要旨
球面の上で二点を結ぶ最短の道は大圏である。それでも航海者は、長いほうの道を選ぶことがある。本稿が問うのは、なぜ長いほうを選べるのかである。答は、一定に保つものが距離ではなく方位だからである。新しい数学定理も新しい法則も主張しない。
第一に、東京からロンドンで、航程線は大圏より $\mathbf{18.1512}$ パーセント長い(第2節)。
第二に、同じ東京から、シドニーへは $\mathbf{0.0043}$ パーセントしか違わない(第2節)。
第三に、これが本稿の芯である。差を決めているのは距離ではなく、航路が緯度をどれだけ横切るかである(第3節)。
第四に、同一経度と赤道上では、差がちょうどゼロになる(第3節)。
第五に、北緯 $70$ 度を東西に半周すると、差は $\mathbf{53.9091}$ パーセントに達する(第3節)。
第六に、分離子は「方位を一定に保つか、距離を最小にするか」である(第5節)。
射程(何を示さないか)
新しい数学定理も新しい法則も主張しない。大圏距離、航程線(等角航路)、メルカトル図法、球面三角法はいずれも標準的である。測地学を作らない。地球を半径 $6371.0088$ km の球とする。回転楕円体での測地線(ヴィンセンティ法)には立ち入らない。扁平による差は本稿の差より一桁以上小さいが、精密な航法では効く。航法を教えない。実際の航海計画、変針点の取り方、海流や風の補正には入らない。触れるにとどめる。図法を論じない。メルカトル図法の性質を使うが、図法の一般論には立ち入らない。歴史を裁定しない。誰がいつ等角航路を用い始めたかの帰属には立ち入らない。航空を扱わない。高層風やジェット気流を含む実際の飛行経路は主題にしない。既刊との関係:論文234 は「距離」が六つあり、そのうち一つは三角不等式を逆に満たすと示した。そこでの問いは「何が距離として通るか」であった。本稿は同じ球面の同じ一つの距離のもとで、なぜ長いほうの道が選ばれるかを問う。距離の定義ではなく、経路の選び方の話である。論文300 は同根か別根かは判定できると示した。本稿の二つの経路は、判定に掛ければ別根である。論文205 は最も短い囲いがいつも円板とはかぎらないと示した。そこでも「最短」が素朴な直観と外れた。論文328 は同じ楕円が三ヶ月ずれていたと示した。どちらも著者の原点である海と空の観測に属する。加えたのは五つの実在の航路で両者を計算して差を並べたこと、差がゼロになる二つの場合を特定したこと、高緯度の東西移動で差が $53.9091$ パーセントに達することを示したこと、分離子を「何を一定に保つか」に置いたことである。
1. 記法と問い
設定:球面上の二点を結ぶ道を、二通りに引く。
| 名前 | 定義 | 舵の切り方 |
|---|---|---|
| 大圏航路 | 球面上の最短経路 | 絶えず方位を変える |
| 航程線(等角航路) | すべての子午線と同じ角で交わる線 | 方位を一定に保つ |
観察 1.1 大圏が最短であることは、球面幾何の定理である。だから航程線は必ず大圏以上の長さになる。等号がいつ成り立つかが、本稿の問いの半分である。
観察 1.2 それでも帆船は航程線を走った。コンパスの針を一つの目盛りに合わせたまま進めばよいからである。最短でない道を選ぶ理由が、道の長さ以外のところにある。
観察 1.3 本稿の測り方を先に固定する。地球を半径 $R=6371.0088$ km の球とし、大圏は球面余弦定理、航程線はメルカトル図法上の直線として計算する。扁平は無視する。差は本稿の主題より一桁以上小さい。
問い:どれだけ損をするのか。そして、いつ損をしないのか。
2. 五つの航路で、二つの長さを並べる
検算 2.1:実在の五航路について計算する(本稿で計算)。
| 航路 | 大圏 [km] | 航程線 [km] | 差 |
|---|---|---|---|
| 東京 $\to$ シドニー | $7825.83$ | $7826.17$ | $\mathbf{0.0043}$ パーセント |
| 東京 $\to$ シンガポール | $5311.23$ | $5321.24$ | $0.1884$ パーセント |
| リスボン $\to$ ニューヨーク | $5422.04$ | $5551.91$ | $2.3952$ パーセント |
| 東京 $\to$ サンフランシスコ | $8274.63$ | $8730.02$ | $5.5034$ パーセント |
| 東京 $\to$ ロンドン | $9558.57$ | $11293.57$ | $\mathbf{18.1512}$ パーセント |
観察 2.2 自己検査、東京からサンフランシスコの大圏 $8274.63$ km は、通説の 約 $8300$ km と $0.31$ パーセントで一致する。また赤道半周 $\pi R$ は $20015.1144$ km で、$40000$ km の定義の半分に近い。既知の二件で道具を試してから表を読む。
観察 2.3 差は $0.0043$ から $18.1512$ パーセントまで、四千倍以上ひらく。どれも東京から出る航路もある。同じ港を出ても、行き先によって代償が桁で違う。
観察 2.4 東京からロンドンの $18.1512$ パーセントは、$1735$ km にあたる。$11293.57$ 対 $9558.57$、航程線で行くと、東京から上海までの距離($1754.27$ km)とほぼ同じだけ余分に走ることになる。
観察 2.5 東京からシドニーはほとんど差がない。$7825.83$ 対 $7826.17$ で、$0.34$ km しか違わない。$7800$ km 走って、損は $340$ メートルである。
3. 芯:差を決めているのは距離ではなく、緯度を横切るかどうかである
設定:第2節の表を、距離の順に並べても差の順にはならない。一番長い航路(東京 $\to$ ロンドン $9558.57$ km)が差も最大だが、二番目に長い航路(東京 $\to$ サンフランシスコ $8274.63$ km)より短い東京 $\to$ シドニーは差が最小である。
観察 3.1 これが本稿の芯である。効いているのは総距離ではなく、その航路が高緯度をどれだけ東西に走るかである。東京からロンドンは北へ大きく回る大圏を持ち、航程線はそれを緯度でまっすぐ横切るので損が大きい。
検算 3.2:差がちょうどゼロになる場合を二つ特定する(本稿で計算)。
| 場合 | 大圏 [km] | 航程線 [km] | 差 |
|---|---|---|---|
| 同一経度(北緯 $35$ 度 $\to$ 南緯 $35$ 度) | $7783.655616$ | $7783.655616$ | $\mathbf{0}$ |
| 赤道上(経度 $0$ 度 $\to$ $90$ 度) | $10007.557221$ | $10007.557221$ | $\mathbf{0}$ |
観察 3.3 この二つでは、大圏そのものが方位一定の線である。子午線は常に真北を指し、赤道は常に真東を指す。二つの道が一致するのは、大圏が偶然に航程線でもあるときだけである。
観察 3.4 そして球面の大圏のうち、航程線でもあるのは子午線と赤道だけである。ほかのすべての大圏は、進むにつれて方位が変わる。だから「損がゼロ」は例外であって、規則ではない。
検算 3.5:逆に、差が最大になる方向に振ってみる(本稿で計算)。
| 航路 | 大圏 [km] | 航程線 [km] | 差 |
|---|---|---|---|
| 北緯 $70$ 度を東西に半周(経度 $0\to180$ 度) | $4447.80$ | $6845.57$ | $\mathbf{53.9091}$ パーセント |
観察 3.6 ここでは航程線が大圏の $1.54$ 倍になる。北緯 $70$ 度を真東に走り続ける航路は、緯度線に沿って地球を半周する。一方の大圏は極の近くを越えて、はるかに短く着く。
観察 3.7 緯度線は、赤道以外は大圏ではない。北緯 $70$ 度の緯度線は「まっすぐ東」に見えるが、球面上では曲がっている。方位を一定に保つことと、まっすぐ進むことが、別のことになっている。
4. メルカトル図法が、航程線を直線に見せる
設定:航程線が実務で使われた理由は、図法にある。
観察 4.1 メルカトル図法では、航程線がちょうど直線になる。緯度方向を $\ln\tan(\pi/4+\varphi/2)$ で引き伸ばしてあるからである。出発点と目的地を定規で結び、その傾きを読めば、それが保つべき方位である。
観察 4.2 同じ図の上で、大圏は曲線になる。最短の道が図の上では遠回りに見え、遠回りの道がまっすぐに見える。図法が、選ばれる道を決めていた。
観察 4.3 代償は、緯度が上がるほど大きくなる。メルカトル図法の引き伸ばしは $1/\cos\varphi$ で、北緯 $70$ 度では $2.92$ 倍である。図が最も歪む場所で、航程線の損も最大になる。同じ $\cos\varphi$ が、両方に効いている。
観察 4.4 実務は、二つを混ぜて使った。大圏を数区間に分け、各区間を航程線で走る。損の大半を消しつつ、区間ごとには方位を一定に保てる。択一ではなく、刻みの問題だった。
観察 4.5 正直に書くべき点、本稿は地球を球としている。実際の地球は扁平で、測地線は球面の大圏と最大 $0.5$ パーセント程度ずれる。本稿の差(最大 $53.9091$ パーセント)はそれよりずっと大きいので結論は動かないが、$0.0043$ パーセントの東京 $\to$ シドニーでは扁平のほうが大きい。
5. 分離子:何を一定に保つか
観察 5.1 分離子、航路の上で一定に保たれているのが、方位なのか、それとも「最短である」という性質なのか。
| 一定に保つもの | 舵 | 図法上の姿 | |
|---|---|---|---|
| 大圏航路 | 最短性 | 絶えず変える | 曲線 |
| 航程線 | 方位 | 一度決めたら動かさない | 直線 |
観察 5.2 分離子は、海の側にも球面の側にもない。同じ海、同じ二点、同じ球面である。差を作っているのは、船の上で何を握り続けるかである。
観察 5.3 論文234 との違いを明示する。234 は「距離」が六つあり、何が距離として通るかを問うた。本稿では距離は一つに固定されている。同じ一つの距離のもとで、なぜ長いほうが選ばれるかを問うている。定義の話ではなく、選び方の話である。
観察 5.4 この分離子は、いまも動いている。衛星航法と自動操舵が方位を保つ手間をほとんど消したので、航程線を選ぶ理由が消えた。道の性質は何も変わっていないのに、選ばれる道が変わった。分離子は道具の側にあった。
観察 5.5 正直に書くべき点、航程線を選ぶ理由は方位だけではない。海流・風・氷・水深・避難港も効く。本稿が示したのは代償の大きさであって、代償を払うべきかどうかではない。
観察 5.6 最後に一つ、東京からシドニーの差は $340$ メートルだった。南北にまっすぐな航路では、最短の道と楽な道が実質的に同じものになる。損の大きさは行き先が決めており、航海者の腕でも判断でもない。
6. 点呼と結び
- 東京 $\to$ ロンドンで $18.1512$ パーセント(検算2.1):$1735$ km の損。
- 東京 $\to$ シドニーで $0.0043$ パーセント(検算2.1):$340$ メートル。
- 差は四千倍以上ひらく(観察2.3):同じ港を出ても行き先次第。
- 東京 $\to$ SF の大圏は $8274.63$ km(観察2.2):通説と $0.31$ パーセント。
- 同一経度と赤道上では差がゼロ(検算3.2):大圏が方位一定の線。
- 航程線でもある大圏は子午線と赤道だけ(観察3.4):ゼロは例外。
- 北緯 $70$ 度を東西に半周で $53.9091$ パーセント(検算3.5):$1.54$ 倍。
- 緯度線は赤道以外は大圏でない(観察3.7):まっすぐ東は、まっすぐではない。
- メルカトルの引き伸ばしは $1/\cos\varphi$(観察4.3):同じ $\cos\varphi$ が両方に効く。
- 実務は大圏を区間に分けて航程線で走った(観察4.4):択一ではない。
結び:球面上で二点を結ぶ最短の道は大圏であり、航程線は必ずそれ以上に長い。それでも帆船は航程線を走った。コンパスの針を一つの目盛りに合わせたまま進めばよいからである。代償は行き先によって桁で違う。東京からロンドンでは航程線が $11293.57$ km で大圏の $9558.57$ km より $\mathbf{18.1512}$ パーセント、すなわち $1735$ km 長い。同じ東京からシドニーへは $7825.83$ 対 $7826.17$ で、$7800$ km 走って損は $340$ メートルである。差は $0.0043$ から $18.1512$ パーセントまで四千倍以上ひらく。効いているのは総距離ではない。その航路が高緯度をどれだけ東西に走るかである。同一経度の航路と赤道上の航路では、差がちょうどゼロになる。子午線は常に真北、赤道は常に真東を指すので、そこでは大圏そのものが方位一定の線だからである。そして球面の大圏のうち航程線でもあるのは子午線と赤道だけなので、損がゼロなのは例外であって規則ではない。逆に振れば、北緯 $70$ 度を東西に半周する航路で差は $\mathbf{53.9091}$ パーセント、航程線は大圏の $1.54$ 倍になる。航程線が実務を占めた理由は、図法にある。メルカトル図法では航程線がちょうど直線になり、定規で結んだ傾きがそのまま保つべき方位になる。同じ図の上で大圏は曲線になり、最短の道が遠回りに見え、遠回りの道がまっすぐに見えた。引き伸ばしは $1/\cos\varphi$ で、図が最も歪む高緯度で損も最大になる。同じ $\cos\varphi$ が両方に効いている。分けるものは一つ、航路の上で一定に保たれているのが、方位なのか、「最短である」という性質なのか。分離子は海の側にも球面の側にもない。同じ海、同じ二点、同じ球面であり、差を作っているのは船の上で何を握り続けるかである。論文234 は「距離」が六つあると数えた。そこでの問いは何が距離として通るかだった。本稿では距離は一つに固定されており、同じ一つの距離のもとでなぜ長いほうが選ばれるかを問うている。定義の話ではなく、選び方の話である。そしてこの分離子は、いまも動いている。衛星航法と自動操舵が方位を保つ手間をほとんど消したので、航程線を選ぶ理由が消えた。道の性質は何も変わっていないのに、選ばれる道が変わった。分離子は道具の側にあった。最後に一つ、東京からシドニーの差は $340$ メートルだった。南北にまっすぐな航路では、最短の道と楽な道が実質的に同じものになる。損の大きさは行き先が決めており、航海者の腕でも判断でもない。
参考文献
- Nunes, P. (1537). Tratado da Sphera com a Theorica do Sol e da Lua. Lisbon.
- Mercator, G. (1569). Nova et Aucta Orbis Terrae Descriptio ad Usum Navigantium Emendate Accommodata. Duisburg.
- Wright, E. (1599). Certaine Errors in Navigation. London.
- Vincenty, T. (1975). Direct and Inverse Solutions of Geodesics on the Ellipsoid with Application of Nested Equations. Survey Review, 23(176).
- Snyder, J. P. (1987). Map Projections: A Working Manual. USGS Professional Paper 1395. Washington: US Government Printing Office.
- 山岸勇輝 (2026). 最も短い囲いは、いつも円板とはかぎらない [論文205]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22110143
- 山岸勇輝 (2026). 「距離」は六つあり、そのうち一つは三角不等式を逆に満たす [論文234]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22128226
- 山岸勇輝 (2026). 三百本目の点呼、同根か別根かは、判定できる [論文300]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22171914
- 山岸勇輝 (2026). 同じ楕円が三ヶ月ずれていたことが、原因が別だという証拠になった [論文328]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22210340
作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。
書誌
山岸勇輝(2026)「最短の道は、航海者が舵を切る道ではない」[論文340]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22682089
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引用するとき
山岸勇輝 (2026). 最短の道は、航海者が舵を切る道ではない [論文340]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/340 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22682089
Yamagishi, Y. (2026). The Shorter Path Is Not the One a Navigator Steers [Paper 340]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/340; DOI: 10.5281/zenodo.22682089
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