要旨
ほとんどすべての腕時計に、$32768$ Hz で振れる水晶が入っている。本稿が問うのは、その数を決めたのは何かである。答は、水晶の物理ではなく、二進で割り切れることである。新しい数学定理も新しい法則も主張しない。
第一に、$32768=2^{15}$ であり、$15$ 段の分周でちょうど $1$ Hz になる(第2節)。
第二に、これが本稿の芯である。近くの $32000$ Hz では $2$ で $8$ 回しか割れず、$125$ が残る(第2節)。
第三に、三つの要求が別々の向きに引いている。低い周波数は電力を、高い周波数は分解能を、二進は分周を要求する(第3節)。
第四に、最後の一つだけが、帯の中から一点を選んでいる(第3節)。
第五に、一日 $1$ 秒に収めるには $\mathbf{11.5741}$ ppm が要る。$20$ ppm の水晶なら一日 $1.7280$ 秒、一年 $631.1520$ 秒ずれる(第4節)。
第六に、分離子は「数を決めたのが自然か、実装か」である(第5節)。
射程(何を示さないか)
新しい数学定理も新しい法則も主張しない。音叉型水晶振動子、二進分周、周波数偏差の ppm 表記はいずれも標準的である。水晶の物理を作らない。圧電効果、音叉型の振動モード、温度特性の二次曲線には立ち入らない。触れるにとどめる。回路を設計しない。発振回路や分周器の実装、負荷容量の調整には入らない。時刻の標準を扱わない。原子時計や協定世界時、うるう秒には立ち入らない。論文319 の射程である。歴史を裁定しない。誰がいつこの周波数を採用したかの帰属には立ち入らない。温度補償を扱わない。恒温槽や温度補償型の実装は主題にしない。既刊との関係:論文306 は「基本」単位の個数が約束だと示した。本稿の $32768$ も同じ圏にある。ただし 306 の約束が「いくつに分けるか」だったのに対し、本稿の約束は「どの値に置くか」である。論文319 は暦が近似を三段重ねたものだと示した。そこでは自然の周期に人間の数を合わせ、ここでは人間の数に自然の振動を合わせている。向きが逆である。論文95 は規約と事実を分けた。$32768$ は規約の側にあり、水晶が $32768$ Hz で振れることは事実の側にある。同じ数が両側に立っている。論文316 は同じ整数を三つの別の数え方が返すと示した。ここでは一つの整数が、三つの別の要求の交点にある。加えたのは近傍の候補が二進で割り切れないことを実際に割って示したこと、三つの要求のどれが値を一点に決めているかを分けたこと、ppm と一日・一年のずれを対応させたこと、分離子を「自然か実装か」に置いたことである。
1. 記法と問い
設定:腕時計は、一秒を作らなければならない。水晶を振らせ、その振動を数えて、$1$ Hz を出す。数え方は二進の分周である。フリップフロップを一段通すたびに、周波数が半分になる。
観察 1.1 分周は二分の一しか作れない。$1/3$ や $1/5$ を作るには余分な回路が要る。一番安く済むのは、二で割り続けてちょうど $1$ になる数である。
観察 1.2 実際に使われている周波数は $32768$ Hz である。ほとんどすべての腕時計、多くのマイコンの副クロックがこの値である。なぜ $32000$ でも $33000$ でもないのか。
観察 1.3 本稿の測り方を先に固定する。周波数偏差は ppm(百万分率)で書き、一日 $86400$ 秒、一年 $365.25$ 日とする。ずれは偏差に比例するので、掛け算だけで出る。
問い:この数を決めたのは、水晶の物理か、それとも回路の都合か。
2. $2$ で割り続けると、$32768$ だけがちょうど $1$ になる
検算 2.1:$32768$ を二で割り続ける(本稿で計算)。
| 段 | 周波数 [Hz] | 段 | 周波数 [Hz] |
|---|---|---|---|
| $0$ | $32768$ | $8$ | $128$ |
| $1$ | $16384$ | $9$ | $64$ |
| $2$ | $8192$ | $10$ | $32$ |
| $3$ | $4096$ | $11$ | $16$ |
| $4$ | $2048$ | $12$ | $8$ |
| $5$ | $1024$ | $13$ | $4$ |
| $6$ | $512$ | $14$ | $2$ |
| $7$ | $256$ | $\mathbf{15}$ | $\mathbf{1}$ |
観察 2.2 ちょうど $15$ 段で $1$ Hz になる。$32768=2^{15}$ だからである。フリップフロップを $15$ 個並べるだけで、割り算も余りも要らない。
検算 2.3:近くの候補で同じことをする(本稿で計算)。
| 周波数 [Hz] | $2$ で割れる回数 | 残る数 | $1$ Hz になるか |
|---|---|---|---|
| $32000$ | $8$ | $\mathbf{125}$ | ならない |
| $32767$ | $0$ | $32767$ | ならない |
| $\mathbf{32768}$ | $\mathbf{15}$ | $\mathbf{1}$ | なる |
| $33000$ | $3$ | $4125$ | ならない |
| $16384$ | $14$ | $1$ | なる |
| $65536$ | $16$ | $1$ | なる |
観察 2.4 $32000$ Hz は、きりのよい数に見えて割り切れない。$32000=2^8\times125$ で、$125$ が残る。十進できりがよいことと、二進で割り切れることは、まったく別である。
観察 2.5 $32767$ は $32768$ より $1$ 小さいだけで、一度も割れない。奇数だからである。$1$ だけ離れた隣が、二進の性質では正反対にある。
観察 2.6 ただし $16384$ と $65536$ も割り切れる。$2^{14}$ と $2^{16}$ である。つまり「二進で割り切れる」だけでは $32768$ に決まらない。三つの候補が残る。
3. 芯:三つの要求が引き合い、最後の一つだけが値を一点に決める
設定:周波数を選ぶとき、三つの要求がある。
| 要求 | 向き | 理由 |
|---|---|---|
| 消費電力 | 低いほうがよい | 発振と分周の消費は周波数にほぼ比例する |
| 分解能・安定 | 高いほうがよい | 一刻みが細かく、水晶も小型で安定する |
| 二進で割り切れる | $2$ の冪であれ | 分周器が余計な回路なしで済む |
観察 3.1 これが本稿の芯である。最初の二つは「帯」しか決めない。数万ヘルツのどこか、としか言わない。値を一点に決めているのは三つ目だけである。
検算 3.2:残る三つの候補を比べる(本稿で計算)。
| 周波数 | 分周の段数 | 一刻み [ms] | 位置づけ |
|---|---|---|---|
| $2^{14}=16384$ | $14$ | $0.061035$ | 電力は有利、分解能は半分 |
| $\mathbf{2^{15}=32768}$ | $\mathbf{15}$ | $\mathbf{0.030518}$ | 採用されている値 |
| $2^{16}=65536$ | $16$ | $0.015259$ | 分解能は有利、電力は倍 |
観察 3.3 $32768$ は、二進の階段の上で真ん中に立っている。一つ下げれば電力が助かり、一つ上げれば分解能が上がる。最適化の答というより、階段の段が三つしか無いところで真ん中を取った、という形をしている。
観察 3.4 そして $32768$ Hz は、可聴域の上端より上にある。通説の $20$ kHz に対して $1.6384$ 倍で、もし $2^{14}=16384$ Hz を選んでいたら、可聴域の内側になっていた。
観察 3.5 正直に書くべき点、本稿は「$32768$ が最適だ」と主張しない。三つの要求の重みは、電池の容量にも用途にも依る。本稿が言うのは、値を一点に絞ったのが二進の要求だ、ということだけである。なぜ $2^{15}$ で $2^{14}$ でないかは、本稿の数からは決まらない。
観察 3.6 論文95 の分け方に当てる。「水晶が $32768$ Hz で振れる」は事実であり、「$32768$ Hz を選ぶ」は規約である。同じ数が両側に立っている。そして規約の側が先に決まり、事実の側(水晶の寸法)が後から合わせられた。
4. どれだけずれるか
検算 4.1:周波数偏差と、時計のずれ(本稿で計算)。
| 偏差 [ppm] | 一日のずれ [秒] | 一年のずれ [秒] |
|---|---|---|
| $20$ | $\mathbf{1.7280}$ | $\mathbf{631.1520}$ |
| $5$ | $0.4320$ | $157.7880$ |
| $0.5$ | $0.0432$ | $15.7788$ |
観察 4.2 一般的な $20$ ppm の水晶で、一年に $631.1520$ 秒ずれる。約 $10.5$ 分である。分周が厳密に $2^{15}$ でも、水晶そのものの偏差はそのまま残る。
検算 4.3:逆に、一日 $1$ 秒に収めるには何 ppm が要るか(本稿で計算)。
$$\frac{1\ \text{秒}}{86400\ \text{秒}}\times10^6=\mathbf{11.5741}\ \text{ppm}$$
観察 4.4 $11.5741$ ppm である。一般的な $20$ ppm の水晶では届かない。「一日一秒以内」という宣伝文句は、$5$ ppm 級の選別品か、温度補償を要求している。
観察 4.5 ここで二進は一切効いていない。分周が $2^{15}$ でちょうど割り切れることと、水晶が何 ppm ずれるかは、まったく別の話である。整数の性質は、精度を一切与えない。
観察 4.6 ここが論文319 との分かれ目である。319 は暦が近似を三段重ねたものだと書いた。そこでは自然の周期(一年)が割り切れない数だったので、人間の側が近似を重ねた。本稿では逆で、人間の側が $2^{15}$ というきれいな数を先に決め、自然(水晶)をそこに合わせている。
5. 分離子:数を決めたのが自然か、実装か
観察 5.1 分離子、その数が、測ってみたらそうだった数か、都合がよいから置いた数か。
| 例 | 決めたもの | 変えられるか | |
|---|---|---|---|
| 自然が決めた数 | 一年 $365.2422$ 日 | 自然 | 変えられない |
| 実装が決めた数 | $32768$ Hz | 回路の都合 | 変えられる |
観察 5.2 見分ける手がかりは、その数がどれだけきれいかである。$365.2422$ は端数だらけで、$32768$ はちょうど $2^{15}$ である。自然が $2$ の冪をぴったり出してくることは、まず無い。
観察 5.3 分離子は動かせる。分周器に余計な回路を許せば、どんな周波数でも $1$ Hz を作れる。$32768$ が要るのは「安く作りたい」からであって、原理として要るのではない。実際、電力に余裕のある機器では別の周波数が使われている。
観察 5.4 正直に書くべき点、水晶の側にも制約はある。音叉型の水晶は寸法で周波数が決まるので、数万ヘルツという帯そのものは物理が決めている。本稿が言うのは「帯の中のどこか一点を選んだのが二進だ」であって、「帯まで含めて任意だ」ではない。
観察 5.5 論文306 との位置関係。306 は「基本」単位の個数が約束だと書いた。そこでの約束は「いくつに分けるか」であり、本稿の約束は「どの値に置くか」である。同じ「約束」でも、個数を決める約束と値を決める約束は別である。
観察 5.6 最後に一つ、この数は、身の回りで最もよく使われている $2$ の冪の一つである。ほとんどの人が腕に付け、誰も $2^{15}$ だとは思っていない。そして分かってみれば、時計の中で一番正確に決まっているのはこの整数であって、水晶の周波数のほうではない。
6. 点呼と結び
- $32768=2^{15}$(検算2.1):$15$ 段でちょうど $1$ Hz。
- $32000$ は $2$ で $8$ 回しか割れず $125$ が残る(検算2.3):十進のきりと別。
- $32767$ は一度も割れない(観察2.5):$1$ 違いで正反対。
- $16384$ と $65536$ も割り切れる(観察2.6):二進だけでは決まらない。
- 三つの要求のうち二つは帯しか決めない(観察3.1):一点を決めるのは二進。
- 一刻みは $0.030518$ ms(検算3.2):$2^{14}$ なら倍、$2^{16}$ なら半分。
- 可聴域の上端の $1.6384$ 倍(観察3.4):$2^{14}$ なら聞こえていた。
- $20$ ppm で一年 $631.1520$ 秒(検算4.1):約 $10.5$ 分。
- 一日 $1$ 秒には $11.5741$ ppm(検算4.3):$20$ ppm では届かない。
- 二進は精度を一切与えない(観察4.5):整数の性質と偏差は別。
結び:ほとんどすべての腕時計に $32768$ Hz の水晶が入っており、その数は $2^{15}$ である。フリップフロップを $\mathbf{15}$ 段通すだけでちょうど $1$ Hz になり、割り算も余りも要らない。近くの $32000$ Hz は十進できりがよく見えるが $2^8\times125$ で、$\mathbf{125}$ という端数が残る。$1$ だけ小さい $32767$ は奇数なので、一度も割れない。ただし二進で割り切れるだけでは、この値に決まらない。$2^{14}=16384$ も $2^{16}=65536$ も割り切れる。周波数を選ぶ要求は三つあり、消費電力は低いほうを、分解能と安定は高いほうを、二進は $2$ の冪を求める。最初の二つは「数万ヘルツのどこか」という帯しか決めず、値を一点に絞っているのは三つ目だけである。$32768$ は、二進の階段の上で真ん中に立っている。一つ下げれば電力が助かり、一つ上げれば分解能が上がる。一刻みは $0.030518$ ミリ秒で、$32768$ Hz は可聴域の上端の $1.6384$ 倍にあたる。もし $2^{14}$ を選んでいたら、可聴域の内側になっていた。本稿は「$32768$ が最適だ」とは主張しない。値を一点に絞ったのが二進の要求だ、と言うだけである。そして二進は、精度を一切与えない。分周が厳密に $2^{15}$ でも、水晶そのものの偏差はそのまま残る。$20$ ppm の水晶なら一日 $\mathbf{1.7280}$ 秒、一年 $\mathbf{631.1520}$ 秒、およそ $10.5$ 分ずれる。一日 $1$ 秒に収めるには $\mathbf{11.5741}$ ppm が要り、$20$ ppm の品では届かない。整数の性質と、偏差の大きさは、まったく別の話である。分けるものは一つ、その数が、測ってみたらそうだった数か、都合がよいから置いた数か。見分ける手がかりは、その数がどれだけきれいかである。一年の $365.2422$ 日は端数だらけで、$32768$ はちょうど $2^{15}$ である。自然が $2$ の冪をぴったり出してくることは、まず無い。論文319 は暦が近似を三段重ねたものだと書いた。そこでは自然の周期が割り切れなかったので人間の側が近似を重ねた。本稿では逆で、人間の側が $2^{15}$ というきれいな数を先に決め、自然(水晶の寸法)をそこに合わせている。正直に書いておく。音叉型の水晶は寸法で周波数が決まるので、数万ヘルツという帯そのものは物理が決めている。本稿が言うのは「帯の中のどこか一点を選んだのが二進だ」であって、「帯まで含めて任意だ」ではない。最後に一つ、この数は、身の回りで最もよく使われている $2$ の冪の一つである。ほとんどの人が腕に付け、誰も $2^{15}$ だとは思っていない。そして分かってみれば、時計の中で一番正確に決まっているのはこの整数であって、水晶の周波数のほうではない。
参考文献
- Cady, W. G. (1922). The Piezo-Electric Resonator. Proceedings of the Institute of Radio Engineers, 10(2).
- Marrison, W. A., Horton, J. W. (1928). Precision Determination of Frequency. Proceedings of the Institute of Radio Engineers, 16(2).
- Vig, J. R. (2016). Quartz Crystal Resonators and Oscillators for Frequency Control and Timing Applications: A Tutorial. US Army Communications-Electronics Command.
- Momosaki, E. (1997). A Brief Review of Progress in Quartz Tuning Fork Resonators. Proceedings of the IEEE International Frequency Control Symposium.
- International Electrotechnical Commission (2008). IEC 60122: Quartz Crystal Units of Assessed Quality. Geneva: IEC.
- 山岸勇輝 (2026). 規約と事実を分ける [論文95]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21758621
- 山岸勇輝 (2026). 「基本」単位の個数は、約束である [論文306]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22172149
- 山岸勇輝 (2026). 同じ整数を、三つの別の数え方が返す [論文316]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22208229
- 山岸勇輝 (2026). 暦は、近似を三段重ねたものである [論文319]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22208933
作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。
書誌
山岸勇輝(2026)「腕時計の中の 32768 という数は、物理が選んだのではない」[論文336]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22681913
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引用するとき
山岸勇輝 (2026). 腕時計の中の 32768 という数は、物理が選んだのではない [論文336]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/336 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22681913
Yamagishi, Y. (2026). The Number 32768 Inside a Wristwatch Was Not Chosen by Physics [Paper 336]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/336; DOI: 10.5281/zenodo.22681913
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author = {Yamagishi, Yuuki},
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指紋(SHA-256)と確かめ方
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