プリンセスは、貸し船の計画が流れたから、造船所になった

モーターヨット

イギリスのプリマスで、借りた小屋の一隻から六つの工場まで

イギリスのプリンセスは、モーターヨットの名前としてよく知られています。けれど公式の社史によれば、最初の計画は船を造って売ることではなく、船を貸すことでした。借り手の手付け金が集まらなかったので、仕方なくその一隻を売った。そこから造船所が始まっています。会社が自分で書いた社史と、造り方の説明を読んでいきます。

CHAPTER 1借りた小屋と、売ることにした一隻

1-1 1963 年、三人の友人が貸し船の会社を作る

公式の社史は、1963 年から始まります。三人の友人が、船を貸す商売を始めようと決めました。会社の名前はマリン・プロジェクツ(プリマス)です。まだ「プリンセス」の名前は、どこにも出てきません。

三人のうち、クリフ・ヴァイニーは商船の機関士だった人です。デイヴィッド・キングとブライアン・フィリップスは、二人とも現役のイギリス海軍の士官でした。三人は、「シニア 31」という船の、船体と甲板の成形品を買います。中身を自分たちで作り込むつもりでした。場所は、プリマスのニューポート通りに借りた小屋です。

キングとフィリップスは海軍を辞めて、ニューポート通りでヴァイニーと一緒に、この仕事に専念します。社史はこの一隻を「プロジェクト 31」と呼んでいます。会社は別の箇所で、1965 年に、いまのニューポート通りの拠点から水を挟んだ向かいの借りた小屋で、最初の船を造ったとも書いています。プリマスに根を下ろした年として会社が挙げるのも、この 1965 年です。

プリマスは、イギリス海峡と北大西洋のへりにある港町です。会社は、ここの海は荒れやすく、穏やかな水面を当てにできないと書いています。だから船はどんな天気でも試す。持ち主がそういう海へわざわざ出ていくからではなく、船の力を疑わずに済むようにするためだ、という説明です。海軍の士官と商船の機関士が始めた会社らしい言い方だと、私は思いました。

1-2 手付け金が集まらないので、売ることにした

プロジェクト 31 の作り込みが終わりに近づいたころ、三人は次の季節の貸し出しの予約を取りにかかりました。ところが、手付け金を払ってくれる客がなかなか見つかりません。そこで三人は、船を貸すのをやめて、売ることにしました。

プロジェクト 31 は、3,400 ポンドですぐに売れました。社史によれば、このとき三人は、船を売る市場がまだ手つかずで残っていることに気づきます。それなら、貸し船ではなく、造船所として続けよう。そう決めました。

1966 年から 1969 年までのあいだに、三人はプロジェクト 31 を 150 隻を超えて造り、売っています。1968 年には、二つ目の船「ピルグリム 30」も出しました。貸すつもりで作った一隻が売れたことで、会社の仕事そのものが入れ替わったわけです。計画がうまくいかなかったことが、そのまま出発点になっています。

1-3 1970 年、「プリンセス」の名前が初めて付く

注文が増えたので、会社は建物を広げ、初めて自分たちでガラス繊維の樹脂(GRP)の成形に取り組みます。それまでは、よそで成形された船体を買って、中身を作り込んでいました。ここで初めて、船体から自分のところで造るようになったわけです。

そうしてできたのが「プリンセス 32」です。プリンセスの名前を持つ最初の船で、1970 年のロンドンのボートショーで披露され、大きな評判を取りました。

関心が強かったので、会社はこの船を販売店を通して売ると決め、国内と海外に販売店の網を作ります。プリンセス 32 は、およそ十年にわたって造られ、1,200 隻を超えて売れました。社史は、会社の歴史の中でいちばん成功した船の一つだと書いています。会社は、最初の一隻から今日までに、数万隻のヨットを造って世界へ送り出したとも書いています。

FIGURE社史に書かれている、売れた数(どれも「これを超える」数)
プロジェクト 31(1966 年から 1969 年)150
プリンセス 321,200
プリンセス 30DS500
ムーディと組んだ帆走艇4,000

CHAPTER 2石油危機と、設計者オレシンスキ

2-1 1973 年、帆走艇も造ることにした

1970 年代は、順調なだけの十年ではありませんでした。1973 年の石油危機が、船の売れ行きを脅かします。社史は、この十年が試練の無い十年ではなかったと断ったうえで、この出来事を挙げています。創業から十年、ようやくプリンセスの名前が知られ始めたところでした。

会社が選んだのは、仕事の幅を広げることです。A.H. ムーディ・アンド・サンズという会社と組んで、帆で走る船を造り始めました。社史によれば、この関係は 30 年続き、40 の型を造り、4,000 隻を超える船が売れています。モーターヨットで知られる会社が、長いあいだ帆走艇も造っていたことは、あまり知られていないかもしれません。

そのあいだも、新しいモーターヨットは出続けました。設計者のジョン・ベネットが手がけた「プリンセス 37」は、上に操縦する場所を持つフライブリッジの船です。社史は、これがのちのフライブリッジの系列のもとになったと書いています。船の種類が増えたので、会社はリー・ミルに三つ目の拠点を持ちました。

2-2 1980 年、ベルナルド・オレシンスキが加わる

1980 年、もっと大きく、もっと速い船を求める声に応えるために、会社は船の設計者ベルナルド・オレシンスキに新しいプリンセスの設計を頼みました。できたのが「プリンセス 30DS」です。社史は、この船がその後の十年のプリンセスの形の言葉を決めた、と書いています。500 隻を超えて売れました。

オレシンスキの二つ目の設計が「プリンセス 45」です。1981 年に出たとき、イギリスでいちばん大きい量産のモーターヨットでした。この船で、会社は世界の新しい市場に入っていきます。その結果として 1988 年に、輸出の功績をたたえる女王賞を受けました。

1983 年には、オレシンスキが会社で最初のスポーツヨットを設計しています。地中海の市場に向けて作った「286 リヴィエラ」です。30DS とほぼ同じくらいよく売れ、1980 年代から 1990 年代にかけて、さらに六つのリヴィエラが続きました。社史は、オレシンスキとの設計の関係が今日まで続いていると書いています。一人の設計者と四十年を超えて組み続けている造船所は、多くはないはずです。

2-3 1990 年代、十年で 40 近い新しい船

1980 年代の終わりまでに、プリマスで四つ目の拠点がランゲージに開きました。広さ 4,200 平方メートルの工場です。

1990 年代に入ると、新しい船の数が一気に増えます。社史によれば、この十年で 40 近い新しい型が出ました。目立つものとして、社史は四つを挙げています。1990 年の「プリンセス 65」は、当時イギリスでいちばん大きい量産のヨットでした。「V39」と「V52」は、最初の V クラスの船です。「プリンセス 20 メーター」は、メートルの数を名前にした最初の船でした。そして「プリンセス 52」は、ヨーロッパで初めて、電子制御のディーゼルエンジンを積んだヨットだったと書かれています。

この伸びに合わせて、プリマスで五つ目の拠点も手に入れました。コイプールの、30,000 平方メートルの敷地です。ランゲージの工場も広げ、ニューポート通りには新しい本社を建てています。借りた小屋があった、あの通りです。

TABLEプリマスの拠点が増えていく順(公式の社史から)
順 場所 社史に書かれていること
一つ目 ニューポート通り 借りた小屋から始まった。いまは本社
三つ目 リー・ミル 1970 年代、船の種類が増えたため
四つ目 ランゲージ 4,200 平方メートルの工場
五つ目 コイプール 30,000 平方メートルの敷地
六つ目 サウス・ヤード 歴史のある造船所の一部。大きな船のため

CHAPTER 3名前が社名になり、造り方が売りになる

3-1 2001 年、マリン・プロジェクツからプリンセスへ

船の名前だった「プリンセス」は、いつのまにか会社そのものを指す言葉になっていました。2001 年、マリン・プロジェクツはプリンセス・ヨット・インターナショナルに名前を改めます。創業から 40 年近く、会社の名前に「プリンセス」は入っていなかったことになります。

2003 年に出た「プリンセス 42」は、入口の大きさのフライブリッジの基準を作った、と社史は書いています。反対の端では、2007 年に新しい旗艦「プリンセス 95」が、2008 年に「V85」が出ました。もっと大きい船を造る準備として、六つ目の拠点サウス・ヤードも手に入れます。プリマスの歴史ある造船所の一部です。

2010 年代には、会社がこれまでに造ったいちばん大きい船「プリンセス 40M」と、いちばん速い船「プリンセス R35」の両方が出ました。そして 2015 年、創業から 50 年を祝うために、会社は最初のプロジェクト 31 を一隻、修復しています。1960 年代の最初の仲間を何人か、助言役として呼び戻しました。修復された船は、のちに一般の投票で「シャーロット」と名付けられ、カンヌのヨットの祭典でお披露目されています。

TIMELINEプリンセスの歩み(公式の社史から)
  1. 1963三人が貸し船の会社マリン・プロジェクツを作る
  2. 1965プリマスの借りた小屋で最初の船を造る
  3. 1970プリンセス 32。プリンセスの名前を持つ最初の船
  4. 1973石油危機。帆走艇も造り始める
  5. 1980オレシンスキが設計に加わる
  6. 1988輸出の功績をたたえる女王賞
  7. 2001社名がプリンセス・ヨット・インターナショナルに
  8. 2015創業から 50 年。最初のプロジェクト 31 を修復

3-2 八割を超えて、自分のところで造る

社史と並んで、会社が力を入れて説明しているのが造り方です。プリンセスの船は、一隻の 80 パーセントを超える部分が、プリマスの自分たちの工場で造られています。会社は、だから質をすべて自分で見られるし、設計者も自由に考えられる、と書いています。

設計は、社内の設計の部署から始まります。14 の社内のチームでできている、と説明されています。目を引くのは、新しい船を造る前に、実物と同じ大きさの模型を必ず一つ作るという所です。設計者はその中に座り、窓からの見え方を確かめ、材料を試します。客も、船を造り始める前に、実物大の模型の中を歩けます。会社は、これをしているのは自分たちだけだと書いていますが、ほかの造船所のことまで確かめた資料は、私は持っていません。

船体は、すべて樹脂を型に吸い込ませて固める方法で造られます。成形にかかるのは、船の大きさによって一週間から三週間です。電気の配線の束は、小さい船で 200 ほど、いちばん大きい船では 800 を超える数を作ります。客ごとに仕様が違うので、同じ船を二度造ることは無い、とも書かれています。

3-3 組み立てと、3,000 を超える確かめ

部品がそろうと、船は組み立ての段階に入ります。70 フィートまでの船は、流れの上を動いていきます。10 日から 15 日ごとに、船が次の持ち場へ進む仕組みです。組み立ての段階は、船の大きさによって 30 日から四か月かかります。

海から離れた工場で造った船は、まずその工場の水槽で試されます。エンジンをかけ、船体の金具、油圧、空調、発電機を確かめます。そのあと船はニューポート通りの拠点へ運ばれ、海での試運転に入ります。社史によれば、ここで行う確かめは 3,000 項目を超えます。エンジンなどの機器を作った会社の人も呼ばれて、自分の持ち分を一緒に試すそうです。

会社は、海に頼って仕事をしている以上、環境への取り組みはとても大事だと書いています。2010 年には、環境の管理の国際規格 ISO 14001 を取りました。ヨーロッパの大きなヨットの造船所として初めてだ、と会社は述べています。ニューポート通りの拠点には太陽光のパネルを置き、2016 年からは、海の環境を守る団体と組んでいます。借りた小屋で一隻を作り込んでいた通りが、いまは試運転と本社の場所になっています。

SOURCES出典

  1. Princess Yachts 公式サイト「Our Story」
    https://www.princessyachts.com/our-story/(2026-10-02 確認)

この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や長さなどの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と艇名は、各社の商標です。

WRITTEN BY山岸 勇輝Yuuki YAMAGISHI

独立研究者(Independent Researcher)。公式の資料や統計など、一次の資料にあたって書くことを続けている。船が好きで、とくにアルベマーレに思い入れがある。