【論文135】体積か、エネルギーか——両方は取れない

要旨

論文77 はリウヴィルの定理(ハミルトン流が位相空間の体積を保つこと)を記録した。本稿はその離散版を点呼し、数値解法が何を保ち、何を保たないかを書き分ける。新しい数学定理も新しい物理法則も主張しない。

第一に、体積の保存は厳密である。リープフロッグ法一歩のヤコビ行列式を記号計算するとちょうど $1$、半陰的オイラー法もちょうど $1$である。一方陽的オイラー法は $1+h^2k$ で体積を膨らませ、古典的ルンゲ=クッタ4次法は $1-h^6k^3/72+h^8k^4/576$ で縮める(第2節)。

第二に、これが本稿の芯の一つ。シンプレクティックであることは、エネルギーを保つことではない。調和振動子を刻み $0.1$ で $10^7$ 歩まわすと、リープフロッグ法のエネルギーは$0.9975$ から $1$ の帯の中で振動し続け、帯そのものは動かない。ルンゲ=クッタ4次法は同じ歩数で$0.8705$ まで落ちる。シンプレクティック法が厳密に保つのは、真のハミルトニアンではなく近傍の「影のハミルトニアン」である(第3節)。

第三に、シンプレクティックであることは、精度が高いことでもない。刻み $0.05$ で $20$ 周期後の位置誤差は、リープフロッグ法が $9.4\times10^{-5}$、ルンゲ=クッタ4次法が $3.6\times10^{-7}$ である。短時間では四次法のほうが二桁以上正確である。シンプレクティック性が買っているのは長時間の質的な振る舞いであって、精度ではない(第4節)。

第四に、ケプラー問題での署名が明瞭である。離心率 $0.5$、刻み $0.01$ で相対エネルギー誤差を測ると、ルンゲ=クッタ4次法は $10$ 周で $3.032\times10^{-8}$、$100$ 周で $3.032\times10^{-7}$、$1000$ 周で $3.032\times10^{-6}$、周回数にきっかり比例する。これが永年ドリフトの署名である。リープフロッグ法は同条件で四〜六桁小さく、この比例則に従わない(第5節)。

第五に、これが本稿の芯のもう一つ。両方は取れない。ゲー=マースデンの定理(1988)は、シンプレクティックでありながらエネルギーを厳密に保つ積分法は、時間の径数付け替えを除いて厳密な流れそのものでしかありえないと述べる。体積か、エネルギーか。答えを既に持っていない限り、両方は取れない(第6節)。

射程(何を示さないか)

本稿の射程:新しい数学定理も新しい物理法則も主張しない。リウヴィルの定理、シンプレクティック積分法、後退誤差解析(影のハミルトニアン)、ゲー=マースデンの定理はいずれも標準的である。本稿が加えるのは、三つの美点(体積・エネルギー・精度)を分離して数値で示したこと、永年ドリフトの署名を比例則として書いたこと、両立不可能性を定理として据えたことだけである。「シンプレクティックだから良い」とは言わない。

1. 記法と位置づけ

ハミルトニアン $H(q,p)$ の流れはシンプレクティックであり、その帰結として位相空間の体積を保つ(リウヴィルの定理・論文77)。数値解法が同じ性質を持つとき、その解法をシンプレクティックであるという。

位置づけ:既存の結果を並べ、何が何を含意しないかを書く。新しい定理は主張しない。論文17 は別根と言うのは半分であり、住所を書いて初めて検査可能になると述べた。本稿は「良い数値解法」という一語について、それを行う。

2. 体積の保存は厳密である

検算 2.1(一歩のヤコビ行列式):調和振動子 $H=p^2/2+kq^2/2$ について、各解法の一歩の写像のヤコビ行列式を記号計算した。

解法 $\det J$ 体積は
リープフロッグ(速度ヴェルレ) $1$ 厳密に保存
半陰的オイラー $1$ 厳密に保存
陽的オイラー $1+h^2k$ 膨らむ
古典的ルンゲ=クッタ4次 $1-\dfrac{h^6k^3}{72}+\dfrac{h^8k^4}{576}$ 縮む

$h=0.1$、$k=1$ ではルンゲ=クッタ4次の行列式は $0.9999999861\ldots$ である。(証明終)

観察 2.2 (これがリウヴィルの離散版である) $\det J=1$ は、位相空間の体積が一歩ごとに厳密に保たれることを意味する(論文77)。近似ではない。刻み幅がどれほど粗くても、$1$ は $1$ である。

観察 2.3 ($1$ の身分) 論文16 は等号が六つの根を持つと述べた。ここでの $\det J=1$ は恒等式である。刻み幅にも力にも依らない。一方で後に見るエネルギーの $\approx1$ は、恒等式ではない。同じ「保たれる」という語が、二つの身分を指している。

3. シンプレクティックは、エネルギー保存ではない

検算 3.1(長時間のエネルギー):調和振動子、刻み $h=0.1$、初期エネルギーを $1$ とした。

歩数 解法 最終値 最小値 最大値
$10^3$ リープフロッグ 0.99945 0.99750 1.00000
$10^3$ ルンゲ=クッタ4次 0.99999 0.99999 1.00000
$10^5$ リープフロッグ 0.99763 0.99750 1.00000
$10^5$ ルンゲ=クッタ4次 0.99861 0.99861 1.00000
$10^7$ リープフロッグ 0.99811 0.99750 1.00000
$10^7$ ルンゲ=クッタ4次 0.87048 0.87048 1.00000

リープフロッグ法の最小値は $10^5$ 歩でも $10^7$ 歩でも $0.99750$ のままである。帯が動いていない。ルンゲ=クッタ4次法は帯ごと落ちていく。(証明終)

観察 3.2 (何が厳密に保たれているのか) シンプレクティック法が厳密に保つのは真のハミルトニアンではない。後退誤差解析によれば、それは真のハミルトニアンに近い別のハミルトニアン(影のハミルトニアン)を厳密に(正確には指数的に長い時間にわたり)保っている。エネルギー誤差が有界にとどまるのは、その帰結である。

観察 3.3 (言い方の訂正) 「シンプレクティック法はエネルギーを保存する」は正しくない。正しくは「エネルギー誤差が有界にとどまり、永年的に増えない」である。保たれているのは別の量である。

4. シンプレクティックは、精度でもない

検算 4.1(短時間の誤差):刻み $h=0.05$、調和振動子の位置誤差。

周期 リープフロッグ ルンゲ=クッタ4次 良いのは
1 $2.14\times10^{-5}$ $2.43\times10^{-8}$ RK4
5 $4.68\times10^{-5}$ $9.41\times10^{-8}$ RK4
20 $9.37\times10^{-5}$ $3.62\times10^{-7}$ RK4

(証明終)

観察 4.2 (三つの美点は別物である) 

美点 何が保証するか 別名で買えるか
体積の保存 シンプレクティック性 厳密・買える
エネルギー誤差の有界性 シンプレクティック性の帰結 有界であって零ではない
精度 次数($h$ の冪) 別に買う

リープフロッグ法は二次、ルンゲ=クッタ4次法は四次である。次数とシンプレクティック性は独立の属性であり、混同してはならない。

5. 永年ドリフトには署名がある

検算 5.1(ケプラー問題):離心率 $0.5$、刻み $h=0.01$、相対エネルギー誤差。

周回数 リープフロッグ ルンゲ=クッタ4次
10 $7.60\times10^{-13}$ $-3.032\times10^{-8}$
100 $7.40\times10^{-12}$ $-3.032\times10^{-7}$
1000 $4.48\times10^{-10}$ $-3.032\times10^{-6}$

ルンゲ=クッタ4次法の誤差は、周回数を $10$ 倍すると誤差もきっかり $10$ 倍になる。有効数字四桁まで比例している。これが永年ドリフトの署名である。リープフロッグ法は四〜六桁小さく、この比例則に従わない。(証明終)

観察 5.2 (なぜ署名が有用か) 数値実験の誤差が「ドリフトなのか、単なる振動なのか」は、大きさを見ても分からない。時間との比例則を見れば分かる。論文117 が尺度不変性について述べたとおり、指数を見るのが正しい検査である。

6. 両方は取れない

確立された事実 6.1(ゲー=マースデン 1988):シンプレクティックであり、かつエネルギーを厳密に保つ数値積分法は、時間の径数付け替えを除いて、厳密な流れそのものでしかありえない。

観察 6.2 (これが本稿の結論を閉じる) 体積の保存とエネルギーの保存は、両立しない二つの要求である。ただし答えを既に持っている場合を除く。ゆえに数値解法の設計とは、どちらを厳密にするかの選択である。

何を厳密にするか 何が犠牲になるか 使いどころ
体積(シンプレクティック) エネルギーは有界に振動 長時間の軌道
エネルギー(射影法など) 体積は保たれない 保存量が主役のとき
どちらも近似 両方が永年的にずれる 短時間・高精度

観察 6.3 (体系の中の同型) 論文126 は存在定理は存在しか与えないと述べ、論文127 と論文133 は一意性は柵の内側にしかないと述べた。本稿が加えるのは、二つの美点が互いを排除する場合である。何かを厳密にすると決めることは、別の何かを諦めると決めることである。

観察 6.4 (適応刻みについて) 解に応じて刻み幅を変える適応的な方法は、一般にシンプレクティック性を失う。「良いものを二つ足せば、もっと良くなる」とは限らない。柵は、足し算では越えられない。

7. 結論

  1. 体積の保存は厳密である(検算2.1)。リープフロッグ法と半陰的オイラー法は $\det J=1$、陽的オイラー法は $1+h^2k$ で膨らみ、ルンゲ=クッタ4次法は $1-h^6k^3/72+\cdots$ で縮む。リウヴィルの定理の離散版である(論文77)。
  2. シンプレクティックはエネルギー保存ではない(検算3.1)。$10^7$ 歩でリープフロッグ法は帯 $[0.99750,\,1]$ から出ず、ルンゲ=クッタ4次法は $0.87048$ まで落ちる。保たれているのは影のハミルトニアンである。
  3. シンプレクティックは精度でもない(検算4.1)。$20$ 周期後の誤差はリープフロッグ $9.4\times10^{-5}$、ルンゲ=クッタ4次 $3.6\times10^{-7}$。次数とシンプレクティック性は独立である。
  4. 永年ドリフトには署名がある(検算5.1)。ルンゲ=クッタ4次法の誤差は周回数に有効数字四桁まで比例する。大きさではなく比例則を見よ(論文117)。
  5. 両方は取れない(事実6.1)。ゲー=マースデンの定理により、シンプレクティックかつ厳密にエネルギー保存な積分法は、厳密な流れそのものしかない。
  6. 適応刻みは一般にシンプレクティック性を壊す(観察6.4)。柵は足し算では越えられない。

結び:「良い数値解法」という一語が、三つの別の美点を指している。体積・エネルギー・精度。三つは別々に買うものであり、しかも最初の二つは互いを排除する。何を厳密にするかを決めない設計は、何も決めていない。

参考文献

  1. Verlet, L. (1967). Computer experiments on classical fluids. Physical Review, 159.
  2. Ruth, R. D. (1983). A canonical integration technique. IEEE Transactions on Nuclear Science, 30.
  3. Ge, Z. & Marsden, J. E. (1988). Lie-Poisson Hamilton-Jacobi theory and Lie-Poisson integrators. Physics Letters A, 133.
  4. Sanz-Serna, J. M. (1992). Symplectic integrators for Hamiltonian problems: an overview. Acta Numerica, 1.
  5. Hairer, E., Lubich, C. & Wanner, G. (2006). Geometric Numerical Integration, 2nd ed. Springer.
  6. Wisdom, J. & Holman, M. (1991). Symplectic maps for the n-body problem. The Astronomical Journal, 102.
  7. 山岸勇輝 (2026). 等号は六つの別根を持つ [論文16] 第3版. Zenodo. 10.5281/zenodo.21600471
  8. 山岸勇輝 (2026). 別根と言うのは半分である。住所を書け [論文17] 第3版. Zenodo. 10.5281/zenodo.21600813
  9. 山岸勇輝 (2026). 山岸・ケプラー方程式、$3/2$ は次元ではない [論文28] 第3版. Zenodo. 10.5281/zenodo.21430531
  10. 山岸勇輝 (2026). シンプレクティックな蝶番 [論文76]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21722145
  11. 山岸勇輝 (2026). リウヴィルと時間の矢 [論文77]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21722473
  12. 山岸勇輝 (2026). 摩擦は粗視化である [論文78]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21731937
  13. 山岸勇輝 (2026). 隠れた対称性 [論文79]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21732820
  14. 山岸勇輝 (2026). 規約と事実 [論文95]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21758621
  15. 山岸勇輝 (2026). 王道の点呼 [論文100]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21758864
  16. 山岸勇輝 (2026). 極限としてのモジュール [論文113]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21962996
  17. 山岸勇輝 (2026). 尺度不変性は四つの根を持つ [論文117]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22005515
  18. 山岸勇輝 (2026). 第四の時計 [論文119]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22036353
  19. 山岸勇輝 (2026). 伊藤の $2$ は、次元ではない [論文132]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22080358
  20. 山岸勇輝 (2026). 光の曲がりの $4$ は、$4\pi$ ではなく $2(1+\gamma)$ である [論文134]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22080727

作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。

書誌

山岸勇輝(2026)「体積か、エネルギーか」[論文135]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22081063

YOI 135第1版・2026年8月ビットコインに記録済み

日付の証拠(OpenTimestamps):日本語版の .ots・英語版の .ots・SHA256SUMS

予備の置き場所(ミラー。中身は上と同じです):PDF 日本語・PDF English・SHA256SUMS

住所:https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/135・DOI 10.5281/zenodo.22081063・CC BY 4.0・プレプリント(査読を経ていません)・ORCID 0009-0006-8587-3450

引用するとき

山岸勇輝 (2026). 体積か、エネルギーか:両方は取れない [論文135]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/135 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22081063

Yamagishi, Y. (2026). Volume or Energy: You Cannot Have Both [Paper 135]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/135; DOI: 10.5281/zenodo.22081063

@misc{yamagishi2026yoi135,
  author = {Yamagishi, Yuuki},
  title = {Volume or Energy: You Cannot Have Both},
  year = {2026},
  howpublished = {YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/135},
  doi = {10.5281/zenodo.22081063},
  note = {Preprint, edition 1}
}
指紋(SHA-256)と確かめ方
4a8d984b93b13cf550a5280f2fee1f9aef52290116219efc6e9fbd61337bca59 yamagishi_yoi135_v1_jp.pdf
769cd0b86cdc2fce5f31873c7cc4ed0a54a6f63c6419c56533a13c6710beb22d yamagishi_yoi135_v1_en.pdf

PDF と .ots を同じ場所に保存し、opentimestamps.org に .ots、続けて PDF を落とすと、記録された日時が表示されます。PDF が 1 バイトでも変わっていれば通りません。