釣りの道具箱の話を「分離子とは何か」に書きました。あれは箱の中の仕切りの話でした。このページは、箱の中に入れる小箱の話です。
私は、一つの分野を深く掘るより、分野を横へ動くほうが得意です。動くときに使った道具を、誰でも持っていける形にして置いておきたいと思いました。プログラムの世界には、昔の Perl の CPAN のように、部品を棚に並べて誰でも使えるようにした場所があります。同じことを幾何学と物理学でやってみる棚を「治具棚」と呼びます。このページは、その 1 本目です。
治具(ジグ)は、同じ加工を正確にくり返すための補助の道具です。この道具は論文1105 の計算から生まれました。空間の曲がりのうち W と呼ばれる部分を「しわ」と見て量るので、シワ取り治具と名付けました。
生まれの式を見せます。4 次元の球面を 3 次元の皮が重なったものと見て、皮の歪みをホップの繊維と底の比 v で表します。丸い皮は v=1 です。道の上のしわの量が、次の 𝒴 です。
$$\mathcal{Y}[v]=\int\frac{E^{2}+G^{2}}{3v}\,dt$$ $$E=\ddot v+v^{3}-v,\qquad G=3v\dot v$$𝒴 は W の二つの向きの量の和で、球面では W の取り分 f そのものです。E と G がそろって 0 になるのは、すべての皮が丸いときだけです。𝒴 は山岸の頭文字で、山辺定数 Y とは別です。
この和を二つの二乗に分け直すと、掛け合わせの項は次の U の差だけになります。だから、両端で皮が丸くなる道では、途中の v の形を知らなくても、皮一枚の値で下限が出ます。
$$U=-\dot v^{2}+v^{2}-\frac{v^{4}}{2}$$ $$\mathcal{Y}[v]\ \ge\ \max_{t}\bigl[(1-v^{2})^{2}+2\dot v^{2}\bigr]$$いちばん歪んだ皮一枚が、しわの床を決めるということです。この量と、皮で切って両側から押さえる手順を合わせて、シワ取り治具と呼びます。この形から名詞を抜いて、別の分野へ持ち出せるようにしたのが、このページの説明書です。
この文章は、査読を経ていない、著者自身による公開(プレプリント)の論文の内容と、このページのために新しく行った試運転をまとめたものです。
説明書
- 一言で
- 二乗に分けて、端で押さえる。
- できること
- 途中を計算しないで、かかる量の下限(床)を出す。
- 差し込むもの
- 二つの二乗の和に書ける量。掛け合わせの項が、端の値だけで決まること。
- 効かないとき
- 道を一周すると、掛け合わせの項が残るとき。
- 渡った先
- 4 次元の幾何、熱力学、売買コスト。
要点
- 測りたい量が二つの二乗の和で、掛け合わせの項が端の値だけで決まるなら、途中を計算しなくても下限が出ます。
- 道のどこかで切ると、いちばん効く一点が床を決めます。4 次元の空間では「いちばん歪んだ皮」、山越えでは「いちばん高い頂」、売買では「いちばん大きな持ち高」です。
- 床にちょうど乗る道では、式の階数が半分に下がります。
- 同じ手順が、三つの分野で動きました。ただし半分の壁のように、渡らなかった部品もあります。
- 効かないときの見分け方は一つです。道を一周して、掛け合わせの項が 0 に戻らなければ、この道具は使えません。
こんなときに使えます
次の三つに「はい」と答えられたら、差し込めます。専門の知識は要りません。
- 測りたい量は、毎時刻の二乗を足し合わせた形をしていますか。速さの二乗、ずれの二乗、力の二乗などです。
- 二乗は二種類に分かれますか。一つは動かす側の二乗、もう一つは場所や状態の側の二乗です。
- 二つを掛けた項を道に沿って足すと、途中によらず、始めと終わりの値だけで決まりますか。
三つ目の見分け方は簡単です。道を一周させて、掛けた項の合計が 0 に戻るかを見ます。
手順:動詞だけで書く
使うのは、中学で習う二乗の展開だけです。
$$p^{2}+q^{2}=(p-q)^{2}+2pq$$左辺が測りたい量です。右辺の第 1 項は 0 以上です。第 2 項が端の値だけで決まるなら、途中を知らなくても下限が言えます。これを五つの動詞に分けます。
| 動詞 | すること |
|---|---|
| 分ける | 量を二つの二乗の和に分ける |
| 寄せる | 掛け合わせの項を、端の値の差へ寄せる |
| 切る | 道の途中で切る。切った両側でそれぞれ床が出る |
| 届かせる | p と q が等しくなる道を書く。この道はちょうど床に乗る |
| 居続ける | 途中で止まり続ける代金を足す |
大事なのは「切る」です。始めと終わりが同じ場所でも、途中で高い所を通れば、そこで切ると床が上がります。道全体の形を知らなくても、いちばん効く一点だけで下限が決まります。
「届かせる」では、式が軽くなります。止まる道の式は 2 階の微分方程式ですが、床に乗る道は 1 階の式で書けます。論文1105 では 4 階の式が 2 階になり、さらに線形の式に落ちました。
床を割ってみる
ここで試してください。三つの分野を選べます。速さを変えても、止まる長さを変えても、費用は床の下へ行きません。
分野を選んで、四つのスライダーを動かします。費用を床より下げられるでしょうか。
- 費用
- 床
- 費用 ÷ 床
売買の例で数を見ます。持ち高の頂が 1 のとき床は 3.000000 です。積む速さを 2 倍にすると比は 1.125000、積む速さを 4 倍にして手じまいを 4 分の 1 にすると 2.125000 です。持ち続ける時間を 2 にすると 2.500000 で、費用は床の上で伸びていきます。
渡った記録
棚の道具でいちばん大事なのは、どこへ渡れて、どこで止まったかの記録です。同じ手順を三つの分野で動かしました。
| 動詞 | 4 次元の幾何(生まれ) | 熱力学(山越え) | 売買コスト |
|---|---|---|---|
| 分ける | W の二つの向き | 速さと力 | 売買の速さと持ち高 |
| 寄せる | 皮の比の式 | ポテンシャルの差 | 持ち高の二乗 |
| 切る | いちばん歪んだ皮 | いちばん高い頂 | いちばん大きな持ち高 |
| 届かせる | ペダーセンの球の背中合わせ | 流れの逆回しで登る | 一定の割合で手じまう |
| 居続ける | ベルジェの首 | 頂に止まる | 持ち続ける |
| 渡らなかったもの | 半分の壁 | 対応が見つからない | 対応が見つからない |
熱力学では、床はアレニウスの指数そのものでした。小さな粒が熱のゆらぎで山を越える時間を積分で計算すると、時間の対数の傾きは 0.249466 で、山の高さ 0.25 に近づきます。途中の道を知らなくても、頂の高さだけで指数が決まります。
売買では、いちばん大きく持った一点が床を決めました。積むので片道ぶん、手じまうので片道ぶんの費用がかかり、その合計が床です。執行の時間を延ばしても、床の下へは行けません。
売買の式は、熱力学のいちばん簡単な谷の式と同じです。同じ式から出る二つは、分離子の決まりでは同じ根の判定になりません。だから「売買は熱力学である」とは言いません。言えるのは、同じ手順が動いたことだけです。
効かないとき:一周して残る
この道具が止まる場所は、一つの形にまとまりました。道を一周して、掛け合わせの項が 0 に戻らないときです。

熱力学では、回る流れが混ざると一周の合計が 9.424778 残りました。売買では、恒久インパクトの指数が 0.5 のとき一周の費用は −0.137132、1.5 のとき +0.193934 で、1 のときだけ 0 です。費用が負なら、往復で得をすることになります。恒久インパクトは線形でなければならないという、ハバーマンとスタンツルの結果と同じ場所を指しています。
止まったときの直し方も渡りました。回る流れの例では、そのままの式では比 0.818015 で床が合いませんが、端の値を測る関数をハミルトン=ヤコビ方程式の解に替えると、比 1.000000 に戻りました。
自分の分野で試す
- 下限を知りたい量を、二つの二乗の和に書きます。
- 掛け合わせの項を道に沿って足す式を書きます。
- 道を一周させて、合計が 0 に戻るかを確かめます。戻らなければ止まります。
- 戻るなら、端の値だけで床が出ます。途中のいちばん効く一点でも切ってみます。
- 実際の値が床の何倍かを見ます。離れていれば、途中に無駄があります。
- どこで動いて、どこで止まったかを書き残します。止まった記録が、次の人の役に立ちます。
どこまでが既知で、どこからが私の仕事か
既知のこと。二乗に分けて位相の量で下から押さえる形は、ボゴモルニの不等式として知られています。幾何ではハーヴェイとローソンのキャリブレーションが同じ向きの道具です。勾配流の側には、デ・ジョルジのエネルギー散逸原理があります。熱力学のアレニウスの指数、クラマースの式、シュミードルとザイフェルトの最小仕事、売買のアルムグレンとクリスの形、ハバーマンとスタンツルの結果も既知です。この道具が別の分野で出した結果は、どれも新しくありません。
私の仕事。論文1105 の計算の中で、この手順を組み立てたこと。名詞を抜いて動詞に分け、効かない条件と渡った記録を付けたこと。三つの分野で同じ手順を動かして、渡らなかった部品まで書いたことです。同じ形の整理を書いた文献があるかどうかは、全部は調べていません。
しないこと。売買の計算は式の確かめで、実際の市場のデータには当てていません。投資の助言ではありません。
論文と文献
論文はどれも CC BY 4.0 で公開しています。
- 論文1105「4 次元球面の 16π² は Q と W で分け合い、いちばん歪んだ皮一枚が W の取り分の床を決める」:この道具の生まれ。
- 論文300「三百本目の点呼 ── 同根か別根かは、判定できる」:分離子の判定。
- Bogomolny, E. B. (1976). The stability of classical solutions. Soviet Journal of Nuclear Physics.
- Harvey, R. & Lawson, H. B. (1982). Calibrated geometries. Acta Mathematica.
- Schmiedl, T. & Seifert, U. (2007). Optimal finite-time processes in stochastic thermodynamics. Physical Review Letters.
- Huberman, G. & Stanzl, W. (2004). Price manipulation and quasi-arbitrage. Econometrica.