スワンは、フィンランドの小さな町から世界一周レースに勝った

セーリング

1966 年の創業、三人の設計者、そして 2024 年のサンロレンツォ入りまで

ナウター・スワンは、フィンランドの造船所です。速くて、美しくて、長く使えるセーリングヨットの名前として、世界中の船乗りに知られています。公式の社史によれば、始まりは 1966 年、ピエタルサーリという町でした。最初の船はガラス繊維で造られ、設計はニューヨークの事務所でした。北の町の造船所が、どうやって世界のレースで名前を上げ、だれの手に渡っていったのか。会社が公開している資料でたどります。

CHAPTER 1最初の千隻は、ニューヨークの設計だった

1-1 1966 年、ピエタルサーリ

公式の社史によれば、ナウターという会社は 1966 年に、ペッカ・コスケンキュラがフィンランドのピエタルサーリで作りました。社史は、フィンランドには何百年もの船造りの伝統があったと書いています。その土地で、ペッカは、質が高く、よく走る帆のヨットを造り始めるという考えに動かされました。

最初に造られたのが「スワン 36」です。年表では 1967 年の行に出てきます。社史は、この船が、船体にガラス繊維を使っただけでなく、数多くの新しい工夫を持ち込んだと書いています。その結果、走りと安全は昔ながらの木のヨットと肩を並べ、舵の安定はそれより良く、しかも軽くて、中の暮らす場所も広くなった、という説明です。

木の船造りの伝統がある土地で、木ではない材料の船から始めた。ここが、この造船所の出発点の面白いところです。年表によれば、スワン 36 はすぐに一つの基準になり、名のある国際レースでいくつも勝ちました。

1-2 スパークマン・アンド・スティーブンス

スワン 36 を設計したのは、ニューヨークのスパークマン・アンド・スティーブンスという設計の事務所です。フィンランドの造船所が、最初の一隻から、海の向こうの設計者と組んでいました。

この関係は長く続きます。社史によれば、この造船所が造った最初のおよそ千隻のスワンを、同じ事務所が設計しました。その中に「スワン 38」と「スワン 47」があります。社史は、これらの船が、スワンという名前を、走り、質、優雅さ、頼もしさ、そして古びない線と同じ意味にした、と書いています。

1971 年の「スワン 48」は、年表で「伝説のスワン」と呼ばれています。くさびの形の船室の屋根を持つ最初の船でした。この船も、最高の水準のレースで何度も勝ちました。

1975 年の「スワン 38」は、年表によれば、これまででいちばん多く売れたスワンです。1979 年までに 116 隻が造られました。

1-3 1974 年、世界一周レースに勝つ

造船所の名前を一気に広めたのは、一つのレースでした。「スワン 65」の一隻「サユラ II」が、最初の世界一周レースに勝ったのです。1973 年から翌年にかけて行われた、冒険に満ちた最初の大会でした。

年表は、この勝ちを「思いがけなく」と書いています。世界で最高の船と、最高の船長たちを相手にしての勝ちでした。フィンランドの町の造船所の船が、世界を一周する最初のレースで一位になったことになります。

翌 1975 年には、別の大きなレースに 12 隻のスワンが出ました。ノルウェーのチームは、三隻ともスワンでそろえています。「スワン 44」が二隻と、「スワン 41」が一隻です。創業から十年たたないうちに、国を代表するチームが全部の船をスワンにするところまで、信頼が広がっていました。

TIMELINE最初の十年(公式の年表から)
  1. 1966ペッカ・コスケンキュラがピエタルサーリで造船所を作る
  2. 1967最初の船、スワン 36
  3. 1971スワン 48。くさびの形の屋根を持つ最初の船
  4. 1974スワン 65「サユラ II」が最初の世界一周レースに勝つ
  5. 1975スワン 38。1979 年までに 116 隻

CHAPTER 2設計者が替わり、持ち主が替わる

2-1 ロン・ホランドの五隻

1978 年から 1981 年にかけて、設計者が替わります。ロン・ホランドが、スワンのために五つのヨットを設計しました。「スワン 37」「39」「42」がその中に入っています。

1985 年には、もう一度、世界一周レースで名前が出ます。「スワン 651」の一隻が三位に入りました。年表は、この船が「まったくの標準の仕様」だったと書いています。相手は、このレースのためだけに造られた大きなレース艇でした。買うことのできる型の船で、専用の船と渡り合ったわけです。

1986 年には「スワン 100」が出ます。ナウターが造った、最初の大きな注文のスワンです。設計はロン・ホランドとジョン・バネンバーグでした。バネンバーグは、リュルセンのヨットの外の姿を作り、フェッドシップの船の中を手がけた設計者として、ほかの造船所の社史にも名前が出てきます。

2-2 ヘルマン・フレースの時代

1980 年代に、設計の中心はヘルマン・フレースに移ります。社史は、彼が、走りと、居心地と、美しさを一つにしたと書いています。

フレースの名前は、スウェーデンのハルベルグ・ラッシーの社史にも出てきました。あちらでは 1988 年から組み始め、これまでに 25 の設計をしています。北欧の二つの名高い造船所が、同じ時期に、同じアルゼンチンの設計者を選んでいたことになります。

フレースの時代に、スワンは新しい分野を始めました。同じ設計の船だけで競うレースのための船です。2001 年の「スワン 45」と、2005 年の「クラブスワン 42」が、その始まりでした。世界一周レースで勝った造船所が、こんどは、同じ船どうしで腕だけを競う場を、自分で作ったわけです。

いまは「クラブスワン・レーシング」という部門が、スワンのレースをまとめて運営しています。会社はそのねらいを、こう説明しています。最高の水準で、しかも和やかで公平な競争をすること。速く走って良い点を取ることだけが目的ではなく、新しい記録、語り継げる話、忘れられない体験を作ること。大事にする価値として、情熱、勇気、優雅さ、仲間意識、そして船と乗り手への敬意を挙げています。

2-3 1998 年、レオナルド・フェラガモ

1998 年の年表の行は、こうです。レオナルド・フェラガモが、ナウター・スワンのただ一人の持ち主になる。

社史は、それ以来フェラガモがナウター・スワンを率い、絶えず新しいことに取り組んで、スワンのヨットを国際的な帆走の先頭に置いてきた、と書いています。年表のこの行には、フェラガモと、創業者のペッカ・コスケンキュラが並んだ写真が添えられている、と説明があります。創業から三十年あまりで、持ち主が替わりました。

フェラガモのもとで、船は大きくなっていきます。2015 年には「スワン 115」が出ました。年表は、新しい世代の大きなヨットの旗艦と呼んでいます。同じ年の 9 月の終わりには、「クラブスワン 50」が披露されました。設計はフアン・クユムジャンです。翌 2016 年、造船所は創業から 50 年を迎えました。

TABLEスワンを設計した人たち(公式の社史から)
時期 設計者 社史に出てくる船
1967 年から スパークマン・アンド・スティーブンス 36、38、47、48、65 ほか、最初のおよそ千隻
1978 年から 1981 年 ロン・ホランド 37、39、42 ほか五つ
1980 年代から ヘルマン・フレース 45、クラブスワン 42 ほか
2015 年から フアン・クユムジャン クラブスワン 50

CHAPTER 3いまのスワン

3-1 浮き上がる船と、いちばん小さい船

2019 年、「クラブスワン 36」が出ました。年表によれば、水中の翼の力を借りて走る船で、自動車と電動の推進装置の会社と一緒に作られています。社史は、新しさと、走りと、環境に配慮した技術を合わせた船だと書いています。

2021 年 6 月には「クラブスワン 125」が出ました。年表は、帆走の世界の決まりごとを変える、記録を破る船と呼んでいます。2022 年 9 月には「クラブスワン 43」が加わりました。

そして 2024 年に出たのが「クラブスワン 28」です。これまでに造られたクラブスワンの中で、いちばん小さい船でした。社史は、扱いやすく、新しい世代の船乗りに向いていて、クラブスワンの世界への入口になる、と説明しています。125 フィートの船を出した三年後に、28 フィートの船を出している。大きいほうへ伸ばすだけでなく、入口も作り直しています。

3-2 エンジンの船と、電気の船

2021 年、ナウターは、エンジンで走るヨットの分野に入りました。42 フィートの「スワン・シャドウ」です。帆のヨットだけを造ってきた造船所の、五十五年目の新しい一歩でした。翌 2022 年には、その姉妹の船が続いています。

動力の側でも、新しい試みが出ています。2024 年に進水した「スワン 88」は、ナウター・スワンで最初の、ディーゼルと電気を組み合わせて進むヨットです。2025 年には、二つのエネルギーを使う仕組みを積んだ別のスワン 88 が進水し、環境の分野の賞を受けたと書かれています。社史は、環境への配慮がナウター・スワンの中心の課題になったとし、電気を使う仕組みを「スワン 88」「スワン 51」「スワン 128」に入れていると説明しています。

3-3 2024 年、サンロレンツォ・グループへ

2024 年 8 月、ナウター・スワンはサンロレンツォ・グループに加わりました。社史はこれを、歴史の新しい章と呼び、新しさと、質と、よく走る帆走という伝統は守り続ける、と書いています。フェラガモのもとで二十六年を過ごしたあと、持ち主がもう一度替わったことになります。

2025 年には、二つの船が出ました。一つは新しい「スワン 51」で、社史は「象徴の帰還」と呼んでいます。もう一つは「スワン 128」で、これまでに造られた中でいちばん大きいスワンです。さらに、アルミニウムで造る最初の大きなスワンも、新しい系列として挙げられています。

会社は、いまの姿を数字でまとめています。六十年のあいだに造ったヨットは 2,350 隻を超え、長さは 28 フィートから 131 フィートまで。系列は六つあります。造る仕事は、いまもすべてピエタルサーリの一か所で行われています。設計の部署と造る現場が近いことが、効率と質を上げている、と会社は書いています。地中海には四つの拠点と 18 の整備の窓口があります。

持ち主は、創業者からフェラガモへ、そしてサンロレンツォ・グループへと移りました。設計者も何人も替わっています。けれど、船が造られる町は、1966 年から変わっていません。

FIGURE社史に出てくるスワンの大きさ(フィート)
クラブスワン 28(2024 年)28
スワン 36(1967 年)36
スワン 65(1974 年に世界一周レースで勝つ)65
スワン 100(1986 年)100
スワン 128(2025 年)128

SOURCES出典

  1. Nautor Swan 公式サイト「Heritage」
    https://www.nautorswan.com/company/heritage/(2026-10-02 確認)
  2. Nautor Swan 公式サイト「Company」
    https://www.nautorswan.com/company/(2026-10-02 確認)
  3. Nautor Swan 公式サイト「ClubSwan Racing」
    https://www.nautorswan.com/clubswan-racing/(2026-10-02 確認)
  4. Hallberg-Rassy 公式サイト「Company history」(設計者フレースがハルベルグ・ラッシーの船も設計したこと)
    https://www.hallberg-rassy.com/company/company-history(2026-10-02 確認)

この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や長さなどの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と艇名は、各社の商標です。

WRITTEN BY山岸 勇輝Yuuki YAMAGISHI

独立研究者(Independent Researcher)。公式の資料や統計など、一次の資料にあたって書くことを続けている。船が好きで、とくにアルベマーレに思い入れがある。