要旨
体系は逆問題を四つ扱ってきた。GLM 散乱(論文89)、カルデロン/EIT(論文99)、コンヌの非可換幾何(論文102)、ウィーナー・フィルタ(論文106)。本稿は第五の族としてラドン変換を加え、そして四つを分けているものを特定する。新しい数学定理は主張しない。
第一に、ラドン作用素を自前で組み、既知の値と照合した。半径 $0.5$ の円板の弦長 $2\sqrt{R^2-s^2}$ と比べると、中心で $0.99782$ 対 $1.00000$、$s=-0.3428$ で $0.72358$ 対 $0.72790$、最悪差は円板の縁で $0.0360$(画素化による)(第2節)。
第二に、フィルタは化粧ではなく、逆変換そのものである。逆投影だけでは相対誤差 $0.6545$、ランプ・フィルタを通すと $0.1167$(第3節)。
第三に、これが本稿の芯である。分離子は特異値の落ち方である。$3216\times2304$ のラドン行列の特異値は冪則で落ち、$k=5$ から $1382$ の範囲で $\sigma_k\sim k^{-0.372}$ であった(本稿で計算)。対して逆熱方程式(カルデロン/EIT が属する族)の特異値は $e^{-k^2\tau}$ で落ちる。$k=30$ で両者は $7$ 桁違う(第4節)。
第四に、その差が実務で何を意味するかを測った。正弦図に相対雑音 $\eta$ を載せると、離散化の床($0.1167$)と二乗で分離した雑音成分は $\eta$ にほぼ比例し、増幅率は $2.2$ 前後の有界な定数に落ち着いた(第5節)。
第五に、したがって「不適切問題」という一語が、少なくとも二つの別の状況を指している。一意性が言えるかどうかではなく、落ち方が冪則か指数かが、再構成が可能かどうかを決めている(第6節)。
射程(何を示さないか)
本稿の射程:新しい数学定理は主張しない。ラドン変換とその逆変換公式、フィルタ補正逆投影、ラドン逆変換が位数 $1/2$ の不適切問題であること、逆熱方程式が指数的に不適切であることはいずれも標準的である。また本稿は $\sigma_k\sim k^{-0.372}$ を定理として主張しない。これは離散化した作用素について測った値であり、連続の主張(位数 $1/2$)と同一視しない。加えたのはラドンを体系の逆問題の族に第五として置いたこと、作用素を自前で組んで既知の弦長と照合したこと、冪則と指数を同じ図の上で並べて $7$ 桁の差として見せたこと、雑音増幅を離散化の床と二乗で分離して測ったことである。
1. 記法と位置づけ
二次元の関数 $f$ に対し、ラドン変換 $\mathcal{R}f(\theta,s)$ は角 $\theta$、原点からの符号つき距離 $s$ の直線に沿う $f$ の積分である。逆問題の不適切さの度合いは、作用素の特異値 $\sigma_k$ の落ち方で測る。
位置づけ:論文89 はゼロテンションが逆問題の構えであると書き、論文99 はカルデロン問題が一意でありながら極端に不安定であることを扱った。論文106 はその統計版(ウィーナー)である。本稿は第五の族を置き、そして四つを分けているものが「構え」ではなく落ち方であることを示す。
2. 作用素を組み、既知の値と照合する
構成 2.1:$48\times48$ の画像、$48$ 方向、$67$ 検出器で、直線に沿う積分を双一次補間で離散化する(行列は $3216\times2304$)。
検算 2.2:半径 $0.5$ の円板について、弦長は $2\sqrt{R^2-s^2}$ である。
| $s$ | 本稿の作用素 | 厳密値 | 差 |
|---|---|---|---|
| $0.0000$ | $0.99782$ | $1.00000$ | $0.0022$ |
| $-0.1714$ | $0.93594$ | $0.93939$ | $0.0035$ |
| $-0.3428$ | $0.72358$ | $0.72790$ | $0.0043$ |
| $-0.5143$ | $0.03600$ | $0.00000$ | $\mathbf{0.0360}$ |
| $-0.6857$ | $0.00000$ | $0.00000$ | $0.0000$ |
最悪差は $0.0360$ で、円板の縁でだけ生じている。画素の境界がなめらかでないことによる。(証明終)
3. フィルタは化粧ではなく、逆変換そのものである
検算 3.1:三つの円板からなる模型を投影し、二通りに戻す。
| 戻し方 | 相対誤差 |
|---|---|
| 逆投影のみ | $\mathbf{0.6545}$ |
| ランプ・フィルタ+逆投影 | $\mathbf{0.1167}$ |
(証明終)
観察 3.2 逆投影だけでは像がぼける。周波数に比例するフィルタ $|\omega|$ を通すことが、逆変換の中身そのものである。「前処理」と呼んではならない。それが公式の本体である。
観察 3.3 残る $0.1167$ は離散化の床である($48\times48$ の格子と有限個の方向)。雑音の話と混ぜないため、第5節ではこの床を二乗で分離する。
4. 芯:分離子は特異値の落ち方である
検算 4.1:ラドン行列の特異値(最大値で規格化)。
| $k$ | $\sigma_k/\sigma_1$ |
|---|---|
| 1 | $1.00000$ |
| 10 | $4.36392\times10^{-1}$ |
| 50 | $2.82652\times10^{-1}$ |
| 100 | $2.29299\times10^{-1}$ |
| 300 | $1.61166\times10^{-1}$ |
| 600 | $1.25020\times10^{-1}$ |
| 900 | $1.05988\times10^{-1}$ |
$k=5$ から $1382$ で対数をとって直線を当てると $\sigma_k\sim k^{-0.372}$ である。(証明終)
観察 4.2 これは冪則である。連続の主張は「ラドン逆変換は位数 $1/2$ の不適切問題である」であり、本稿の $-0.372$ は離散化した作用素について測った値にすぎない。両者を同一視しない。本稿が使うのは「冪則であること」だけである。
検算 4.3:対して、指数的に不適切な族(逆熱方程式、すなわちカルデロン/EIT が属する側)の特異値は $e^{-k^2\tau}$ である($\tau=0.002$)。
| $k$ | $e^{-k^2\tau}$(指数) | ラドン(冪則) |
|---|---|---|
| 1 | $9.805\times10^{-1}$ | $1.000$ |
| 5 | $6.105\times10^{-1}$ | $5.222\times10^{-1}$ |
| 10 | $1.389\times10^{-1}$ | $4.364\times10^{-1}$ |
| 20 | $3.723\times10^{-4}$ | $3.579\times10^{-1}$ |
| 30 | $\mathbf{1.926\times10^{-8}}$ | $\mathbf{3.250\times10^{-1}}$ |
$k=30$ で両者は $\mathbf{7}$ 桁違う。(証明終)
観察 4.4 どちらも「不適切」と呼ばれる。しかし冪則なら、細かい構造を一段あきらめるごとに精度が一定の割合で戻る。指数なら、一段あきらめても桁が戻らない。必要な測定精度が指数的に増える。一語が、二つの別の状況を指している。
5. 落ち方が実務で何を意味するか
検算 5.1:正弦図に相対雑音 $\eta$ を載せ、フィルタ補正逆投影で戻す。離散化の床を $F=0.1167$ として、雑音成分を $\sqrt{E^2-F^2}$ で分離する。
| $\eta$ | 全体の誤差 $E$ | 雑音成分 | 雑音成分 $/\eta$ |
|---|---|---|---|
| $0$(床) | $0.1167$ | 、 | 、 |
| $0.001$ | $0.1167$ | $0.0017$ | $1.67$ |
| $0.003$ | $0.1169$ | $0.0076$ | $2.53$ |
| $0.01$ | $0.1191$ | $0.0238$ | $2.38$ |
| $0.03$ | $0.1346$ | $0.0670$ | $2.23$ |
| $0.1$ | $0.2515$ | $0.2228$ | $\mathbf{2.23}$ |
(証明終)
観察 5.2 増幅率は $2.2$ 前後の有界な定数に落ち着く。雑音を十倍にすれば誤差もおよそ十倍、それ以上には荒れない。
観察 5.3 指数的に不適切な問題には、この定数が存在しない。解像度を上げるほど増幅率が際限なく増える。これが、同じ「体の中を外から見る」という構えでありながら、CT が日常の道具になり EIT がそうならなかったことの、数学の側の理由である。
観察 5.4 ただし本稿は EIT が役に立たないとは書かない。分解能を求めなければ十分に使える。落ち方が決めているのは「どこまで細かく見られるか」であって、「見られるかどうか」ではない。
6. 点呼:逆問題の五つの族
観察 6.1
| 族 | 与えられるもの | 取り出すもの | 論文 |
|---|---|---|---|
| GLM 散乱 | 散乱データ | ポテンシャル | 89 |
| カルデロン/EIT | 境界の電圧と電流 | 内部の導電率 | 99 |
| コンヌ NCG | スペクトル | 幾何 | 102 |
| ウィーナー | 雑音に埋もれた信号 | 信号 | 106 |
| ラドン | すべての直線に沿う積分 | 関数そのもの | 本稿 |
観察 6.2 五つは一つの構えを共有する。周縁のデータから、見えない原因を読む。しかし数学は五つとも別である。そして分けているのは構えでも一意性でもなく、特異値の落ち方である。
観察 6.3 一意性は分離子にならない。カルデロンもラドンも一意性は証明されている(論文99)。一意であることと、実際に復元できることが、別の問いだという一点が、この族全体の教訓である。
7. 結論
- 作用素は既知の弦長を再現する(検算2.2)。中心で $0.99782$ 対 $1.00000$。
- フィルタが逆変換そのものである(検算3.1)。$0.6545$ 対 $0.1167$。
- ラドンの特異値は冪則で落ちる(検算4.1)。測定値 $\sigma_k\sim k^{-0.372}$。
- 指数側とは $k=30$ で $7$ 桁違う(検算4.3)。
- 雑音の増幅率は有界な定数である(検算5.1)。$2.2$ 前後。
- 分離子は落ち方であって、一意性ではない(観察6.2・6.3)。
結び:「解は一意に定まる」と「解は求められる」は、別の文である。両者のあいだに立っているのは、特異値がどれだけ速く $0$ に近づくか、という一つの数列だけである。そして冪則と指数のあいだの差は、程度の差ではなく。見えるか見えないかの差である。
参考文献
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- Natterer, F. (2001). The Mathematics of Computerized Tomography. SIAM.
- Engl, H. W., Hanke, M., & Neubauer, A. (1996). Regularization of Inverse Problems. Kluwer.
- Louis, A. K. (1986). Incomplete data problems in X-ray computerized tomography. Numerische Mathematik, 48(3).
- 山岸勇輝 (2026). ゼロテンションと逆問題 [論文89]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21748664
- 山岸勇輝 (2026). 境界から内部を読む [論文99]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21758790
- 山岸勇輝 (2026). スペクトルから形を聴く [論文102]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21836735
- 山岸勇輝 (2026). 雑音から信号を取り出す [論文106]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21836984
- 山岸勇輝 (2026). 二乗の点呼 [論文157]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22091931
- 山岸勇輝 (2026). 内から測れるものは、必ずどこかに住める [論文158]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22092143
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書誌
山岸勇輝(2026)「「不適切」は一語ではない」[論文159]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22092229
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引用するとき
山岸勇輝 (2026). 「不適切」は一語ではない [論文159]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/159 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22092229
Yamagishi, Y. (2026). “Ill Posed” Is Not One Word [Paper 159]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/159; DOI: 10.5281/zenodo.22092229
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author = {Yamagishi, Yuuki},
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