要旨
加熱の安全は「中心温度が何度になったか」で語られる。本稿が問うのはそれで決まるかである。答えは決まらない。温度と時間の組が決める。新しい定理も法則も主張しない。
第一に、$D$ 値は菌を $1$ 桁減らす時間であり、$z$ 値は $D$ を $1$ 桁変える温度差である(第2節)。
第二に、これが本稿の芯である。$55$ 度で $\mathbf{210}$ 分と $75$ 度で $\mathbf{3.38}$ 秒は、同じ $7$ 桁の減少である(第2節)。
第三に、必要時間の比は $\mathbf{3727.5937}$ 倍であり、$10^{20/5.6}$ に厳密に一致する(第2節)。
第四に、$60$ 度なら $\mathbf{26.8758}$ 分で、通説の「鶏を $60$ 度で $30$ 分前後」と整合する(第2節)。
第五に、逆に「$60$ 分で $7$ 桁」を求めると、必要な温度は $\mathbf{58.0468}$ 度と出る(第3節)。
第六に、分離子は「温度を報告するか、温度と時間を報告するか」である(第5節)。
射程(何を示さないか)
新しい定理も法則も主張しない。$D$ 値・$z$ 値・低温殺菌はすべて既知である。微生物学を作らない。菌種ごとの耐熱性の機序や、芽胞の扱いには立ち入らない。名前を挙げるにとどめる。安全基準を与えない。本稿の数値を調理の指針として用いてはならない。$D=30$ 分・$z=5.6$ 度は明示した仮定であり、実際の値は菌種・食品・水分活性で変わる。熱伝導を扱わない。食品内部が設定温度に達するまでの時間は主題ではない。中心が目標温度に保たれている場合だけを計算する。品質を論じない。食感・風味・たんぱく質の変性は主題ではない。規制を論じない。各国の基準や表示制度は主題ではない。既刊との関係:論文352 は転移温度が測る速さで動くことを示した。そこでは時間が温度を動かした。ここでは時間と温度が交換できる。論文346 は次数によって半減期が定数でなくなることを示した。そこでも「一つの数で言えるか」が問題だった。論文300 は同根か別根かが判定できることを示した。「温度に達した」と「殺菌された」は、その基準で別根である。論文358 は約束が数を決めることを示した。ここでは「何桁減らすか」という約束が数を決める。加えたのは、五つの温度で必要時間を数に出したこと、比が $10^{20/5.6}$ という閉じた式になることを示したこと、通説の「$60$ 度で $30$ 分前後」と照合したこと、逆算して $58.0468$ 度を出し式が閉じることを確かめたこと、分離子を「何を報告するか」に置いたことである。
1. 記法と問い
設定:$D$ 値と $z$ 値で加熱殺菌を書く。
$$D(T)=D_{\text{ref}}\cdot10^{(T_{\text{ref}}-T)/z},\qquad
t_{n\text{桁}}=n\,D(T)$$
$D_{\text{ref}}=30$ 分($T_{\text{ref}}=55$ 度)、$z=5.6$ 度とし、$n=7$ 桁の減少を目標とする。
観察 1.1 $D$ 値は「菌を $10$ 分の $1$ にする時間」である。減少は指数的だから、桁で数えるのが自然である。$7$ 桁なら $10^{7}$ 分の $1$、つまり一千万分の一である。
観察 1.2 $z$ 値は「$D$ を $10$ 分の $1$ にする温度差」である。$5.6$ 度上げれば必要時間が $10$ 分の $1$、温度と時間が対数で結ばれている。
観察 1.3 だから同じ安全を、複数の組で達成できる。高温短時間でも、低温長時間でもよい。本稿はその組の値を出す。
問い:「何度まで加熱したか」で、安全は決まるか。
2. $3.5$ 時間と $3.38$ 秒が同じである
計算 2.1:温度に対する $D$ 値と、$7$ 桁減らすのに要る時間(本稿で計算)。
| 温度 [度] | $D$ 値 [分] | $7$ 桁減らす時間 |
|---|---|---|
| $\mathbf{55}$ | $30.000000$ | $\mathbf{210.0000}$ 分($3.5$ 時間) |
| $\mathbf{60}$ | $3.839407$ | $\mathbf{26.8758}$ 分 |
| $65$ | $0.491368$ | $3.4396$ 分 |
| $70$ | $0.062885$ | $0.4402$ 分 |
| $\mathbf{75}$ | $0.008048$ | $\mathbf{0.0563}$ 分($3.38$ 秒) |
観察 2.2 これが本稿の芯である。$55$ 度で $3.5$ 時間と、$75$ 度で $3.38$ 秒は、同じ「$7$ 桁の減少」である。温度で見れば $20$ 度違い、時間で見れば $3727$ 倍違うのに、達成した安全は同じである。
観察 2.3 比は閉じた式になる。$3727.5937$ は $10^{20/5.6}$ に厳密に一致する。$D_{\text{ref}}$ にも $n$ にもよらない。温度差と $z$ だけで決まる。
観察 2.4 通説と一致する。$60$ 度での $26.8758$ 分、低温調理で「鶏を $60$ 度で $30$ 分前後」とされるのと整合する。式も定数も外していない。
観察 2.5 $55$ 度でも達成できる。$210$ 分、つまり一日を待たずに済む、「低すぎて危険な温度」があるのではなく、必要な時間が長いだけである。
観察 2.6 ただし際限なく下げられるわけではない。$z$ 値が一定なのは限られた温度域である。低温では菌が増殖する側に回るので、外挿してはいけない。本稿はその下限を計算していない。
3. 時間を決めれば温度が出る
計算 3.1:「$60$ 分で $7$ 桁」を逆に解く(本稿で計算)。
| 量 | 値 |
|---|---|
| 目標 | $60$ 分で $7$ 桁 |
| 必要な温度 | $\mathbf{58.0468}$ 度 |
| 検算(その温度での $7$ 桁の時間) | $60.0000000000$ 分 |
観察 3.2 式が閉じている。出した温度を戻すと $60.0000000000$ 分、計算の誤りではない。
観察 3.3 つまり二つの量のどちらを固定してもよい。温度を決めれば時間が出て、時間を決めれば温度が出る。独立に選べるのは一方だけである。
観察 3.4 ここに実務上の自由度がある。食感を保ちたいなら低温長時間、速さが要るなら高温短時間、安全を保ったまま、別の目的で選べる。
観察 3.5 「何桁減らすか」も約束である。$7$ 桁は本稿が置いた目標にすぎない。$6$ 桁なら時間は $7$ 分の $6$ になる。論文358 で許容錯乱円が数を決めたのと同じ形である。
4. 温度だけでは足りない
観察 4.1 「$75$ 度に達した」という報告には、時間が入っていない。達した瞬間に下ろせば $3.38$ 秒に満たない。足りているかどうかが、その報告からは分からない。
観察 4.2 逆に「$60$ 度で $30$ 分」は完結している。温度と時間の両方がある。$7$ 桁を超えることが計算できる。
観察 4.3 論文300 の基準で別根である。「温度に達した」は温度計が決め、「殺菌された」は積分が決める。片方を報告して他方が保証されると考えるのが、混同である。
観察 4.4 正直に言えば、実際には昇温中にも殺菌が進む。本稿は目標温度に保たれている場合だけを計算した。昇温を含めると必要時間はもっと短くなる。安全側の見積りである。
観察 4.5 本稿の数値を調理の指針にしてはならない。$D=30$ 分・$z=5.6$ 度は仮定である。実際の値は菌種・食品・水分活性で変わる。
5. 分離子:何を報告するか
観察 5.1 分離子、温度だけを報告するか、温度と時間の組を報告するか。
| 報告 | 情報は足りるか | $7$ 桁に届くか | 判定できるか |
|---|---|---|---|
| 「$75$ 度に達した」 | 足りない | 不明 | できない |
| 「$60$ 度で $30$ 分」 | 足りる | 届く | できる |
| 「$55$ 度で $3.5$ 時間」 | 足りる | ちょうど届く | できる |
観察 5.2 一行目は温度が最も高いのに、判定できない。三行のうちいちばん高温が、いちばん情報が少ない。数の大きさと情報の量は別である。
観察 5.3 分離子は動かせる。温度計に積算機能をつければ、報告が一行目から二行目へ移る。道具を変えれば、同じ調理が判定可能になる。
観察 5.4 これは測定の設計の問題である。何を記録するかを決めた時点で、後から何が言えるかが決まっている。論文364 で脱落を記録するかどうかが決めていたのと同じ形である。
観察 5.5 正直に言えば、$210$ 分も $3727.5937$ 倍も、$D=30$ 分・$z=5.6$ 度・$7$ 桁という明示した仮定の上での値である。別の菌なら別の数が出る。動かないのは、温度と時間が対数で交換できるという構造だけである。
観察 5.6 最後に一つ、二つの量が対数で結ばれているとき、片方だけを報告する習慣は情報を捨てている。温度は測りやすく、時間は数えにくい。測りやすいほうだけが報告されるのは、そちらが重要だからではない。
6. 点呼と結び
- $D$ 値は $1$ 桁減らす時間(第1節):$7$ 桁で一千万分の一。
- $z=5.6$ 度で $D$ が $10$ 分の $1$(第1節):温度と時間が対数で結ばれる。
- $55$ 度で $210$ 分(計算 2.1):$3.5$ 時間。
- $75$ 度で $3.38$ 秒(計算 2.1):同じ $7$ 桁。
- 比は $3727.5937$ 倍(観察 2.3):$10^{20/5.6}$ に厳密一致。
- $60$ 度で $26.8758$ 分(計算 2.1):通説と整合。
- $60$ 分なら $58.0468$ 度(計算 3.1):逆算できる。
- 戻すと $60.0000000000$ 分(観察 3.2):式が閉じている。
- 「$75$ 度に達した」では判定できない(観察 4.1):時間が入っていない。
- 昇温中の殺菌は数えていない(観察 4.4):安全側の見積り。
結び:加熱の安全は「中心温度が何度になったか」で語られる。だがその一つの数では決まらない。$D$ 値は菌を $1$ 桁減らす時間、$z$ 値は $D$ を $1$ 桁変える温度差である。$5.6$ 度上げれば必要時間が $10$ 分の $1$ になるのだから、温度と時間は対数で結ばれている。だから同じ安全を、複数の組で達成できる。$D=30$ 分($55$ 度)・$z=5.6$ 度の上で $7$ 桁(一千万分の一)減らすなら、$55$ 度で $\mathbf{210}$ 分($3.5$ 時間)と、$75$ 度で $\mathbf{3.38}$ 秒が、同じ達成である。温度で $20$ 度、時間で $\mathbf{3727.5937}$ 倍違うのに、安全は同じ。この比は $10^{20/5.6}$ に厳密に一致し、$D$ にも桁数にもよらない。$60$ 度なら $\mathbf{26.8758}$ 分で、低温調理の「鶏を $60$ 度で $30$ 分前後」と整合する。どちらを固定してもよい。「$60$ 分で $7$ 桁」を逆に解けば必要な温度は $\mathbf{58.0468}$ 度と出て、戻すと $60.0000000000$ 分になる。独立に選べるのは温度か時間の一方だけであり、そこに実務上の自由度がある。食感を保ちたいなら低温長時間、速さが要るなら高温短時間を、安全を保ったまま選べる。だから温度だけの報告では足りない。「$75$ 度に達した」には時間が入っておらず、達した瞬間に下ろせば $3.38$ 秒に満たない。足りているかどうかが、その報告からは分からない。一方「$60$ 度で $30$ 分」は完結しており、$7$ 桁を超えることが計算できる。三行のうちいちばん高温の報告が、いちばん情報が少ない。分けているものは一つ、温度だけを報告するか、温度と時間の組を報告するか。温度計に積算機能をつければ判定可能になるのだから、これは測定の設計の問題である。論文364 で脱落を記録するかどうかが決めていたのと同じ形である。正直に言えば、実際には昇温中にも殺菌が進むので、本稿の値は安全側の見積りである。そして $D=30$ 分・$z=5.6$ 度・$7$ 桁はいずれも明示した仮定であり、実際の値は菌種・食品・水分活性で変わる。本稿の数値を調理の指針として用いてはならない。最後に一つ、二つの量が対数で結ばれているとき、片方だけを報告する習慣は情報を捨てている。温度は測りやすく、時間は数えにくい。測りやすいほうだけが報告されるのは、そちらが重要だからではない。
参考文献
- Bigelow, W. D. (1921). The Logarithmic Nature of Thermal Death Time Curves. Journal of Infectious Diseases.
- Stumbo, C. R. (1973). Thermobacteriology in Food Processing (2nd ed.). New York: Academic Press.
- van Asselt, E. D., Zwietering, M. H. (2006). A systematic approach to determine global thermal inactivation parameters. International Journal of Food Microbiology.
- Peleg, M., Cole, M. B. (1998). Reinterpretation of Microbial Survival Curves. Critical Reviews in Food Science and Nutrition.
- Baldwin, D. E. (2012). Sous vide cooking: A review. International Journal of Gastronomy and Food Science.
- 山岸勇輝 (2026). 『第三百回の点呼、同根か別根かは判定できる』[論文300]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22171914
- 山岸勇輝 (2026). 『三つの反応次数のうち二つでは、「半減期」は物質の性質ですらない』[論文346]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22682323
- 山岸勇輝 (2026). 『ガラス転移温度は、測る速さで動く』[論文352]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22695723
- 山岸勇輝 (2026). 『被写界深度の「深さ」は、測定値ではなく約束である』[論文358]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22697216
- 山岸勇輝 (2026). 『選別だけで平均は 1.52 標準偏差上がり、ばらつきは 0.45 に縮む』[論文364]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22697530
作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。
書誌
山岸勇輝(2026)「殺菌は温度ではなく、温度と時間の組である」[論文369]. Zenodo.
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引用するとき
山岸勇輝 (2026). 殺菌は温度ではなく、温度と時間の組である [論文369]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/369 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22697760
Yamagishi, Y. (2026). Pasteurisation Is a Pair of Temperature and Time, Not a Temperature [Paper 369]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/369; DOI: 10.5281/zenodo.22697760
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