要旨
香水に入れる定香剤は、香りを長持ちさせる。揮発成分を薄めれば、薄めた分だけ遅く飛ぶ、と考えやすい。本稿が示すのは、理想溶液のラウールの法則だけで考えても、遅れの倍率は初めの速さの比(モル分率の逆数)にとどまらず、揮発成分が飛んで薄まるほど大きくなることである。新しい定理も法則も主張しない。
第一に、蒸発の速さはモル分率と蒸気圧の積に比例する。揮発しない定香剤に揮発成分をモル分率 $0.1$ で溶かすと、初めの蒸発の速さは純物質の $\mathbf{0.100000}$ 倍である(第2節)。
第二に、これが本稿の芯である。遅れの倍率は、飛ぶ割合とともに大きくなる。モル分率 $0.1$ のとき、半分が飛ぶまでの時間は純物質の $\mathbf{13.476649}$ 倍、$9$ 割で $\mathbf{24.025851}$ 倍、$99$ パーセントで $\mathbf{42.865184}$ 倍になる。初めの速さの比の $10$ 倍を、どれも超える(第2節)。
第三に、閉じた式と運動方程式が一致する。飛ぶ割合 $f$ までの時間の倍率は $1+(F/N_0)\ln(1/(1-f))/f$ で、運動方程式を数値で解いた時間と相対差 $1.3\times10^{-11}$ 以内で一致する(第3節)。
第四に、薄め方が弱くても形は同じである。モル分率 $0.5$ でも $9$ 割が飛ぶまで $\mathbf{3.558428}$ 倍、$0.2$ なら $\mathbf{11.233712}$ 倍で、どちらも初めの速さの比($2$ と $5$)を超える(第2節)。
第五に、定香剤は香りの移り変わりもならす。蒸気圧が $10^4$ 倍違う二つの成分を同じモル数で混ぜると、軽い成分が飛んだあと重い成分の速さは $\mathbf{2.000000}$ 倍に上がるが、二つの成分それぞれの $8$ 倍の定香剤を入れておくと $\mathbf{1.111111}$ 倍にとどまる(第4節)。
第六に、分離子は、初めの速さを見るか、消えるまでの時間を見るかである。速さの比はモル分率で決まり、時間の比は飛ぶ割合で決まる(第5節)。
キーワード:定香剤、ラウールの法則、蒸気圧、揮発、香水。
射程(何を示さないか)
新しい定理も法則も主張しない。ラウールの法則、蒸発の速さが気相の蒸気圧に比例すること、それを積んだ時間の式は、すべて標準的である。理想溶液に限る。実際の定香剤は分子どうしの引き合い(活量係数)で揮発成分を引き止め、ここでの倍率より強く効くことも弱く効くこともある。本稿は活量係数を $1$ とした。蒸発の速さの係数は一定とした。気相の拡散や風、温度の変化は入れない。定香剤は揮発しないとした。香りの感じ方を扱わない。においの閾値や、鼻が慣れる順応は主題ではない。香水を設計しない。物質の名前も挙げない。既刊との関係:論文333 は、浸透圧と凝固点降下の比が一定であることは測定ではなく仮定の帰結だと示し、射程注記で「沸点上昇と蒸気圧降下を並べない」とした。本稿はその席に座り、蒸気圧降下(ラウールの法則)が揮発成分自身の蒸発をどう遅らせるかを見る。論文392 は、沸点が物質の性質ではなく物質と圧力の対の性質だと示した。本稿でも、同じ物質の飛ぶ速さが、周りに何がどれだけあるかで変わる。論文300 は同根か別根かが判定できると示した。初めの速さの比と消えるまでの時間の比は同じ微分方程式から出る同根で、分けるのはどの時点を見るかである。加えたのは、三つのモル分率と三つの飛ぶ割合で時間の倍率を並べたこと、閉じた式を運動方程式と突き合わせたこと、二つの成分の香りの移り変わりを定香剤の有無で比べたこと、分離子を「速さか時間か」に置いたことである。
1. 記法と問い
設定:揮発成分 $N$ モルが、揮発しない定香剤 $F$ モルに溶けているとする。理想溶液では、揮発成分の蒸気圧はモル分率 $x=N/(N+F)$ に比例して下がる(ラウールの法則)ので、蒸発の速さの係数を $k$、純物質の蒸気圧を $p$ として
$$\frac{dN}{dt}=-kp\,\frac{N}{N+F}.$$
初めの $N_0$ のうち割合 $f$ が飛ぶまでの時間は、純物質なら $fN_0/(kp)$、定香剤の中では
$$t=\frac{fN_0+F\ln\bigl(1/(1-f)\bigr)}{kp},\qquad \frac{t}{t_{\mathrm{pure}}}=1+\frac{F}{N_0}\cdot\frac{\ln\bigl(1/(1-f)\bigr)}{f}$$
になる。
観察 1.1 揮発成分を薄めれば、薄めた分だけ遅く飛ぶ、と考えやすい。モル分率 $0.1$ に薄めれば、蒸発の速さは $10$ 分の $1$ になる。だから香りは $10$ 倍長持ちする、という見方である。それが香りの消えるまでの時間についても正しいかは、別の問いである。
問い:定香剤は、香りの消えるまでの時間を何倍にするのか。
2. 一つの揮発成分
計算 2.1:初めのモル分率と、飛ぶ割合ごとの時間の倍率(純物質を $1$ とする)である。
| 初めのモル分率 | 初めの速さ | 半分が飛ぶまで | $9$ 割 | $99$ パーセント |
|---|---|---|---|---|
| $0.5$ | $0.500000$ | $2.386294$ | $\mathbf{3.558428}$ | $5.651687$ |
| $0.2$ | $0.200000$ | $6.545177$ | $\mathbf{11.233712}$ | $19.606748$ |
| $0.1$ | $\mathbf{0.100000}$ | $\mathbf{13.476649}$ | $\mathbf{24.025851}$ | $\mathbf{42.865184}$ |
観察 2.2 これが本稿の芯である。モル分率 $0.1$ では、初めの速さは $10$ 分の $1$ だが、半分が飛ぶまでに $13.476649$ 倍、$9$ 割で $24.025851$ 倍、$99$ パーセントで $42.865184$ 倍かかる。揮発成分が飛ぶほど、残りのモル分率が下がり、蒸発はさらに遅くなる。純物質は最後まで同じ速さで飛ぶが、薄めた揮発成分は、薄れるほど飛びにくくなる。香りは弱くなりながら長く残る。
観察 2.3 薄め方が弱くても形は同じである。モル分率 $0.5$ で初めの速さの比は $2$ だが、$9$ 割が飛ぶまで $3.558428$ 倍、$0.2$ では比 $5$ に対し $11.233712$ 倍、時間の倍率は、初めの速さの比に $\ln(1/(1-f))/f$ の重みが掛かったものになる。$f$ が $1$ に近づくと、この重みには上限が無い。
3. 運動方程式で確かめる
計算 3.1:閉じた式とは別の道として、$dN/dt=-N/(N+F)$($kp=1$、$N_0=1$、$F=9$)をルンゲ=クッタ法で解き、$N$ が $1-f$ に落ちる時刻を読んだ。半分で $6.738325$、$9$ 割で $21.623266$、$99$ パーセントで $42.436532$ で、閉じた式との相対差は三つとも $1.3\times10^{-11}$ 以下だった。
観察 3.2 「薄めた分だけ遅い」は、初めの一瞬についてだけ正しい。速さの比は初めの一瞬の話で、時間の比は、その後の薄まり方をすべて積んだ話である。同じ微分方程式が、見る時点によって $10$ とも $24$ とも答える。
4. 二つの成分
計算 4.1:蒸気圧が $10^4$ 倍違う軽い成分と重い成分を、同じモル数ずつ混ぜた。軽い成分が先に飛ぶと、重い成分のモル分率は、定香剤が無ければ $0.500000$ から $1.000000$ へ上がり、重い成分の蒸発の速さは $\mathbf{2.000000}$ 倍になる。二つの成分それぞれの $8$ 倍の定香剤を入れておくと、$0.100000$ から $0.111111$ にしか上がらず、速さは $\mathbf{1.111111}$ 倍にとどまる。
観察 4.2 定香剤は、香りの移り変わりもならす。定香剤が無いと、軽い香りが飛んだとたんに重い香りが強まる。定香剤が多いと、どの成分のモル分率も定香剤で決まり、一つの成分が抜けても他は目立って変わらない。
5. 分離子
観察 5.1 分離子は、初めの速さを見るか、消えるまでの時間を見るかである。初めの速さの比はモル分率だけで決まる。消えるまでの時間の比は、飛ぶ割合 $f$ で決まり、$f$ が $1$ に近づくほど大きくなる。「定香剤は香りを何倍長持ちさせるか」は、どこまで消えたら消えたとするかを言わなければ、一つの数にならない。
観察 5.2 論文333 の席に座る。あちらは、浸透圧と凝固点降下の比が一定なのは仮定の帰結だと示し、射程注記で蒸気圧降下を並べないとした。本稿はその蒸気圧降下を、揮発成分自身の蒸発に当てた。
観察 5.3 論文392 と並べる。あちらは、沸点が物質と圧力の対の性質だと示した。本稿でも、飛ぶ速さは物質だけでは決まらず、周りの定香剤との比で決まる。
観察 5.4 論文300 の基準では同根である。初めの速さの比も、消えるまでの時間の比も、同じ微分方程式から出る。違うのは、どの時点を見るかだけである。
観察 5.5 言わないこと。理想溶液に限った。実際の定香剤は分子どうしの引き合いで効き方が変わる。香りの感じ方も扱わない。香水を設計しない。示したのは、薄めた揮発成分が薄れるほど飛びにくくなるという、ラウールの法則だけから出る形である。
6. 点呼と結び
- モル分率 $0.1$ で初めの速さは $\mathbf{0.100000}$ 倍(計算 2.1):薄めた分だけ遅い。
- 半分が飛ぶまで $\mathbf{13.476649}$ 倍(計算 2.1):もう $10$ 倍を超える。
- $9$ 割で $\mathbf{24.025851}$ 倍(観察 2.2):本稿の芯。
- $99$ パーセントで $\mathbf{42.865184}$ 倍(計算 2.1):薄れるほど飛びにくい。
- モル分率 $0.5$ で $\mathbf{3.558428}$ 倍、$0.2$ で $\mathbf{11.233712}$ 倍(観察 2.3):形は同じ。
- 運動方程式と閉じた式の差は $1.3\times10^{-11}$ 以下(計算 3.1):二つの道。
- 定香剤なしで重い香りは $\mathbf{2.000000}$ 倍に強まる(計算 4.1):軽い香りが飛んだあと。
- 定香剤ありでは $\mathbf{1.111111}$ 倍(計算 4.1):移り変わりをならす。
- 論文333 の席に座る(観察 5.2):蒸気圧降下。
- 分離子は初めの速さか、消えるまでの時間か(観察 5.1):同じ式が $10$ とも $24$ とも答える。
結び:香水に入れる定香剤は、香りを長持ちさせる。揮発成分を薄めれば、薄めた分だけ遅く飛ぶ、と考えやすい。それは初めの一瞬についてだけ正しい。揮発しない定香剤に揮発成分をモル分率 $0.1$ で溶かすと、初めの蒸発の速さは純物質の $\mathbf{0.100000}$ 倍で、$10$ 倍遅い。ところが揮発成分が飛ぶほど自分のモル分率が下がって、さらに遅くなるので、半分が飛ぶまでの時間は $\mathbf{13.476649}$ 倍、$9$ 割で $\mathbf{24.025851}$ 倍、$99$ パーセントで $\mathbf{42.865184}$ 倍になる。モル分率 $0.5$ や $0.2$ でも、$9$ 割までの倍率は $\mathbf{3.558428}$ と $\mathbf{11.233712}$ で、初めの速さの比を超える。閉じた式は運動方程式と相対差 $1.3\times10^{-11}$ 以内で一致した。定香剤は香りの移り変わりもならす。蒸気圧が $10^4$ 倍違う二つの成分を同じだけ混ぜると、軽い成分が飛んだあと重い成分は $\mathbf{2.000000}$ 倍に強まるが、定香剤を入れておくと $\mathbf{1.111111}$ 倍にとどまる。分離子は、初めの速さを見るか、消えるまでの時間を見るかである。同じ微分方程式が、見る時点によって $10$ とも $24$ とも答える。論文300 の基準で、二つは同根である。既刊との位置、論文333 が射程注記で空けていた蒸気圧降下の席に座った。論文392 と同じく、飛ぶ速さは物質だけでは決まらない。正直に言えば、理想溶液(活量係数 $1$)に限り、蒸発の速さの係数は一定、定香剤は揮発しないとした。実際の定香剤は分子どうしの引き合いで効き方が変わり、香りの感じ方も扱っていない。香水は設計せず、物質の名前も挙げない。
参考文献
- Atkins, P., & de Paula, J. (2010). Physical Chemistry (9th ed.). Oxford University Press.
- Prausnitz, J. M., Lichtenthaler, R. N., & de Azevedo, E. G. (1999). Molecular Thermodynamics of Fluid-Phase Equilibria (3rd ed.). Prentice Hall.
- Sell, C. S. (2006). The Chemistry of Fragrances: From Perfumer to Consumer (2nd ed.). Royal Society of Chemistry.
- 山岸勇輝 (2026). 『三百本目の点呼、同根か別根かは、判定できる』[論文300]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22171914
- 山岸勇輝 (2026). 『浸透圧と凝固点降下の比が一定であることは、測定ではなく仮定の帰結である』[論文333]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22681740
- 山岸勇輝 (2026). 『沸点は物質の性質ではない。物質と圧力の、対の性質である』[論文392]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22699237
作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。
書誌
山岸勇輝(2026)「定香剤は香りを遅らせるが、その倍率は初めの速さの比ではなく、香りが薄れるほど大きくなる」[論文594]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.23014400
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引用するとき
山岸勇輝 (2026). 定香剤は香りを遅らせるが、その倍率は初めの速さの比ではなく、香りが薄れるほど大きくなる [論文594]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/594 ・ DOI: 10.5281/zenodo.23014400
Yamagishi, Y. (2026). A Fixative Slows a Scent, but by a Factor That Is Not the Initial Rate Ratio and Grows as the Scent Fades [Paper 594]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/594; DOI: 10.5281/zenodo.23014400
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