【論文350】むだ時間は、振幅を一切変えずに安定余裕だけを食う

要旨

制御の系に、単なる遅れが入る。本稿が問うのは、遅れは何を奪うのかである。答は、振幅は何も奪わず、位相だけを奪うである。新しい数学定理も新しい法則も主張しない。

第一に、むだ時間 $e^{-Ls}$ の絶対値は、どの周波数でもちょうど $1$ である(第2節)。

第二に、これが本稿の芯である。だからゲイン交差周波数が $L$ に依らず、ゲイン線図には何も現れない(第2節)。

第三に、位相は $\omega L$ ラジアンだけ遅れ、周波数に比例していくらでも大きくなる(第3節)。

第四に、$\omega_c=4.898979$ の系で、$L=0.1$ 秒が $28.0691$ 度、$L=0.3$ 秒が $84.2073$ 度を食う(第3節)。

第五に、$L=\mathbf{0.361739}$ 秒で位相余裕がゼロになる。そのときもゲインは $1.0000000000$ のままである(第3節)。

第六に、分離子は「絶対値を変えるか、位相だけを変えるか」である(第5節)。

射程(何を示さないか)

新しい数学定理も新しい法則も主張しない。ナイキストの安定判別、ボード線図、位相余裕、むだ時間の伝達関数 $e^{-Ls}$ はいずれも標準的である。制御理論を作らない。ナイキストの定理の証明や、多入力多出力系の一般論には立ち入らない。触れるにとどめる。補償器を設計しない。スミス補償器や予測制御には入らない。遅れが何を奪うかだけを見る。離散系を扱わない。標本化による遅れやゼロ次ホールドは主題にしない。近似を主張しない。パデ近似などによる有理化には立ち入らない。$e^{-Ls}$ をそのまま使う。実装を扱わない。具体的な機器の遅れの原因(通信・演算・輸送)は主題にしない。既刊との関係:論文313 は体系が「同期」を四つの意味で使ってきたと示した。そこでも位相が判定の道具だった。本稿では位相だけが動き、振幅が動かない。論文343 は応力集中に穴の大きさが入っていないと示した。そこでは大きさが式に入らず、ここでは遅れが絶対値に入らない。「入らない」ことが結果を決める型である。論文333 は比が一定であることが測定ではなく約分の帰結だと示した。そこでは見えているものが証拠になっていなかった。本稿では、見えていないものが危険を作っている。論文300 は同根か別根かは判定できると示した。一次遅れの位相とむだ時間の位相は、判定に掛ければ別根である。加えたのはむだ時間の絶対値がちょうど $1$ であることを数で確かめたこと、位相余裕が $L$ に厳密に比例して減ることを示したこと、余裕がゼロになる $L$ を解いて臨界の前後を確かめたこと、分離子を「絶対値か位相か」に置いたことである。

1. 記法と問い

設定:一巡伝達関数を

$$G(s)=\frac{K}{s+1}\,e^{-Ls}$$

とする。$K$ はゲイン、$L$ はむだ時間(秒)である。

観察 1.1 むだ時間は、信号を $L$ 秒だけ遅らせるだけである。大きくも小さくもしない。$|e^{-j\omega L}|=1$ が、どの周波数でも厳密に成り立つ。

観察 1.2 位相のほうは $-\omega L$ ラジアン遅れる。周波数に比例するので、高い周波数では際限なく遅れる。一次遅れの位相が $90$ 度で頭打ちになるのとは、まったく違う。

観察 1.3 本稿の測り方を先に固定する。$K=5$ とし、ゲイン交差周波数 $\omega_c$($|G|=1$ となる周波数)で位相余裕を測る。位相余裕 $=180$ 度 $+$ $\omega_c$ での位相。

問い:遅れは、何を奪うのか。

2. ゲイン線図には、何も現れない

検算 2.1:$|G(j\omega_c)|=1$ となる $\omega_c$ を求める(本稿で計算)。

量 値
$K$ $5.0$
ゲイン交差周波数 $\omega_c=\sqrt{K^2-1}$ $\mathbf{4.898979}$ rad/s
$K|G(j\omega_c)|$ $\mathbf{1.0000000000}$

観察 2.2 これが本稿の芯である。この $\omega_c$ に $L$ が一度も現れていない。$|e^{-j\omega L}|=1$ なので、むだ時間は絶対値を一切動かさない。$L$ をどれだけ大きくしても、ゲイン線図はまったく同じ形のままである。

観察 2.3 だから振幅だけを見ていると、遅れは見えない。測定器に振幅特性しか出ていなければ、$L=0$ の系と $L=1$ の系は区別がつかない。片方は安定で、もう片方は不安定なのに。

観察 2.4 そしてゲイン余裕という指標も、意味を失う。位相が $-180$ 度になる周波数が、$L$ とともに下がってくるからである。「ゲインをあと何倍上げられるか」という問いの答が、遅れによって変わる。

観察 2.5 論文343 と同じ型である。343 は応力集中の式に穴の大きさが入っていないと書いた。本稿では、絶対値の式にむだ時間が入っていない。どちらも「入らない」ことが結果を決めている。

3. 位相だけが、比例して食われる

検算 3.1:$\omega_c=4.898979$ で、$L$ ごとの位相余裕を出す(本稿で計算)。

$L$ [s] むだ時間の位相 [度] 位相余裕 [度] 安定
$0.00$ $0.0000$ $\mathbf{101.5370}$ 安定
$0.10$ $28.0691$ $73.4679$ 安定
$0.20$ $56.1382$ $45.3988$ 安定
$0.30$ $84.2073$ $17.3297$ 安定
$0.50$ $140.3454$ $\mathbf{-38.8085}$ 不安定
$1.00$ $280.6908$ $-179.1539$ 不安定

観察 3.2 位相の遅れは $L$ にきっちり比例する。$L=0.1$ で $28.0691$ 度、$L=0.2$ でちょうどその二倍の $56.1382$ 度、$\omega_cL$ という一本の式だからである。

検算 3.3:位相余裕がゼロになる $L$ を解く(本稿で計算)。

量 値
臨界のむだ時間 $L_{\text{crit}}$ $\mathbf{0.361739}$ 秒
$0.99L_{\text{crit}}$ での位相余裕 $+1.0154$ 度
$1.01L_{\text{crit}}$ での位相余裕 $-1.0154$ 度
そのときの $K|G(j\omega_c)|$ $\mathbf{1.0000000000}$

観察 3.4 臨界の前後で符号が入れ替わる。$1$ パーセントの違いで安定と不安定が分かれる。そしてその間じゅう、ゲインは $1.0000000000$ のまま動いていない。

観察 3.5 $0.361739$ 秒は、日常の感覚では短い。まばたきより短い。通信の往復、センサの平均化、演算の一周期でこの程度は簡単に出る。

観察 3.6 比較のため、一次遅れだけの場合を置く。$1/(s+1)$ の位相は $-\arctan\omega$ で、$\omega=10^6$ でも $89.9999$ 度である。$90$ 度を超えない。一次遅れをどれだけ重ねてもゲインを上げても、これ一つでは決して $-180$ 度に届かない。

観察 3.7 ここが二つの「遅れ」の分かれ目である。一次遅れの位相は上に有界で、むだ時間の位相は無界である。論文300 の基準に当てれば別根であり、同じ「遅れ」という語が二つの別のものを指している。

4. なぜ振幅に現れないのか

観察 4.1 むだ時間は、エネルギーを一切取らない。入った信号がそのまま $L$ 秒後に出てくるだけである。減衰させる要素なら絶対値が下がるが、遅らせるだけの要素は下げない。

観察 4.2 それでも不安定にする。フィードバックは「戻ってきた信号を引く」ので、戻りが遅れると、引くべきでない時刻に引くことになる。位相が $180$ 度ずれれば、引き算が足し算になる。

観察 4.3 だから危険は「大きさ」ではなく「時刻」にある。信号の大きさは正しく、タイミングだけが違う。大きさを測る道具では、原理的に見つけられない。

観察 4.4 論文333 との対をなす。333 は「比が一定なのは約分の帰結であって測定ではない」と書いた。そこでは見えているものが証拠になっていなかった。本稿では、見えていないものが危険を作っている。どちらも「見えているものと効いているものが別」である。

観察 4.5 正直に書くべき点、ナイキスト線図には、むだ時間ははっきり現れる。複素平面上で原点を中心に回るからである。見えないのはゲイン線図(振幅特性)だけであって、位相線図やナイキスト線図では見える。本稿が言うのは「振幅だけを見るな」であって、「見つけられない」ではない。

5. 分離子:絶対値を変えるか、位相だけを変えるか

観察 5.1 分離子、その要素が、信号の大きさを変えるのか、時刻だけを変えるのか。

絶対値 位相 上限
一次遅れ $1/(s+1)$ 下がる 遅れる $90$ 度で頭打ち
むだ時間 $e^{-Ls}$ $1$ のまま 遅れる 上限なし

観察 5.2 右の二列が、危険の質を分けている。一次遅れは位相を食うと同時にゲインも下げるので、自分で自分を止める。むだ時間は位相だけを食うので、止まらない。

観察 5.3 分離子は動かせる。むだ時間を減らせないなら、ゲインを下げて $\omega_c$ を下げればよい。位相の遅れは $\omega_cL$ なので、$\omega_c$ を半分にすれば遅れも半分になる。速く応答することを諦めれば、遅れは許せる。

観察 5.4 これが実務の交換条件である。速さと、遅れへの耐性は、同じ $\omega_c$ の両側にある。どちらか一方だけを取ることはできない。

観察 5.5 正直に書くべき点、本稿の $101.5370$ 度も $0.361739$ 秒も、$K=5$、一次遅れという設定に依る。別の系では別の値になる。動かないのは「絶対値が $1$ である」ことと「位相が $\omega L$ に比例する」ことの二つだけである。

観察 5.6 最後に一つ、むだ時間は、何もしない要素である。増幅も減衰もせず、形も変えず、ただ待つ、何もしないものが系を壊せるのは、フィードバックが「いつ」を使っているからである。

6. 点呼と結び

  1. $|e^{-j\omega L}|=1$(観察1.1):どの周波数でも厳密に。
  2. $\omega_c=4.898979$ rad/s は $L$ に依らない(検算2.1):ゲイン線図に現れない。
  3. $K|G(j\omega_c)|=1.0000000000$(検算2.1):$L$ をどう変えても。
  4. $L=0.1$ で $28.0691$ 度、$0.2$ でその二倍(検算3.1):$\omega_cL$ に比例。
  5. $L=0.3$ で余裕が $17.3297$ 度まで落ちる(検算3.1):$101.5370$ 度から。
  6. $L_{\text{crit}}=0.361739$ 秒(検算3.3):まばたきより短い。
  7. 臨界の $\pm1$ パーセントで $\pm1.0154$ 度(検算3.3):符号が入れ替わる。
  8. 一次遅れは $\omega=10^6$ でも $89.9999$ 度(観察3.6):$90$ 度を超えない。
  9. ナイキスト線図でははっきり見える(観察4.5):見えないのはゲイン線図だけ。
  10. $\omega_c$ を半分にすれば遅れも半分(観察5.3):速さと耐性の交換。

結び:むだ時間 $e^{-Ls}$ は、信号を $L$ 秒だけ遅らせるだけの要素である。$|e^{-j\omega L}|=1$ がどの周波数でも厳密に成り立つので、絶対値を一切動かさない。だからゲイン交差周波数に $L$ が一度も現れない。$K=5$ の系で $\omega_c=\mathbf{4.898979}$ rad/s、$K|G(j\omega_c)|=\mathbf{1.0000000000}$ であり、$L$ をどれだけ大きくしてもゲイン線図はまったく同じ形のままである。振幅特性しか見ていなければ、$L=0$ の系と $L=1$ の系は区別がつかない。片方は安定で、もう片方は不安定なのに。食われるのは位相だけである。遅れは $\omega_cL$ ラジアンで、$L=0.1$ 秒が $28.0691$ 度、$L=0.2$ 秒がちょうどその二倍の $56.1382$ 度、$L=0.3$ 秒が $84.2073$ 度である。位相余裕は $\mathbf{101.5370}$ 度から落ちていき、$L=\mathbf{0.361739}$ 秒でゼロになる。その $1$ パーセント手前で $+1.0154$ 度、$1$ パーセント先で $-1.0154$ 度、そしてその間じゅう、ゲインは $1.0000000000$ のまま動いていない。一次遅れだけなら、こうはならない。$1/(s+1)$ の位相は $-\arctan\omega$ で、$\omega=10^6$ でも $89.9999$ 度、$90$ 度を超えない。一次遅れの位相は上に有界で、むだ時間の位相は無界である。論文300 の基準に当てれば別根であり、同じ「遅れ」という語が二つの別のものを指している。なぜ振幅に現れないのか、むだ時間はエネルギーを一切取らず、入った信号がそのまま $L$ 秒後に出てくるだけだからである。それでも不安定にするのは、フィードバックが「戻ってきた信号を引く」ものだからで、戻りが遅れれば引くべきでない時刻に引くことになる。位相が $180$ 度ずれれば、引き算が足し算になる。危険は大きさではなく時刻にあり、大きさを測る道具では原理的に見つけられない。分けるものは一つ、その要素が、信号の大きさを変えるのか、時刻だけを変えるのか。一次遅れは位相を食うと同時にゲインも下げるので自分で自分を止め、むだ時間は位相だけを食うので止まらない。そして分離子は動かせる。遅れを減らせないならゲインを下げて $\omega_c$ を下げればよい。位相の遅れは $\omega_cL$ なので、$\omega_c$ を半分にすれば遅れも半分になる。速く応答することを諦めれば、遅れは許せる。正直に書いておく。ナイキスト線図にはむだ時間ははっきり現れる。見えないのはゲイン線図だけであって、本稿が言うのは「振幅だけを見るな」であって「見つけられない」ではない。また $101.5370$ 度も $0.361739$ 秒も $K=5$ という設定に依り、動かないのは「絶対値が $1$」と「位相が $\omega L$ に比例する」の二つだけである。最後に一つ、むだ時間は、何もしない要素である。増幅も減衰もせず、形も変えず、ただ待つ。何もしないものが系を壊せるのは、フィードバックが「いつ」を使っているからである。

参考文献

  1. Nyquist, H. (1932). Regeneration Theory. Bell System Technical Journal, 11(1).
  2. Bode, H. W. (1945). Network Analysis and Feedback Amplifier Design. New York: Van Nostrand.
  3. Smith, O. J. M. (1957). Closer Control of Loops with Dead Time. Chemical Engineering Progress, 53(5).
  4. Åström, K. J., Murray, R. M. (2008). Feedback Systems: An Introduction for Scientists and Engineers. Princeton: Princeton University Press.
  5. Michiels, W., Niculescu, S.-I. (2007). Stability and Stabilization of Time-Delay Systems. Philadelphia: SIAM.
  6. 山岸勇輝 (2026). 三百本目の点呼、同根か別根かは、判定できる [論文300]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22171914
  7. 山岸勇輝 (2026). 体系は「同期」を四つの意味で使ってきて、五つ目だけが閾値を持つ [論文313]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22174953
  8. 山岸勇輝 (2026). 浸透圧と凝固点降下の比が一定であることは、測定ではなく仮定の帰結である [論文333]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22681740
  9. 山岸勇輝 (2026). 穴の大きさは、応力集中の式に入っていない [論文343]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22682218

作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。

書誌

山岸勇輝(2026)「むだ時間は、振幅を一切変えずに安定余裕だけを食う」[論文350]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22695565

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引用するとき

山岸勇輝 (2026). むだ時間は、振幅を一切変えずに安定余裕だけを食う [論文350]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/350 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22695565

Yamagishi, Y. (2026). Dead Time Eats the Stability Margin Without Touching the Amplitude [Paper 350]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/350; DOI: 10.5281/zenodo.22695565

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