要旨
保険料は「事故の確率かける損害額」で決まると考えたくなる。本稿が問うのはそれで足りるかである。答えは足りず、足りない分を決めているのは加入者の数である。新しい定理も法則も主張しない。
第一に、事故確率 $0.01$・損害 $100$ 万円なら、期待損失は $\mathbf{10000}$ 円である(第2節)。
第二に、一件あたりの標準偏差は $\mathbf{99498.74}$ 円で、期待損失の $\mathbf{9.9499}$ 倍ある(第2節)。
第三に、これが本稿の芯である。一件だけなら、必要な上乗せは期待損失の $\mathbf{23.1469}$ 倍になる(第3節)。
第四に、$100$ 万人集めると、上乗せは期待損失の $\mathbf{0.0231}$ 倍まで落ちる(第3節)。
第五に、加入者を $100$ 倍にすると、上乗せはちょうど $\mathbf{0.1}$ 倍になる(第3節)。
第六に、分離子は「危険を何人で分けたか」であって、確率の推定精度ではない(第5節)。
射程(何を示さないか)
新しい定理も法則も主張しない。大数の法則・安全割増(セーフティローディング)・破産確率はすべて既知である。保険数理を作らない。リスク理論の破産確率の厳密な評価や、再保険の設計には立ち入らない。名前を挙げるにとどめる。制度を論じない。規制上の必要資本や会計は主題ではない。独立性を仮定する。事故が互いに独立であるとする。地震や感染のように相関する危険では、この計算は成り立たない。正規近似を用いる。合計の分布を正規分布で近似する。$n$ が小さいときの精度は主張しない。費用を扱わない。事務費・利潤・逆選択・モラルハザードは主題ではない。既刊との関係:論文364 は選別だけで平均が上がりばらつきが縮むことを示した。そこでは標本の切り取りが数を作った。ここでは標本の数が数を作る。論文371 は原因が無くても差が出ることを示した。そこでも「見えた差」の出所が問題だった。論文300 は同根か別根かが判定できることを示した。期待損失と安全割増は、その基準で別根である。論文367 は総量が保存され配分だけが選べることを示した。ここでは総量が $1/\sqrt{n}$ で縮む。加えたのは、四つの規模で上乗せを数に出したこと、一件では上乗せが期待損失の $23$ 倍を超えることを示したこと、$n$ を $100$ 倍にすると上乗せがちょうど $0.1$ 倍になることを示したこと、上乗せを $5$ パーセントに抑える加入者数 $214311$ 人を逆算したこと、分離子を「何人で分けたか」に置いたことである。
1. 記法と問い
設定:事故確率 $p=0.01$、損害額 $L=10^6$ 円、加入者 $n$ 人とする。
$$\text{期待損失}=pL,\qquad
\sigma_1=L\sqrt{p(1-p)},\qquad
\sigma_n=\frac{\sigma_1}{\sqrt{n}},\qquad
\text{上乗せ}=z\,\sigma_n$$
$z=2.3263478740$ は正規分布の $99$ パーセント点である(破綻確率 $1$ パーセント)。
観察 1.1 期待損失は「平均すればいくら出るか」である。$pL=10000$ 円、これだけを集めれば、長期的には収支が合う。
観察 1.2 だが「長期的に」が問題である。短期には外れる。外れたときに払えなければ、そこで終わる。
観察 1.3 だから上乗せが要る。ばらつきの大きさで決まる。本稿はその大きさを規模ごとに出す。
問い:保険料は、期待損失でよいか。
2. 一件あたりのばらつきは、期待損失の $9.9499$ 倍ある
計算 2.1:一件の統計量(本稿で計算)。
| 量 | 値 |
|---|---|
| 事故確率 $p$ | $0.01$ |
| 損害額 $L$ | $1000000$ 円 |
| 期待損失 $pL$ | $\mathbf{10000.00}$ 円 |
| 標準偏差 $\sigma_1$ | $\mathbf{99498.74}$ 円 |
| 期待損失に対する比 | $\mathbf{9.9499}$ 倍 |
観察 2.2 ばらつきが期待値の $9.9499$ 倍ある。これは「めったに起きないが起きると大きい」の数値的な姿である。$99$ パーセントの場合に $0$ 円、$1$ パーセントの場合に $100$ 万円だからである。
観察 2.3 平均の周りに集まっていない。実際に $10000$ 円の損害が出ることは、一度も無い。$0$ 円か $100$ 万円かのどちらかである。
観察 2.4 だから期待損失だけを集めると、$1$ パーセントの場合に破綻する。手元に $10000$ 円しかないところへ $100$ 万円の請求、足りない。
3. 上乗せは $23.1469$ 倍から $0.0231$ 倍へ
計算 3.1:加入者数に対する上乗せ(本稿で計算・破綻確率 $1$ パーセント)。
| 加入者 $n$ | 一人あたりの標準偏差 [円] | 期待損失比 | 上乗せ(期待損失の何倍) |
|---|---|---|---|
| $\mathbf{1}$ | $99498.74$ | $9.9499$ | $231468.69$ 円($\mathbf{23.1469}$ 倍) |
| $100$ | $9949.87$ | $0.9950$ | $23146.87$ 円($2.3147$ 倍) |
| $10000$ | $994.99$ | $0.0995$ | $2314.69$ 円($0.2315$ 倍) |
| $\mathbf{1000000}$ | $99.50$ | $0.0099$ | $231.47$ 円($\mathbf{0.0231}$ 倍) |
観察 3.2 これが本稿の芯である。一件だけなら、上乗せは期待損失の $23.1469$ 倍いる。保険料が $10000$ 円ではなく $241469$ 円になる。誰も買わない。
観察 3.3 $100$ 万人なら $0.0231$ 倍である。保険料は $10231$ 円、期待損失に $2.3$ パーセント足すだけで済む。
観察 3.4 期待損失は一円も変わっていない。どの行でも $10000$ 円、変えたのは加入者の数だけである。
観察 3.5 $n$ を $100$ 倍にすると上乗せがちょうど $0.1$ 倍になる。$1/\sqrt{100}=0.1$、近似ではない。大数の法則が $1/\sqrt{n}$ の形で出ている。
観察 3.6 逆算もできる。上乗せを期待損失の $5$ パーセントに抑えるには $\mathbf{214311}$ 人、戻すとちょうど $5$ パーセントになる。式が閉じている。
4. 保険業は、確率を当てる仕事ではない
観察 4.1 確率 $p$ を完璧に知っていても、一件では成立しない。$23.1469$ 倍、推定精度の問題ではなく、ばらつきそのものの問題である。
観察 4.2 逆に、$p$ の推定が多少ずれていても、$n$ が大きければ成立する。上乗せに余裕があるから、$n$ が数を作っている。
観察 4.3 だから保険業の中核は集めることである。危険を分けられる相手を増やす。「確率を当てる」よりも「独立な相手を集める」ほうが効く。
観察 4.4 独立でなければ、この計算は成り立たない。地震や感染では、全員が同時に請求する。$\sqrt{n}$ の恩恵が消える。本稿はその場合を計算していない。
観察 4.5 論文300 の基準で別根である。期待損失は確率と損害額が、上乗せは分散と人数が決める。どちらも「保険料」に入るが、根が違う。
5. 分離子:何人で分けたか
観察 5.1 分離子、危険を何人で分けたかであって、確率の推定精度ではない。
| 期待損失 | 上乗せ | 保険として成立するか | |
|---|---|---|---|
| $n=1$ | $\mathbf{10000}$ 円 | $\mathbf{231469}$ 円 | しない |
| $n=10000$ | $\mathbf{10000}$ 円 | $\mathbf{2315}$ 円 | する |
| $n=1000000$ | $\mathbf{10000}$ 円 | $\mathbf{231}$ 円 | する |
観察 5.2 左の列は三行とも同じである。期待損失 $10000$ 円、同じ危険、同じ確率、同じ損害額。それでも成立するかどうかが分かれる。
観察 5.3 分離子は動かせる。再保険に出せば、実効的な $n$ が増える。自分で集められなければ、他人の束に混ぜてもらう。
観察 5.4 動かせない場合もある。相関する危険は $n$ を増やしても分散が縮まない。だから巨大災害は保険になりにくい。
観察 5.5 正直に言えば、$23.1469$ 倍も $214311$ 人も、$p=0.01$・$L=10^6$・独立・正規近似という明示した仮定の上での値である。別の条件なら別の数が出る。動かないのは、上乗せが $1/\sqrt{n}$ で縮むという構造だけである。
観察 5.6 最後に一つ、期待値だけを見ると、成立しない事業が成立して見える。期待損失は三行とも同じ $10000$ 円である。平均は、その平均がどれだけ信用できるかを語らない。分散を見ないかぎり、事業が成り立つかは分からない。
6. 点呼と結び
- 期待損失は $10000$ 円(計算 2.1):$p=0.01$・$L=10^6$。
- 標準偏差は $99498.74$ 円(計算 2.1):期待損失の $9.9499$ 倍。
- 実際に $10000$ 円出ることは無い(観察 2.3):$0$ か $100$ 万か。
- $n=1$ で上乗せ $23.1469$ 倍(計算 3.1):保険料 $241469$ 円。
- $n=10^6$ で $0.0231$ 倍(計算 3.1):保険料 $10231$ 円。
- 期待損失は一円も変わらない(観察 3.4):どの行でも $10000$ 円。
- $n$ を $100$ 倍で上乗せ $0.1$ 倍(観察 3.5):$1/\sqrt{n}$。
- $5$ パーセントには $214311$ 人(観察 3.6):逆算が閉じている。
- $p$ を完璧に知っても $n=1$ では無理(観察 4.1):精度の問題ではない。
- 相関すると $\sqrt{n}$ の恩恵が消える(観察 4.4):巨大災害。
結び:保険料は「事故の確率かける損害額」で決まると考えたくなる。だがそれだけでは、事業が成立しない。期待損失は $\mathbf{10000}$ 円だが、一件あたりの標準偏差は $\mathbf{99498.74}$ 円ある。期待値の $\mathbf{9.9499}$ 倍。$99$ パーセントの場合に $0$ 円、$1$ パーセントの場合に $100$ 万円なのだから、実際に $10000$ 円の損害が出ることは一度も無い。期待損失だけを集めれば、$1$ パーセントの場合に破綻する。だから上乗せが要る(そしてその大きさを決めているのは、加入者の数である)破綻確率 $1$ パーセントに抑えるとして、$n=1$ なら上乗せは期待損失の $\mathbf{23.1469}$ 倍、保険料は $10000$ 円ではなく $241469$ 円になる。誰も買わない。$n=10^6$ なら $\mathbf{0.0231}$ 倍、保険料 $10231$ 円で済む。期待損失は一円も変わっていない。どの行でも $10000$ 円で、変えたのは加入者の数だけである。$n$ を $100$ 倍にすると上乗せはちょうど $0.1$ 倍になり、大数の法則が $1/\sqrt{n}$ の形でそのまま出ている。逆算すれば、上乗せを $5$ パーセントに抑えるのに $\mathbf{214311}$ 人である。つまり保険業は、確率を当てる仕事ではない。確率 $p$ を完璧に知っていても、一件では $23.1469$ 倍が要る。推定精度の問題ではなく、ばらつきそのものの問題である。逆に $p$ の推定が多少ずれていても、$n$ が大きければ成立する。中核は「確率を当てる」ことよりも「独立な相手を集める」ことにある。分けているものは一つ、危険を何人で分けたかであって、確率の推定精度ではない。三行とも同じ危険・同じ確率・同じ損害額で、期待損失は $10000$ 円のまま、成立するかどうかだけが分かれる。再保険に出せば実効的な $n$ を増やせるが、相関する危険では $n$ を増やしても分散が縮まない。だから巨大災害は保険になりにくい。正直に言えば、$23.1469$ 倍も $214311$ 人も、$p=0.01$・$L=10^6$・独立・正規近似という明示した仮定の上での値である。動かないのは、上乗せが $1/\sqrt{n}$ で縮むという構造だけである。最後に一つ、期待値だけを見ると、成立しない事業が成立して見える。期待損失は三行とも同じ $10000$ 円である。平均は、その平均がどれだけ信用できるかを語らない。分散を見ないかぎり、事業が成り立つかは分からない。
参考文献
- Lundberg, F. (1903). Approximerad framställning av sannolikhetsfunktionen. Uppsala: Almqvist & Wiksell.
- Cramér, H. (1930). On the Mathematical Theory of Risk. Stockholm: Skandia.
- Bühlmann, H. (1970). Mathematical Methods in Risk Theory. Berlin: Springer.
- Klugman, S. A., Panjer, H. H., Willmot, G. E. (2012). Loss Models: From Data to Decisions (4th ed.). Hoboken: Wiley.
- Borch, K. (1962). Equilibrium in a Reinsurance Market. Econometrica.
- 山岸勇輝 (2026). 『第三百回の点呼、同根か別根かは判定できる』[論文300]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22171914
- 山岸勇輝 (2026). 『選別だけで平均は 1.52 標準偏差上がり、ばらつきは 0.45 に縮む』[論文364]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22697530
- 山岸勇輝 (2026). 『感度をどこかで下げると、どこかで必ず上がる』[論文367]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22697709
- 山岸勇輝 (2026). 『原因が何も無くても、下位は 1.76 標準偏差上がり、上位は 1.76 下がる』[論文371]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22698226
作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。
書誌
山岸勇輝(2026)「保険料は期待損失ではない」[論文383]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22699062
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引用するとき
山岸勇輝 (2026). 保険料は期待損失ではない:そして上乗せを決めているのは、確率の精度ではなく加入者の数である [論文383]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/383 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22699062
Yamagishi, Y. (2026). A Premium Is Not the Expected Loss — And What Sets the Loading Is Not the Accuracy of the Probability but the Number of Policies [Paper 383]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/383; DOI: 10.5281/zenodo.22699062
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