要旨
距離の公理は四つある。非負性、識別不能の同一性、対称性、三角不等式。本稿は、そのそれぞれを落としたときに何が残るかを数で確かめ、最後に落とさずに逆を向かせる。新しい数学定理も新しい法則も主張しない。
第一に、同一性が落ちる。$d=|x_1-x_2|$ を平面に入れると、相異なる三点が互いに距離 $0$ になる(第2節)。
第二に、対称性が落ちる。一方通行の環では $d(0,1)=1$ に対し $d(1,0)=3$、$d(0,3)=3$ に対し $d(3,0)=1$ である(第3節)。
第三に、三角不等式が落ちる。$d=(x-y)^2$ では $d(0,2t)$ が $d(0,t)+d(t,2t)$ のちょうど二倍になり、$t=5$ では $100$ 対 $50$ である(第4節)。
第四に、三角不等式が強くなる。$2$ 進距離では乱数 $19986$ 組すべてで $d(a,c)\le\max$ が成り立ち、すべての三角形が二等辺であった($100.00\%$)(第5節)。
第五に、これが本稿の芯である。ローレンツ間隔では三角不等式が逆を向く。寄り道するほど短くなり、$10.0\to9.798\to9.165\to8.0\to6.0$ と落ちる。まっすぐが最長である(第6節)。
第六に、公理を全部満たしても一つに決まらない。球面の弦距離と測地距離はどちらも本物の距離でありながら、比は $1.000004$ から $1.570000$ まで開く(第7節)。
射程(何を示さないか)
新しい数学定理も新しい法則も主張しない。擬距離・準距離・半距離・超距離の定義、$p$ 進距離、オストロフスキーの定理、ミンコフスキー幾何における逆向きの三角不等式は、いずれも標準的である。双子のパラドックスを「解かない」。本稿が言うのはそれが計量の公理の話であるということだけで、加速も一般相対論も扱わない。位相を論じない。どの距離がどの位相を生むかは扱わない。一般化距離の分類学を作らない。六つは網羅ではなく点呼である。$p$ 進解析に立ち入らない。$2$ 進距離は超距離の証人としてしか使わない。どれが「本当の距離」かを決めない。第7節が示すのは、公理では一つに決まらないことである。既刊との関係:論文201 は「完備」の四別根を数え、四つを束ねているのは計量が正定値であることと示した。本稿はその一つ手前、距離そのものを数える。論文217 は距離だけを守れと言うと直線性まで守ってしまうことを示した。本稿は守るべき「距離」が何通りあるかを先に数える。論文121 は計量の空間の上の計量を扱った。本稿は計量の公理そのものである。論文233 は「微分できる」の六別根を数えた。本稿は同じ形の、距離版である。加えたのは四つの公理それぞれの落ち方を数で並べたこと、$2$ 進で二等辺率を測ったこと、ローレンツの逆向き三角不等式を寄り道の量として表にしたこと、弦と測地の比が $\pi/2$ まで開くことを示したことである。
1. 記法と位置づけ
定義 1.1 集合 $X$ の上の関数 $d\colon X\times X\to\mathbb{R}$ が距離であるとは、次の四つを満たすことをいう。
- 非負性:$d(x,y)\ge0$。
- 識別不能の同一性:$d(x,y)=0$ ならば $x=y$。
- 対称性:$d(x,y)=d(y,x)$。
- 三角不等式:$d(x,z)\le d(x,y)+d(y,z)$。
本稿は、二・三・四をそれぞれ落とし、最後に四を落とさずに向きだけ変える。
位置づけ:論文201 は「完備」の別根を数え、正定値性が四つを束ねていると示した。本稿はその一つ手前である。訊くのはどれが本当の距離かではなく、どの公理を手放すと何が使えなくなるかである。
2. 擬距離:同一性が落ちる
検算 2.1:平面に $d\big((x_1,y_1),(x_2,y_2)\big)=|x_1-x_2|$ を入れる。
| $p$ | $q$ | $d(p,q)$ |
|---|---|---|
| $(1,0)$ | $(1,5)$ | $\mathbf{0}$ |
| $(1,0)$ | $(1,-3)$ | $\mathbf{0}$ |
| $(1,5)$ | $(1,-3)$ | $\mathbf{0}$ |
| $(1,0)$ | $(4,0)$ | $3$ |
| $(1,5)$ | $(4,0)$ | $3$ |
観察 2.2 相異なる三点が、互いに距離 $0$ である。修復は商を取ることで、空間は $x$ 軸に潰れる。潰したあとの点はもとの点ではない。$L^2$ で「ほとんど至る所等しい関数を同一視する」のはこれと同じ操作であり、論文233 第4節の「測度零を捨てる」と同じ柵である。
3. 準距離:対称性が落ちる
検算 3.1:一方通行の環 $0\to1\to2\to3\to0$(各辺の重み $1$)に、割高な近道 $0\to3$(重み $7$)を足す。最短路を測る。
| $(a,b)$ | $d(a,b)$ | $d(b,a)$ | 差 |
|---|---|---|---|
| $(0,1)$ | $1$ | $\mathbf{3}$ | $2$ |
| $(0,2)$ | $2$ | $2$ | $0$ |
| $(0,3)$ | $\mathbf{3}$ | $\mathbf{1}$ | $2$ |
| $(1,3)$ | $2$ | $2$ | $0$ |
観察 3.2 $0$ から $3$ へは $3$ かかり、$3$ から $0$ へは $1$ で着く。三角不等式は両向きとも成り立っている。落ちたのは対称性だけである。修復は対称化($\max$ か平均を取る)だが、答が変わる。$d(0,3)$ は $3$ でも $1$ でもなくなる。
4. 半距離:三角不等式が落ちる
検算 4.1:直線に $d(x,y)=(x-y)^2$ を入れる。非負で、対称で、$d=0$ は $x=y$ と同値である。
| $t$ | $d(0,t)+d(t,2t)$ | $d(0,2t)$ | 判定 |
|---|---|---|---|
| $0.5$ | $0.5$ | $1.0$ | 破れ |
| $1$ | $2.0$ | $4.0$ | 破れ |
| $2$ | $8.0$ | $16.0$ | 破れ |
| $5$ | $50.0$ | $\mathbf{100.0}$ | 破れ |
観察 4.2 寄り道がつねに半分で済む。ここには商にも対称化にも当たる修復が無い。平方根を取れば距離になるが、それは同じ距離の目盛りを変えたものではなく、別の関数である。三つの公理を満たしても、最短路という言葉が意味を失う。
5. 超距離:三角不等式が強くなる
検算 5.1:整数に $2$ 進距離 $|a-b|_2 = 2^{-v_2(a-b)}$ を入れ、$4096$ 未満の相異なる整数の三つ組を乱数で $19986$ 組取る。
| 性質 | 成立した組 |
|---|---|
| 通常の三角不等式 | $19986/19986$($100.00\%$) |
| 強い形 $d(a,c)\le\max\big(d(a,b),d(b,c)\big)$ | $\mathbf{19986/19986}$($\mathbf{100.00\%}$) |
| 最大の二辺が等しい(二等辺) | $\mathbf{19986/19986}$($\mathbf{100.00\%}$) |
観察 5.2 ここでは公理を落としていない。強めている。それでも幾何は幾何らしくなくなる。すべての三角形が二等辺であり、球の中のどの点も中心であり、二つの球は交わるなら一方が他方を含む。公理を強めることも、別の対象に移ることである。
6. 芯:三角不等式が逆を向く
検算 6.1:$1{+}1$ 次元のミンコフスキー時空で、時間的に隔たった二点 $A=(0,0)$、$C=(10,0)$ を結ぶ。間に $B=(5,x)$ を置き、$|AB|+|BC|$ を測る($|PQ|=\sqrt{\Delta t^2-\Delta x^2}$)。
| $B$ | $|AB|$ | $|BC|$ | $|AB|+|BC|$ |
|---|---|---|---|
| $(5,0)$ | $5.0$ | $5.0$ | $\mathbf{10.0}$(=$|AC|$) |
| $(5,1)$ | $4.898979486$ | $4.898979486$ | $9.797958971$ |
| $(5,2)$ | $4.582575695$ | $4.582575695$ | $9.16515139$ |
| $(5,3)$ | $4.0$ | $4.0$ | $8.0$ |
| $(5,4)$ | $3.0$ | $3.0$ | $6.0$ |
| $(5,4.9)$ | $0.9949874371$ | $0.9949874371$ | $\mathbf{1.989974874}$ |
まっすぐ進んだときの $|AC|$ は $10.0$ である。(証明終)
観察 6.2 どの寄り道も短い。三角不等式は破れているのではなく、符号が逆になっている。$|AC|\ge|AB|+|BC|$ である。「最短経路」という言葉が最長経路を指す。
観察 6.3 これは双子のパラドックスである。留まった双子が $10$ 歳ぶん年を取り、折り返した双子は $6$ 歳ぶんしか取らない。逆説はどこにもなく、三角不等式の向きが逆なだけである。本稿が言うのはそれだけであり、加速も一般相対論も扱わない。
観察 6.4 落ちているのは三角不等式だけではない。非負性も識別不能の同一性も落ちている(光的に隔たった相異なる二点は間隔 $0$)。したがってローレンツ間隔は距離の一般化ではなく、別の対象である。論文201 が「正定値性が四つを束ねている」と言ったのは、この境目のことである。
7. 公理を全部満たしても、一つに決まらない
検算 7.1:単位球面の上で、弦の長さ(周りの空間を通る)と大円の長さ(球面の上を通る)を比べる。どちらも四つの公理を満たす。
| 中心角 | 弦距離 | 測地距離 | 比 |
|---|---|---|---|
| $0.01$ | $0.00999995833339$ | $0.01$ | $1.000004167$ |
| $0.1$ | $0.0999583385414$ | $0.1$ | $1.000416788$ |
| $1$ | $0.958851077208$ | $1$ | $1.042914821$ |
| $2$ | $1.68294196962$ | $2$ | $1.188395106$ |
| $3$ | $1.99498997321$ | $3$ | $1.503766956$ |
| $3.14$ | $1.99999936586$ | $3.14$ | $\mathbf{1.570000498}$ |
観察 7.2 比は $\pi/2$ まで開く。二つとも本物の距離であり、公理はどちらも選ばない。「どちらが距離か」は定理ではなく、何を測りたいかの宣言である。飛行機は測地距離を、トンネルは弦距離を使う。
8. 分離子と柵
観察 8.1 (点呼)
| 種類 | 手放した/変えた公理 | 使えなくなるもの |
|---|---|---|
| 距離 | なし | 、 |
| 擬距離 | 識別不能の同一性 | 点を点として区別すること |
| 準距離 | 対称性 | 往復を同じ量と呼ぶこと |
| 半距離 | 三角不等式 | 最短路という言葉 |
| 超距離 | 強めた | 三角形が一般の形を取ること |
| ローレンツ間隔 | 向きが逆 | 最短が最短であること |
観察 8.2 (分離子) 六つを分けているのは四つの公理のどれをどう扱うかである。記号 $d(x,y)$ はそのどれとも書いていない。論文233 の $f’$ と同じ形である。
観察 8.3 (柵) 修復できるものと、できないものがある。擬距離は商で直る。準距離は対称化で直るが、答が変わる。半距離は直らない。平方根は別の関数である。そして超距離とローレンツ間隔は直すものではない。それらは壊れた距離ではなく、別の対象である。
観察 8.4 第7節が示すのは、公理を全部満たしても一つに決まらないということである。柵は公理の内側にはない。「どの距離か」は測る前に宣言するしかない。
9. 点呼と結び
本稿が測ったことを並べる。
- 相異なる三点が互いに距離 $0$(検算2.1)。
- $d(0,3)=3$、$d(3,0)=1$(検算3.1)。
- 寄り道がつねに半分(検算4.1):$t=5$ で $50$ 対 $100$。
- 強い三角不等式が $19986/19986$、二等辺も $19986/19986$(検算5.1)。
- 寄り道するほど短い(検算6.1):$10.0$ から $1.99$ まで。
- 弦と測地の比が $1.570000$ まで開く(検算7.1)。
結び:距離の公理は四つしかない。一つずつ手放してみると、そのたびに名前のついた対象が現れる。擬距離では点が区別できなくなり、準距離では往復が別の量になり、半距離では最短路という言葉が意味を失う。強めても幾何は変わる。$2$ 進距離では三角形が一つ残らず二等辺である。そして、落とさずに向きだけ変えたものがある。ローレンツ間隔では $|AC|\ge|AB|+|BC|$ であり、寄り道するほど短くなる。留まった双子は $10$、折り返した双子は $6$、逆説はどこにもなく、三角不等式の向きが逆なだけである。最後に、公理を全部満たしても距離は一つに決まらない。球面の弦と大円はどちらも本物の距離で、比は $\pi/2$ まで開く。どちらを使うかは定理ではなく宣言である。記号 $d(x,y)$ は、四つの公理のどれをどう扱っているかを何も書いていない。論文233 の $f’$ と同じで、柵は記法の外にある。
参考文献
- Fréchet, M. (1906). Sur quelques points du calcul fonctionnel. Rendiconti del Circolo Matematico di Palermo, 22.
- Hausdorff, F. (1914). Grundzüge der Mengenlehre. Leipzig: Veit und Comp.
- Hensel, K. (1897). Über eine neue Begründung der Theorie der algebraischen Zahlen. Jahresbericht der Deutschen Mathematiker-Vereinigung, 6.
- Ostrowski, A. (1916). Über einige Lösungen der Funktionalgleichung. Acta Mathematica, 41.
- Wilson, W. A. (1931). On quasi-metric spaces. American Journal of Mathematics, 53.
- Minkowski, H. (1909). Raum und Zeit. Physikalische Zeitschrift, 10.
- Hawking, S. W., Ellis, G. F. R. (1973). The Large Scale Structure of Space-Time. Cambridge: Cambridge University Press.
- 山岸勇輝 (2026). 道具の空間にも計量がある [論文121]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22038594
- 山岸勇輝 (2026). 「完備」は四つの別の主張であり、四つを一つに束ねているのは計量が正定値であることである [論文201]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22109052
- 山岸勇輝 (2026). 距離だけを守れと言うと、直線性まで守ってしまう [論文217]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22119628
- 山岸勇輝 (2026). 一つの球から、同じ大きさの球が二つできる [論文225]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22120991
- 山岸勇輝 (2026). 証明を落とした本から学ぶと、等号の身分も一緒に落ちる [論文232]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22127528
作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。
書誌
山岸勇輝(2026)「「距離」は六つあり、そのうち一つは三角不等式を逆に満たす」[論文234]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22128226
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引用するとき
山岸勇輝 (2026). 「距離」は六つあり、そのうち一つは三角不等式を逆に満たす [論文234]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/234 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22128226
Yamagishi, Y. (2026). “Distance” Is Six Things, and One of Them Satisfies the Triangle Inequality Backwards [Paper 234]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/234; DOI: 10.5281/zenodo.22128226
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