【論文132】伊藤の $2$ は、次元ではない

要旨

伊藤の補題には $\frac12\sigma^2 f”$ という二階の項が現れる。体系にも $2$ が多い。本稿は、この $2$ がどこから来ているかを書く。新しい数学定理も新しい物理法則も主張しない。

第一に、二階で止まるのは、二次変分だけが生き残るからである。ブラウン運動の道について、本稿では分割を細かくしながら三つの変分を数えた。一次変分は $23.8\to408.0$ と発散し、二次変分は $T=1$ に落ち着き、三次変分は $4.2\times10^{-2}\to3.1\times10^{-3}$ とゼロへ向かう。ゆえに伊藤の補題は近似ではなく厳密である(第2節)。

第二に、これが本稿の芯である。その $2$ は空間次元ではなく、道の粗さで決まる。ハースト指数 $H$ の非整数ブラウン運動について、本稿では二次変分を数え、$H=0.3$ では $9.3\to11.6\to16.2$ と発散し、$H=0.7$ では $0.107\to0.083\to0.060$ とゼロへ向かい、$H=0.5$ でのみ安定することを得た。生き残る階数を決めるのは $1/H$ であり、ブラウン運動では $1/H=2$ である(ライオンズのラフパス理論)。そして空間次元をいくら動かしても、伊藤の補題は二階で止まる(第3節)。

第三に、余分な項そのものは規約である。同じ道・同じ被積分関数でも、各小区間のどこで被積分関数を読むかで答えが変わる。本稿では $\int B\,dB$ を数値的に計算し、左端で読めば $-0.2344$、中点で読めば $+0.2653$、差はちょうど $T/2=0.5$ を得た。ストラトノビッチ流儀は通常の連鎖律に従い、$\frac12\sigma^2f”$ を持たない(第4節)。

第四に、だが規約でないものが一つある。二つの流儀が食い違うこと自体である。それは二次変分がゼロでないという言明にほかならない。そして流儀の選択は恣意的ではない。非先読みが要るなら伊藤(建玉は値が動く前に決める)、滑らかな雑音の極限ならストラトノビッチ(ウォン=ザカイ)(第5節)。

第五に、「平均リターン」という一語が二つの量を指している。幾何ブラウン運動について本稿では $40$ 万本を生成し、価格の平均は $e^{\mu T}$($1.1034$ 対 理論値 $1.1052$)、対数価格の平均は $(\mu-\sigma^2/2)T$($0.0188$ 対 $0.0200$)を得た。差はちょうど伊藤の補正 $\sigma^2/2$ である(第6節)。

射程(何を示さないか)

本稿の射程:新しい数学定理も新しい物理法則も主張しない。伊藤(1944)、ストラトノビッチ(1966)、ウォン=ザカイ(1965)、ライオンズ(1998)、マンデルブロ=ヴァンネス(1968)はいずれも標準的である。本稿が加えるのは、伊藤の $2$ が空間次元でないことを数値で分離したこと、余分な項が規約であり、二流儀の食い違いが事実であることを分けたこと、「平均リターン」の二つの根を書いたことだけである。$2$ に幾何を読み込まない(論文94・101)。

1. 記法と位置づけ

ブラウン運動を $B_t$、確率微分方程式を $dX=a\,dt+b\,dB$ と書く。伊藤の補題は $f(X_t)$ について
$$ df=\Bigl(a f’+\tfrac12 b^2 f”\Bigr)dt+b f’\,dB \tag{1} $$
を与える。通常の連鎖律にない項が $\frac12b^2f”$ である。

位置づけ:既存の定理を並べ、その根を書く。新しい定理は主張しない。論文17 は別根と言うのは半分であり、住所を書いて初めて検査可能になると述べた。本稿は伊藤の $2$ について、それを行う。

そして本稿は著者自身の道具についての点呼でもある。相場の分析で毎日使う式が、体系の $2$ と同じ根を持つのかどうか、それを確かめる。

2. なぜ二階で止まるのか

検算 2.1(三つの変分を数える):$[0,1]$ 上のブラウン運動の道について、分割を細かくしながら $\sum|\Delta B|$、$\sum(\Delta B)^2$、$\sum|\Delta B|^3$ を計算した。

分割数 一次変分 二次変分 三次変分
1024 23.84 0.895 $4.23\times10^{-2}$
4096 51.42 1.006 $2.50\times10^{-2}$
16384 101.29 0.987 $1.22\times10^{-2}$
65536 204.28 1.003 $6.28\times10^{-3}$
262144 408.00 0.997 $3.10\times10^{-3}$

一次変分は発散し、二次変分は $T=1$ に落ち着き、三次変分はゼロへ向かう。(証明終)

観察 2.2 (ゆえに伊藤の補題は近似ではない) テイラー展開を二階で切っているのではない。三階以降が消えるのである。(1) は厳密な等式であって、切り捨ての結果ではない。

観察 2.3 (等号の身分) 論文16 は等号が六つの根を持つと述べた。(1) の等号は「近似の記号」ではない。$\frac12$ は極限に現れた値であって、こちらが置いた係数ではない。

3. その $2$ は次元ではない

検算 3.1(道の粗さを動かす):ハースト指数 $H$ の非整数ブラウン運動について、二次変分を分割の細かさとともに計算した。

$H$ $n=256$ $n=512$ $n=1024$
0.3 9.31 11.63 16.21(発散)
0.5 1.05 0.91 1.01(安定)
0.7 0.107 0.083 0.060(消滅)

$H<1/2$ では二階では足りず、$H>1/2$ では二階は多すぎる。$H=1/2$ でだけ、二次変分がゼロでも無限でもない量に落ち着く。(証明終)

観察 3.2 (生き残る階数を決めているもの) 一般に、$p$ 次変分が有限になるのは $p>1/H$ のときである。したがって展開を持って行くべき階数は $1/H$ が決める。ブラウン運動では $H=1/2$、ゆえに $2$ である(ライオンズのラフパス理論では、$H<1/2$ の道に対して三階以上の情報が必要になる)。

観察 3.3 (そして次元では動かない) $d$ 次元の伊藤の補題は
$$ df=\Bigl(\textstyle\sum_i a_i\partial_i f+\frac12\sum_{ij}(bb^{\top})_{ij}\partial_i\partial_j f\Bigr)dt+\cdots $$
であり、$d$ をいくつにしても二階で止まる。$2$ は次元の関数ではない。

観察 3.4 (体系の $2$ との分離) 

どの $2$ か 何で決まるか 動かすと
伊藤の $2$ 道のハースト指数 $H$ で動く・$d$ では動かない
論文01 の $n=2$ 空間次元($n=d-1$) $d$ で動く・$H$ とは無関係
ホップ写像の $2$ ファイブレーションの構造 どちらでも動かない

分離子は「何を動かすと動くか」である(論文117・131)。三つとも別根である。

4. 余分な項は、規約である

検算 4.1(同じ道、同じ被積分関数、二つの答え):$\int_0^1 B\,dB$ を、各小区間の左端で読む場合と中点で読む場合について数値的に計算した($2^{20}$ 分割)。

読む位置 値 閉じた形
左端(伊藤) $-0.2344$ $\tfrac12B_T^2-\tfrac12T$
中点(ストラトノビッチ) $+0.2653$ $\tfrac12B_T^2$
差 $0.4998$ $\tfrac12T=0.5$

違うのは、被積分関数をどこで読むかだけである。(証明終)

観察 4.2 (ゆえに $\frac12\sigma^2f”$ は規約である) ストラトノビッチ流儀は通常の連鎖律に従う。余分な項を持たない。したがって「伊藤の補題には自然が加えた余分な項がある」という読み方は正しくない。その項は、左端で読むという選択の帰結である。

5. だが、規約でないものが一つある

観察 5.1 (食い違うこと自体は事実である) 二つの流儀が同じ積分に別の値を与えることは、規約ではない。それは二次変分がゼロでないという言明そのものである。滑らかな道であれば、どこで読んでも同じ値になる。食い違いの大きさ $T/2$ が、道の粗さを測っている。

論文131 と同じ形である。数の書き方は規約で、書き方を変えても消えない部分が事実。ここでは「余分な項」が規約で、「二流儀が一致しないこと」が事実である。

観察 5.2 (流儀の選択は恣意的ではない) 

場面 どちらか なぜ
金融 伊藤 建玉は値が動く前に決める(非先読み)
物理 ストラトノビッチ 白色雑音が滑らかな雑音の極限(ウォン=ザカイ)

規約であることと、どちらでもよいことは違う。何をモデル化しているかが、流儀を一意に決める。論文95 は規約は「何でもよい」ではないと述べた。ここがその実例である。

6. 「平均リターン」は、二つの量を指している

検算 6.1(幾何ブラウン運動):$\mu=0.10$、$\sigma=0.40$、$T=1$ で $40$ 万本の道を生成した。

量 数値 理論値
価格の平均 $E[S_T]$ 1.1034 $e^{\mu T}=1.1052$
対数価格の平均 $E[\ln S_T]$ 0.0188 $(\mu-\tfrac12\sigma^2)T=0.0200$
価格の中央値 1.0185 $e^{(\mu-\sigma^2/2)T}=1.0202$

差は $\sigma^2/2=0.08$ である。(証明終)

観察 6.2 (一語、二つの量) 「期待リターン」と言うとき、価格の期待値の成長率($\mu$)を指すこともあれば、対数価格の期待値の成長率($\mu-\sigma^2/2$)を指すこともある。同じ過程について、両方とも正しい。だが同じ数ではない。

観察 6.3 (どちらを見るべきか) 典型的な一本の道が向かう先は中央値であって平均ではない。平均は裾の少数の道に引き上げられている。分布が非対称なとき、平均は「よくある結果」を表さない。これは論文94 が裾の厚さについて置いた注意と同じ形である。そして $\sigma$ が大きいほど、二つは離れる。

7. 結論

  1. 二階で止まるのは、二次変分だけが生き残るからである(検算2.1)。一次変分は$23.8\to408.0$ と発散、二次変分は$T=1$ に安定、三次変分はゼロへ。伊藤の補題は近似ではなく厳密である。
  2. その $2$ は次元ではない(検算3.1)。$H=0.3$ で二次変分は$9.3\to16.2$ と発散、$H=0.7$ で$0.107\to0.060$ と消滅、$H=0.5$ でのみ安定。階数を決めるのは $1/H$であり、空間次元を動かしても二階のままである。
  3. 三つの $2$ は別根である(観察3.4)。伊藤の $2$ は $H$ で動き、論文01 の $n=2$ は $d$ で動き、ホップ写像の $2$ はどちらでも動かない。分離子は「何を動かすと動くか」。
  4. 余分な項は規約である(検算4.1)。左端で $-0.2344$、中点で $+0.2653$、差はちょうど $T/2$。ストラトノビッチ流儀は通常の連鎖律に従い、その項を持たない。
  5. だが二流儀が食い違うこと自体は事実である(観察5.1)。それは二次変分がゼロでないという言明である。そして流儀の選択は恣意的ではない。非先読みなら伊藤、滑らかな雑音の極限ならストラトノビッチ(観察5.2)。
  6. 「平均リターン」は二つの量を指している(検算6.1)。価格の平均は $e^{\mu T}$、対数価格の平均は $(\mu-\sigma^2/2)T$、差は伊藤の補正。典型的な一本が向かうのは中央値であって平均ではない。

結び:同じ字の $2$ が、三つの別のものを数えている。伊藤の $2$ は道の粗さを、体系の $n=2$ は空間の次元を、ホップ写像の $2$ はファイブレーションの構造を数えている。どれを動かすと動くかを試せば、三つは分かれる。毎日使っている道具ほど、根を確かめておいたほうがよい。

参考文献

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  18. 山岸勇輝 (2026). ウィーナー・フィルタ [論文106]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21836984
  19. 山岸勇輝 (2026). 尺度不変性は四つの根を持つ [論文117]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22005515
  20. 山岸勇輝 (2026). $\hbar$ は、不等式の数学の側には無い [論文129]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22079681
  21. 山岸勇輝 (2026). $k_BT\ln2$ のうち、物理は $T$ だけである [論文131]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22080240

作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。

書誌

山岸勇輝(2026)「伊藤の 2 は、次元ではない」[論文132]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22080358

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引用するとき

山岸勇輝 (2026). 伊藤の 2 は、次元ではない [論文132]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/132 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22080358

Yamagishi, Y. (2026). The 2 in Itô’s Lemma Is Not a Dimension [Paper 132]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/132; DOI: 10.5281/zenodo.22080358

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