【論文295】炭素 12 のモル質量は、もう 12 ちょうどではない

要旨

「炭素 $12$ を $12$ g 集めたものが $1$ モル」は、長らく定義だった。$2019$ 年の SI 改定で、それが定義でなくなった。本稿が問うのは、等号の身分がどう変わったかである。答は、定義から経験則へ移ったである。新しい数学定理も新しい法則も主張しない。

第一に、定義の向きが入れ替わった。以前は質量が個数を決め、いまは個数が質量を決める(第2節)。

第二に、これが本稿の芯である。$M(^{12}\mathrm{C})=\mathbf{11.9999999958}$ g/mol であり、もう $12$ ちょうどではない(第3節)。

第三に、ただし差はまだ有意ではない。差 $4.2\times10^{-9}$ g/mol は不確かさ $3.6\times10^{-9}$ の$\mathbf{1.17}$ 倍にすぎない(第3節)。

第四に、だから「ずれた」ではなく「ずれうるようになった」である。変わったのは値ではなく、等号の身分である(第4節)。

第五に、同じことが四つの単位で起きた。キログラム・アンペア・ケルビン・モル、水の三重点ももう $273.16$ K ちょうどではない(第5節)。

第六に、分離子は「どちらを固定したか」である。固定した側が定義になり、残った側が測定になる(第6節)。

射程(何を示さないか)

新しい数学定理も新しい法則も主張しない。$2019$ 年の SI 改定、アボガドロ定数の定義値、$M(^{12}\mathrm{C})$ の CODATA 値、モル質量定数は、いずれも標準的である。計量学を作らない。使うのは一つの引き算と、一つの割り算だけである。改定の当否を論じない。なぜこの改定が行われたか、どの定義が良いかは扱わない。等号の身分がどう動いたかだけを見る。実験の詳細に立ち入らない。シリコン球によるアボガドロ定数の決定も、ワットバランスも一切扱わない。$12$ からのずれを主張しない。差 $4.2\times10^{-9}$ は不確かさの $1.17$ 倍であり、$12$ と有意に違うとは言えない。本稿は「もう $12$ ではない」と主張するのではなく、「$12$ である保証がなくなった」と述べる。CODATA 値の更新に追随しない。$11.9999999958(36)$ はある時点の推奨値であり、改訂されうる。数値ではなく構造が本稿の主張である。実務への影響を誇張しない。相対 $3.5\times10^{-10}$ は分析化学の日常(相対 $10^{-4}$)では見えない。見えるのは質量標準の世界だけである。既刊との関係:論文16 は「等号にも別根がある」ことを示した。本稿は一つの等号が、歴史の中で根を乗り換えた実例である。定義の等号から経験則の等号へ、$2019$ 年に移った。論文95 は規約と事実を分け、$c$ の定義値を扱った。本稿の $N_A$ は$c$ と同じ型の「定義された定数」であり、足場の側に移った。論文268 は三重点が「点」であることが実験事実でないと示した。本稿はその三重点の温度もまた、同じ改定で定義でなくなったことを並べる。論文196 は「圧力」が四つの別の量だと示した。本稿は一つの量の等号が二つの身分を持ちうることを扱う。加えたのは$M(^{12}\mathrm{C})$ の $12$ からの差を $4.2\times10^{-9}$ g/mol と計算したこと、それが不確かさの $1.17$ 倍にすぎないと確かめたこと、四つの単位で同じ乗り換えが起きたと並べたこと、分離子を「どちらを固定したか」に置いたことである。

1. 記法と問い

$2019$ 年 $5$月 $20$ 日、SI の基本単位の定義が改められた。モルについては次のように変わった。

時期 定義 向き
$2019$ 年より前 炭素 $12$ を $\mathbf{12}$ g 集めたものが $1$ mol 質量が個数を決める
$2019$ 年以降 $N_A=6.02214076\times10^{23}$ /mol ちょうど 個数が質量を決める

問い:$M(^{12}\mathrm{C})=12$ g/mol という等式は、どうなったか。

観察 1.1 改定前、この等式は定義だった。測る必要も、誤差もない。そう決めたからそうである。

観察 1.2 論文16 は「等号にも別根がある」ことを示した。定義の等号、恒等式の等号、経験則の等号は同じ記号で書かれるが身分が違う。本稿は一つの等号が根を乗り換えた実例である。

2. 定義の向きが入れ替わった

観察 2.1 改定前の連鎖はこうだった。

炭素 $12$ を $12$ g 量る(質量が出発点)
$\downarrow$ そこに含まれる原子の個数が $1$ mol
$\downarrow$ その個数を測って $N_A$ を得る(誤差がある)

観察 2.2 改定後の連鎖はこうである。

$N_A=6.02214076\times10^{23}$ と決める(個数が出発点・誤差なし)
$\downarrow$ その個数の炭素 $12$ を集める
$\downarrow$ その質量を測って $M(^{12}\mathrm{C})$ を得る(誤差がある)

観察 2.3 誤差の置き場所が入れ替わっている。以前は $N_A$ に誤差があり $M(^{12}\mathrm{C})$ は厳密だった。いまは $N_A$ が厳密で$M(^{12}\mathrm{C})$ に誤差がある。

観察 2.4 どちらの体系でも、物理的な事実は一つも変わっていない。炭素原子の重さも、一グラムの重さも同じである。変わったのは、どれを規約として固定するかという選び方だけである(論文95)。

3. 芯:$M(^{12}\mathrm{C})$ は $11.9999999958$ g/mol である

検算 3.1:

量 値
$N_A$(定義値) $6.02214076\times10^{23}$ /mol ちょうど
$M(^{12}\mathrm{C})$(測定値) $\mathbf{11.9999999958}$ g/mol
その不確かさ $\pm3.6\times10^{-9}$ g/mol
$12$ との差 $\mathbf{4.2\times10^{-9}}$ g/mol
相対では $\mathbf{3.5\times10^{-10}}$

観察 3.2 これが本稿の芯である。$M(^{12}\mathrm{C})$ はもう $12$ ちょうどではない。$12$ という数は、いまや測定の対象である。

検算 3.3:ただし、差は有意か。

量 値
差 $/$ 不確かさ $\mathbf{1.1667}$

観察 3.4 差は不確かさの $\mathbf{1.17}$ 倍にすぎない。$12$ と有意に違うとは言えない。現在の測定は、$12$ ちょうどであることとも矛盾しない。

観察 3.5 これが正確な言い方である。「$12$ からずれた」のではなく、「$12$ である保証がなくなった」。ずれているかどうかは今後の測定が決める。以前はその問いが立てられなかった。

検算 3.6:モル質量定数 $M_u=M(^{12}\mathrm{C})/12$ を見る。

量 値
$M_u$ $9.999999996500\times10^{-4}$ kg/mol
$10^{-3}$ kg/mol との相対差 $3.5\times10^{-10}$

観察 3.7 「原子量 $\times$ g/mol でモル質量が出る」という日常の規則は、$M_u=1$ g/mol ちょうどを暗に使っている。それが$3.5\times10^{-10}$ だけ厳密でなくなった。ただし、この桁が見える現場はほとんどない。

4. 「ずれた」ではなく「ずれうるようになった」

検算 4.1:この差がどこで効くかを見る。

現場 相対精度 $3.5\times10^{-10}$ は
分析化学の日常 $10^{-4}$ 見えない
高精度質量分析 $10^{-6}$ 見えない
質量標準・原子時計 $10^{-9}$ ようやく見える

観察 4.2 実務では何も変わらない。改定前と同じ計算をして、同じ答が出る。変わったのは値ではなく、等号の身分である。

観察 4.3 だからこの改定は測定結果ではなく、論理の側の出来事である。新しい実験が $12$ を否定したのではない。$12$ という数を、否定されうる場所に移したのである。

観察 4.4 論文16 の言い方をすれば、等号が根を乗り換えた。

$2019$ 年より前 $2019$ 年以降
$M(^{12}\mathrm{C})=12$ g/mol 定義の等号 経験則の等号($1.17\sigma$)
$N_A=6.02214076\times10^{23}$ 経験則の等号 定義の等号

観察 4.5 二行がちょうど入れ替わっている。定義と測定の総数は変わらない。どちらを固定するかを選び直しただけである。

5. 同じことが、四つの単位で起きた

検算 5.1:

単位 旧定義 新定義(固定した定数)
キログラム 国際キログラム原器 $h=6.62607015\times10^{-34}$ J s
アンペア 二本の導線に働く力 $e=1.602176634\times10^{-19}$ C
ケルビン 水の三重点 $273.16$ K ちょうど $k=1.380649\times10^{-23}$ J/K
モル 炭素 $12$ を $12$ g $N_A=6.02214076\times10^{23}$ /mol

観察 5.2 右の列がすべて「ちょうど」である。左の列は物体や現象であり、右の列は数である。規約は数であって、物ではない。

検算 5.3:ケルビンの行も、モルと同じ入れ替わりを起こした。

水の三重点の温度
$2019$ 年より前 $273.16$ K ちょうど(定義)
$2019$ 年以降 $273.1600$ K $\pm 0.0001$ K(測定値)

観察 5.4 論文268 は、三重点が「点」であること自体が実験事実でないと示した。ここではさらに、その点の温度も、もう定義ではない。同じ一つの三重点について、二つの別々の理由で「事実ではない」ことが重なっている。

観察 5.5 四つの単位で、定義だった等式が測定値になった。そして四つとも、差は現在の不確かさの内側にある。改定は連続的に行われたのであって、数が飛んだのではない。

6. 分離子:どちらを固定したか

観察 6.1 分離子、何を動かすと、等号の身分が変わるか。どちらを規約として固定したかである。

固定した側 残った側
身分 定義(誤差なし) 測定(誤差あり)
問える問い なし 「本当にその値か」

観察 6.2 定義された側について「本当にそうか」と問うことはできない。規約だからである。問いが立てられるかどうかが、身分の違いの実体である。

観察 6.3 論文95 は $c$ の定義値を扱った。$1983$ 年以降、光速は測定の対象ではない。メートルのほうが $c$ から定義されるからである。$N_A$ は $2019$ 年に、$c$ と同じ側へ移った。

観察 6.4 したがって「アボガドロ定数を精密に測る」という研究は、$2019$ 年に終わった。同じ実験装置はいまも動いているが、測っている対象の名前が変わった。いまはキログラムを実現している。

観察 6.5 正直に書くべき点、本稿はどちらの定義が良いかを論じない。示したのは等号の身分が動いたという構造であって、改定の当否ではない。ただし、身分が動いたことに気づかないまま「$12$ ちょうど」と書くのは、もう正確ではない。

7. 点呼と結び

  1. 向きが入れ替わった(観察2.1–2.2):質量が個数を決める $\to$ 個数が質量を決める。
  2. 誤差の置き場所が移った(観察2.3):$N_A$ から $M(^{12}\mathrm{C})$ へ。
  3. $M(^{12}\mathrm{C})=11.9999999958$ g/mol(検算3.1):もう $12$ ちょうどではない。
  4. 差は $4.2\times10^{-9}$ g/mol(検算3.1):相対 $3.5\times10^{-10}$。
  5. 差 $/$ 不確かさ $=1.1667$(検算3.3):有意ではない。
  6. 「ずれた」ではない(観察3.5):「保証がなくなった」。
  7. 日常では見えない(検算4.1):$10^{-9}$ の現場だけ。
  8. 二行がちょうど入れ替わる(観察4.4):定義と測定の総数は同じ。
  9. 四つの単位で同じ(検算5.1):右の列はすべて数。
  10. 三重点も $273.16$ ちょうどではない(検算5.3):$\pm0.0001$ K。

結び:炭素 $12$ のモル質量は、もう $12$ ちょうどではない。$2019$ 年の SI 改定で $N_A$ が定義値になり、誤差の置き場所が入れ替わった。以前は質量が個数を決め、いまは個数が質量を決める。測定値は $M(^{12}\mathrm{C})=\mathbf{11.9999999958}$ g/mol であり、$12$ との差は $\mathbf{4.2\times10^{-9}}$ g/mol、相対で $3.5\times10^{-10}$ である。ただし正確に言わねばならない。差は不確かさの $\mathbf{1.17}$ 倍にすぎず、$12$ と有意に違うとは言えない。「$12$ からずれた」のではなく、「$12$ である保証がなくなった」のである。同じ乗り換えが四つの単位で起きた。キログラム、アンペア、ケルビン、モル。水の三重点も、もう $273.16$ K ちょうどではない。分けるものは一つ、どちらを規約として固定したか。固定した側は定義になり、「本当にその値か」と問えなくなる。残った側は測定になり、その問いが立てられるようになる。$2019$ 年に動いたのは値ではなく、どの等号にその問いを立てられるかであった。

参考文献

  1. Bureau International des Poids et Mesures (2019). The International System of Units (SI), 9th edition. Sevres: BIPM.
  2. Tiesinga, E., Mohr, P. J., Newell, D. B. and Taylor, B. N. (2021). CODATA Recommended Values of the Fundamental Physical Constants: 2018. Reviews of Modern Physics, 93(2).
  3. Mills, I. M., Mohr, P. J., Quinn, T. J., Taylor, B. N. and Williams, E. R. (2006). Redefinition of the Kilogram, Ampere, Kelvin and Mole: a Proposed Approach to Implementing CIPM Recommendation 1 (CI-2005). Metrologia, 43(3).
  4. Andreas, B. et al. (2011). Determination of the Avogadro Constant by Counting the Atoms in a $^{28}$Si Crystal. Physical Review Letters, 106(3).
  5. Newell, D. B. et al. (2018). The CODATA 2017 Values of $h$, $e$, $k$, and $N_A$ for the Revision of the SI. Metrologia, 55(1).
  6. 山岸勇輝 (2026). 等号にも別根がある。第3版:山岸全同期方程式が結んでいたもの [論文16]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21600471
  7. 山岸勇輝 (2026). 規約と事実を分ける。ポアンカレの規約主義と、体系の「足場」($c$ の定義値・単位の約束) [論文95]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21758621
  8. 山岸勇輝 (2026). 「圧力」は四つの別の量であり、単位が同じことは何も保証しない [論文196]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22107518
  9. 山岸勇輝 (2026). 三重点が「点」であることは、実験事実ではない [論文268]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22169829

作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。

書誌

山岸勇輝(2026)「炭素 12 のモル質量は、もう 12 ちょうどではない」[論文295]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22171659

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山岸勇輝 (2026). 炭素 12 のモル質量は、もう 12 ちょうどではない [論文295]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/295 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22171659

Yamagishi, Y. (2026). The Molar Mass of Carbon-12 Is No Longer Exactly 12 [Paper 295]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/295; DOI: 10.5281/zenodo.22171659

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