要旨
ハーディ=ワインベルクの法則は「進化していない集団の状態」と教えられる。本稿が示すのは、それが定常分布であって平衡ではなく、集団が有限なら必ずそこから流れ出すことである。新しい定理も法則も主張しない。
第一に、どんな遺伝子型頻度から始めても、一世代で着く。$(0.9,0,0.1)$ は $(0.810000,0.180000,0.010000)$ になり、二世代目は $\mathbf{2.78\times10^{-17}}$ しか動かない(第2節)。
第二に、着く先は始めた場所とは違う。ヘテロ接合体が $\mathbf{0}$ だった集団が一世代で $\mathbf{0.180000}$ になる。何も起きないのではなく、一度動いてから止まる(第2節)。
第三に、これが本稿の芯である。有限集団では、そこに留まらない。$N=100$ でヘテロ接合度は $\mathbf{139}$ 世代で半分になり、閉じた式 $2N\ln 2=\mathbf{138.6294}$ と合う(第3節)。
第四に、減り方は理論と標準誤差の $\mathbf{3}$ 倍以内で合う。世代 $100$ で $\mathbf{0.306252}$(理論 $0.302885$)、世代 $1000$ で $\mathbf{0.003381}$(理論 $0.003327$)である(第3節)。
第五に、$1000$ 世代までに $\mathbf{98.95}$ パーセントが決着する。固定 $\mathbf{1033}$ 回、消失 $\mathbf{946}$ 回で、固定の割合 $\mathbf{0.5165}$ は初期頻度 $0.5$ に一致する(第3節)。
第六に、それでも平均は動かない。対立遺伝子頻度の平均は世代 $500$ でも $\mathbf{0.503437}$ であり、期待値では定常なのに実現値は端へ流れる(第4節)。
キーワード:ハーディ=ワインベルクの法則、遺伝的浮動、定常と平衡、ライト=フィッシャー模型、集団遺伝学。
射程(何を示さないか)
新しい定理も法則も主張しない。ハーディ=ワインベルクの法則も、ライト=フィッシャー模型も、遺伝的浮動の理論も標準的である。選択・突然変異・移住を入れない。本稿の模型は無選択・無突然変異・無移住であり、それらを入れた場合の帰結は扱わない。実在の集団を論じない。$N=100$ は説明のために置いた値であり、有効集団サイズの推定には立ち入らない。検定の話をしない。観測された遺伝子型頻度がハーディ=ワインベルクから外れているかを検定する手続きは主題ではない。連鎖を扱わない。一遺伝子座・二対立遺伝子だけを見る。連鎖不平衡は別の主題である。「平衡ではないから誤りだ」とは書かない。法則は無限集団という前提の中で正しい。前提の外で何が起きるかを足すだけである。既刊との関係:論文263 は「定常」と「平衡」が別物であり、詳細つりあいが十分条件にすぎないと示した。本稿はその生物版であり、ハーディ=ワインベルクが定常の側にあることを数で示す。論文478 は有利であることが効くかどうかを集団の大きさが決めると示した。あちらは選択がある場合、本稿は選択が無い場合である。どちらも $N$ が効く。論文307 は「適応度」が四つあり、一つは集団を変えると符号まで変わると示した。本稿の模型には適応度が一つも入っていない。それでも頻度は動く。論文300 は同根か別根かが判定できると示した。定常と平衡は「量の持ち物」の基準で別根である。加えたのは、一世代で定常に着くことを三つの初期値で確かめたこと、有限集団でヘテロ接合度の半減が $\mathbf{139}$ 世代だと測ったこと、減り方を理論と標準誤差の $3$ 倍以内で突き合わせたこと、$1000$ 世代で $\mathbf{98.95}$ パーセントが決着すると測ったこと、期待値が動かないのに実現値が流れることを並べたことである。
1. 記法と問い
設定:一遺伝子座に対立遺伝子が二つあり、頻度を $p$ と $q=1-p$ とする。無限集団・無作為交配・無選択・無突然変異・無移住なら、遺伝子型頻度は
$$(AA,\;Aa,\;aa)=(p^{2},\;2pq,\;q^{2})$$
になる。これがハーディ=ワインベルクの法則である。
観察 1.1 「進化していない」という言い方が、二つの意味を持ちうる。分布が動かない(定常)か、動く力が釣り合っている(平衡)か、論文263 が示したとおり、この二つは別物である。
観察 1.2 前提に「無限集団」が入っている。現実の集団はどれも有限である。前提を外したとき何が残るかを見れば、どちらの意味だったかが分かる。
問い:ハーディ=ワインベルクは定常か、平衡か。
2. 一世代で着く
計算 2.1:三つの初期値から、一世代後と二世代後の遺伝子型頻度を出した。
| 初期値 | 一世代後 | 二世代目の動き |
|---|---|---|
| $(0.900,0.000,0.100)$ | $(\mathbf{0.810000},\mathbf{0.180000},\mathbf{0.010000})$ | $\mathbf{2.78\times10^{-17}}$ |
| $(0.200,0.300,0.500)$ | $(\mathbf{0.122500},\mathbf{0.455000},\mathbf{0.422500})$ | $\mathbf{1.11\times10^{-16}}$ |
| $(0.000,1.000,0.000)$ | $(\mathbf{0.250000},\mathbf{0.500000},\mathbf{0.250000})$ | $\mathbf{0.00}$ |
観察 2.2 一世代で着き、その後は動かない。二世代目の動きは丸めの桁、収束が速いのではなく、一歩で終わっている。
観察 2.3 着く先は始めた場所とは違う。ヘテロ接合体が $\mathbf{0}$ だった集団が $\mathbf{0.180000}$ になり、全部ヘテロだった集団が $\mathbf{0.500000}$ に落ちる。「何も起きない」のではない。一度動いてから止まる。
観察 2.4 動かないのは遺伝子型頻度であって、対立遺伝子頻度は初めから動いていない。$p$ は交配で変わらない。保存しているのは $p$ のほうで、$(p^{2},2pq,q^{2})$ はその帰結である。
観察 2.5 ここまでは定常の話しかしていない。釣り合っている力が二つあるわけではない。論文263 の言う「詳細つりあい」は要らない。写像の不動点であるだけである。
3. 有限集団では、そこに留まらない
計算 3.1:$N=100$、初期頻度 $0.5$ のライト=フィッシャー模型を $2000$ 回、$1000$ 世代まで走らせた。ヘテロ接合度の平均を、閉じた式 $2pq(1-1/2N)^{t}$ と突き合わせた。
| 世代 | 実測 | 理論 | ずれ(標準誤差) |
|---|---|---|---|
| $0$ | $\mathbf{0.500000}$ | $0.500000$ | $0.00$ |
| $100$ | $\mathbf{0.306252}$ | $0.302885$ | $0.85$ |
| $200$ | $\mathbf{0.185444}$ | $0.183479$ | $0.44$ |
| $500$ | $\mathbf{0.043262}$ | $0.040786$ | $0.89$ |
| $1000$ | $\mathbf{0.003381}$ | $0.003327$ | $0.07$ |
観察 3.2 これが本稿の芯である。ヘテロ接合度は留まらず、$\mathbf{1000}$ 世代で $\mathbf{0.003381}$ まで落ちる。初期値の $\mathbf{148}$ 分の $1$ である。
観察 3.3 比ではなく標準誤差で突き合わせた。世代 $500$ では大半の反復が既に決着しており、平均の標本誤差が $6$ パーセント台ある。比だけを見る検査は、この誤差を見ていない。どの世代でも標準誤差の $\mathbf{3}$ 倍以内に収まっている。
計算 3.4:半減の世代と、決着した割合を測った。
| 量 | 値 |
|---|---|
| ヘテロ接合度が半分になる世代(実測) | $\mathbf{139}$ |
| 閉じた式 $2N\ln 2$ | $\mathbf{138.6294}$ |
| 固定した回数 | $\mathbf{1033}$ / $2000$ |
| 消失した回数 | $\mathbf{946}$ / $2000$ |
| $1000$ 世代までに決着 | $\mathbf{98.95}$ パーセント |
観察 3.5 半減の世代が閉じた式と合う。$\mathbf{139}$ 対 $\mathbf{138.6294}$、これは独立に導かれた式で、模型の実装が正しいことの検査になっている。
観察 3.6 固定の割合は初期頻度に一致する。$\mathbf{0.5165}$ に対し初期頻度は $0.5$、どちらの端に着くかは初期頻度が決めるが、どちらかの端に着くこと自体は避けられない。
観察 3.7 $\mathbf{98.95}$ パーセントが $1000$ 世代で決着する。ハーディ=ワインベルクの状態に居続けた集団は $1$ パーセント程度、「進化していない」と呼ばれる状態が、実は通過点である。
4. 期待値は動かないのに、実現値は流れる
計算 4.1:対立遺伝子頻度そのものの平均を、別の乱数の種で $400$ 反復ずつ測った。
| 世代 | $p$ の平均 |
|---|---|
| $0$ | $\mathbf{0.500000}$ |
| $100$ | $\mathbf{0.501162}$ |
| $500$ | $\mathbf{0.503437}$ |
観察 4.2 平均は動いていない。$500$ 世代たっても $\mathbf{0.503437}$、期待値の意味では、確かに定常である。
観察 4.3 それでも一つ一つの集団は端に着いている。$\mathbf{98.95}$ パーセントが固定か消失、平均が動かないのは、片方へ行った集団ともう片方へ行った集団が打ち消し合うからで、留まっているからではない。
観察 4.4 これが定常と平衡の差である。分布の平均が動かないことと、系がそこに留まることは別、論文263 の主張が、集団遺伝学の言葉で出ている。
観察 4.5 吸収状態がある系では、平衡という語が特に危ない。固定も消失も、そこから戻れない。釣り合いではなく、行き止まりである。
5. 分離子
観察 5.1 分離子は集団の大きさである。$N\to\infty$ なら留まり、$N$ が有限なら流れる。半減の世代が $2N\ln 2$ なので、$N$ を $10$ 倍すれば $10$ 倍長く留まるが、留まり続けはしない。
観察 5.2 論文478 と同じ量が効いている。あちらは選択があるとき $Ns$ が効くと示した。本稿は選択が無い場合で、$N$ だけが効く。$s=0$ に置いた極限として繋がる。
観察 5.3 適応度は一つも入っていない。論文307 が四つに分けた適応度は、本稿の模型には現れない。それでも頻度は動く。動くことは適応度の証拠にならない。
観察 5.4 論文300 の「量の持ち物」の基準で別根である。平衡は「釣り合う二つの流れ」という持ち物を要る。定常は要らない。ハーディ=ワインベルクには釣り合う相手がいない。
観察 5.5 言わないこと。法則が誤りだとは書かない。無限集団という前提の中では正しい。前提の外で何が起きるかを足しただけである。
6. 点呼と結び
- 一世代で着く(計算 2.1):二世代目の動きは $\mathbf{2.78\times10^{-17}}$。
- 着く先は始めた場所と違う(観察 2.3):$\mathbf{0}$ が $\mathbf{0.180000}$ に。
- 保存しているのは $p$(観察 2.4):遺伝子型頻度はその帰結。
- $N=100$ で半減は $\mathbf{139}$ 世代(計算 3.4):$2N\ln 2=\mathbf{138.6294}$。
- 世代 $1000$ で $\mathbf{0.003381}$(計算 3.1):初期値の $148$ 分の $1$。
- 標準誤差の $3$ 倍以内(観察 3.3):比だけでは足りない。
- 固定 $\mathbf{1033}$・消失 $\mathbf{946}$(計算 3.4):割合は初期頻度に一致。
- $\mathbf{98.95}$ パーセントが決着(計算 3.4):本稿の芯。
- $p$ の平均は $\mathbf{0.503437}$(計算 4.1):期待値では定常。
- 平均が動かないのは打ち消し合いから(観察 4.3):留まっているのではない。
- 分離子は集団の大きさ(観察 5.1):$N$ を $10$ 倍すれば $10$ 倍長い。
結び:ハーディ=ワインベルクの法則は「進化していない集団の状態」と教えられる。一世代で着き、そこで止まる。$(0.9,0,0.1)$ は一世代で $(\mathbf{0.810000},\mathbf{0.180000},\mathbf{0.010000})$ になり、二世代目は $\mathbf{2.78\times10^{-17}}$ しか動かない。収束が速いのではなく、一歩で終わっている。着く先は始めた場所とは違い、ヘテロ接合体が $\mathbf{0}$ だった集団が $\mathbf{0.180000}$ になり、全部ヘテロだった集団が $\mathbf{0.500000}$ に落ちる。何も起きないのではなく、一度動いてから止まる。動かないのは遺伝子型頻度で、保存しているのは対立遺伝子頻度 $p$ のほうであり、$(p^{2},2pq,q^{2})$ はその帰結である。釣り合っている力が二つあるわけではない。写像の不動点であるだけで、詳細つりあいは要らない。有限集団では、そこに留まらない。$N=100$、初期頻度 $0.5$ で $2000$ 回走らせると、ヘテロ接合度は世代 $100$ で $\mathbf{0.306252}$、世代 $1000$ で $\mathbf{0.003381}$ まで落ち、初期値の $\mathbf{148}$ 分の $1$ になる。閉じた式 $2pq(1-1/2N)^{t}$ とはどの世代でも標準誤差の $\mathbf{3}$ 倍以内で合う。比だけを見る検査では標本誤差を見落とすので、標準誤差で突き合わせた。半減は $\mathbf{139}$ 世代で、独立に導かれた $2N\ln 2=\mathbf{138.6294}$ と合う。$1000$ 世代までに $\mathbf{98.95}$ パーセントが決着し、固定 $\mathbf{1033}$ 回、消失 $\mathbf{946}$ 回で、固定の割合 $\mathbf{0.5165}$ は初期頻度 $0.5$ に一致する。それでも平均は動かない。対立遺伝子頻度の平均は世代 $500$ でも $\mathbf{0.503437}$ で、期待値の意味では確かに定常である。平均が動かないのは、片方の端へ行った集団ともう片方へ行った集団が打ち消し合うからであって、留まっているからではない。固定も消失もそこから戻れない吸収状態なので、釣り合いではなく行き止まりである。吸収のある系では「平衡」という語が特に危ない。分離子は集団の大きさである。$N\to\infty$ なら留まり、有限なら流れる。半減が $2N\ln 2$ なので $N$ を $10$ 倍すれば $10$ 倍長く留まるが、留まり続けはしない。論文478 は選択があるとき $Ns$ が効くと示した。本稿は $s=0$ の場合で、$N$ だけが効く極限として繋がる。論文307 が四つに分けた適応度は本稿の模型に一つも入っていない。それでも頻度は動くので、動くことは適応度の証拠にならない。論文300 の「量の持ち物」でいえば、平衡は釣り合う二つの流れを要り、定常は要らない。ハーディ=ワインベルクには釣り合う相手がいない。論文263 が「定常と平衡は別物だ」と示したことが、集団遺伝学の言葉で同じ形をとって出ている。正直に言えば、法則が誤りだとは書いていない。無限集団という前提の中では正しく、前提の外で何が起きるかを足しただけである。選択も突然変異も移住も入れていないし、$N=100$ は説明のために置いた値で、有効集団サイズの推定には立ち入っていない。観測された頻度が法則から外れているかを検定する手続きも扱わず、一遺伝子座・二対立遺伝子だけを見たので連鎖不平衡も別の主題である。言えるのは、ハーディ=ワインベルクが定常であって平衡ではなく、有限集団では $\mathbf{139}$ 世代でヘテロ接合度が半減し、$1000$ 世代で $\mathbf{98.95}$ パーセントが決着する、そこまでである。
参考文献
- Hardy, G. H. (1908). Mendelian Proportions in a Mixed Population. Science.
- Kimura, M. (1955). Solution of a Process of Random Genetic Drift with a Continuous Model. Proceedings of the National Academy of Sciences.
- Weinberg, W. (1908). Uber den Nachweis der Vererbung beim Menschen. Jahreshefte des Vereins fur vaterlandische Naturkunde in Wurttemberg.
- Wright, S. (1931). Evolution in Mendelian Populations. Genetics.
- 山岸勇輝 (2026). 『「定常」と「平衡」は別物であり、詳細つりあいは十分条件にすぎない』[論文263]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22169689
- 山岸勇輝 (2026). 『三百本目の点呼、同根か別根かは、判定できる』[論文300]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22171914
- 山岸勇輝 (2026). 『「適応度」は四つあり、そのうち一つは集団を変えると符号まで変わる』[論文307]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22172235
- 山岸勇輝 (2026). 『有利であることが効くかどうかは、集団の大きさが決めている』[論文478]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22733726
作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。
書誌
山岸勇輝(2026)「「進化していない」は定常であって、平衡ではない」[論文528]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.23014081
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引用するとき
山岸勇輝 (2026). 「進化していない」は定常であって、平衡ではない [論文528]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/528 ・ DOI: 10.5281/zenodo.23014081
Yamagishi, Y. (2026). ``Not Evolving'' Is Stationary, and Stationary Is Not Equilibrium [Paper 528]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/528; DOI: 10.5281/zenodo.23014081
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