ザンジバルの浜で育った石油の技師が、公式サイトの対談で語っていること
オーシャンコは、オランダで、とくに大きなヨットを注文で造っている造船所です。長い社史を公開している会社ではありません。そのかわり公式サイトに、持ち主のバルワニ博士への長い対談が載っています。そこには、2010 年にこの造船所を手に入れたいきさつが、本人の言葉で語られています。買いに行ったのは、ヨット一隻でした。対談と、会社が出しているもう一つの知らせを読んでいきます。
CHAPTER 1島の浜と、おもちゃの船
1-1 ザンジバルで育つ
対談は、子どものころの話から始まります。バルワニ博士が育ったのは、ザンジバルです。アフリカの東の岸の沖にある島で、当時は、オマーンの王と縁続きの王が治めていました。
海が好きになったのは、小さいころだったそうです。島では、どこを向いても水がある。水は毎日の暮らしの大事な一部だった、と博士は話しています。
ただ、家が船を持っていたわけではありません。家の仕事は、農園などの商売でした。当時、東アフリカに住んでいたアラブの人の多くがそうだった、と博士は言います。
それでも、少年は浜で遊び、泳ぎ、熱帯の海で魚を釣って大きくなりました。まわりには、帆で走る船も、エンジンで走る船も、遊びの船がたくさんあって、それをうらやましく眺めていたそうです。おもちゃの船を持っていて、海の世界に夢中でした。いつか本物の船を持つことを夢見ていた、と博士は語っています。
1-2 石油の技師と、五人の子ども
話は、大人になってからに飛びます。学校を出た博士は、オマーンに戻って、石油の会社で技師として働きました。
博士は、そのころの家計のことを、ずいぶん率直に話しています。自分も妻も良い仕事に就いていた。けれど、出ていくお金も多かった。五人の子どもの私立の学校の費用。家の借金の返済。暮らしの費用。それに、毎年夏の家族の旅行。わりあい楽に暮らしてはいたけれど、船を持てるほどのお金は無かった。それでも、船を持つことは夢のままだった、と。
とくに大きなヨットの造船所の持ち主が、子どもの学費で船が買えなかった時期のことを、自分の会社のサイトで語っています。ここが、この対談の読みどころの一つです。対談の聞き手は、この人を、自分の力で事業を築いた人と紹介しています。
1-3 歴史の短い造船所
ここで、造船所のほうを見ておきます。
会社が出している別の知らせは、オーシャンコの始まりについて、こう書いています。根は南アフリカにある。そこから、大きな注文のヨットを造る造船所として、世界でもっとも尊敬される一つに育った。会社の人は、南アフリカの手仕事という根がいまも自分たちのすべてを形づくっている、と述べています。
同じ知らせには、目を引く言い方があります。オーシャンコの歩みは、長く続いた伝統を持たない会社でも、信用を得て大きくなり、世界の舞台に立てることを、はっきり示している、と。
大きなヨットの造船所には、古いところが多くあります。前に書いたリュルセンは、創業から百五十年。フェッドシップに加わっている造船所にも、何代も続く家があります。オーシャンコは、自分から「長い伝統を持たない」と言っている造船所です。同じオランダで、同じように大きなヨットを造っていても、成り立ちはずいぶん違います。
ただし、いつ、だれが始めたのか。南アフリカからオランダへ、いつ、どう移ったのか。そこは、私が読んだ二つの公式の資料には書かれていませんでした。分からないことは、分からないままにしておきます。
| 時期 | 語られていること |
|---|---|
| 子どものころ | ザンジバルの浜で遊び、遊びの船を眺め、おもちゃの船を持っていた |
| 大人になって | オマーンで石油の技師。五人の子どもの学費などで、船は持てなかった |
| 2009 年 | 世界のお金の危機。造りかけのヨットが放り出されていた |
| 2010 年 | オーシャンコを手に入れる |
CHAPTER 2ヨットを買いに行って
2-1 2009 年、放り出されたヨット
造船所を手に入れたいきさつを、博士はこう話しています。
2009 年、世界のお金の危機のさなかでした。造っている途中のヨットが、数多く放り出されていました。博士は、そういうヨットを手に入れたいと考えました。そこで、スイスの銀行の人に頼みます。何か出てきたら、知らせてほしい。
ひと月あと、博士は二人の息子を連れて、オーシャンコを訪ねました。買えるヨットが見つかるかもしれない、と思ってのことです。
2-2 工場を見て回ったあとで
ところが、造船所の中を見て回るうちに、話が変わります。
博士は、感心したものを四つ挙げています。造船所を動かしている人たち。腕のある働き手。造っているものの質。そして、とてもきれいな環境の中で、きちんと整えられた仕事の進め方。
そのあとの一文が、対談の中でいちばん印象に残りました。私たちは、ヨットではなく、造船所をまるごと買うことになった。
石油の技師だった人です。工場を見る目がありました。博士は別のところで、こうも話しています。手に入れてから最初の数年は、自分で現場に深く関わった。技師としての経験があったので、設計の図面や間取り、造る工程の全体を見直すとき、オーシャンコの技師たちと、新しい工夫について話し合うことができた、と。
船を知らない 26 歳がグレイディ・ホワイトを買ったとき、工場を任せたのはブラシ工場の長でした。ものづくりの上手な人は、何を作らせても上手なはずだ、という考えです。オーシャンコでは、買った本人が技師でした。造船所を買う人が、船の世界の外の、ものづくりの目を持ち込む。二つの資料に、同じ形が出てきます。これは私の感想です。
2-3 八十人と、三隻
手に入れたとき、造船所で働いていたのは、およそ 80 人でした。その人たちは、まだ引き渡していない一隻を仕上げているところでした。造船所の中の番号で「Y708」と呼ばれていた船です。
博士は、働き手の手を止めないために、もう二隻を造り始めました。「Y709」と「Y710」です。注文があったから造ったのではありません。人を働かせ続けるために、先に造り始めた、と博士は話しています。
次の年は、苦しい年でした。市場はひどく冷え込んでいて、新しい契約は一つも結べず、問い合わせもほとんど無かった。けれど 2011 年には、世界の景気が良くなり始め、ヨットを買う人たちの気持ちも戻ってきました。博士は、こう言っています。そのとき造っていたヨットは、全部売れた。
買い手がいないうちに造り始めた船が、景気が戻ったときに、ちょうどでき上がりかけていた。うまく行ったから言えることですが、危機の底で人の手を止めずに造り続けたことが、そのあとの土台になったように、私には読めました。
そのあと会社は、才能のある設計者たちと組んで、造船所の名前の出し方を作り直していきます。博士は、その成果として、いくつものヨットの名前を挙げています。「ブラック・パール」や「ブラボー・ユージニア」などです。そして、いまオーシャンコは、世界で指折りのヨットの造船所の一つとして認められている、それを誇りに思う、と話しています。
- 2009お金の危機。博士が、放り出されたヨットを探し始める。息子二人と造船所を訪ねる
- 2010造船所を手に入れる。働く人はおよそ 80 人。Y708 を仕上げ、Y709 と Y710 を造り始める
- 2011景気が戻り始め、造っていたヨットが全部売れる
CHAPTER 3五年先、十年先の船を造る
3-1 一隻に、四年から五年
大きなヨットを造るには、どのくらいかかるのか。博士は、対談の中で数字を挙げています。設計と技術の検討に、長ければ一年。それから造るのに、三年から四年。
だから、と博士は続けます。持ち主がそのヨットを実際に使うのは、いまから五年先、十年先のことだ。その時の暮らし方を考えて造らなければならない。
そのために会社は、船の世界の外の、いろいろな分野の専門の人を集めて考える取り組みを続けています。博士は、その合言葉を「明日のヨットを、今日造る」と言っています。
いま出てきている考えとして、博士が挙げているのは、こういうものです。使い道を変えられる部屋を増やす。かしこまった部屋を減らす。体を整えるための場所は当たり前に入れるが、押しつけがましくしない。そして、こう付け足しています。持ち主は、やはり楽しみたいのだ、ということを忘れてはいけない。
もう一つ、博士は面白いことを言っています。ヨットは、もう、ふだんの暮らしから離れて休む場所ではない。そういう時代は終わった。技術のおかげで、世界のどこにいてもつながっている。遊びと仕事の境目がぼやけている。それを、造るヨットに映さなければならない、と。
3-2 環境と、造り直すという道
対談のかなりの部分は、環境の話です。博士は、これを商売の飾りではなく、自分の考えとして話しています。私たちは地球を預かっている者として、次の世代のために守り、傷つけずに渡さなければならない。それは道徳の問題であるだけでなく、お金の問題でもあり、生き残れるかどうかの問題でもある、と。
造船所でしていることとして、博士はいくつか挙げています。建物には、地面の熱を使う仕組みと、太陽の光で電気を作る板を入れた。環境の取り組みを見る専門の人を、社内に置いた。
船の上では、新しい燃料、進んだ電池、燃料電池を調べている。それに、むだを減らすこと。たとえば、発電機が出す熱を取り戻して、船の上のプールの水を温めるのに使う。こういう仕組みを、ふつうに組み入れている、と博士は話しています。
中でも私が面白いと思ったのは、造り直しの話です。博士は、最近引き渡した一隻を例に挙げています。古いヨットを、これからの時代に合う新しいヨットとして造り直したものです。博士は言います。毎回、何もない所から始めなくてもよい。年を取ったヨットがたくさんある。それを、いまの基準に合わせて作り直せば、時間の節約にもなる。この船を見て、もっと多くの持ち主が、「新しく造る」にはほかのやり方もあると分かってくれるとよい、と。
新しい船を造って売るのが仕事の造船所の持ち主が、新しく造らない道を勧めています。
3-3 買う人が若くなった
対談の最後で、博士は買い手の話をしています。いま、財産を作るのは若い人が増えていて、その多くがヨットを買い、持つようになっている。その人たちが求めているのは、すばらしい体験を分かち合うこと、一緒にいること。体を動かす暮らし。そして、遠い土地を自分の足で見に行く冒険の気持ちだ、と。
浜でおもちゃの船を持って、遊びの船を眺めていた少年は、学費に追われる技師になり、やがて、ヨットを一隻買いに行って造船所を買いました。いま彼は、次の持ち主たちが何を求めているかを語っています。
この記事で分かったのは、持ち主の目から見たオーシャンコです。造船所そのものの始まり、南アフリカの時代、オランダへ移ったいきさつは、私が読んだ公式の資料には出てきませんでした。公式の資料で確かめられたら、書き足します。
| 分野 | 語られていること |
|---|---|
| 時間 | 設計に長ければ一年、造るのに三年から四年。五年先、十年先の暮らしを考える |
| 部屋 | 使い道を変えられる部屋を増やし、かしこまった部屋を減らす |
| 環境 | 新しい燃料、電池、燃料電池。発電機の熱でプールの水を温める |
| 造り直し | 古いヨットを、いまの基準に合わせて作り直す道もある |
SOURCES出典
- Oceanco 公式サイト「Forbes' Exclusive Interview with Dr Barwani, Chairman of Oceanco」
https://www.oceancoyacht.com/forbes-exclusive-interview/(2026-10-02 確認) - Oceanco 公式サイト「From South African Roots to Global Influence」
https://www.oceancoyacht.com/from-south-african-roots-to-global-influence/(2026-10-02 確認) - Grady-White Boats 公式の 50 周年記念の本(船を知らない 26 歳が造船所を買った例)
https://grady-white.files.svdcdn.com/production/Documents/gw_50thbook.pdf?dm=1764783516(2026-10-02 確認) - Lürssen 公式サイト「History」(長い歴史を持つ造船所の例)
https://www.lurssen.com/en/about/history/(2026-10-02 確認) - Feadship 公式サイト「History」(同じオランダの造船の組合)
https://feadship.nl/history(2026-10-02 確認)
この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や長さなどの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と艇名は、各社の商標です。