置き去りの 300 台、名前を伏せた湖、そして黒いエンジン
マーキュリーは、アメリカの船外機の会社です。黒いエンジンで知られ、速い船や釣りの船の後ろによく付いています。会社が 85 周年に公開した年表によれば、創業者は船外機を造るつもりではありませんでした。買ったのは倒産した工場で、造ろうとしたのは酪農の機械です。そこから、秘密の湖でエンジンを試す会社になるまでを、会社が公開している年表と記事で読んでいきます。
CHAPTER 1倒産した工場と、置き去りの 300 台
1-1 1939 年 1 月 22 日
会社の年表は、日付まで書いてあります。1939 年 1 月 22 日。エルマー・カール・キーケーファーという人が、倒産した会社を買いました。シーダーバーグ・マニュファクチャリングという、ものを造る会社です。
年表によれば、彼がそこで造るつもりだったのは、船外機ではありません。酪農で使う、磁石を使った分離の機械でした。酪農の仕事のための機械を造る。それが最初の計画でした。
ところが工場には、前の持ち主が置いていったものがありました。船外機が 300 台です。キーケーファーは、これを設計から見直して、直しました。そして売りました。年表は、そのあとをこう書いています。彼は突然、自分が船外機の商売の中にいることに気づいた。
酪農の機械を造るために買った工場で、置き去りの品物を直して売ったら、それが本業になった。会社は、この年を創業の年として数えています。
1-2 牛舎の跡に工場を建てる
酪農との縁は、もう一つあります。1946 年、会社は酪農の農場の牛舎と、そのまわりの 38 エーカーの土地を買いました。そこを、船外機を造る新しい工場に作り変えています。年表によれば、いまの会社の工場の一つは、その牛舎があった土地に建っています。
そこからの年表は、馬力の記録が並びます。
1956 年、六つのシリンダーを持つ最初の船外機「マーク 75」が出ました。年表は 60 馬力と書き、当時手に入る船外機の中でいちばん力があった、としています。
1962 年には、「マーキュリー 1000」が出ます。量産の船外機として、世界で初めて 100 馬力に届いた型でした。「力の塔」というあだ名が付いています。
1-3 黒という色
この 1962 年の型には、もう一つの「初めて」がありました。黒く塗られた最初のマーキュリーだったのです。年表は、その色を「ファントム・ブラック」と呼び、これがマーキュリーだけの色になり、目印になった、と書いています。
いまマーキュリーと聞いて多くの人が思い浮かべる黒いエンジンは、創業から二十年あまりたって、100 馬力の型と一緒に始まったものでした。
ヤマハの最初の評判を作った小さな船外機は、黄色いおおいで「黄色い帽子」と呼ばれていました。同じころ、海の向こうでは、いちばん力のある船外機が黒く塗られていたことになります。仕事で使う 3 馬力と、量産で初めての 100 馬力。二つの会社は、まったく違う場所から出発しています。これは二つの資料を並べて読んだ私の感想です。
1970 年、キーケーファーは「会長、社長、創業者」の役を降りました。年表は、かぎかっこ付きでそう書いています。そして同じ年、彼は別の新しい工場の建設に取りかかっています。60,000 平方フィートの建物でした。自分の名前を付けた会社を離れても、ものを造ることはやめなかったわけです。
- 19391 月 22 日、キーケーファーが倒産した工場を買う。置き去りの船外機 300 台を直して売る
- 1946牛舎と 38 エーカーの土地を買い、船外機の工場にする
- 1956六つのシリンダーの最初の船外機、マーク 75
- 1962量産で世界初の 100 馬力、マーキュリー 1000。最初の黒いマーキュリー
- 1970キーケーファーが会社の役を降りる
CHAPTER 2名前を伏せた湖
2-1 冬は水が固くなる
会社は、新しいエンジンもプロペラも部品も、必ず厳しく試します。公式の記事は、それが創業のときから会社の芯にあった、と書いています。
ところがウィスコンシン州には、困ったことがあります。冬です。長く勤めた技師は、記事の中でこう冗談を言っています。水が、あっという間に固くなるんだ。
そこで 1957 年、キーケーファーはフロリダへ出かけました。冬のあいだもエンジンを水の上で試せる湖を探すためです。見つけたのが、フロリダの真ん中にある一つの湖でした。彼はこれを借ります。
まわりは 10,000 エーカーの森と沼。人里から離れていて、ほかの会社に見られずに試験と開発ができます。そこから、この湖には「レイク X」というあだ名が付きました。名前を伏せた湖、という意味です。
2-2 湖の上で、地球を一周する
記事によれば、技師たちは冬になると、ウィスコンシンからフロリダへ出かけて二週間泊まり、二週間帰る、を繰り返しました。泊まるのは、キーケーファーが湖の岸に建てた宿です。いちばん近い町には食堂が無かったので、彼は食堂まで建てました。一日三度の食事が出たそうです。キーケーファー自身は、水上飛行機で湖に降りてきました。桟橋の先に見張りの塔を建てさせたのも彼で、丸い窓のあるその塔は、いまも立っています。
この湖でいちばん有名な試験は、「アトラス作戦」と呼ばれています。1950 年代の終わり、キーケーファーは、自分のエンジンで「世界一周」をする試験を考えました。二隻の船が、昼も夜も止まらずに湖を回り続けます。走った距離が 25,003 マイル、つまり地球の一周の長さになるまでです。
止まらないので、燃料も走りながら入れました。燃料の槽を積んだ別の船が横に並んで、走ったまま注ぎます。運転する人も、同じやり方で交代しました。かかった日数は、34 日と半分です。
使ったエンジンについて、一つ断っておきます。記事は、このときの型をマーク 75 とし、70 馬力と書いています。一方、会社の年表は、1956 年のマーク 75 を 60 馬力と書いています。同じ名前の型で数字が違う理由は、どちらの資料にも書かれていません。
長く走らせる試験は、そのあとも続きました。塔の上の係が、一周ごとの時間を 24 時間ずっと計ります。船には前と後ろに明かりが付いていました。数週間で、一台のエンジンを 300 時間から 400 時間回せた、と当時の人が話しています。ほかにも、水に沈めた樫の丸太にわざとぶつけて、エンジンの下の部分が耐えるかを見る試験がありました。
退屈な仕事だったので、運転する人はときどきいたずらをしたそうです。宿のすぐそばを通って、人が寝ている部屋の窓に水をはねかける。記事には、そんな話まで載っています。
2-3 最初の V6 と、手放した湖
レイク X では、いくつもの「世界初」が試されました。記事が最初に挙げるのは、V 字に六つのシリンダーを並べた最初の船外機です。あだ名は「ブラック・マックス」。
試験の運転をした人は、こう振り返っています。1974 年のことだ。あのころは、時速 60 マイルも出せば、とんでもなく速かった。自分たちは 76 マイル出した。会社の年表では、この型が売り出されたのは 1976 年です。売り出す二年前に、湖ではもう走っていたことになります。
湖には、造船所やレースの組も招かれました。マーキュリーの人たちと一緒に、新しい船の走りを仕上げるためです。競争相手に見られない場所でそれができることを、みな喜びました。記事によれば、「レイク X で仕上げた」と書いたシールがあって、それを貼れることが誇りだったそうです。
1984 年、会社はこの湖を売りました。買った人は、ここを 10,426 エーカーの自然の保護地にしています。フロリダの生きものと自然について伝えるための場所です。
それから 33 年のあいだ、会社はほかの場所で試験をしました。2004 年には、フロリダの別の場所に新しい試験場も開いています。そして 2017 年、会社はレイク X に戻りました。保護地を持つ財団から、長い期間の約束で借りたのです。秘密のために選んだ湖が、のちに自然の保護地になりました。その保護地の中で、会社はいまも新しいエンジンを試しています。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1957 | キーケーファーが、冬の試験のためにフロリダの湖を借りる |
| 1950 年代の終わり | アトラス作戦。二隻が 25,003 マイルを 34 日と半分で走る |
| 1974 | 最初の V6 の船外機を試す。時速 76 マイル |
| 1984 | 湖を売る。10,426 エーカーの自然の保護地になる |
| 2017 | 財団から借りて、レイク X に戻る |
CHAPTER 3黒いエンジンの、そのあと
3-1 燃料を直に吹く
1976 年に売り出されたブラック・マックスについて、年表はこう書いています。最初の V6 の船外機で、量産のものとしては、いちばん馬力があり、いちばん燃料を食わなかった。そして、エンジンそのものだけでなく、その宣伝までが、船の世界で語り草になった、と。
そのあとの年表は、燃料の入れ方の話になります。1987 年、電子の仕掛けで燃料を吹く船外機が出ました。1996 年には、燃料をシリンダーの中へ直に吹く、排気の少ない 2 ストロークの船外機を、初めて市場に出しています。年表は、速さと力はそのままに、燃料の減り方が大きく良くなり、排気の中の害になるものが減った、と書いています。
ここは、ヤマハと道が分かれるところです。ヤマハの物語によれば、ヤマハは 1975 年から 4 ストロークという別の方式を研究し、1984 年に最初の型を出していました。マーキュリーの年表は、1996 年の時点で、昔からの 2 ストロークをきれいにする道を前に出しています。排気の決まりという同じ問題に、二つの会社が別の答えを出していました。どちらが良かったかは、私には言えません。年表を並べて分かるのは、道が二つあったということです。
3-2 2004 年、空気を押し込む 4 ストローク
マーキュリーの年表に 4 ストロークが大きく出てくるのは、2004 年です。「ベラード」という一族が出ました。年表は、空気を押し込む仕掛けを付けた、まっすぐ六つ並びのシリンダーの量産の船外機として、世界で最初だと書いています。船の世界の展示会で賞を取り、釣りの雑誌にも一番の船外機に選ばれました。
2011 年には、150 馬力の 4 ストロークが、イタリアのジェノバの船の催しで披露されます。年表によれば、この馬力の 4 ストロークの中で、いちばん丈夫で、いちばん小さく、いちばん軽い、というのが売りでした。
そして 2018 年。会社は、V6 と V8 の新しい 4 ストロークを一度に出しました。175 馬力から 300 馬力までが、ずらりと並びます。年表は、これを、会社の歴史の中でいちばん大きな新製品の開発だったと書いています。
3-3 十二のシリンダーと、電気
2021 年、会社は記者たちをもう一度レイク X に招きました。披露したのは、V 字に十二のシリンダーを並べた船外機です。600 馬力。排気量は 7.6 リットル。世界で最初の V12 の船外機でした。
記事には、そのときの説明が載っています。シリンダーは縦に十二。プロペラは二枚が逆向きに回る。変速は二段。そして、エンジン全体ではなく、水の中の下の部分が向きを変えて舵を取る。記事を書いた人は、これまで乗ったどの大きな船外機よりも、なめらかで静かだったと述べています。
翌 2022 年には、十のシリンダーの船外機も出ました。業界で最初の V10 です。同じときに、もう一つ、まったく別のものが発表されています。電気で回る船外機です。年表は、これを次の一歩と呼び、続きの型が出ていくと書いています。600 馬力の十二シリンダーと、電気の船外機が、一年ちがいで同じ年表に並んでいます。
いまの会社について、公式の案内はこう書いています。働く人は 5,200 人を超え、造る工場は九つ。会社は、ブランズウィックという大きな会社の一部門です。ヤマハの物語には、1983 年にブランズウィックとの提携を解消した、という一行がありました。ヤマハがかつて組んでいた相手の一部門が、マーキュリーだということになります。提携の中身は、マーキュリーの側の資料にも書かれていませんでした。
置き去りの 300 台を直して売った人の会社は、85 年たって、十二のシリンダーと電気の両方を造っています。年表の最初の一行と最後の一行は、ずいぶん離れています。けれど、冬に凍らない湖をわざわざ探しに行った話を読むと、あいだをつないでいるものは分かります。売る前に、厳しく試す。その場所がいまも同じ湖にあることが、この会社の続き方をよく表していると、私は読みました。
SOURCES出典
- Mercury Marine 公式サイト「85th Anniversary」(年表)
https://www.mercurymarine.com/us/en/about-us/85th-anniversary(2026-10-02 確認) - Mercury Marine 公式サイトの記事「The Legendary History of Mercury Lake X」
https://www.mercurymarine.com/jp/ja/lifestyle/dockline/the-lengendary-history-of-mercury-lake-x(2026-10-02 確認) - Mercury Marine 公式サイト「Company Information」
https://www.mercurymarine.com/us/en/about-us/company-information(2026-10-02 確認) - Yamaha Motor 公式サイト「Yamaha Outboards Story」の章(1983 年の提携の解消)
https://global.yamaha-motor.com/business/outboards/story/large.html(2026-10-02 確認) - 同「Story」の章(ヤマハの 4 ストローク)
https://global.yamaha-motor.com/business/outboards/story/topbrand.html(2026-10-02 確認)
この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や長さなどの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と艇名は、各社の商標です。