【論文217】距離だけを守れと言うと、直線性まで守ってしまう

要旨

等長写像に課されているのは距離を保てという一つだけであり、足し算にも定数倍にも何も言っていない。それでも全射でありさえすれば、必ずアフィンになる(マズール=ウラム)。本稿はその「ありさえすれば」がどれだけ効いているかを数で測る。新しい数学定理も新しい法則も主張しない。

第一に、全射なら本当にアフィンである。回転と平行移動を無作為な $20$ 万組で試すと、距離の誤差は $5.33\times10^{-15}$、中点でのずれは $1.78\times10^{-15}$(第2節)。

第二に、これが本稿の芯である。最大値ノルムの平面へ $t\mapsto(t,g(t))$ と写すと、$g$ が傾き $1$ 以下ならどんな関数でも距離が正確に保たれる。距離の誤差は $\mathbf{0}$ ちょうどで、中点でのずれは $g=|t|$ で $\mathbf{19.94}$ に達した(第3節)。

第三に、同じ写像は普通のノルムでは等長でない。$\ell^2$ で測ると比は $1.41421356$ まで上がる。反例が寄りかかっているのはノルムの選択である(第4節)。

第四に、効いているのは中点が一つに決まるかである。許容誤差を $10^{-2}$ から $10^{-4}$ へ絞ると、有限の $p$ では中点集合の直径が縮むのに、最大値ノルムでは $2.0180\to2.0020\to\mathbf{2.0000}$ と動かない(第5節)。

第五に、複素数では実の直線性しか出ない。共役は距離を誤差 $0$ で保つのに、$|\overline{iz}-i\bar z|$ は $8.478$ に達する(第7節)。

射程(何を示さないか)

新しい数学定理も新しい法則も主張しない。マズール=ウラムの定理、非全射な等長埋め込みの存在、一様凸性は、いずれも標準的である。定理を証明しない。本稿は柵の効き目を測るのであって、定理は引用する。非全射な場合の一般論(フィジェル、ゴドフロワ=カルトン)を展開しない。出すのは一つの反例である。無限次元での等長写像を扱わない。数はすべて平面と直線のものである。リプシッツ自由空間に触れない。論文212 との関係:212 は球面から平面への等長写像が存在しないことを書いた。本稿は存在するのに曲がっている等長写像を書く。同じ語の、別の失敗の仕方である。体系には「等長写像」が二編(論文11・41)に現れるが、いずれも付随的な言及であり、マズール=ウラムは本稿が初出である。加えたのは全射な等長写像のアフィン性を無作為 $20$ 万組で確かめたこと、傾き $1$ 以下の三つの関数で反例を実際に作って曲がり幅を測ったこと、同じ写像が別のノルムでは等長でないことを測ったこと、中点集合の直径を許容誤差を絞りながら測ったこと、その柔らかさが $p$ とともに段階的に増すことを測ったこと、共役が距離を保ちながら複素線形でないことを測ったことである。

1. 記法と位置づけ

写像 $F$ が等長であるとは、すべての $x,y$ について $\|F(x)-F(y)\|=\|x-y\|$ が成り立つことをいう。ここには足し算も定数倍も出てこない。アフィンであるとは、$F(x)-F(0)$ が線形であることをいう。マズール=ウラムの定理は、実ノルム空間のあいだの全射な等長写像はアフィンである、と述べる。

位置づけ:論文212 では、球面から平面へ等長写像が存在しないことを曲率で書いた。ここでは存在する等長写像がアフィンでない。論文215・216 では柵が「次元が有限であること」であった。ここでの柵は全射であることである。

2. 全射なら、本当にアフィンになる

検算 2.1:平面の回転(角 $0.7$)と平行移動 $(0.3,-1.2)$ を、無作為な $200000$ 組で試す。

測ったもの 最大値
距離の誤差 $\bigl|\,\|F(x)-F(y)\|-\|x-y\|\,\bigr|$ $5.329\times10^{-15}$
中点でのずれ $\bigl\|F(\tfrac{x+y}2)-\tfrac{F(x)+F(y)}2\bigr\|$ $\mathbf{1.776\times10^{-15}}$

観察 2.2 線形性は仮定していない。課したのは距離を保つこととどの点にも届くことの二つだけであり、中点の等式は結果として最後の桁まで成り立った。

3. 芯:全射を外すと、いくらでも曲がる

直線を、最大値ノルムの平面へ $t\mapsto(t,g(t))$ と写す。$g$ の傾きが $1$ 以下なら

$$ \|(s,g(s))-(t,g(t))\|_\infty=\max\bigl(|s-t|,\ |g(s)-g(t)|\bigr)=|s-t| $$

であり、これは等長写像である。

検算 3.1:$s,t$ を $[-20,20]$ から無作為に $400000$ 組。

$g$ 距離の誤差(最大) 中点でのずれ(最大)
$g(t)=\sin t$ $\mathbf{0}$ $1.999991$
$g(t)=|t|$ $\mathbf{0}$ $\mathbf{19.942160}$
$g(t)=$ 三角波 $\mathbf{0}$ $0.999193$

観察 3.2 左の欄は正確に零であり、これらは本当に等長写像である。右の欄は零でなく、アフィンではない。しかも $g$ は傾き $1$ 以下でありさえすればなんでもよい。曲がり方は一つに定まらず、関数一つ分の自由がある。

観察 3.3 全射でないことが、ここでの唯一の違いである。像は平面の中の一本の曲線であり、平面全体ではない。余地を残した瞬間に、定理は何も言わなくなる。

4. 同じ写像は、普通のノルムでは等長でない

検算 4.1:同じ $400000$ 組を $\ell^2$ で測る。

$g$ $\|F(s)-F(t)\|_2/|s-t|$ の最大
$g(t)=\sin t$ $1.41420840$
$g(t)=|t|$ $\mathbf{1.41421356}$
$g(t)=$ 三角波 $1.41421356$

観察 4.2 等長であるためには $1$ でなければならないが、$\sqrt2$ まで上がる。反例が寄りかかっているのは写像の巧妙さではなく、ノルムの選択であった。

5. なぜ効くのか:中点は一つに決まるか

マズール=ウラムの証明は、中点が写像で保たれることを使う。中点が距離だけで一つに決まるなら、等長写像はそれを動かせない。

検算 5.1:$x=(-1,0)$、$y=(1,0)$ について、$\|z-x\|=\|z-y\|=\tfrac12\|x-y\|$ となる $z$ を許容誤差つきで集め、その直径を測る。

$p$ 許容誤差 $10^{-2}$ $10^{-3}$ $10^{-4}$ 極限
$1$ $0.0180$ $0.0020$ $\mathbf{0.0000}$ $0$(一点)
$2$ $0.2820$ $0.0880$ $0.0280$ $0$(一点)
$3$ $0.6220$ $0.2880$ $0.1320$ $0$(一点)
$10$ $1.5940$ $1.2620$ $1.0020$ $0$(一点)
$\infty$ $2.0180$ $2.0020$ $\mathbf{2.0000}$ $\mathbf{2}$(線分)

観察 5.2 有限の $p$ では、許容誤差を絞るほど直径が縮む、中点は一つの点であり、写像を留める杭がある。最大値ノルムではまったく縮まない。中点は長さ $2$ の線分であり、留める杭が無い。

観察 5.3 ただしマズール=ウラムの定理そのものは、中点の一意性を要求しない。最大値ノルムでも、全射ならアフィンである。一意性が効いているのは全射を外したとき、どこまで曲がれるかのほうである。

6. 柔らかさは、段階的である

検算 6.1:$\varepsilon=0.01$ だけ中点条件を緩めた集合の直径。

$p$ 直径
$1.5$ $0.1200$
$2$ $0.2820$
$3$ $0.6220$
$6$ $1.2560$
$10$ $1.5940$
$30$ $\mathbf{1.9300}$

観察 6.2 使える余地は $p$ とともに滑らかに増える。「中点が一つに決まるか」ははい/いいえに見えて、実際には量である。$p=30$ ではもう最大値ノルムとほとんど変わらない。定理の真偽は $p=\infty$ で切り替わるのに、効き目は連続に薄れていく。

7. 複素数では、実の直線性しか出ない

検算 7.1:複素共役 $z\mapsto\bar z$ を $200000$ 組で測る。

測ったもの 最大値
距離の誤差 $\bigl||\bar z-\bar w|-|z-w|\bigr|$ $\mathbf{0}$
複素線形からのずれ $|\overline{iz}-i\bar z|$ $\mathbf{8.478225}$

観察 7.2 共役は全射で、距離を正確に保ち、実の意味では線形である。しかし複素の意味では線形でない。距離が強制するのは実の直線性までであって、それ以上ではない。「線形」も、どの体の上で言うかを決めるまで定まらない。

8. 分離子と柵

観察 8.1 (分離子) 等長写像がアフィンになるかどうかを分けているのは行き先を余さず埋めるかどうかである。

条件 例 アフィンか
全射・実ノルム空間 回転と平行移動 必ずそうなる
全射でない $t\mapsto(t,\sin t)$(最大値ノルム) ならない
全射・複素線形を要求 共役 実ではなる、複素ではならない

観察 8.2 (柵) 「距離を保てば直線を保つ」という言い方を囲っている柵は、全射であることである。柵の外では、この文は偽になる。しかも少し偽になるのではない:傾き $1$ 以下の関数一つ分だけ自由に曲がれる。

観察 8.3 論文212 と並べておく。あちらでは、球面から平面への等長写像が存在しなかった。ここでは、直線から平面への等長写像が存在し、しかも無数にある。「等長写像がある/ない」と「等長写像が素直である/ない」は別の問いであった。論文215・216 でも柵は一つ(次元が有限)で、壊れるものが二通りあった。ここでもまた、同じ語の下に別の失敗が並んでいる。

9. 点呼と結び

本稿が測ったことを並べる。

  1. 全射ならアフィン(検算2.1):中点でのずれ $1.78\times10^{-15}$。
  2. 全射でなければ曲がる(検算3.1):距離の誤差 $0$、曲がり $19.94$。
  3. 別のノルムでは等長でない(検算4.1):比が $\sqrt2$ まで。
  4. 中点は有限の $p$ で一点、$\infty$ で線分(検算5.1):$2.0000$ が動かない。
  5. 柔らかさは段階的(検算6.1):$p=30$ で $1.9300$。
  6. 複素共役は実でだけ線形(検算7.1):ずれ $8.478$。

結び:等長写像に課したのは、距離を保てという一つだけである。足し算のことも、定数倍のことも、何も言っていない。それでも行き先を余さず埋めさえすれば、その写像は必ずアフィンになる。距離という測るだけの条件が、代数の形を強制する。ところが行き先にほんの少し余地を残した瞬間、同じ条件はほとんど何も言わなくなる。傾き $1$ 以下の関数を一つ選べば、その分だけ好きに曲げられる。定理を働かせていたのは距離ではなく、逃げ場が無いことであった。

参考文献

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  8. 山岸勇輝 (2026). 曲率は内在的である [論文91]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21758406
  9. 山岸勇輝 (2026). 内から測れるものは、必ずどこかに住める [論文158]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22092143
  10. 山岸勇輝 (2026). 量化子の順序が、中身のすべてである [論文177]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22098103
  11. 山岸勇輝 (2026). 体積が等しくても、切り貼りでは移れない [論文209]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22111317
  12. 山岸勇輝 (2026). どんな地図も、必ず何かを歪める [論文212]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22112104
  13. 山岸勇輝 (2026). 同じ列が、零へも無限へも行く [論文215]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22119477
  14. 山岸勇輝 (2026). 近づいているのに、一歩も近づいていない [論文216]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22119579

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書誌

山岸勇輝(2026)「距離だけを守れと言うと、直線性まで守ってしまう」[論文217]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22119628

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引用するとき

山岸勇輝 (2026). 距離だけを守れと言うと、直線性まで守ってしまう [論文217]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/217 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22119628

Yamagishi, Y. (2026). Ask Only That Distances Be Kept, and Straightness Is Kept Too [Paper 217]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/217; DOI: 10.5281/zenodo.22119628

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