要旨
本体系はすでにいくつかの不可能性を運んでいる(論文25・163・178・179)。だがそれらはすべて「この対象は作れない」という形であった。本稿は別の形を加える。もっともらしい条件が同時には成り立たない、という不可能性である。新しい数学定理は主張しない。
第一に、選択肢が二つなら緊張は無い。多数決は匿名性・中立性・単調性を、投票者が $2$ 人から $5$ 人まですべての場合で満たした(第2節)。
第二に、三つになると多数決が既に壊れる。循環する意見の並びは $3$ 人で全体の $1/18$ を占める。ところが $4$ 人では一つも無く、$6$ 人で戻る。数え上げで説明がつく(第3節)。
第三に、これが本稿の芯である。独立性の仮定を使うと規則の空間が有限に落ちるので、最小の場合を機械で全数掃くことができる。$4096$ 通りを調べて、推移性と全員一致を同時に満たすものはちょうど二つ、どちらも独裁者であった(第4節)。
第四に、逃げ道は四つあり、どれも何かを差し出す。独立性を捨てればボルダ得点が使えるが、$4$ 人の例で誰の a 対 b の順位も変えずに社会の判定が反転した(第5節)。
第五に、柵は選択肢の個数である。二つならすべて成り立ち、三つなら独裁者しか残らない(第6節)。
射程(何を示さないか)
本稿の射程:新しい数学定理は主張しない。コンドルセ、アロー、メイ、ブラックの結果はいずれも標準的である。また、いかなる政治的・制度的な主張もしない。扱うのは、条件の集合が両立するかどうかという数学だけである。論文25 との関係:25 は「解けない」を三つに分け、分離子を許した道具に置いた。本稿の分離子は諦める条件である。道具を増やす話ではなく、要求を減らす話である。加えたのは最小の場合でアローの定理を全数探索で確かめたこと(引用ではなく機械が掃いた)、循環が $4$ 人では起こりえないことを数え上げで示したこと、ボルダの独立性違反を探索で見つけ、厳密な反転が $3$ 人には無く $4$ 人に在ることを確かめたこと、四つの逃げ道を「何を差し出すか」で並べたことである。
1. 記法と位置づけ
選択肢を $a$、$b$、$c$ とし、各投票者はそれらに順位をつける。全員の順位の組を意見の並びと呼ぶ。社会の順位を返す規則に、次を要求する。全員一致(全員が $x$ を $y$ より上に置けば社会もそうする)、独立性($x$ と $y$ の社会的順位は、各人の $x$ と $y$ の順位だけで決まる)、推移性(社会の順位が循環しない)、非独裁(一人の順位がそのまま社会の順位になる、ということがない)。計算はすべて全数探索である。
位置づけ:論文179 は「構成できない」を三つに分けた。そこでの不可能性は対象についてであった。書き下せない、探せない、算法が無い。本稿の不可能性は要求の組についてである。対象はいくらでも作れるが、条件を全部は満たせない。
2. 選択肢が二つなら、緊張は無い
検算 2.1:選択肢を二つにして多数決を取り、すべての意見の並びについて条件を確かめる。
| 投票者数 | 並びの数 | 匿名性 | 中立性 | 単調性 |
|---|---|---|---|---|
| $2$ | $4$ | 成立 | 成立 | 成立 |
| $3$ | $8$ | 成立 | 成立 | 成立 |
| $4$ | $16$ | 成立 | 成立 | 成立 |
| $5$ | $32$ | 成立 | 成立 | 成立 |
(証明終)
観察 2.2 どの人数でも三条件が同時に成り立つ。選択肢が二つのあいだは、何も諦めなくてよい。多数決がそのまま働く。
3. 三つになると、多数決が既に壊れる
検算 3.1:三つの選択肢について、対ごとの多数決が循環する意見の並びを数える。
| 投票者数 | 並びの総数 | 循環する数 | 割合 |
|---|---|---|---|
| $3$ | $216$ | $12$ | $1/18$ |
| $4$ | $1296$ | $\mathbf{0}$ | $\mathbf{0}$ |
| $5$ | $7776$ | $540$ | $5/72$ |
| $6$ | $46656$ | $180$ | $5/1296$ |
| $7$ | $279936$ | $21000$ | $875/11664$ |
(証明終)
観察 3.2 $4$ 人では一つも無い。これは「小さいから稀」ではなく、起こりえないのである。理由は数え上げで書ける。各投票者が三つの差($a$ 対 $b$、$b$ 対 $c$、$c$ 対 $a$)に与える寄与は、六通りの順位のどれでも和が $+1$ か $-1$ にしかならない。したがって $n$ 人での三つの差の和は絶対値が $n$ を超えない。ところが循環には三つの差が同符号であることが要り、$n$ が偶数なら各差は偶数だから大きさが $2$ 以上、和は $6$ 以上でなければならない。$n=4$ ではこれが満たせない。
検算 3.3:各順位の寄与。
| 順位 | 三つの寄与 | 和 |
|---|---|---|
| $abc$ | $(+1,+1,-1)$ | $+1$ |
| $acb$ | $(+1,-1,-1)$ | $-1$ |
| $bac$ | $(-1,+1,-1)$ | $-1$ |
| $bca$ | $(-1,+1,+1)$ | $+1$ |
| $cab$ | $(+1,-1,+1)$ | $+1$ |
| $cba$ | $(-1,-1,+1)$ | $-1$ |
和はどれも $\pm1$ である。(証明終)
観察 3.4 $6$ 人では戻る($180$ 通り)。和が $6$ 以上になりうるのは、全員が同じ符号の $+1$ を出し、三つの差がすべてちょうど $2$ のときだけである。ぎりぎりで通る。
4. 芯:最小の場合を、機械で全数掃く
観察 4.1 独立性は空間を有限に落とす。$x$ と $y$ の社会的順位が各人の $x$ 対 $y$ の順位だけで決まるなら、規則とは三つの対それぞれについての関数にすぎない。投票者が $2$ 人なら各関数は $2^{2^2}=16$ 通りであり、規則の全体は $16^3=4096$ 通りである。
検算 4.2:その $4096$ 通りを掃き、推移性(どの並びでも社会の順位が循環しない)と全員一致を同時に満たすものを数える。
| 数 | |
|---|---|
| 掃いた規則 | $4096$ |
| 推移性かつ全員一致を満たす | $\mathbf{2}$ |
| そのうち独裁者 | $\mathbf{2}$ |
| 独裁者でない生き残り | $\mathbf{0}$ |
(証明終)
観察 4.3 生き残りはすべて独裁者であった。これはアローの定理を引用したのではなく、最小の場合について機械が確かめたものである。「四つの条件は両立しない」は、ここでは $4096$ を数えた結果である。
観察 4.4 全数探索は定理の証明ではない。確かめたのは $2$ 人・$3$ 選択肢の場合だけである。一般の場合はアロー($1951$)による。
5. 逃げ道は四つあり、どれも何かを差し出す
検算 5.1:独立性を捨てる。ボルダ得点。$3$ 人と $4$ 人で、全員の $a$ 対 $b$ の順位が同じまま社会の判定がどこまで動くかを全数探索する。
| 投票者数 | 判定が変わるか | 厳密に反転するか |
|---|---|---|
| $2$ | する | する |
| $3$ | する | しない |
| $4$ | する | する |
(証明終)
検算 5.2:$4$ 人での反転の実例。
| 意見の並び | 得点 | 判定 |
|---|---|---|
| $abc\;|\;abc\;|\;bac\;|\;bca$ | $a=5,\ b=6,\ c=1$ | $b$ が勝つ |
| $abc\;|\;acb\;|\;bac\;|\;bac$ | $a=6,\ b=5,\ c=1$ | $\mathbf{a}$ が勝つ |
どの投票者も $a$ と $b$ の順位を変えていない。動いたのは $c$ の位置だけである。(証明終)
観察 5.3 $a$ と $b$ について誰も何も変えていないのに、社会の判定が入れ替わった。これが独立性の禁じていることであり、ボルダ得点の代償である。そして $3$ 人では厳密な反転が起こらない。勝ちが引き分けになるまでである。循環と同じく、ここにも人数の偶奇が効いている。
観察 5.4 推移性を捨てる。多数決をそのまま使い、循環と付き合う(第3節)。
検算 5.5:定義域を捨てる。選択肢を直線 $a<b<c$ に並べ、山が一つだけの順位(単峰性)に限る。許される順位は $abc$、$bac$、$bca$、$cba$ の四つである。
| 投票者数 | 単峰な並びの数 | 循環する数 |
|---|---|---|
| $3$ | $64$ | $\mathbf{0}$ |
| $5$ | $1024$ | $\mathbf{0}$ |
(証明終)
観察 5.6 循環が消える。ただし代償は誰がどう考えてよいかを先に制限することである。$acb$ と $cab$ という二つの意見は、初めから受け付けない。
検算 5.7:全員一致を捨てる。社会の順位を常に $a>b>c$ とする定数の規則。これは独立で(誰の意見も見ない)、推移的で、独裁者もいない。全員一致に反する並びは $27$ 通り見つかった。(証明終)
観察 5.8 四つ目の逃げ道は確かに存在する。そして誰も選ばない。条件の一覧が長いのは、この種の逃げ道を塞ぐためである。
6. 点呼
観察 6.1
| 捨てるもの | 得られるもの | 代償 |
|---|---|---|
| 独立性 | ボルダ得点 | 無関係な三つ目の位置で判定が反転する |
| 推移性 | 多数決 | 社会の順位が循環する |
| 定義域 | 単峰性・中位投票者 | ある意見を初めから認めない |
| 全員一致 | 定数の規則 | 誰の意見も効かない |
観察 6.2 柵は選択肢の個数である。
| 選択肢 | 何が起きるか |
|---|---|
| $2$ つ | すべての条件が成り立つ(検算2.1) |
| $3$ つ | 独裁者しか残らない(検算4.2) |
観察 6.3 体系の柵の並びに加わる。論文171 の線形性、論文173 の整数性、論文177 のコンパクト性、そしてここでは選択肢が二つであること。いずれも「あと一つ増やすと壊れる」場所に立っている。
観察 6.4 論文25 との違いを書いておく。25 の分離子は許した道具であり、道具を増やせば解けるようになった。本稿の分離子は諦める条件であり、増やす側には何も無い。減らすしかない。
7. 結論
- 二択なら緊張が無い(検算2.1):三条件が全人数で成立。
- 三択で循環が現れる(検算3.1):$3$ 人で $1/18$。
- $4$ 人では循環が起こりえない(観察3.2):寄与の和が $\pm1$ だから。
- $4096$ 通りの生き残りは $2$、どちらも独裁者(検算4.2)。
- ボルダは独立性を破る(検算5.2):$c$ を動かしただけで $a$ 対 $b$ が反転。
- 単峰性は循環を消す(検算5.5):$0$ 件。
- 柵は選択肢の個数(観察6.2)。
結び:「どの決め方が正しいか」という問いには、条件をすべて満たす答が無い。答があるのは「何を諦めるか」という問いのほうである。そして諦めるものを選ぶのは数学ではない。数学が言えるのは、何かは必ず諦めねばならない、というところまでである。
参考文献
- Condorcet, M. J. A. N. de C. (1785). Essai sur l’application de l’analyse à la probabilité des décisions rendues à la pluralité des voix. Paris: Imprimerie Royale.
- Black, D. (1948). On the Rationale of Group Decision-making. Journal of Political Economy, 56(1).
- Arrow, K. J. (1951). Social Choice and Individual Values. New York: Wiley.
- May, K. O. (1952). A Set of Independent Necessary and Sufficient Conditions for Simple Majority Decision. Econometrica, 20(4).
- Gibbard, A. (1973). Manipulation of Voting Schemes: A General Result. Econometrica, 41(4).
- Satterthwaite, M. A. (1975). Strategy-proofness and Arrow’s Conditions. Journal of Economic Theory, 10(2).
- 山岸勇輝 (2026). 「解けない」は三つの別根を持つ [論文25]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22090297
- 山岸勇輝 (2026). 同じ表で、同型でない [論文152]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22084202
- 山岸勇輝 (2026). 不動点は一つの定理ではない [論文161]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22092530
- 山岸勇輝 (2026). 存在と構成は別の文である [論文163]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22092677
- 山岸勇輝 (2026). 柵は線形性である [論文171]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22094287
- 山岸勇輝 (2026). 柵は整数性である [論文173]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22094507
- 山岸勇輝 (2026). 量化子の順序が中身のすべてである [論文177]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22098103
- 山岸勇輝 (2026). 「構成できない」にも別根がある [論文179]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22098419
- 山岸勇輝 (2026). 「次元の呪い」は一つの呪いではない [論文182]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22104170
作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。
書誌
山岸勇輝(2026)「両立しなくなるのは、三つ目の選択肢からである」[論文184]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22105459
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引用するとき
山岸勇輝 (2026). 両立しなくなるのは、三つ目の選択肢からである [論文184]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/184 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22105459
Yamagishi, Y. (2026). Incompatibility Begins with the Third Option [Paper 184]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/184; DOI: 10.5281/zenodo.22105459
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author = {Yamagishi, Yuuki},
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