キャンピングカーを造ろうとした技師と、「水の上のフォルクスワーゲン」
ドイツのデーラーは、よく走る巡航艇で知られるセーリングヨットの名前です。いまは、バルト海に近いグライフスヴァルトで造られています。けれど公式の社史によれば、生まれた場所は海ではありません。ドイツの内陸、ザウアーラントという山あいの地方の、小さな町でした。作った人は電気の技師で、最初に造ろうとしたのは船ではなく、キャンピングカーでした。会社が公開している社史を読んでいきます。
CHAPTER 1内陸の町と、五十の注文
1-1 キャンピングカーから、小さな帆の船へ
公式の社史は、1960 年代のフライエンオールという町から始まります。ドイツのザウアーラント地方の小さな町です。社史は、ここがデーラーという名前のゆりかごになった、と書いています。
作ったのはヴィリー・デーラーで、電気の技師でした。彼がはじめに目を付けたのは、キャンピングカーを造ることです。材料は、当時まだ新しかった、ガラス繊維で強くした樹脂(GRP)でした。けれど社史は、すぐにこう続けています。彼が本当に夢中だったのは、帆走だった。
趣味が、ひらめきにつながります。1963 年、ヴィリーは、長さ 3 メートルの小さな帆の船を、見本市に出しました。すると、50 の注文が取れました。社史は、これがデーラーの進む道を決めたと書き、こう言い表しています。この名前は、広い海から遠く離れた、けれど可能性に満ちた場所で生まれた、と。
フランスのベネトウが、いわし漁船に積む小舟を樹脂で造ったのも、同じ 1963 年でした。スウェーデンのハルベルグが、樹脂の船を続けて造り始めたのも、同じ年です。海辺の造船所と、山あいの町の電気の技師が、同じ年に、同じ新しい材料で、小さな船を造っていたことになります。
1-2 1965 年、湖と川のための「ヴァリアンタ」
1965 年、ヴィリーと弟のハインツは、「ヴァリアンタ」を出しました。デーラーにとって最初の、重りの付いたキールを持つヨットです。社史によれば、この船は、海ではなく、内陸の湖や川で乗るために設計されていました。内陸の町で生まれた造船所らしい最初の一歩です。社史は、この船の身軽さが、いまもデーラーの持ち味として残っていると書いています。
最初の小さな船から、ちょうど七年後のことです。ヴィリーは、ずっと持っていた夢をかなえました。海へ出られる理想の船を設計する、という夢です。条件は、速いことと、車で引いて運べることでした。それが「オプティマ」という船になります。内陸に住む人が、船を車で海まで引いていく。その使い方を最初から考えた船でした。
1-3 「水の上のフォルクスワーゲン」
そのあいだに、最初のヴァリアンタは、思いがけないところまで行きます。社史によれば、この船は 1973 年までに、ヨーロッパでいちばんよく売れる GRP のヨットになりました。
新聞や雑誌は、この船にあだ名を付けました。「水の上のフォルクスワーゲン・ビートル」です。だれでも買えて、どこでも見かける、国民の車になぞらえたわけです。
社史は、このことの意味を一文で書いています。何千人もの船乗りが、この船で初めて、新しい船体の材料を体験した、と。樹脂の船というものを、ドイツのふつうの人たちに行き渡らせたのが、内陸の町の小さな造船所だったことになります。前に書いたハンゼは、1993 年に、値段の安さでよく売れる最初の船を出していました。デーラーは、その三十年近く前に、同じことを別の船でやっていました。
- 1963ヴィリー・デーラーが 3 メートルの帆の船を見本市に出し、50 の注文を取る
- 1965ヴィリーとハインツの兄弟が、ヴァリアンタを出す
- 1973ヴァリアンタが、ヨーロッパでいちばんよく売れる GRP のヨットになる
CHAPTER 2速くて、居心地の良い船という分野
2-1 1976 年、自動で返る前の帆
1976 年、デーラーは「スプリンタ」という船を出しました。社史は、この船を、前の帆が自動で反対側へ返る仕組みを備えた、最初の量産のヨットだと書いています。そして、これでデーラーは、新しい工夫の先頭に立つ造船所という評判を固めた、と続けています。
ハンゼの記事でも書いたとおり、ここは二つの社史が食い違う所です。ハンゼの社史は、1993 年の自分の船を、この仕組みを量産の船で初めて備えたものだとしています。デーラーの社史によれば、それより十七年前に、デーラーの船が備えていました。いまは同じグループの二つの会社が、それぞれの社史で「最初」と書いているわけです。年だけを比べれば、デーラーのほうが早いことになります。ただ、二つの仕組みが同じものなのかどうかは、どちらの社史にも書かれていません。
2-2 1980 年代、レースで勝つ巡航艇
社史は、1980 年代を、デーラーの形が決まった時期と呼んでいます。「よく走る巡航艇」という分野を始めたのが、この時期でした。
きっかけになった船があります。居心地のための装備を整えた船なのに、ヴィリー・デーラーのチームが乗って、レースで次々に勝ちました。速さと居心地の両方を持つこと。社史は、これがデーラーの目印になったと書いています。
その到達点が、1986 年の「デーラー 34」です。社史は、この船が、船乗りが自分の船に期待するものを塗り替え、世界中でよく売れたと書いています。
同じ時期に、会社は大きな決定をしています。長さ 10 メートルを超える帆のヨットに力を集めることにしたのです。船はすべて「デーラー」という名前にまとめました。それまでの三つの系列は、やめています。その中には、あのヴァリアンタも入っていました。ヨーロッパでいちばん売れた船の名前を、自分でやめたわけです。社史は、この十年が会社を作り変え、国の外での評判を固めたと書いています。
2-3 1990 年代、設計の事務所と組む
1990 年代の半ば、デーラーの船の姿が変わります。設計の事務所ユーデル・フローリクと組み始めたからです。社史は、新しい特徴として二つを挙げています。垂直に近く立った船首と、まっすぐに立った船尾です。
この特徴を取り入れた最初の船の一つが、1997 年の「デーラー 29」でした。社史によれば、この船はいまも造られ続けています。
ユーデル・フローリクは、1999 年からハンゼの船も設計した事務所です。ハンゼの社史にも、垂直に近い船首の話が出てきます。のちに一つのグループになる二つの造船所が、別々の時期に、同じ設計の事務所を選んでいました。
1999 年、創業者のヴィリー・デーラーが 70 歳で亡くなりました。社史は、帆走の世界が彼の功績をたたえたと書いています。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1965 | デーラーで最初の、キールを持つヨット(ヴァリアンタ) |
| 1976 | 前の帆が自動で返る、最初の量産のヨット(スプリンタ)。ハンゼの社史は 1993 年の自分の船をそう書いている |
| 1980 年代 | 「よく走る巡航艇」という分野を始める |
CHAPTER 3ハンゼのもとへ、海のそばへ
3-1 持ち主が何度か替わる
創業者が亡くなったあとの時期について、社史は短く、けれど正直に書いています。デーラーは、何人かの新しい持ち主のもとで、荒れた時期をくぐり抜けた、と。
落ち着いたのは 2009 年です。ハンゼのもとに入りました。社史は、これが、場所の移動であるだけでなく、技術の面でも新しい章の始まりだったと書いています。大きい型の生産が、グライフスヴァルトへ移りました。
このとき、一人の人が戻ってきます。ヴィリー・デーラーの息子、カールです。社史は、カールがデーラーのチームにふたたび加わり、船の開発に新しい命を吹き込んだと書いています。会社の持ち主は創業の家ではなくなりましたが、創業者の息子が、船を作る側に戻ったわけです。
3-2 2012 年、すべてがグライフスヴァルトへ
2012 年に、大きな変化が起きました。船を造る仕事のすべてが、フライエンオールから、バルト海に近いグライフスヴァルトへ移ったのです。山あいの町で生まれてから半世紀で、デーラーは初めて、海のそばで造られるようになりました。
移転の最初の成果が、2013 年に出た「デーラー 38」です。この船は、2014 年のドイツの大きな展示会で、年間の賞を取りました。社史は、長い受賞の列に、もう一つ加わったと書いています。
社史によれば、2017 年までに、デーラーは「よく走る巡航艇」の分野で、市場の先頭に立ちました。ヨットの設計は大きく変わったけれど、すぐれた船を造ろうとする情熱は、五十年前と同じ強さで残っている。社史は、そう結んでいます。
3-3 二人でも、一人でも走れるレースの船
2019 年、「デーラー 30 ワンデザイン」が生まれました。社史は、これをもう一つの大きな節目と呼んでいます。二人でも一人でも走れるように作られ、沖のレースの厳しい条件に合わせて磨かれた船です。
翌 2020 年には、この船だけで競うための協会ができました。作るときに選ばれた顔ぶれが、社史に書かれています。会長は、レースの経験の深い船乗りのウーヴェ・バルテル。技術の面の責任者は、カール・デーラー。創業者の息子が、ここにも名前を連ねています。もう一人、この取り組みを支える役の人の名前も、社史は書き残しています。
1980 年代に、居心地の良い船でレースに勝って名前を上げた造船所が、四十年たって、同じ船どうしで競うレースの船を出しました。フィンランドのスワンも、同じ道を通っています。速い巡航艇で名前を上げた造船所は、やがて、自分の船だけのレースを作る。二つの社史に、同じ流れが出てきます。これは私の感想です。
内陸の町の電気の技師が、見本市で 50 の注文を取ってから六十年あまり。造る場所も、持ち主も替わりました。けれど社史が最初から最後まで繰り返している言葉は、同じです。身軽で、速い船。
- 2009ハンゼのもとに入る。大きい型の生産がグライフスヴァルトへ
- 2012船を造る仕事のすべてが、フライエンオールからグライフスヴァルトへ移る
- 2013デーラー 38
- 2017「よく走る巡航艇」の分野で市場の先頭に立つ
- 2019デーラー 30 ワンデザイン
- 2020この船だけで競うための協会ができる
SOURCES出典
- Dehler 公式サイト「Our History」
https://dehler.com/gb/history/(2026-10-02 確認) - Hanse Yachts 公式サイト「Our history」(ハンゼの側の、自動で返る前の帆の記述と設計者の名前)
https://hanseyachts.com/gb/history/(2026-10-02 確認) - BENETEAU 公式サイト「History」(1963 年のポリエステルの小舟)
https://www.beneteau.com/history(2026-10-02 確認) - Hallberg-Rassy 公式サイト「Company history」(1963 年の GRP の量産)
https://www.hallberg-rassy.com/company/company-history(2026-10-02 確認) - Nautor Swan 公式サイト「Heritage」(同じ船どうしで競うレース)
https://www.nautorswan.com/company/heritage/(2026-10-02 確認)
この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や長さなどの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と艇名は、各社の商標です。