【論文173】小平の柵は正値性ではなく、整数性である

要旨

論文158 はナッシュを扱った。どんなリーマン多様体も等長に埋め込める、仮定は一つも要らない。小平の定理は逆の形をしている。射影空間への埋め込みは仮定が成り立つときにだけ存在し、その仮定は空虚ではない。新しい数学定理は主張しない。

第一に、規約を確かめた。楕円曲線の積では、リーマンの第一関係式が $0$ になり、エルミート形式の最小固有値は $2.2$ と $1.8$ である(第2節)。

第二に、これが本稿の芯である。無作為に取った複素 $2$ 次元トーラスに対し、成分が $|{\cdot}|\le2$ の整数交代形式を$15624$ 通り全数探索して、一つも通らなかった。第一関係式は最良でも $0.0139392$、$0.00445366$、$0.0273488$ で、零に近づきさえしない(第3節)。

第三に、背後にあるのは次元の勘定である。複素 $2$ 次元トーラス全体は実 $8$ 次元、アーベル曲面は実 $6$ 次元、余次元 $2$。複素 $1$ 次元では $2$ 対 $2$ であり、だから障害は複素 $2$ 次元まで見えない(第4節)。

第四に、柵の中身は整数性である。通る形式を $2,3,0.5,\sqrt2$ 倍しても、第一関係式は $0$ のまま、エルミート形式は正のままである。壊れるのは整数性だけである(第5節)。

第五に、ナッシュは次元で払う。$n(3n+11)/2$ は $n=1,2,3,4,10$ で $7,17,30,46,205$、二つは強さの階段ではない(第6節)。

射程(何を示さないか)

本稿の射程:新しい数学定理は主張しない。小平の埋め込み定理、リーマンの関係式、一般の複素トーラスが代数的でないこと、ナッシュの埋め込み定理は、いずれも標準的である。また第3節の探索は有界である。示したのは「成分が $2$ 以下の整数形式は一つも通らない」ことであって、「偏極が存在しない」ことの証明ではない。その一般命題を担うのは第4節の次元の勘定であり、これは標準的な事実である。加えたのは偏極の探索を全数で行って数を出したこと、尺度を変えて「正値性は保たれ整数性だけが壊れる」と示したこと、ナッシュと小平の仮定・保つもの・受け皿を一枚に並べたことである。

1. 記法と位置づけ

複素 $2$ 次元トーラスを $\mathbb{C}^2/\Lambda$ とし、周期行列を $\Omega=(I\mid Z)$($Z$ は $2\times2$ 複素行列)で表す。$\Lambda$ 上の整数交代形式 $J$($4\times4$、独立成分は $6$ 個)に対し、リーマンの関係式は $\Omega J^{-1}\Omega^{T}=0$ と、$i\,\Omega J^{-1}\bar\Omega^{T}$ が正定値であることをいう。符号は $J$ と $-J$ のどちらを取るかの問題であって、条件の中身ではない(本稿では正になる向きを取る)。

位置づけ:論文158 はナッシュの埋め込みを扱い、内在と外在が双対でありながら別根であることを示した。本稿はその第二の声を置く。仮定を要求する側の埋め込みである。そして柵の中身は、論文146・147 が量子化について書いたものと同じ、整数性である。

2. 規約を確かめる

検算 2.1:$Z$ が対角なら $\mathbb{C}^2/\Lambda$ は楕円曲線の積であり、射影的である。主偏極が両方の関係式を満たすはずである。

$Z$ 第一関係式の大きさ 最小固有値
$\mathrm{diag}(0.3+1.1i,\ 1.7i)$ $\mathbf{0.0}$ $2.2$
$\mathrm{diag}(2.0i,\ 0.5+0.9i)$ $\mathbf{0.0}$ $1.8$

(証明終)

検算 2.2:主偏極に対する条件は「$Z$ が対称かつ $\operatorname{Im}Z>0$」である。

$Z$ 第一関係式の大きさ 最小固有値
対称、$\operatorname{Im}>0$ $\mathbf{0.0}$ $1.3801961$
対称でない $\mathbf{0.583095}$ $1.5168239$

(証明終)

観察 2.3 第一関係式が要求しているのは、$Z$ の対称性である。

3. 芯:無作為なトーラスは、偏極を一つも持たない

検算 3.1:成分が $-2$ から $2$ の整数交代形式を全数($5^6-1=15624$ 通り)作り、両方の関係式を満たすものを数える。

トーラス 探索幅 見つかった個数 第一関係式の最良値
対称な $Z$(アーベル曲面) $1$ $\mathbf{2}$ $0.0$
無作為な $Z$(標本1) $2$ $\mathbf{0}$ $0.0139392$
無作為な $Z$(標本2) $2$ $\mathbf{0}$ $0.00445366$
無作為な $Z$(標本3) $2$ $\mathbf{0}$ $0.0273488$

(証明終)

観察 3.2 アーベル曲面は $B=1$ で直ちに見つかる。無作為な周期行列では $15624$ 通りがすべて外れ、第一関係式は零に近づきさえしない。

観察 3.3 ただしこの探索は有界である。示したのは「成分が $2$ 以下では通らない」ことであって、存在しないことの証明ではない。その一般命題は次節の勘定が担う。

4. 次元の勘定

事実 4.1

族 複素次元 実次元
複素 $2$ 次元トーラス全体($Z$ 任意) $4$ $\mathbf{8}$
アーベル曲面($Z$ 対称、$\operatorname{Im}Z>0$) $3$ $\mathbf{6}$
複素 $1$ 次元トーラス全体 $1$ $2$
楕円曲線 $1$ $2$

観察 4.2 余次元 $2$ である。主偏極だけでなくすべての整数偏極を許しても、一つの部分集合が可算個の部分集合の和に置き換わるだけで、和はやはり測度零である。複素 $2$ 次元以上のほとんどすべての複素トーラスは代数的でない。

観察 4.3 複素 $1$ 次元では $2$ 対 $2$ である。どの $1$ 次元トーラスも楕円曲線であり、だから障害は複素 $2$ 次元になるまで見えない。「見えない」と「無い」は別である(論文105 が $4$ 次元でだけ現れる例外を書いたのと同じ形)。

5. 柵の中身は整数性である

検算 5.1:通る偏極を正の数で尺度変換する。

倍率 第一関係式 最小固有値 整数か
$1$ $0.0$ $1.3801961$ はい
$2$ $0.0$ $0.69009805$ はい
$3$ $3.8\times10^{-32}$ $0.46006537$ はい
$0.5$ $0.0$ $2.7603922$ いいえ
$\sqrt2$ $7.8\times10^{-32}$ $0.97594602$ いいえ

(証明終)

観察 5.2 どの倍率でも第一関係式は零のままであり、エルミート形式は正のままである。壊れうるのは、成分が整数かどうかだけである。正値性は尺度変換で保たれ、整数性は保たれない。したがって柵は整数性である。

観察 5.3 ケーラー類は正でありながら $H^2(X,\mathbb{Z})$ の像に入らないことがあり、そのとき埋め込みは存在しない。論文146 が「貼り合わせが閉じることが量子化である」と書き、論文147 が「同じ $H^2$ でも係数が違えば量子化しない」と書いたのと、これは同じ柵である。

6. ナッシュと小平

事実 6.1

定理 仮定 保つもの 受け皿
ナッシュ $1956$ 無し 計量 $\mathbb{R}^N$($N$ が伸びる)
小平 $1954$ 正の直線束 複素構造 $\mathbb{P}^N$ 一種類

検算 6.2:ナッシュの払う次元 $n(3n+11)/2$。

$n$ $N$
$1$ $7$
$2$ $17$
$3$ $30$
$4$ $46$
$10$ $\mathbf{205}$

(証明終)

観察 6.3 二つは強さの階段ではない。ナッシュは何も要求しない代わりに、伸び続ける受け皿で払う。小平は条件を要求する代わりに、一種類の受け皿で済み、しかもそこでは像が多項式で切り出される。つまり「埋め込めた」ことの見返りが大きい。

観察 6.4 保つものも違う。ナッシュは計量を保ち、小平は複素構造を保つ、計量のほうは、フビニ=スタディの類までしか保たれない。「埋め込み」という一語が、二つの別のことを指している(論文158 が内在と外在について書いた区別の、もう一段先である)。

7. 点呼

観察 7.1 

項目 内容 動かすと動くもの 注
ナッシュ 無条件 次元 $N$ 計量を保つ
小平 正の直線束 整数性 複素構造を保つ
柵の中身 整数性 正値性ではない 尺度で壊れる
反例 一般の複素トーラス 複素次元 $\ge2$ 余次元 $2$・測度零
見えない場合 複素 $1$ 次元 常に代数的 楕円曲線

観察 7.2 「多様体は埋め込める」という一文は、どの構造を保つ埋め込みかを言わないかぎり、真偽を持たない。

8. 結論

  1. 規約を確かめた(検算2.1・2.2):楕円曲線の積で第一関係式 $0$、対称性が効いている。
  2. 無作為なトーラスは偏極を持たない(検算3.1):$15624$ 通りすべて外れ。
  3. 余次元 $2$(事実4.1):$8$ 対 $6$、複素 $1$ 次元では $2$ 対 $2$。
  4. 柵は整数性である(検算5.1):正値性は尺度で保たれ、整数性は壊れる。
  5. ナッシュは次元で払う(検算6.2):$n=10$ で $205$。

結び:ナッシュの定理は「できる」と言い、小平の定理は「このときにできる」と言う。条件のあるほうが弱いのではない。条件を払った分だけ、受け皿が良くなっている。そして払っている条件は、大きさでも滑らかさでもなく、整数であることであった。

参考文献

  1. Kodaira, K. (1954). On Kähler varieties of restricted type. Annals of Mathematics, 60(1).
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  3. Riemann, B. (1857). Theorie der Abel’schen Functionen. Journal für die reine und angewandte Mathematik, 54.
  4. Lefschetz, S. (1921). On certain numerical invariants of algebraic varieties. Transactions of the American Mathematical Society, 22.
  5. Siegel, C. L. (1939). Einführung in die Theorie der Modulfunktionen n-ten Grades. Mathematische Annalen, 116.
  6. Griffiths, P., & Harris, J. (1978). Principles of Algebraic Geometry. New York: Wiley.
  7. 山岸勇輝 (2026). 曲率は内在的である [論文91]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21758406
  8. 山岸勇輝 (2026). 4次元だけの例外 [論文105]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21836925
  9. 山岸勇輝 (2026). ディラックの弦は場ではなく、紙の上の痕である [論文146]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22082868
  10. 山岸勇輝 (2026). 同じ $H^2$ でも、係数が違えば量子化しない [論文147]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22083144
  11. 山岸勇輝 (2026). 住まいはあるが、住所ではない [論文158]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22092143
  12. 山岸勇輝 (2026). 「不動点」は一つの定理ではない [論文161]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22092530
  13. 山岸勇輝 (2026). 一意化が与えるのは「一つの形」ではなく、「一つの模型と、一つの径数」である [論文167]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22093172

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書誌

山岸勇輝(2026)「小平の柵は正値性ではなく、整数性である」[論文173]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22094507

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引用するとき

山岸勇輝 (2026). 小平の柵は正値性ではなく、整数性である [論文173]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/173 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22094507

Yamagishi, Y. (2026). Kodaira’s Fence Is Integrality, Not Positivity [Paper 173]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/173; DOI: 10.5281/zenodo.22094507

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