リュルセンは、ダイムラーのエンジンを試すために、最初のモーターボートを造った

メガヨット

ブレーメンの競漕艇の工房から、180 メートルのヨットまでの 150 年

ドイツのリュルセンは、世界でいちばん長いヨットを造った造船所として知られています。公式の社史は 1875 年から始まり、四代にわたる家族の名前が並びます。その中に、船の歴史でも大きな一行があります。1886 年、リュルセンが世界で最初のモーターボートを造った、という行です。頼んだのは、エンジンを発明したゴットリープ・ダイムラーでした。漕ぐ船の工房が、エンジンの船、速い船、大きい船へと進んでいく筋を、会社が公開している社史でたどります。

CHAPTER 1漕ぐ船の工房と、最初のモーターボート

1-1 1875 年、父に「自分の工房を持て」と言われる

公式の社史は、一つの親子の会話から始まります。船大工の修業を終えたフリードリヒ・リュルセンは、父リューダー・リュルセンの造船所に入りたいと考えました。ところが父は、自分の工房を始めるように勧めます。一つの会社では、二つの家族を養えない、という理由でした。

1875 年 6 月 27 日、24 歳のフリードリヒは、ドイツのブレーメンに近いアウムントに、船を造る工房を開きます。社史は、最初の一隻にもう彼の持ち味が出ていたと書いています。独創と、質の高さです。工房は育ち、ある時期には、フリードリヒのほうから父の造船所へ仕事を出すまでになりました。

はじめに造っていたのは、ブレーメンの漕ぎ手たちのための、競漕用のボートだけでした。それでも注文は、ドイツじゅうから来るようになります。社史によれば、リュルセンのボートは姿が美しいだけでなく、細工が正確で質が良い、という評判が広まりました。そして軽く造られているので、とても速く、競漕で良い順位に入った、と書かれています。軽く造って速くする。のちの速い船の造り方は、漕ぐ船の時代にもう始まっていました。

1-2 1886 年、ダイムラーのための「レムス」

1886 年の行は短く、はっきりしています。リュルセンが、世界で最初のモーターボートを造る。

船の名前は「レムス」で、長さは 6 メートルでした。注文したのは、発明家でエンジンの作り手のゴットリープ・ダイムラーです。自分の新しいエンジンを存分に試すために、船が要りました。社史は、新しい考えにいつも開かれていたフリードリヒが、すぐに設計して造った、と書いています。

社史は、このエンジンの数字まで残しています。排気量は 0.462 リットル。重さは 60 キログラム。出力は、毎分 700 回転で 1.5 馬力でした。いまの船外機と比べれば、ほんのわずかな力です。エンジンの作り手が自分のエンジンを水の上で試すための船を、競漕のボートの工房が造った。社史が「世界で最初のモーターボート」と呼ぶのは、この一隻です。蒸気で動く船はそれより前からありましたから、ここで言う「モーター」は、ダイムラーの新しいエンジンのことだと私は読みました。

1-3 速さを競う船へ

1904 年、造船所はブレーメン・フェーゲザックにも場所を持ちます。社史によれば、これで初めて、広い水面へじかに出られるようになりました。

翌 1905 年、オットー・リュルセンが開発した競走用の高速艇「ドンナーヴェッター」が、40 馬力のエンジンで 35 ノット近い速さを出します。細い船首と、水と空気の抵抗の少なさが効いた、と説明されています。社史は、当時としては驚くべき成果だったと書いています。オットーはフリードリヒのただ一人の息子で、造船の技師として会社に加わりました。昔からの手仕事と新しい技術の知識を合わせるやり方が、今日までリュルセンの質と新しさの芯になっている、と社史は述べています。

そのあと、102 馬力のエンジンを積んだ「リュルセン・ダイムラー」が、レースの季節の話題をさらいました。地中海のモナコの沖で、非公式の世界選手権に勝っています。同じ年のうちに、ほかの二つの大きなレースでも勝ちました。スイスのエンジンの作り手アドルフ・ザウラーと組んだ別の高速艇も、平均 32 ノットで、非公式の世界記録を作りました。

FIGURE社史に書かれている、エンジンの力(馬力)
レムス(1886 年)1.5
ドンナーヴェッター(1905 年)40
リュルセン・ダイムラー102

CHAPTER 2三代の家族と、戦争のあと

2-1 1925 年、一万隻目と五十年

1925 年には、節目が二つ重なりました。リュルセンは一万隻目の船を造っています。長さ 14 メートルの、木のモーターヨットでした。社史は、ある船の姉妹船だったと、船の素性まで書き残しています。同じ年、会社は創業から 50 年を祝いました。五十年で一万隻ですから、小さな船をどれだけ多く造ってきたかが分かります。

1927 年には、また新しい基準を作りました。マイバッハのエンジンを三基積み、34 ノットの最高速を出す「オヘカ II」です。社史はこれを、世界でいちばん速い通勤用のヨットと呼んでいます。同じ年のうちに、世界でいちばん長いモーターヨットも造りました。長さ 36 メートルの「アール IV」です。

世界でいちばん長いヨットが 36 メートルだった時代でした。いまリュルセンが造るヨットは、その五倍の長さになっています。速さと長さの両方で「世界一」を取りにいく会社の性格は、このころにはもう出来上がっていました。

2-2 1932 年、船長の娘が会社を継ぐ

1932 年、オットー・リュルセンが 52 歳で急に亡くなります。社史は、開かれた心と、新しいものへの情熱で会社を率いた人を失ったことは、造船所にとっても業界全体にとっても、つらい痛手だったと書いています。

その穴を埋めたのは、妻のフリーダ・リュルセンでした。社史は彼女を、大きな客船の船長の、意志の強い娘と紹介しています。彼女がリュルセンの造船所の舵を取りました。

1938 年には、三代目が責任を持ち始めます。ゲルト・リュルセンです。父から受け継いだモーターボートへの情熱を持って入った、と書かれています。翌 1939 年、彼はヴェーザー川の下流で、リュルセンのディーゼルの高速艇に乗り、時速 68.2 キロメートルちょうどという世界記録を作りました。

戦争のあとは、だれもがゼロからやり直さなければなりませんでした。社史は、リュルセンの造船所も例外ではなかったと書いています。この変わり目の時期に、ゲルトとフリッツ・オットーの兄弟は、会社の持ち分の分け方を決め、母のフリーダと一緒に持つことにしました。

2-3 1962 年に代がかわり、1971 年に形がかわる

フリーダ・リュルセンは、1962 年まで会社を率いました。社史は、粘り強さと技術の知識で率いた、と書いています。夫を亡くしてから三十年です。その年、彼女は責任を二人の息子に渡しました。同じ 1962 年、長さ 55 メートルのヨット「ペガサス II」が、ロンドンの船主に届けられています。社史によれば、その前の一隻も同じ船主に届けていました。

1971 年のヨット「カリンシア V」について、社史は強い言葉を使っています。その外の姿は、世界の新しい基準を作った、と。設計したのはジョン・バネンバーグで、彼にとって最初の大きなヨットの仕事でした。長さ 67.9 メートルのこの船は、いま見ても古びておらず、今日のリュルセンのヨットの先がけと見ることができる、と書かれています。

1975 年、リュルセンは百年を迎えました。会社のさまざまな歩みを見せる展示が、記念の催しの目玉だったそうです。この年、ゲルトとフリッツ・オットーの息子であるフリードリヒとペーターが、会社の最初の持ち分を受け取っています。創業者と同じ名前を持つ四代目です。

TIMELINE四つの世代(公式の社史から)
  1. 1875フリードリヒ・リュルセンが工房を開く
  2. 1886最初のモーターボート「レムス」
  3. 1925一万隻目の船。創業 50 年
  4. 1932オットーが亡くなり、妻のフリーダが継ぐ
  5. 1962フリーダが、息子のゲルトとフリッツ・オットーに渡す
  6. 1975創業百年。四代目のフリードリヒとペーターが持ち分を受け取る

CHAPTER 3軍の船と、世界でいちばん長いヨット

3-1 1988 年、仕事を半分に分ける

1977 年、四代目のフリードリヒ・リュルセンが 27 歳で会社に入りました。経営を学び、よその国際的な会社で働いたあとのことです。社史によれば、造船所のすべての部署を順に回って働きました。1987 年には、ペーター・リュルセンが加わります。造船と経営を学び、日本のいくつかの造船所で、一年のあいだ建造の検査の仕事をした経験を持っていました。

造船所の場所も移っています。1980 年から、船を造る仕事はレムヴェルダーへ移り始めました。1985 年から翌年にかけての冬に、ブレーメン・フェーゲザックの最後の建物が取り壊され、移転が終わります。1987 年には、キール運河に面したクレーガー造船所を引き継ぎました。ここは、長さ 60 メートルから 110 メートルのヨットを専門に造る場所になります。

そして 1988 年、会社は大きな決定をしました。当時、リュルセンの造船所は、海軍の注文で 90 パーセントまで埋まっていました。そこで、軍の船とヨットの仕事を分けることにします。造る力の半分を、大きなヨットに当てる。そのための新しい部門も作りました。社史のこの一行が、いまのメガヨットの造船所としてのリュルセンの出発点です。

3-2 97 メートル、156 メートル、180.65 メートル

1997 年、長さ 97 メートルのメガヨット「リミットレス」が持ち主に渡されました。設計は、カリンシア V と同じジョン・バネンバーグです。

2013 年、リュルセンは「アッザム」を届けました。長さ 180.65 メートル。社史は、世界でいちばん長いヨットと書いています。記録は長さだけではありません。30 ノットを超える速さと、三年に満たない建造の期間も、記録だったそうです。競漕のボートを軽く造って速くした工房が、138 年後に、いちばん長くて、しかも速い船を造りました。

2016 年には「ディルバル」が造船所を出ます。長さは 156 メートルで、アッザムより短い船です。けれど社史は、総トン数で見れば、これまでで最大のモーターヨットだと書いています。15,917 トンです。これまでに造られた中で最も複雑で難しいヨットの一つで、52 か月で仕上げた、と説明されています。

TABLE社史に長さが書かれているリュルセンのヨット
年 船 長さ(メートル)
1927 アール IV 36
1962 ペガサス II 55
1971 カリンシア V 67.9
1997 リミットレス 97
2013 アッザム 180.65
2016 ディルバル 156

3-3 造船所を集め、軍の仕事を切り離す

ヨットが大きくなるのに合わせて、リュルセンは造船所を増やしていきました。2004 年に、北海に面したヴィルヘルムスハーフェンの造船所を買います。2012 年 10 月には、ハンブルクのノルダーヴェルフトがグループに入りました。2013 年 5 月には、ヴォルガストのペーネ造船所を買っています。2016 年には、ハンブルクのブローム・ウント・フォスも加わりました。ヨットの改装の仕事は、ハンブルクに集められます。

2021 年 10 月 1 日、リュルセンは、ヨットと軍の二つの仕事を、会社としても分けました。軍の側を引き継ぐ会社を切り離したのです。その会社はリュルセンのグループに残りますが、別の名前で動きます。1988 年に造る力を半分に分けた決定が、三十年あまりたって、会社の形にまで及んだことになります。

新しい技術にも手を付けています。2022 年には、ヨットのための燃料電池の仕組みを発表しました。2009 年に始まった計画から生まれたものです。同じ年に、ディーゼルと電気を組み合わせて進むヨットも届けています。

2025 年、リュルセンは創業から 150 年を迎えました。社史は、四つの世代で、つつましい始まりから第一級の造船所に育った家族の会社だ、と書いています。ダイムラーのエンジンを試す船をすぐに造った初代の気質は、燃料電池を試す四代目の会社にも続いているように、私には読めました。

SOURCES出典

  1. Lürssen 公式サイト「History」
    https://www.lurssen.com/en/about/history/(2026-10-02 確認)

この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や長さなどの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と艇名は、各社の商標です。

WRITTEN BY山岸 勇輝Yuuki YAMAGISHI

独立研究者(Independent Researcher)。公式の資料や統計など、一次の資料にあたって書くことを続けている。船が好きで、とくにアルベマーレに思い入れがある。