グライフスヴァルトの造船所の、1990 年からの三十年あまり
ドイツのハンゼは、扱いやすいセーリングヨットをたくさん造っている造船所です。歴史は長くありません。公式の社史は 1990 年から始まります。東西ドイツが一つになった年に、もと東ドイツの船と修理の工場を一人の男が引き継いだ。三年後に出した最初の船の値段は、44,444 マルクでした。新しい造船所が、どうやって短いあいだに名前を広めたのか。会社が公開している社史でたどります。
CHAPTER 1修理の工場と、最初の一隻
1-1 1990 年、もと東ドイツの工場を引き継ぐ
公式の社史は、創業者のミヒャエル・シュミットが、もと東ドイツの船と修理の工場を引き継いだところから始まります。場所はグライフスヴァルトです。社史は、これがのちに近代的な造船所になっていく舞台を整えた、と書いています。
ただ、何も無いところから始めたわけではありませんでした。社史はそこを強調しています。当時「ヨットツェントルム・グライフスヴァルト」と呼ばれたこの会社は、この町で長く栄えてきた、腕のある職人の仕事の遺産の上に建てられた、と。古い工場の伝統と、たくさんの熟練した働き手が、シュミットが思い描いた新しい造船所の土台になりました。
はじめの仕事は、船を造ることではありません。帆の船とモーターボートの整備と修理でした。客は、とくに北欧の人たちが多かったそうです。修理の工場として客の船を預かりながら、自分の船を造る準備を進めていたことになります。
1-2 1993 年、ハンブルクで「ハンゼ 291」
1993 年、会社は、最初の量産の船「ハンゼ 291」を、ハンブルクの国際ボートショーで披露しました。社史は、この船がハンゼの土台を刻んだと書いています。決まりを破り、流れを作る、という土台です。
ハンゼ 291 は、別の船「アフロディーテ 29」をもとにしていました。手がけたのは北欧の設計者です。油で仕上げたチークの造作と、すぐれた走りを持ち、心地よい優雅さの象徴だった、と社史は書いています。
そして値段です。44,444 マルク。社史は、値段の面でこの船に並ぶものは無かった、と書いています。ハンゼ 291 は、ドイツ、ヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリア、東南アジアで、文句なしのよく売れる船になりました。同じ数字を五つ並べた値段は、偶然ではなく、覚えてもらうための値付けだったのでしょう。これは私の読みです。
1-3 自動で返る前の帆
ハンゼ 291 には、もう一つ目玉がありました。前の帆が、向きを変えるたびに自動で反対側へ返る仕組みです。向きを変えるときに、人が綱を引き直さなくて済みます。一人でも二人でも、楽に走れるようになります。社史は、これを、量産の船として初めての装備だと書いています。
ここで、断っておくことがあります。同じグループのデーラーの公式の社史は、1976 年のデーラーの船について、この仕組みを備えた最初の量産のヨットだったと書いています。二つの社史が、それぞれ自分の船を「最初」としているわけです。どちらが正しいのかを確かめる資料を、私は持っていません。ここでは、二つの会社がそう書いている、という事実だけを並べておきます。
一隻目の成功のあと、船は続けて出ます。翌 1994 年のハンブルクで「ハンゼ 331」。1997 年に、新しい姿の「ハンゼ 401」。1998 年には「ハンゼ 292」が、ヨーロッパの年間の賞を取りました。そして 1999 年、ハンゼは設計の事務所ユーデル・フローリクと組み、賞を取る「ハンゼ 371」を出します。この設計の事務所との関係は、長く続くことになります。
- 1990ミヒャエル・シュミットが、もと東ドイツの船と修理の工場を引き継ぐ
- 1993ハンゼ 291 をハンブルクで披露。44,444 マルク
- 1994ハンゼ 331
- 1997ハンゼ 401
- 1998ハンゼ 292 がヨーロッパの年間の賞を取る
- 1999ユーデル・フローリクと組み、ハンゼ 371 を出す
CHAPTER 2賞と、選べる船室
2-1 2000 年代のはじめ、賞が続く
世紀の変わり目に、ハンゼは賞を集め続けました。「ハンゼ 311」と「331」が、どちらもヨーロッパの年間の賞を受けています。続いて「411」と「341」が出ました。社史は、ユーデル・フローリクの設計の特徴をよく表した船だと書いています。
2002 年から翌年にかけては、新しい技術への投資で、「ハンゼ 300」と「311」の船内が作り直されました。つやのある仕上げが、ぜいたくさを表していた、と説明されています。
2003 年から翌年にかけて、ハンゼは年間の賞を総なめにし、「ハンゼ 531」を出しました。それまでで最大の計画です。船内はビルギット・シュナーゼが手がけ、倉庫を改装した住まいのような開けた造りで、新しい基準を作ったと書かれています。最初の船は 291、十年後のこの船は 531。型の番号だけを見ても、船がどれだけ大きくなったかが分かります。
2-2 「楽に走る」を看板にする
2004 年からの時期に、ハンゼは、のちに会社の看板になる考え方を打ち出します。「イージー・セーリング」です。「ハンゼ 342」と「461」を加えた新しい顔ぶれと一緒に発表されました。
社史は、船内の改良と、家族に優しい装備が加わったと書いています。たとえば、一本の綱だけで帆を小さくできる仕組みです。甲板の上でも下でも、居心地と便利さが増しました。最初の船の、自動で返る前の帆と同じ向きの工夫です。腕のある乗り手のための船ではなく、少ない人数で、楽に走れる船。ハンゼは、最初からその方向を向いていました。
2005 年までに、ハンゼのしるしに波の形が加わります。系列は六つの型に広がり、「315」「370」「400」が入りました。そのうちの一つは、ヨーロッパで最も革新的なヨットという賞を受けています。
2-3 船室を、八十通りから選ぶ
この時期のもう一つの柱が、船内を客が選べるようにする考え方でした。量産の船なのに、中の造りを大きく変えられる、というものです。
社史は、具体的な数字を挙げています。「ハンゼ 400」は、80 通りの船内の組み合わせで売り出されました。同じ型の船体を続けて造りながら、中は一隻ずつ違う。量産の安さと、注文の自由を、一度に取ろうとしたわけです。ハンゼ 400 と「370」は、船首を垂直に近く立てた形でも、走りの面で先頭に立ったと書かれています。
2006 年、造船所は正式に「ハンゼヨット」という名前になりました。この年に出た「ハンゼ 430」は、速さを考えた造りで注目を集めます。続く年には「ハンゼ 630e」が出ました。この十年の終わりまでに、系列は八つの型に育ち、レースでもいくつも勝っています。2010 年には、「375」と「545」が、広い間取りで新しい基準を作りました。
CHAPTER 3光と、係留と、設計者の交代
3-1 船の中の光まで設計する
2010 年からの五年について、社史は、新しい工夫が絶えず続いた時期だと書いています。まず「ハンゼ 325」と「355」が、前の船の後継として出ました。
翌年、ハンゼは船内の照明の考え方を発表します。居間の天井の間接の光、棚の上の光、船首の光、床の光。いろいろな光を一つにまとめて、船の中の雰囲気を整える、というものです。「ハンゼ 385」や「415」に取り入れられました。
同じ時期に、港に着けるのを楽にする仕組みも出ています。「ハンゼ 445」と「495」に載りました。社史は、業界の新しい基準を作ったと書いています。帆の扱いを楽にするところから始めた会社が、こんどは、いちばん緊張する港での取り回しを楽にする方へ進んだわけです。
2012 年から翌年にかけては、「ハンゼ 345」が、操縦する場所に綱が出てこない造りで、簡単さの水準をもう一段上げました。同じ時期に「ハンゼ 575」がアムステルダムで披露されています。一年前に出た「ハンゼ 415」は、家族向けの巡航艇の部門で、ヨーロッパの年間の賞を取りました。
3-2 百隻目の「575」が、オーストラリアへ
2013 年 12 月、百隻目の「ハンゼ 575」が、オーストラリアの持ち主のもとへ届きました。社史は、これを、この目立つ型にとっての大きな節目と書いています。披露されてから一年ほどで百隻です。大きい船でも、ハンゼは数を造れる造船所になっていました。
2014 年からの時期には、型がさらに増えます。「ハンゼ 455」は、同じ大きさの中でいちばん広い操縦の場所を持つ、と書かれています。「315」は、舵に電動の推進を組み込んだ仕組みで賞を取り、電気で走る方向の先頭に立ちました。「675」には炭素繊維で強くした屋根が、「588」には静かな主寝室が付きます。カンヌでは「348」「388」「418」「548」の四つが一度に披露されました。
社史は、これらの船に共通する変化を挙げています。もっと広い操縦の場所。もっとすっきりした線。そして、より速く、より楽に、より安全に走るための、広い帆の面積です。
3-3 設計者が替わる
いちばん新しい時期の出来事は、設計者の交代です。ハンゼは、1999 年から組んできたユーデル・フローリクから、フランスの設計者ベレ・ラクポーへ移りました。
その最初の成果が「ハンゼ 460」です。社史は、昔からの伝統と新しい美しさを溶け合わせた船で、舵を取る人には胸のすく走りを、家族にはいまふうの海の家を与える、と書いています。この新しい考え方で、「ハンゼ 510」と「410」を含む顔ぶれが作り直されました。
ハンゼは、ほかの名前も束ねています。同じグライフスヴァルトで造られているデーラーは、2009 年にハンゼのもとに入りました。デーラーの社史によれば、いくつかの持ち主のもとで揺れた時期のあと、ハンゼのもとに落ち着いた、ということです。
修理の工場を引き継いでから三十年あまり。ハンゼの社史には、何百年の伝統も、王様の船も出てきません。出てくるのは、型の番号と、賞と、楽に走るための仕組みの名前です。新しい造船所が、値段と、扱いやすさと、選べる船内で客を増やしていった。その筋が、番号の並びからはっきり読み取れます。
| 時期 | 仕組み | 載った船 |
|---|---|---|
| 1993 年 | 前の帆が自動で返る | ハンゼ 291 |
| 2004 年からの時期 | 一本の綱で帆を小さくする | ハンゼ 342、461 など |
| 2005 年ごろ | 船内を選べる | ハンゼ 400(80 通り) |
| 2010 年からの時期 | 船内の光の設計。港に着けるのを楽にする仕組み | ハンゼ 385、415、445、495 |
| 2012 年から | 操縦する場所に綱が出てこない | ハンゼ 345 |
SOURCES出典
- Hanse Yachts 公式サイト「Our history」
https://hanseyachts.com/gb/history/(2026-10-02 確認) - Dehler 公式サイト「Our History」(デーラーが 2009 年にハンゼのもとに入ったこと・デーラーの側の自動で返る前の帆の記述)
https://dehler.com/gb/history/(2026-10-02 確認)
この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や長さなどの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と艇名は、各社の商標です。