【論文231】「×」は、倍にするたびに一つ法則を失う

要旨

掛け算に何を期待してよいかは、どこで掛けているかで変わる。本稿はどの法則が生き残るかを測り、次元を倍にするたびに一つずつ落ちていくことを示す。新しい数学定理も新しい法則も主張しない。

第一に、「同じ数を何回も足す」は定義ではない。$3\times2.5$ にその読み方は無い。それは一つの場合にだけ通じる絵である(第2節)。

第二に、外積は結合しない。$(a\times b)\times c$ と $a\times(b\times c)$ のずれは最大 $\mathbf{10.7208}$ であった。ただしヤコビ和は $3.553\times10^{-15}$であり、別の法則を守っている(第4節)。

第三に、これが本稿の芯である。次元 $1,2,4,8$ と倍にするたびに、ちょうど一つ法則が落ちる。順序、可換(ずれ $19.1$)、結合(ずれ $72.4$)(第5節)。

第四に、十六で割り算そのものが壊れる。$(e_1+e_{10})(e_4-e_{15})=\mathbf{0}$ であり、両方の大きさは $\sqrt2$ である。この形の零因子は336 組あり、八元数には一組も無い(第6節)。

第五に、確率の積は掛け算の性質ではない。同じコインを二度見れば $P(A)P(B)=0.25$ に対し $P(A\cap B)=0.5$ である。積の規則は世界についての仮説である(第7節)。

射程(何を示さないか)

新しい数学定理も新しい法則も主張しない。ケイリー=ディクソン構成、フロベニウスの定理、フルヴィッツの定理、外積の非結合性とヤコビ恒等式、十六元数の零因子は、いずれも標準的である。網羅を主張しない。フルヴィッツの定理を証明しない。「四つで止まる」ことは引用する定理であり、本稿は各段で何が落ちるかを測るだけである。代数の教科書を書かない。分解型の代数も、標数の違う体も扱わない。零因子の分類をしない。挙げるのは$e_i\pm e_j$ の形のものだけである。既刊との関係:論文16(等号に六)・227(不等号に二)・228(「+」に八)・229(「$\div$」に五)・230(「$-$」に七)に続く記号の分類の六本目であり、四則が揃う。論文181 は「掛け算は二つ目を決めない」を示した。あちらの分離子は余積 $\Delta$であり、本稿の分離子(どの法則を諦めたか)とは別である。重ならない。論文220 は「独立は四つある」を示した。第7節はその掛け算側の現れである。加えたのは行列と外積で法則のずれを実測したこと、外積が結合しないのにヤコビを守ることを $10^{-15}$ で確かめたこと、ケイリー=ディクソンの各段で可換性と結合性のずれを測ったこと、十六元数の零因子を推測ではなく総当たりで見つけたこと、八元数に同じ形が無いことを確かめたことである。

1. 記法と位置づけ

「$\times$」に我々が期待するのは、およそ四つである。交換法則・結合法則・答が同じ型であること・足し算に分配すること。本稿が測るのは、それぞれの掛け算で、どれが生き残るかである。

位置づけ:記号の分類の六本目であり、これで四則が揃う。論文181 の分離子は余積であって、本稿とは別の切り口である。

2. 「同じ数を何回も足す」は、定義ではない

観察 2.1 

式 繰り返し足すと読めるか 積の値
$3\times4$ $3+3+3+3=12$ $12$
$3\times2.5$ 読み方が無い $7.5$
$3\times(-2)$ 読み方が無い $-6$
$3\times0.5$ 読み方が無い $1.5$

観察 2.2 「$a$ を $b$ 回足す」には、$b$ が個数であることが要る。これは掛け算の定義ではなく、一つの場合にだけ通じる絵である。論文229 で割り算にも二つの絵があったのと同じ事情である。

3. 積は、始めた集合を出ていくことがある

観察 3.1 

積 入れるもの 出てくるもの
$2$ m $\times$ $3$ m 二つの長さ $6$ m$^2$、面積であって長さではない
内積 二つのベクトル 数
外積 二つのベクトル ベクトル(三次元でだけ)
外微分形式の積 二つの $1$-形式 $2$-形式
テンソル積 次元 $10$ と $10$ 次元 $100$

観察 3.2 五つのうち四つで、答は同じ型ではない。「掛ける」と言うとき、我々は何が出てくるかを言っていない。

4. どの法則が残るか:行列と外積

検算 4.1:$3\times3$ の乱数行列と三次元の乱数ベクトルで、法則のずれを測る。

積 交換法則のずれ 結合法則のずれ
行列 $\mathbf{10.7622}$ $1.776\times10^{-15}$
外積 $a\times b+b\times a=\mathbf{0}$(反対称) $\mathbf{10.7208}$

外積についてヤコビ和 $a\times(b\times c)+b\times(c\times a)+c\times(a\times b)$ を測ると $\mathbf{3.553\times10^{-15}}$ であった。

観察 4.2 外積は結合しない。だが無法則なのではない。結合法則の代わりにヤコビ恒等式を守っている。「法則が壊れた」のではなく、別の法則に取り替わったのである。

5. 芯:倍にするたびに、一つ落ちる

検算 5.1:ケイリー=ディクソン構成で次元を $1,2,4,8,16$ と倍にし、各段で乱数を $4000$ 組ずつ測る。

代数 次元 交換法則 結合法則
実数 $1$ 成り立つ 成り立つ
複素数 $2$ 成り立つ 成り立つ
四元数 $4$ 破れる(ずれ $19.1$) 成り立つ
八元数 $8$ 破れる(ずれ $24.3$) 破れる(ずれ $72.4$)
十六元数 $16$ 破れる(ずれ $36.7$) 破れる(ずれ $156$)

構成の確認:四元数で $ij=k$、$ji=-k$、$i^2=-1$。八元数で $(e_1e_2)e_4$ と $e_1(e_2e_4)$ は符号が逆であった。

観察 5.2 一段ごとに、ちょうど一つ落ちる。

代数 次元 その倍加が支払ったもの
実数 $1$ 、
複素数 $2$ 順序(大小を比べられなくなる)
四元数 $4$ 可換性
八元数 $8$ 結合性
十六元数 $16$ 零因子が無いこと(第6節)

そして $1,2,4,8$ で止まる。これはフルヴィッツの定理であり、本稿は証明せず引用する。

6. 十六で、割り算そのものが壊れる

検算 6.1(推測から総当たりへ):初めに文献から思い出した組を当てたが、$|xy|=2.828$ で零にならなかった。基底の並べ方が違えば当たらない。そこで $e_i\pm e_j$ の形の組を総当たりした。

測ったもの 値
零になる組の数 $\mathbf{336}$
最初の一つ $(e_1+e_{10})(e_4-e_{15})$
$|x|$、$|y|$ $1.4142135624$、$1.4142135624$
$|xy|$ $\mathbf{0}$
$|yx|$ $\mathbf{0}$
八元数で同じ形の零因子 $\mathbf{0}$ 組

観察 6.2 どちらの因子も零ではないのに、積が零である。$x$ で割るという操作が、意味を持てなくなる。論文229 で数えた「割れない理由」の三つ目(逆元が無い)が、ここでは掛け算の側から生じている。そして破れは十六でだけ起き、八では一組も無い。

7. 確率の積は、掛け算の性質ではない

検算 7.1:

場合 $P(A)P(B)$ $P(A\cap B)$ 一致するか
独立な二枚のコイン $0.25$ $0.25$ はい
同じコインを二度見る $0.25$ $\mathbf{0.5}$ いいえ
$A$ とその余事象 $0.25$ $\mathbf{0}$ いいえ

観察 7.2 積の規則は掛け算の性質ではない。それは世界についての仮説であり、たいていの場合は偽である。論文220 が「独立は四つある」と数えたことの、掛け算側の現れである。

8. 分離子と柵

観察 8.1 (分離子) 「$\times$」を分けているのは、どの法則を諦めたかである。

諦めたもの 例
何も 数の積
順序 複素数
可換性 四元数・行列
結合性 八元数・外積(ヤコビに取り替わる)
答が同じ型であること 面積・内積・外微分形式・テンソル積
零因子が無いこと 十六元数
分配が無条件であること 確率の積(独立を要する)

観察 8.2 (柵) 「これらは掛けられる」という言い方を囲っている柵は、どの法則を当てにしているかを決めていることである。柵の外では、この文は偽ですらなく、空である。230・229・228 と同じ形である。

観察 8.3 四則が揃った。分離子はそれぞれ違う。「+」は戻す座標があるか(228)、「$-$」は何が戻ってくるはずか(230)、「$\div$」は何が戻すのを邪魔しているか(229)、そして「$\times$」はどの法則を諦めたかである。四つとも、記号を見ても分からない。

9. 点呼と結び

本稿が測ったことを並べる。

  1. 繰り返し足すのは定義ではない(観察2.1):$3\times2.5$ に読み方が無い。
  2. 五つのうち四つで型が変わる(観察3.1)。
  3. 外積は結合せず、ヤコビを守る(検算4.1):$10.7208$ と $3.553\times10^{-15}$。
  4. 一段ごとに一つ落ちる(検算5.1):順序・可換・結合。
  5. 零因子は推測では当たらなかった(検算6.1):総当たりで $336$ 組。
  6. 十六でだけ割り算が壊れる(検算6.1):八元数では $0$ 組。
  7. 確率の積は仮説である(検算7.1):$0.25$ に対し $0.5$。

結び:掛け算は、たいてい「同じ数を何回も足すこと」として教えられる。$3\times2.5$ には、その読み方が無い。そして $2$ メートル $\times$ $3$ メートルは $6$ ではなく、$6$ 平方メートルという別の種類のものである。行列では順序を変えると答が変わり、外積では括弧の位置を変えると答が変わる。ただし外積はヤコビ恒等式という別の法則を、$10^{-15}$ の精度で守っている。そして数の世界を倍にしていくと、一段ごとにちょうど一つ、法則が落ちる。複素数で順序を、四元数で可換性を、八元数で結合性を失い。十六元数では、どちらも零でない二つを掛けて零になる。$(e_1+e_{10})(e_4-e_{15})=0$、両方の大きさは $\sqrt2$、そのような組が $336$ ある。八元数には、一組も無い。つまり「掛ける」という一つの言葉のもとで、我々は何を当てにしてよいかを、場所ごとに交渉している。だから掛けられるかどうかを訊く前に、どの法則を当てにしているのかを訊かねばならない。そして一つ多く手に入れるたびに、一つ手放している。

参考文献

  1. Hamilton, W. R. (1844). On quaternions. Proceedings of the Royal Irish Academy, 3, 1–16.
  2. Cayley, A. (1845). On Jacobi’s elliptic functions, in reply to the Rev. B. Bronwin; and on quaternions. Philosophical Magazine, 26, 208–211.
  3. Frobenius, G. (1878). Über lineare Substitutionen und bilineare Formen. Journal für die reine und angewandte Mathematik, 84, 1–63.
  4. Hurwitz, A. (1898). Über die Composition der quadratischen Formen von beliebig vielen Variabeln. Nachrichten von der Gesellschaft der Wissenschaften zu Göttingen, 309–316.
  5. Bott, R., Milnor, J. (1958). On the parallelizability of the spheres. Bulletin of the American Mathematical Society, 64(3), 87–89.
  6. Baez, J. C. (2002). The octonions. Bulletin of the American Mathematical Society, 39(2), 145–205.
  7. Grassmann, H. (1844). Die lineale Ausdehnungslehre. Leipzig: Wigand.
  8. 山岸勇輝 (2026). 等号にも別根がある [論文16]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21600471
  9. 山岸勇輝 (2026). 掛け算は「二つ目」を決めない [論文181]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22104155
  10. 山岸勇輝 (2026). 「独立」は四つあり、たがいに何も言わない [論文220]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22119838
  11. 山岸勇輝 (2026). 「+」は八つあり、そのうち七つは座標を変えれば本当の足し算になる [論文228]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22126254
  12. 山岸勇輝 (2026). 「÷」は五つあり、割れない理由がそれぞれ違う [論文229]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22126445
  13. 山岸勇輝 (2026). 「$-$」は七つあり、そのうち一つは足し算を戻さない [論文230]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22126779

作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。

書誌

山岸勇輝(2026)「「×」は、倍にするたびに一つ法則を失う」[論文231]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22126935

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引用するとき

山岸勇輝 (2026). 「×」は、倍にするたびに一つ法則を失う [論文231]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/231 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22126935

Yamagishi, Y. (2026). Every Doubling Costs the Product One Law [Paper 231]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/231; DOI: 10.5281/zenodo.22126935

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