要旨
論文158 はナッシュを扱った。どんなリーマン多様体も等長に埋め込める、仮定は一つも要らない。小平の定理は逆の形をしている。射影空間への埋め込みは仮定が成り立つときにだけ存在し、その仮定は空虚ではない。新しい数学定理は主張しない。
第一に、規約を確かめた。楕円曲線の積では、リーマンの第一関係式が $0$ になり、エルミート形式の最小固有値は $2.2$ と $1.8$ である(第2節)。
第二に、これが本稿の芯である。無作為に取った複素 $2$ 次元トーラスに対し、成分が $|{\cdot}|\le2$ の整数交代形式を$15624$ 通り全数探索して、一つも通らなかった。第一関係式は最良でも $0.0139392$、$0.00445366$、$0.0273488$ で、零に近づきさえしない(第3節)。
第三に、背後にあるのは次元の勘定である。複素 $2$ 次元トーラス全体は実 $8$ 次元、アーベル曲面は実 $6$ 次元、余次元 $2$。複素 $1$ 次元では $2$ 対 $2$ であり、だから障害は複素 $2$ 次元まで見えない(第4節)。
第四に、柵の中身は整数性である。通る形式を $2,3,0.5,\sqrt2$ 倍しても、第一関係式は $0$ のまま、エルミート形式は正のままである。壊れるのは整数性だけである(第5節)。
第五に、ナッシュは次元で払う。$n(3n+11)/2$ は $n=1,2,3,4,10$ で $7,17,30,46,205$、二つは強さの階段ではない(第6節)。
射程(何を示さないか)
本稿の射程:新しい数学定理は主張しない。小平の埋め込み定理、リーマンの関係式、一般の複素トーラスが代数的でないこと、ナッシュの埋め込み定理は、いずれも標準的である。また第3節の探索は有界である。示したのは「成分が $2$ 以下の整数形式は一つも通らない」ことであって、「偏極が存在しない」ことの証明ではない。その一般命題を担うのは第4節の次元の勘定であり、これは標準的な事実である。加えたのは偏極の探索を全数で行って数を出したこと、尺度を変えて「正値性は保たれ整数性だけが壊れる」と示したこと、ナッシュと小平の仮定・保つもの・受け皿を一枚に並べたことである。
1. 記法と位置づけ
複素 $2$ 次元トーラスを $\mathbb{C}^2/\Lambda$ とし、周期行列を $\Omega=(I\mid Z)$($Z$ は $2\times2$ 複素行列)で表す。$\Lambda$ 上の整数交代形式 $J$($4\times4$、独立成分は $6$ 個)に対し、リーマンの関係式は $\Omega J^{-1}\Omega^{T}=0$ と、$i\,\Omega J^{-1}\bar\Omega^{T}$ が正定値であることをいう。符号は $J$ と $-J$ のどちらを取るかの問題であって、条件の中身ではない(本稿では正になる向きを取る)。
位置づけ:論文158 はナッシュの埋め込みを扱い、内在と外在が双対でありながら別根であることを示した。本稿はその第二の声を置く。仮定を要求する側の埋め込みである。そして柵の中身は、論文146・147 が量子化について書いたものと同じ、整数性である。
2. 規約を確かめる
検算 2.1:$Z$ が対角なら $\mathbb{C}^2/\Lambda$ は楕円曲線の積であり、射影的である。主偏極が両方の関係式を満たすはずである。
| $Z$ | 第一関係式の大きさ | 最小固有値 |
|---|---|---|
| $\mathrm{diag}(0.3+1.1i,\ 1.7i)$ | $\mathbf{0.0}$ | $2.2$ |
| $\mathrm{diag}(2.0i,\ 0.5+0.9i)$ | $\mathbf{0.0}$ | $1.8$ |
(証明終)
検算 2.2:主偏極に対する条件は「$Z$ が対称かつ $\operatorname{Im}Z>0$」である。
| $Z$ | 第一関係式の大きさ | 最小固有値 |
|---|---|---|
| 対称、$\operatorname{Im}>0$ | $\mathbf{0.0}$ | $1.3801961$ |
| 対称でない | $\mathbf{0.583095}$ | $1.5168239$ |
(証明終)
観察 2.3 第一関係式が要求しているのは、$Z$ の対称性である。
3. 芯:無作為なトーラスは、偏極を一つも持たない
検算 3.1:成分が $-2$ から $2$ の整数交代形式を全数($5^6-1=15624$ 通り)作り、両方の関係式を満たすものを数える。
| トーラス | 探索幅 | 見つかった個数 | 第一関係式の最良値 |
|---|---|---|---|
| 対称な $Z$(アーベル曲面) | $1$ | $\mathbf{2}$ | $0.0$ |
| 無作為な $Z$(標本1) | $2$ | $\mathbf{0}$ | $0.0139392$ |
| 無作為な $Z$(標本2) | $2$ | $\mathbf{0}$ | $0.00445366$ |
| 無作為な $Z$(標本3) | $2$ | $\mathbf{0}$ | $0.0273488$ |
(証明終)
観察 3.2 アーベル曲面は $B=1$ で直ちに見つかる。無作為な周期行列では $15624$ 通りがすべて外れ、第一関係式は零に近づきさえしない。
観察 3.3 ただしこの探索は有界である。示したのは「成分が $2$ 以下では通らない」ことであって、存在しないことの証明ではない。その一般命題は次節の勘定が担う。
4. 次元の勘定
事実 4.1
| 族 | 複素次元 | 実次元 |
|---|---|---|
| 複素 $2$ 次元トーラス全体($Z$ 任意) | $4$ | $\mathbf{8}$ |
| アーベル曲面($Z$ 対称、$\operatorname{Im}Z>0$) | $3$ | $\mathbf{6}$ |
| 複素 $1$ 次元トーラス全体 | $1$ | $2$ |
| 楕円曲線 | $1$ | $2$ |
観察 4.2 余次元 $2$ である。主偏極だけでなくすべての整数偏極を許しても、一つの部分集合が可算個の部分集合の和に置き換わるだけで、和はやはり測度零である。複素 $2$ 次元以上のほとんどすべての複素トーラスは代数的でない。
観察 4.3 複素 $1$ 次元では $2$ 対 $2$ である。どの $1$ 次元トーラスも楕円曲線であり、だから障害は複素 $2$ 次元になるまで見えない。「見えない」と「無い」は別である(論文105 が $4$ 次元でだけ現れる例外を書いたのと同じ形)。
5. 柵の中身は整数性である
検算 5.1:通る偏極を正の数で尺度変換する。
| 倍率 | 第一関係式 | 最小固有値 | 整数か |
|---|---|---|---|
| $1$ | $0.0$ | $1.3801961$ | はい |
| $2$ | $0.0$ | $0.69009805$ | はい |
| $3$ | $3.8\times10^{-32}$ | $0.46006537$ | はい |
| $0.5$ | $0.0$ | $2.7603922$ | いいえ |
| $\sqrt2$ | $7.8\times10^{-32}$ | $0.97594602$ | いいえ |
(証明終)
観察 5.2 どの倍率でも第一関係式は零のままであり、エルミート形式は正のままである。壊れうるのは、成分が整数かどうかだけである。正値性は尺度変換で保たれ、整数性は保たれない。したがって柵は整数性である。
観察 5.3 ケーラー類は正でありながら $H^2(X,\mathbb{Z})$ の像に入らないことがあり、そのとき埋め込みは存在しない。論文146 が「貼り合わせが閉じることが量子化である」と書き、論文147 が「同じ $H^2$ でも係数が違えば量子化しない」と書いたのと、これは同じ柵である。
6. ナッシュと小平
事実 6.1
| 定理 | 仮定 | 保つもの | 受け皿 |
|---|---|---|---|
| ナッシュ $1956$ | 無し | 計量 | $\mathbb{R}^N$($N$ が伸びる) |
| 小平 $1954$ | 正の直線束 | 複素構造 | $\mathbb{P}^N$ 一種類 |
検算 6.2:ナッシュの払う次元 $n(3n+11)/2$。
| $n$ | $N$ |
|---|---|
| $1$ | $7$ |
| $2$ | $17$ |
| $3$ | $30$ |
| $4$ | $46$ |
| $10$ | $\mathbf{205}$ |
(証明終)
観察 6.3 二つは強さの階段ではない。ナッシュは何も要求しない代わりに、伸び続ける受け皿で払う。小平は条件を要求する代わりに、一種類の受け皿で済み、しかもそこでは像が多項式で切り出される。つまり「埋め込めた」ことの見返りが大きい。
観察 6.4 保つものも違う。ナッシュは計量を保ち、小平は複素構造を保つ、計量のほうは、フビニ=スタディの類までしか保たれない。「埋め込み」という一語が、二つの別のことを指している(論文158 が内在と外在について書いた区別の、もう一段先である)。
7. 点呼
観察 7.1
| 項目 | 内容 | 動かすと動くもの | 注 |
|---|---|---|---|
| ナッシュ | 無条件 | 次元 $N$ | 計量を保つ |
| 小平 | 正の直線束 | 整数性 | 複素構造を保つ |
| 柵の中身 | 整数性 | 正値性ではない | 尺度で壊れる |
| 反例 | 一般の複素トーラス | 複素次元 $\ge2$ | 余次元 $2$・測度零 |
| 見えない場合 | 複素 $1$ 次元 | 常に代数的 | 楕円曲線 |
観察 7.2 「多様体は埋め込める」という一文は、どの構造を保つ埋め込みかを言わないかぎり、真偽を持たない。
8. 結論
- 規約を確かめた(検算2.1・2.2):楕円曲線の積で第一関係式 $0$、対称性が効いている。
- 無作為なトーラスは偏極を持たない(検算3.1):$15624$ 通りすべて外れ。
- 余次元 $2$(事実4.1):$8$ 対 $6$、複素 $1$ 次元では $2$ 対 $2$。
- 柵は整数性である(検算5.1):正値性は尺度で保たれ、整数性は壊れる。
- ナッシュは次元で払う(検算6.2):$n=10$ で $205$。
結び:ナッシュの定理は「できる」と言い、小平の定理は「このときにできる」と言う。条件のあるほうが弱いのではない。条件を払った分だけ、受け皿が良くなっている。そして払っている条件は、大きさでも滑らかさでもなく、整数であることであった。
参考文献
- Kodaira, K. (1954). On Kähler varieties of restricted type. Annals of Mathematics, 60(1).
- Nash, J. (1956). The imbedding problem for Riemannian manifolds. Annals of Mathematics, 63(1).
- Riemann, B. (1857). Theorie der Abel’schen Functionen. Journal für die reine und angewandte Mathematik, 54.
- Lefschetz, S. (1921). On certain numerical invariants of algebraic varieties. Transactions of the American Mathematical Society, 22.
- Siegel, C. L. (1939). Einführung in die Theorie der Modulfunktionen n-ten Grades. Mathematische Annalen, 116.
- Griffiths, P., & Harris, J. (1978). Principles of Algebraic Geometry. New York: Wiley.
- 山岸勇輝 (2026). 曲率は内在的である [論文91]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21758406
- 山岸勇輝 (2026). 4次元だけの例外 [論文105]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21836925
- 山岸勇輝 (2026). ディラックの弦は場ではなく、紙の上の痕である [論文146]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22082868
- 山岸勇輝 (2026). 同じ $H^2$ でも、係数が違えば量子化しない [論文147]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22083144
- 山岸勇輝 (2026). 住まいはあるが、住所ではない [論文158]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22092143
- 山岸勇輝 (2026). 「不動点」は一つの定理ではない [論文161]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22092530
- 山岸勇輝 (2026). 一意化が与えるのは「一つの形」ではなく、「一つの模型と、一つの径数」である [論文167]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22093172
作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。
書誌
山岸勇輝(2026)「小平の柵は正値性ではなく、整数性である」[論文173]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22094507
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引用するとき
山岸勇輝 (2026). 小平の柵は正値性ではなく、整数性である [論文173]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/173 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22094507
Yamagishi, Y. (2026). Kodaira’s Fence Is Integrality, Not Positivity [Paper 173]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/173; DOI: 10.5281/zenodo.22094507
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author = {Yamagishi, Yuuki},
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