マーキュリーもボストン・ホエラーも持つ会社が、船に入り、出て、また入るまで
マーキュリーの船外機、ボストン・ホエラー、シーレイ、ベイライナー。これらはみな、ブランズウィックというアメリカの一つの会社のものです。会社は自分を、遊びの船の世界でいちばん大きい会社だと言っています。ところが公式の歴史を開くと、最初の百年あまり、船は一行も出てきません。出てくるのは、馬車と、ビリヤード台と、酒場の棚と、ボウリングです。会社が公開している年表を読んでいきます。
CHAPTER 1木でできるものなら、何でも
1-1 1845 年、馬車の職人
年表は 1845 年から始まります。ジョン・ブランズウィックは、スイスのライン川の谷から、14 歳でアメリカへ渡ってきた人でした。仕事は、馬車を造る職人です。1845 年 9 月 15 日、オハイオ州のシンシナティに店を開きました。
馬車のほかに、棚や机やいすも造りました。そして同じ年、町で成功していた肉の加工の業者のために、最初のビリヤード台を造ります。評判は口伝えで広がり、注文が次々に来ました。年表は、彼の自慢の言葉を残しています。木でできるものなら、うちで造れる。しかも、だれよりも上手に造れる。
1848 年には、シカゴに売る店を出しました。年表には、のちの大統領リンカーンがブランズウィックの台を買った、という行もあります。正確な日付は分からない、と断ったうえでの記述です。
1878 年、会社は競争相手と一つになりました。年表によれば、このときの会社は、世界でいちばん大きいビリヤードの道具の会社で、ほかの競争相手を全部足したより大きかったそうです。
1-2 酒場の棚と、禁酒の運動
同じ 1878 年、会社は別のものも造り始めています。酒場の、カウンターとその後ろの棚です。上等な木と、鏡と、色ガラスで飾ったものでした。はじめは特別な注文で造っていましたが、酒場からの注文があまりに多いので、専用の工場を建てて、世界中へ送り出すようになります。
1890 年には、社長になった創業者の娘むこが、ボウリングに目を付けました。年表は、当時のボウリングを「まとまりのなかった競技」と書いています。会社は、木の床と、ピンと、球を造り始めました。
ビリヤードとボウリングと酒場。会社の柱は、人が集まって遊ぶ場所の道具でした。
そこへ、最初の危機が来ます。年表は 1912 年の行に、こう書いています。七十年近く負け知らずだった会社が、初めての危機にぶつかった。禁酒の運動で、酒場の道具の商売がつぶれたのです。その商売は、会社の売り上げのほぼ四分の一でした。
社長は、空いてしまった工場の使い道をすぐに見つけました。ゴムです。会社はすでに、ゴムのボウリングの球と、ビリヤード台のふちのゴムを造っていました。そこで、ゴムのタイヤと、ゴムの便座を造り始めます。
1-3 不況、戦争、そしてピンを並べる機械
次の危機は、1930 年代の大きな不況でした。年表には数字が残っています。1928 年に 29.5 百万ドルあった売り上げが、3.9 百万ドルまで落ちました。1930 年代のはじめは、毎年およそ 1 百万ドルの損が出ています。
酒場はもう、高い棚を買ってくれません。そこで 1935 年、会社は技師たちと一緒に、台の上に置ける冷蔵の箱を作りました。それがうまく行くと、ソーダを出す設備も売り出しています。
戦争の時期には、国の注文を受けて、落下傘の付いた照明弾、上陸用の舟、飛行機の胴体などを造りました。1945 年までに、13,000 台を超えるビリヤード台と 3,000 のボウリングのレーンを、軍の基地に入れています。
そして 1956 年、会社を変える製品が出ました。ボウリングのピンを自動で並べる機械です。年表によれば、会社に入った一人の発明家が 1911 年から四十年取り組んで、とうとう使えるものを作れなかった機械でした。その特許を土台にして、やっと完成したのです。年表は、この機械がボウリングを国じゅうの流行にし、会社の株を跳ね上げた、と書いています。
ここまでが、創業から百十年あまりです。船は、まだ出てきません。
- 1845ジョン・ブランズウィックがシンシナティに店を開く。最初のビリヤード台
- 1878世界でいちばん大きいビリヤードの道具の会社になる。酒場の棚も始める
- 1890ボウリングの道具を造り始める
- 1912禁酒の運動で酒場の商売がつぶれる。ゴムのタイヤと便座を造る
- 1956ピンを自動で並べる機械を売り出す
CHAPTER 2船に入り、出て、また入る
2-1 1961 年、マーキュリーを買う
ピンを並べる機械でお金を手にした会社は、買い物を始めます。1950 年代の社長は、18 の会社を買いました。野球やアメリカンフットボールの道具、釣りや狩りの道具、ローラースケートまで、扱うものが広がっていきます。
その流れの中で、1960 年、年表にこの一行が出ます。会社は、船の世界に入った。二つの造船所を買ったのです。
翌 1961 年には、キーケーファーの会社を買いました。年表は、これをマーキュリーの前身と書いています。
同じ 1961 年、この会社は、船の中にエンジンを置いて、外に出した足でプロペラを回す仕組みを売り出しました。年表によれば、この製品は、同じ種類のほかの会社の製品を全部足したよりも多く売れました。
ところがブランズウィックは、買った造船所を、1964 年に一つ、1970 年にもう一つ売っています。年表は理由を書いています。国の仕事と、医療と、船のエンジンに力を集めるため。船そのものからは一度出て、エンジンだけを持ち続けたわけです。1971 年、キーケーファーの名前が付いていた会社は、マーキュリー・マリーンという名前になりました。
2-2 マーキュリー出身の社長たち
そのあとの年表で目に付くのは、社長の経歴です。1976 年に会社を率いた人は、もとマーキュリーの社長でした。1978 年に社長になった人も、もとマーキュリーの社長です。2000 年に率いた人も、そうでした。いまの会社を率いている人も、マーキュリーで十年にわたって製品の開発の責任者をしていた、と書かれています。
買われた側のエンジンの会社から、買った側の会社を率いる人が次々に出ています。
1982 年、その一人が大きく舵を切ります。年表によれば、彼は会社を、遊びの商売という元の姿に戻し、遊びと関係のない事業のほとんどを手放しました。医療や国の仕事に広がっていた会社が、ここで絞られます。
そして 1986 年。会社は、シーレイとベイライナーという二つの大きな造船所を買いました。年表は、これで会社は遊びの船の世界の、だれもが認める先頭に立った、と書いています。一度出た船の商売に、もう一度入ったことになります。1988 年には、キーケーファーが会社を離れたあとに作った別の会社も買いました。のちのマーキュリー・レーシングです。
同じ出来事を、外から見ていた会社があります。グレイディ・ホワイトです。その公式の本には、こう書かれています。エンジンの会社が造船所を買うと、その造船所の船には、その会社のエンジンしか載らなくなった。買われなかった造船所は、別の相手を探しました。グレイディ・ホワイトがヤマハと直接の取り決めを結んだのは、1990 年です。
ヤマハの物語にあった 1983 年の提携の解消は、ブランズウィックの年表には、始まりも終わりも書かれていません。
2-3 ボストン・ホエラーと、ハッテラス
買い物は、すぐに試されました。年表の 1990 年の行は短いものです。不況が来て、商売はまた難しくなった。会社は結局、船の工場を 14、エンジンの工場を 3、閉じた。
それでも会社は、足りないところを埋めるように、船の名前を買い足していきます。年表には、その考え方を表す言葉が出てきます。「白い所を埋める」。まだ持っていない種類の船を、一つずつ埋めていく、という意味です。
1996 年の行は、海の釣りの船です。ボストン・ホエラーを買いました。年表は、この船の有名な話を添えています。1961 年 5 月 19 日、雑誌『ライフ』が、ボストン・ホエラーをのこぎりで半分に切る写真を載せた。続く写真では、船長が、半分になった船をのんきに運転して去っていく。こうして「沈まない伝説」が生まれた、と。
ボストン・ホエラーは、1958 年に、ハーバード大学を出た技師リチャード・フィッシャーが、船の設計者 C・レイモンド・ハントと組んで、ニューヨークの船の催しで初めて披露した船です。ハントは、グレイディ・ホワイトの船底を設計した事務所の名前でもあります。ホエラーの公式サイトの対談によれば、フィッシャーは 1958 年に、船体の中に泡の材料を流し込む作り方の特許を取りました。外の殻と内の殻のあいだを泡で埋めて、一つのかたまりにする。いまも、いちばん小さい型からいちばん大きい型まで、同じ考えで造っている、と設計者は話しています。
年表には、食い違いが二つあります。買った年は、1996 年の行では 1996 年ですが、2007 年の行には 1995 年と書かれています。半分に切った話も、ある行では 1961 年の雑誌、別の行では 1958 年のこととして書かれています。どちらが正しいのか、年表だけでは決められません。
2001 年には、ハッテラスを買いました。大きな釣りの船とモーターヨットの名前です。2004 年には、アルミニウムの釣りの船の造船所を三つ買いました。
| 年 | 買ったもの | 年表に書かれていること |
|---|---|---|
| 1960 | 二つの造船所 | 船の世界に入る。1964 年と 1970 年に売った |
| 1961 | キーケーファーの会社 | マーキュリーの前身 |
| 1986 | シーレイとベイライナー | 船の商売にもう一度入り、先頭に立つ |
| 1996 | ボストン・ホエラー | 海の釣りの船に入る |
| 2001 | ハッテラスほか | 「白い所を埋める」 |
CHAPTER 3半分にして、残したもの
3-1 船が半分しか売れなくなった三年
年表の中で、いちばん数字が並ぶのは、2010 年から 2011 年の行です。
世界の景気が落ち込み、業界全体で、新しい船の売れる数が、2007 年から 2010 年のあいだに半分より少なくなりました。年表は、倒産や作り直しが業界にあふれた、と書いています。
ブランズウィックがしたことを、年表は箇条書きにしています。同じような船は、名前が違っても、同じ工場で造るようにした。北アメリカの船の工場を、28 から 11 に減らした。アメリカに二つあったエンジンの工場を、ウィスコンシンの一か所にまとめた。船の名前を、24 から 15 に減らした。選べる型の数を、平均で 30 パーセント減らした。アメリカで働く人を、46 パーセント減らした。
年表は、その結果も書いています。固定の費用を 4.5 億ドルより多く削った。業界全体では販売店のおよそ三分の一が店を閉じたけれど、自分の販売店の数は 2007 年とほぼ同じに保った、と。
バイキングの社史は、ぜいたく税の三年間で働く人が大きく減ったことを書いていました。グレイディ・ホワイトの本は、売れているときに広げなかったことを書いていました。ブランズウィックの年表は、広げたものを半分近くまでたたんだことを、数字で書いています。同じ波を、三つの会社が、それぞれの大きさで受けています。これは三つの資料を並べて読んだ私の感想です。
3-2 ハッテラスを手放し、ボウリングを手放す
たたむ作業は、そのあとも続きました。
2013 年の行には、こうあります。ハッテラスと、もう一つの大きな釣りの船の名前について、買い手を探す。この種類の船から出ることにした。2001 年に「白い所を埋める」ために買った名前を、十二年で手放したことになります。売り終わった年は、ある行では 2013 年のはじめ、別の行では 2014 年と書かれています。
2014 年には、もっと古いものを手放しました。ボウリング場です。85 の店を、2.7 億ドルで売りました。翌 2015 年には、ボウリングの道具を造る事業も売っています。1890 年に創業者の娘むこが始め、1956 年のピンを並べる機械で会社を大きくした商売でした。
2019 年には、運動の器具の事業を、およそ 4.9 億ドルで売りました。この行の見出しには、ビリヤードも売ったと書かれています。1845 年に、肉の業者のために最初の一台を造った、あのビリヤードです。ただし、ビリヤードのほうの売り先や値段は、本文には書かれていません。
木でできるものなら何でも造ると言った人の会社は、百七十年あまりたって、木のものを一つも造らなくなりました。
3-3 いまのブランズウィック
では、何が残ったのか。会社の案内によれば、ブランズウィックはいま、60 を超える名前を持っています。エンジンでは、マーキュリー。船では、ボストン・ホエラー、シーレイ、ベイライナー、アルミニウムの釣りの船の名前など。会社の役員の紹介には、船の名前は 17 と書かれています。ほかに、船の部品や計器の名前がたくさんあります。働く人は、およそ 14,000 人。26 の国で仕事をしています。
売るだけでなく、買ってもいます。2019 年には、船を会員で使い合う仕組みの、いちばん大きい運営の会社を買いました。船を持つのではなく、使う人を増やす。年表は、これを新しく伸びている分野と書いています。
2020 年の行には、船外機の世界の大きな出来事が出てきます。ある会社が、「エビンルード」という船外機を、もう造らないと発表しました。そのとき、その会社が持つ造船所のエンジンの供給元に、マーキュリーが選ばれた、と年表は書いています。エビンルードは、グレイディ・ホワイトの本に、1980 年代の船に載っていた船外機として何度も出てくる名前です。それが終わり、その会社の船には、マーキュリーが載ることになりました。
年表を通して読むと、この会社は、危機のたびに何かを手放しています。禁酒の運動で酒場の棚を。1970 年までに造船所を。2010 年ごろに船の工場の半分より多くを。そしてボウリングとビリヤードを。最後まで手放さなかったものが、1961 年に買ったエンジンの会社でした。ビリヤード台の会社が船の会社になった、というより、買ったエンジンの会社のまわりに、会社のほうが作り直されていった。私はこの年表を、そう読みました。
SOURCES出典
- Brunswick Corporation 公式サイト「Our History」
https://www.brunswick.com/our-company/our-history(2026-10-02 確認) - Brunswick Corporation 公式サイト「Our Company」
https://www.brunswick.com/our-company(2026-10-02 確認) - Brunswick Corporation 公式サイト「Company Information」(船の名前の数)
https://www.brunswick.com/investors/company-information/management-team(2026-10-02 確認) - Grady-White Boats 公式の 50 周年記念の本(1980 年代の終わりに、エンジンの会社が造船所を買ったこと)
https://grady-white.files.svdcdn.com/production/Documents/gw_50thbook.pdf?dm=1764783516(2026-10-02 確認) - Yamaha Motor 公式サイト「Yamaha Outboards Story」の章(1983 年の提携の解消)
https://global.yamaha-motor.com/business/outboards/story/large.html(2026-10-02 確認) - Boston Whaler 公式サイトの対談(1958 年の特許)
https://www.bostonwhaler.com/us/en/navigator-blog/q-and-a-with-kevin-donnelly-naval-architect-at-boston-whaler(2026-10-02 確認)
この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や長さなどの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と艇名は、各社の商標です。