【論文257】「速さ」を変えても「行き先」は変わらない

要旨

触媒は反応を速める。では、行き着く先も変えられるのか、答は、変えられない。本稿が問うのは、なぜ変えられないのかである。答は、触媒が二つの柵を同じだけ下げるからであり、その差が状態量だからである。そして「行き先がどう動くか」を答えるはずのルシャトリエの原理は、定理ではない。新しい数学定理も新しい法則も主張しない。

第一に、行き先を決めているものを書き出す。$K=\exp(-\Delta G^\circ/RT)$ であり、右辺に触媒は一度も現れない。$\Delta G^\circ$ は始点と終点だけの関数である(第2節)。

第二に、これが本稿の芯である。触媒が反応を $\mathbf{1.02\times10^{7}}$ 倍に速めても、平衡定数は $\mathbf{5.549162\times10^{-6}}$ のまま小数8桁まで動かない。正逆が同じ倍率で速くなるからである(第3節)。

第三に、速さのほうは激しく変わる。活性化エネルギーを $25$ kJ/mol 下げるだけで $\mathbf{2.3978\times10^{4}}$ 倍、$75$ kJ/mol なら $\mathbf{1.3786\times10^{13}}$ 倍、変えられるものと変えられないものが、桁で分かれている(第4節)。

第四に、ルシャトリエは定理ではない。アンモニア合成に窒素を足していくと、生成量は増え続けず、ある点から減りはじめる。$50$ mol まで足すと頂点の $\mathbf{1.9147}$ 分の $1$ になる(第5節)。

第五に、その境目は一つの数である。窒素のモル分率が $\mathbf{0.5000}$ を超えた瞬間に向きが変わる(第5節)。

第六に、その $1/2$ は動かない。$K$ を $10^{-3}$ から $10^{2}$ まで $\mathbf{10^5}$ 倍動かしても、水素の量を変えても、境目は $\mathbf{0.5000}$ のままである。化学量論だけが決めている(第6節)。

射程(何を示さないか)

新しい数学定理も新しい法則も主張しない。$K=\exp(-\Delta G^\circ/RT)$、アレニウスの式、遷移状態の描像、ルシャトリエの原理に反例があることは、いずれも標準的である。化学を作らない。使うのは一つの指数関数と、一つの平衡条件と、二分法だけである。反応機構を論じない。どの触媒がどう働くかを一つも扱わない。本稿が扱うのは「何が変えられて、何が変えられないか」の仕分けだけである。速度論を作らない。アレニウスの式を目安として使い、前指数因子の温度依存を無視している。第4節の倍率は桁を見るための値である。実在の触媒を評価しない。第3節の $25$ kJ/mol という下げ幅は置いた値であり、特定の触媒の測定値ではない。非理想性を扱わない。第5・6節は理想気体の分圧で解いており、活量係数を入れていない。境目 $1/2$ はこの理想化の内側の結果である。ルシャトリエの原理を否定しない。正しく定式化された形(一定の $T$ と $V$ で、束縛を明示した形)では成り立つ。本稿が反例を出すのは「系は変化を打ち消す向きに動く」という素朴な読みに対してである。第二種永久機関の不可能性を証明しない。熱力学第二法則を前提として使うだけである。既刊との関係:論文232 は同じ等号が四つの別の主張を書いていることを数えた。本稿は同じ「動かす」が二つの別のことを指すのを分ける:速さを動かすことと、行き先を動かすことである。可逆は21編174件、熱力学第二法則は5編8件にあり、本稿はそれを前提として使う。新しい熱力学を作らない。論文190 は「稀」を対数の目盛りで測った。本稿も、速さの変化を倍率の桁で書き、行き先の変化を動かない桁数で書く。加えたのは触媒による加速を $1$ 倍から $1.02\times10^{7}$ 倍まで振っても $K$ が小数8桁まで動かないことを数で並べたこと、変えられるもの(速さ、$10^{13}$ 倍)と変えられないもの($K$、$0$ 桁)を同じ表に置いたこと、ルシャトリエの反例を実際に解いて頂点を求めたこと、その境目が $K$ を $10^5$ 倍動かしても $0.5000$ のままだと確かめたことである。

1. 記法と位置づけ

設定:可逆な反応を考える。速さは正反応の速度定数 $k_f$ と逆反応の $k_r$ で、行き先は平衡定数 $K=k_f/k_r$ で表される。

問い:触媒はどちらを動かせるのか。

答は、速さだけである。$k_f$ と $k_r$ は同じ倍率で動き、比である $K$ は動かない。

もう一つの問い:では、行き先が動く場合に、どちらへ動くかを言えるのか。ルシャトリエの原理はそれに答えるとされている。だが素朴な読みには反例がある。

本稿は二つを並べる:動かせないもの(第2〜4節)と、動く向きが言えないもの(第5〜6節)である。

2. 行き先を決めているもの

設定:平衡定数は自由エネルギー差だけで決まる。

$$K = \exp\!\left(-\frac{\Delta G^\circ}{RT}\right)$$

検算 2.1:$T=298.15$ K で数える。$RT=2478.9570$ J/mol である。

$\Delta G^\circ$ $[\mathrm{kJ/mol}]$ $K$
$-40.0$ $1.017881\times10^{7}$
$-20.0$ $3.190424\times10^{3}$
$0.0$ $1.000000$
$+20.0$ $3.134380\times10^{-4}$
$+40.0$ $9.824336\times10^{-8}$

観察 2.2 右辺に触媒が一度も現れない。$\Delta G^\circ$ は始点と終点だけの関数であり、途中の道に依らない。触媒は道を変えるが、始点と終点を変えない。

観察 2.3 もし触媒が $K$ を変えられたら、二つの容器に別の触媒を入れて物質を循環させ、ほかに何も変えずに仕事を取り出せる。熱力学第二法則が禁じている。禁じているのは化学ではなく、その上の階層である。

3. 芯:触媒は二つの柵を同じだけ下げる

設定:反応熱は二つの活性化エネルギーの差である:$\Delta H=E_{a,f}-E_{a,r}$。$\Delta H$ は状態量なので動かない。だから触媒が $E_{a,f}$ を下げたら、$E_{a,r}$ も同じだけ下がる。

検算 3.1:$E_{a,f}=75$、$E_{a,r}=45$ kJ/mol($\Delta H=+30$ kJ/mol)から、両方を同じだけ下げる。$T=298.15$ K。

下げ幅 $[\mathrm{kJ/mol}]$ $E_{a,f}$ $E_{a,r}$ 加速の倍率 $K=k_f/k_r$
$0$ $75$ $45$ $1.0000$ $5.549162\times10^{-6}$
$10$ $65$ $35$ $5.64838\times10^{1}$ $5.549162\times10^{-6}$
$25$ $50$ $20$ $2.39779\times10^{4}$ $5.549162\times10^{-6}$
$40$ $35$ $5$ $\mathbf{1.01788\times10^{7}}$ $\mathbf{5.549162\times10^{-6}}$

観察 3.2 加速の倍率が $1$ から $1.02\times10^{7}$ まで $7$ 桁動くあいだ、$K$ は小数8桁まで一つも動かない。

観察 3.3 理由は一行で書ける。下げ幅を $\delta$ とすると $k_f$ も $k_r$ も $\exp(\delta/RT)$ 倍になる。比を取ると $\exp(\delta/RT)$ が約分されて消える。触媒は分子と分母に同じ数を掛けているだけである。

観察 3.4 分離子、何を動かすと別物になるか。$E_{a,f}$ と $E_{a,r}$ を別々に動かせるかどうかである。別々に動かせるものは触媒ではない。それは反応そのものを変えている。

4. 速さのほうは激しく変わる

検算 4.1:同じ指数関数が、速さの側では桁で効く。$T=298.15$ K。

活性化エネルギーの下げ幅 $[\mathrm{kJ/mol}]$ 速さの倍率
$10$ $5.6484\times10^{1}$
$25$ $2.3978\times10^{4}$
$50$ $5.7494\times10^{8}$
$75$ $\mathbf{1.3786\times10^{13}}$

検算 4.2:温度のほうも同じ指数で効く。$300\to310$ K の $10$ K だけ上げる。

$E_a$ $[\mathrm{kJ/mol}]$ $10$ K での倍率
$25$ $1.3817$
$50$ $\mathbf{1.9091}$
$75$ $2.6378$
$100$ $3.6446$

観察 4.3 $E_a=50$ kJ/mol なら、$10$ K で $1.9091$ 倍である。「$10$ 度で約2倍」という経験則は、この値である。

観察 4.4 同じ $\exp$ が、速さでは $10^{13}$ 倍を作り、$K$ では $0$ 桁を作る。差は約分されるかどうかだけである。

観察 4.5 正直に書くべき点、第4節は前指数因子を一定として扱っている。実際には温度に弱く依存するので、ここでの倍率は桁を見るための値であり、精密な予測ではない。

5. ルシャトリエは定理ではない

設定:$\mathrm{N_2}+3\mathrm{H_2}\rightleftharpoons 2\mathrm{NH_3}$ を、温度と圧力を一定にして解く。水素を $3.000$ mol に固定し、窒素だけを足していく。素朴な読みは「反応物を足せば生成物が増える」と言う。

検算 5.1:無次元化した平衡定数を $0.10$ として、二分法で解いた。

足した $\mathrm{N_2}$ $[\mathrm{mol}]$ $x(\mathrm{N_2})$ $\mathrm{NH_3}$ $[\mathrm{mol}]$ 向き
$0.500$ $0.115076$ $0.252608$ 、
$1.000$ $0.228543$ $0.316169$ 増える
$2.000$ $0.392335$ $0.355950$ 増える
$3.000$ $\mathbf{0.500000}$ $\mathbf{0.362527}$ 頂点
$4.000$ $0.575294$ $0.359339$ 減る
$10.000$ $0.775904$ $0.314420$ 減る
$50.000$ $0.944986$ $\mathbf{0.189341}$ 減る

観察 5.2 反応物を足しているのに、生成物が減る。$50$ mol まで足すと、頂点の $\mathbf{1.9147}$ 分の $1$ になる。素朴な読みは、ここで向きを間違える。

観察 5.3 理由は希釈である。圧力が一定なので、窒素を足すと全モル数が増え、他の成分の分圧が下がる。$\mathrm{H_2}$ の分圧は $3$ 乗で効くので、窒素を足す利得より希釈の損のほうが先に勝つ。

観察 5.4 何が反例なのかを正確に言う。反例は「系は変化を打ち消す向きに動く」という素朴な読みに対してである。束縛を明示した正しい定式化(たとえば一定の $T$ と $V$)では成り立つ、原理が誤りなのではなく、条件を書かずに使うと誤る。

6. 境目は $K$ に依らない

検算 6.1:頂点を三分探索で求め、$K$ と水素量を振ってみる。

無次元 $K$ $\mathrm{H_2}$ $[\mathrm{mol}]$ 頂点の $x(\mathrm{N_2})$ 頂点の $\mathrm{NH_3}$
$0.001$ $3.0$ $\mathbf{0.5000}$ $0.045984$
$0.010$ $3.0$ $\mathbf{0.5000}$ $0.136473$
$0.100$ $3.0$ $\mathbf{0.5000}$ $0.362527$
$1.000$ $3.0$ $\mathbf{0.5000}$ $0.772603$
$100.000$ $3.0$ $\mathbf{0.5000}$ $1.595039$
$0.100$ $5.0$ $\mathbf{0.5000}$ $0.604212$
$100.000$ $5.0$ $\mathbf{0.5000}$ $2.658398$

観察 6.2 $K$ を $10^{-3}$ から $10^{2}$ まで $\mathbf{10^5}$ 倍動かしても、水素を $3$ mol から $5$ mol に変えても、境目は $\mathbf{0.5000}$ のままである。頂点の高さは $0.045984$ から $2.658398$ まで $\mathbf{57.8}$ 倍動いているのに、境目の位置だけが動かない。

観察 6.3 境目を決めているのは化学量論だけである。$K$ はどれだけ生成するかを決め、化学量論はどちらへ動くかの境目を決める。二つの別の役目である。

観察 6.4 正直に書くべき点、この $1/2$ は理想気体の内側の結果である。活量係数を入れれば境目は動きうる。本稿が言うのは、理想化の内側では $K$ に依らないという一点だけである。

7. 点呼:動かせるものと、動かせないもの

量 触媒で動くか 動く幅
正反応の速さ $k_f$ 動く $10^{13}$ 倍
逆反応の速さ $k_r$ 動く 同じ $10^{13}$ 倍
平衡定数 $K=k_f/k_r$ 動かない $0$ 桁
$\Delta G^\circ$ 動かない 状態量である
到達までの時間 動く 桁で動く
到達したときの組成 動かない $K$ が決める

観察 7.1 触媒が触れるのは上の三行だけである。下の三行は、触媒の届かないところにある。

観察 7.2 取っ手が繋がっていない先は、いくら回しても動かない。触媒という取っ手は速さにしか繋がっていない。強く回せば速さは $10^{13}$ 倍まで応えるが、行き先の側は一目盛りも応えない。

8. 点呼と結び

  1. 行き先は $\Delta G^\circ$ だけが決める(検算2.1):$K=\exp(-\Delta G^\circ/RT)$、触媒は現れない。
  2. 変えられたら第二種永久機関(観察2.3):禁じているのは第二法則である。
  3. 触媒は両方の柵を同じだけ下げる(検算3.1):$\Delta H=E_{a,f}-E_{a,r}$ が状態量だから。
  4. $10^{7}$ 倍でも $K$ は動かない(検算3.1):$5.549162\times10^{-6}$ のまま小数8桁一致。
  5. 約分されて消える(観察3.3):分子と分母に同じ $\exp(\delta/RT)$。
  6. 速さは $10^{13}$ 倍動く(検算4.1):$75$ kJ/mol 下げれば $1.3786\times10^{13}$。
  7. $10$ 度で $1.9091$ 倍(検算4.2):$E_a=50$ kJ/mol のとき。
  8. 反応物を足すと生成物が減る(検算5.1):$50$ mol で頂点の $1.9147$ 分の $1$。
  9. 境目は $x=0.5000$(検算5.1):そこで向きが変わる。
  10. $1/2$ は $K$ に依らない(検算6.1):$K$ を $10^5$ 倍動かしても $0.5000$。
  11. 高さだけが $57.8$ 倍動く(観察6.2):位置と高さで役目が違う。

結び:触媒は「動かす」ものだと言われる。だが「動かす」という一語が、二つの別のことを指していた。速さと行き先である。触媒は速さを $10^{13}$ 倍にできるのに、行き先を小数8桁も動かせない。分子と分母に同じ数を掛けているからで、これは工夫の余地ではなく約分である。では行き先が動く場合に向きを言えるかというと、素朴な読みでは言えない。反応物を足したのに生成物が減る点があり、その境目は $\mathbf{0.5000}$ である。そして $K$ を $10^5$ 倍動かしても、境目だけは動かない。高さは $K$ が決め、向きの境目は化学量論が決めている。分けるものは一つ、どの取っ手が、どこに繋がっているのかを書き出すこと。書き出せば、触媒を探すべき場面と、条件を変えるべき場面が分かれる。書き出さなければ、$K$ を動かす触媒を探し続けることになる。

参考文献

  1. Atkins, P. and de Paula, J. (2010). Physical Chemistry, 9th edition. Oxford: Oxford University Press.
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  8. 山岸勇輝 (2026). 「稀」は、対数の目盛りで測る [論文190]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22106182
  9. 山岸勇輝 (2026). 証明を落とした本から学ぶと、等号の身分も一緒に落ちる [論文232]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22127528

作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。

書誌

山岸勇輝(2026)「「速さ」を変えても「行き先」は変わらない」[論文257]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22168985

YOI 257第1版・2026年8月ビットコインに記録済み

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引用するとき

山岸勇輝 (2026). 「速さ」を変えても「行き先」は変わらない [論文257]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/257 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22168985

Yamagishi, Y. (2026). Changing the Speed Does Not Change the Destination [Paper 257]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/257; DOI: 10.5281/zenodo.22168985

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