要旨
「計算できる」という語には、二つの身分の違う主張がぶら下がっている。本稿が問うのは、そのどちらが証明されたのかである。答は、片方だけである。三つの形式的定義が同じクラスを指すことは定理であり、そのクラスが「計算できるもの全部」だというテーゼは定理ではない。新しい数学定理も新しい法則も主張しない。
第一に、出発点を数える。$1934$–$1936$ 年に、動く機械・式の書き換え・再帰という三つの無関係な出発点が置かれた。三つの間の対の同値性は $\mathbf{3}$ 本である(第2節)。
第二に、これが本稿の芯である。その $3$ 本はすべて証明されている。形式的定義どうしの比較なので、証明の対象になる(第3節)。
第三に、テーゼのほうは対象にならない。片側が非形式的な「計算できる」である以上、等式として書けない。証明できないのではなく、証明という手続きの外にある(第4節)。
第四に、それでも反証可能ではある。誰もが計算だと認める手続きで、このクラスの外の関数を一つ出せば倒れる。$90$ 年出ていないが、出ない保証は無い(第5節)。
第五に、クラスの内側にも階層がある。アッカーマン関数は原始帰納的でないのに計算可能で、$A(4,2)=2^{65536}-3$ は$\mathbf{19729}$ 桁である(第6節)。
第六に、その階層は数で見える。$A(4,0)=13$ から $A(4,1)=65533$ へ $\mathbf{5041}$ 倍、そこから $A(4,2)$ へは桁数が $5$ から $19729$ へ跳ぶ(第6節)。
射程(何を示さないか)
新しい数学定理も新しい法則も主張しない。チューリング機械、$\lambda$ 計算、一般帰納的関数、それらの同値性、チャーチ=チューリングのテーゼ、アッカーマン関数が原始帰納的でないことは、いずれも標準的である。計算可能性理論を作らない。使うのは一つの再帰的定義と、対の数え上げと、桁数だけである。同値性を証明しない。三本の同値性の証明は本稿では行わない。証明されているという事実と、それが証明の対象になりうる理由だけを書く。テーゼの真偽を判定しない。正しいとも誤りとも言わない。身分が定理ではないと言うだけである。停止問題を扱わない。論文179 が停止問題に触れている。本稿は「計算できない対象」ではなく「計算できるという語の身分」を扱う。計算量に入らない。論文04 は $\mathrm{P}$ 対 $\mathrm{NP}$ を扱う。複雑性と計算可能性は別の階層であり、本稿は後者だけを見る。アッカーマン関数を完全に評価しない。$A(4,2)$ 以降は桁数の式で書くだけであり、値を書き下さない。$A(4,3)$ 以降は本稿の道具では扱わない。定義の一覧を網羅しない。第2節に挙げるのは一部であり、同じクラスに至る定式化は他にもある。年号は初出の年であり、同値性の証明年とは別である。既刊との関係:論文163 は「良い符号が在る」と「これが良い符号だ」が別の文であることを示した。本稿も二つの文の身分の差を扱うが、あちらは存在と構成、こちらは定理とテーゼである。論文189 は「証明できない」が文の性質ではなく公理系との関係だと示した。本稿の第4節はそもそも文になっていない主張を扱う。関係の外側である。論文179 は「構成できない」に別根があることを示した。本稿は「計算できる」の示し方が三つあることを数える。論文232 は同じ等号が四つの別の主張を書いていることを数えた。本稿はテーゼの「=」が、そもそも等号ではないことを書く。論文190 は「稀」を対数の目盛りで測った。本稿の第6節も桁数で書く。加えたのは三つの定義と三本の同値性を数えて並べたこと、定理とテーゼの分かれ目を「両側が形式的かどうか」の一点に置いたこと、テーゼが証明不能でありながら反証可能であると書いたこと、アッカーマン関数の値を実際に計算し、$A(4,2)$ の桁数 $19729$ を出したことである。
1. 記法と位置づけ
設定:「この関数は計算できる」という文を二つに分ける。
(A)形式的な主張:三つの形式的定義(機械・書き換え・再帰)が、同じ関数のクラスを指す。
(B)非形式的な主張:そのクラスが、人が「計算できる」と呼ぶもの全部である。
問い:(A)と(B)は、同じ身分の主張か。
答は、違う。(A)は定理であり証明されている。(B)はテーゼであり、証明の対象になりえない。
注意:本稿は(B)が誤りだとは言わない。身分が定理ではないと言うだけである。正しさと、証明できるかどうかは、別の問いである。
2. 出発点を数える
検算 2.1:三つの出発点を並べる。年は初出のものであり、同値性が示された年とは別である。
| 定式化 | 何を動かすか | 提唱者 | 年 |
|---|---|---|---|
| 一般帰納的関数 | 再帰の規則 | エルブラン、ゲーデル | $1934$ |
| $\lambda$ 計算 | 式の書き換え | チャーチ | $1936$ |
| チューリング機械 | 紙の上を動く機械 | チューリング | $1936$ |
観察 2.2 三つは互いに似ていない。一つは数の上の再帰、一つは記号列の書き換え、一つは物理的な装置の理想化である。同じものが出てくる理由は、定義からは見えない。
検算 2.3:三つの定義のあいだの、対の同値性の本数を数える。
| 対 | 同値か |
|---|---|
| 帰納的関数 $\leftrightarrow$ $\lambda$ 計算 | 定理 |
| $\lambda$ 計算 $\leftrightarrow$ チューリング機械 | 定理 |
| チューリング機械 $\leftrightarrow$ 帰納的関数 | 定理 |
| 合計 | $\mathbf{3}$ 本 |
観察 2.4 $3$ つの定義から作れる対は $\binom{3}{2}=3$ 本であり、その全部が証明されている。後年これに register 機械や型 $0$ 文法などが加わったが、どれも同じクラスに落ちた。第2節に挙げたのは一部である。
3. 芯:同値性は定理である
観察 3.1 なぜ証明できるのか。両側が形式的だからである。「チューリング機械で計算できる関数の集合」も「$\lambda$ 項で表せる関数の集合」も、定義が書き下されている。だから包含を両向きに示せばよい。
観察 3.2 証明の形も具体的である。一方の対象を他方で模倣する手続きを作ればよい。$\lambda$ 項をテープ上に符号化して簡約を機械に実行させる、といった構成である。
観察 3.3 この $3$ 本が本稿の「定理」の側である。ここまでは、通常の数学と同じ意味で確定している。
4. テーゼは定理ではない
観察 4.1 チャーチ=チューリングのテーゼは、こう言う。「このクラスが、直観的に計算できる関数の全部である」。右辺の「直観的に計算できる」は、定義が書き下されていない。
検算 4.2:二つの主張を、身分で並べる。
| 主張 | 左辺 | 右辺 | 身分 |
|---|---|---|---|
| 同値性 | 形式的 | 形式的 | 定理 |
| テーゼ | 形式的 | 非形式的 | 定理ではない |
観察 4.3 分離子、何を動かすと別物になるか。右辺が形式的かどうか、その一点だけである。左辺は両方とも同じものである。
観察 4.4 「まだ証明されていない」ではない。非形式的な概念との一致は、証明という手続きの入力になりえない。論文232 が同じ等号の四つの身分を数えたのと同じ話で、テーゼの「=」はそもそも等号ではない。
観察 4.5 混同すると何が起きるか。「計算可能性は証明された」と書いてしまう。証明されたのは $3$ 本の同値性だけであり、テーゼは証明されていない。
5. だが反証可能ではある
観察 5.1 証明できないことと、反証できないことは別である。テーゼを倒すには、誰もが計算だと認める手続きで、このクラスの外の関数を一つ出せばよい。
検算 5.2:何が出れば倒れるかを並べる。
| 出てきたもの | テーゼは |
|---|---|
| このクラスの外の関数を、有限の手順で誰でも計算できる | 倒れる |
| このクラスの外の関数を、無限の資源で計算できる | 倒れない(手順ではない) |
| このクラスの中の関数を、新しい方法で計算できる | 倒れない(クラスは同じ) |
| このクラスの外の関数が存在する | 倒れない(存在は既知) |
観察 5.3 四行のうち、倒すのは一行目だけである。停止問題のように「クラスの外にある関数」は既に知られているが、それは計算できないほうの証拠であってテーゼの反証ではない。
観察 5.4 $90$ 年、一行目は出ていない。だがそれは証拠であって証明ではない。反証可能な主張が長く反証されずにいるとき、それは強い経験的支持であり、定理ではない。
6. クラスの内側にも階層がある
設定:「計算できる」の中は一様ではない。アッカーマン関数は、原始帰納的でないのに計算可能である。階層が実在することの具体例である。
検算 6.1:定義どおりに評価する。
| $n=0$ | $n=1$ | $n=2$ | $n=3$ | $n=4$ | |
|---|---|---|---|---|---|
| $A(0,n)$ | $1$ | $2$ | $3$ | $4$ | $5$ |
| $A(1,n)$ | $2$ | $3$ | $4$ | $5$ | $6$ |
| $A(2,n)$ | $3$ | $5$ | $7$ | $9$ | $11$ |
| $A(3,n)$ | $5$ | $13$ | $29$ | $61$ | $125$ |
観察 6.2 $A(3,n)=2^{n+3}-3$ である。$5,13,29,61,125,253,\dots$ と、表の四行目がこの式にそのまま乗っている。
検算 6.3:$m=4$ の行に進む。
| 値 | 桁数 | |
|---|---|---|
| $A(4,0)$ | $13$ | $2$ |
| $A(4,1)$ | $65533$ | $5$ |
| $A(4,2)$ | $2^{65536}-3$ | $\mathbf{19729}$ |
観察 6.4 $13$ から $65533$ へは $\mathbf{5041}$ 倍である。そこから次へは、値の比ではなく桁数が $5$ から $19729$ へ跳ぶ、倍率で書くことに意味が無くなる。
観察 6.5 この関数はどの原始帰納的関数よりも速く増えるので、原始帰納的ではない。それでも上の表のとおり実際に計算できている。「計算できる」の内側が一層でないことの、動く証拠である。
観察 6.6 正直に書くべき点、$A(4,2)$ の値そのものは本稿で書き下していない。桁数の式で書いただけであり、$A(4,3)$ 以降は本稿の道具では扱えない。
7. 点呼と結び
- 出発点は三つ(検算2.1):$1934$ の再帰、$1936$ の書き換え、$1936$ の機械。
- 三つは似ていない(観察2.2):同じものが出る理由は定義から見えない。
- 同値性は $3$ 本(検算2.3):$\binom{3}{2}=3$、その全部が証明されている。
- 証明できる理由(観察3.1):両側が形式的だから。
- テーゼの右辺は非形式的(検算4.2):だから定理ではない。
- 分離子は一点(観察4.3):右辺が形式的かどうか。
- 反証はできる(検算5.2):四行のうち倒すのは一行目だけ。
- $90$ 年出ていない(観察5.4):証拠であって証明ではない。
- $A(3,n)=2^{n+3}-3$(観察6.2):$5,13,29,61,125$。
- $A(4,2)$ は $19729$ 桁(検算6.3):原始帰納的でないのに計算可能。
結び:$1936$ 年に起きたことは、二つあった。一つは、三つの無関係な出発点が同じクラスに着いたという定理である。対の同値性 $3$ 本は、通常の数学と同じ意味で確定している。もう一つは、そのクラスが「計算できるもの全部」だというテーゼである。こちらは右辺が非形式的なので、証明という手続きの外にある。混同すると「計算可能性は証明された」と書いてしまう。そしてテーゼは、証明できないが反証はできる。$90$ 年反証されていないのは強い証拠であって、定理ではない。分けるものは一つ、両側が形式的かどうかを書き出すこと。書き出せば、確定している部分と、支持されているだけの部分が分かれる。書き出さなければ、$3$ 本の定理の信用が、テーゼの側へ黙って流れ込む。
参考文献
- Turing, A. M. (1936). On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungsproblem. Proceedings of the London Mathematical Society, s2-42.
- Church, A. (1936). An Unsolvable Problem of Elementary Number Theory. American Journal of Mathematics, 58(2).
- Kleene, S. C. (1936). General Recursive Functions of Natural Numbers. Mathematische Annalen, 112.
- Turing, A. M. (1937). Computability and $\lambda$-Definability. The Journal of Symbolic Logic, 2(4).
- Ackermann, W. (1928). Zum Hilbertschen Aufbau der reellen Zahlen. Mathematische Annalen, 99.
- Soare, R. I. (2016). Turing Computability: Theory and Applications. Berlin: Springer.
- Odifreddi, P. (1989). Classical Recursion Theory. Amsterdam: North-Holland.
- 山岸勇輝 (2026). 総当たり探索の物理的資源限界 [論文04]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21404131
- 山岸勇輝 (2026). 「良い符号が在る」と「これが良い符号だ」は、別の文である [論文163]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22092677
- 山岸勇輝 (2026). 「構成できない」にも別根がある [論文179]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22098419
- 山岸勇輝 (2026). 「証明できない」は、文の性質ではない [論文189]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22105830
- 山岸勇輝 (2026). 「稀」は、対数の目盛りで測る [論文190]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22106182
- 山岸勇輝 (2026). 証明を落とした本から学ぶと、等号の身分も一緒に落ちる [論文232]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22127528
作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。
書誌
山岸勇輝(2026)「同値性は定理であり、テーゼは定理ではない」[論文260]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22169292
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引用するとき
山岸勇輝 (2026). 同値性は定理であり、テーゼは定理ではない [論文260]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/260 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22169292
Yamagishi, Y. (2026). The Equivalence Is a Theorem and the Thesis Is Not [Paper 260]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/260; DOI: 10.5281/zenodo.22169292
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