかった。合成が違い、等号に触れる条件が違い、効いている天井が違う。そして五つのうち一つは、そもそも和で抑えられていない。最大で抑えられている。不等式の形が同じであることは、右辺の演算が同じであることを意味しない。圏論には、この形に対応する語がある。本稿はその語を借りなかった。借りなくても、合成と等号条件を書けば足りたからである。

改訂記録

第2版(2026年9月):主張・定理・検算はいずれも第1版から変更していない。英語版の参考文献で、本体系の既刊を引く行の題名が日本語のまま残っていたので、英語の題名に直した。内容に関わる変更は無く、撤回した内容も無い。

本文の区切りに使っていた横棒を、句読点に改めた(2026年10月)。主張・数・参考文献は変えていない。

参考文献

  1. Araki, H., Lieb, E. H. (1970). Entropy inequalities. Communications in Mathematical Physics, 18.
  2. Nielsen, M. A., Chuang, I. L. (2000). Quantum Computation and Quantum Information. Cambridge: Cambridge University Press.
  3. Falconer, K. (2014). Fractal Geometry: Mathematical Foundations and Applications, 3rd edition. Chichester: Wiley.
  4. Mac Lane, S. (1998). Categories for the Working Mathematician, 2nd edition. New York: Springer.
  5. Cover, T. M., Thomas, J. A. (2006). Elements of Information Theory, 2nd edition. Hoboken: Wiley.
  6. 山岸勇輝 (2026). 等号にも別根がある [論文16]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21600471
  7. 山岸勇輝 (2026). 「次元」は一つではない [論文94]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21758581
  8. 山岸勇輝 (2026). 全体のほうが、部分より知られていないことがある [論文162]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22092568
  9. 山岸勇輝 (2026). 空間は近づいても、次元は近づかない [論文206]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22110637
  10. 山岸勇輝 (2026). 同じ「≤」が、触れる壁と触れない壁を指している [論文227]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22123129
  11. 山岸勇輝 (2026). 足し算にできるかを問う前に、二項演算があるかを問わねばならない [論文241]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22130189

作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。

書誌

山岸勇輝(2026)「「和で抑えられる」は一つの性質ではない」[論文243]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22159642

YOI 243第2版・2026年9月ビットコインに記録済み

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引用するとき

山岸勇輝 (2026). 「和で抑えられる」は一つの性質ではない [論文243]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/243 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22159642

Yamagishi, Y. (2026). Bounded by a Sum Is Not One Property [Paper 243]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/243; DOI: 10.5281/zenodo.22159642

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指紋(SHA-256)と確かめ方
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