【論文170】約分すると、$+1$ ではなく $-1$ が出る

要旨

記法は規約であり、定理を一つも動かさない。だが何を思いつくかは動かす。本稿はライプニッツの $dy/dx$ について、その約束が守られる場所と破られる場所を同じ計算で並べる。新しい数学定理は主張しない。いずれも標準的な内容である。

第一に、記法は答を動かさない。ニュートンの点で書こうとライプニッツの $d$ で書こうと、$f(x)=\sin(x^2)e^{-x}$ の $x=0.7$ での微分は同じ $0.37970904324369351073$ である(第2節)。

第二に、これが本稿の芯である。$dy/dx$ は分数に見え、一変数の連鎖律では実際に約分のように振る舞う。ところが三つの変数が一つの関係で結ばれると、約分の答は $\mathbf{-1}$ である。理想気体でも、陰関数曲面 $x^3+y^3+z^3+xyz=10$ の三点でも、すべて $-1.0$(第3節)。

第三に、二階では分数の読みが破綻する。$x=t^3$、$y=t^2$ で、真の $d^2y/dx^2$ は $t=2$ で $-0.013888888888889$、分数として読むと $+0.16666666666667$、値どころか符号が違う(第4節)。

第四に、同じ記法が一方の約束は守る。積の法則は本当に二項定理であり($n=6$ まで一致)、項数は $n+1$、重みの総和は $2^n$。一方連鎖律は守らない。項数は分割数、重みの総和はベル数であり、$n=10$ で $1024$ 対 $\mathbf{115975}$(第5節)。

第五に、同じ記号が二つの役を演じる。$z=x^2+y^2$、$y=3x$ で、$y$ を止めた微分と $y$ を追わせた微分は十倍違う。添字は飾りではない(第6節)。

射程(何を示さないか)

本稿の射程:新しい数学定理は主張しない。三重積関係、$d^2y/dx^2$ が分数でないこと、ライプニッツの積の法則、ファ・ディ・ブルーノの公式とベル数、偏微分の添字は、いずれも標準的である。また歴史的な優先権論争については判定しない。扱うのは記法の振る舞いだけである。加えたのは同じ一つの記法が五つの場所でどう振る舞うかを、同じ計算で一枚に並べたこと、とくに積の法則の重み $2^n$ と連鎖律の重みベル数を同じ表に置いたことである。

1. 記法と位置づけ

本稿の微分はすべて数値的に計算した。規約とは、選び直しても事実が動かない取り決めをいう(論文95)。

位置づけ:論文95 は規約と事実を分け、「規約だから何でもよい」ではないと書いた。本稿はその一例を、記法という最も薄い規約について書く。薄いのに、間違いの種類を決めているのである。

2. 記法は答を動かさない

検算 2.1:$f(x)=\sin(x^2)e^{-x}$ の $x=0.7$ での微分。

数値的に計算 $0.37970904324369351073$
閉じた式から $0.37970904324369351073$
差 $4.93\times10^{-32}$

(証明終)

観察 2.2 ニュートンなら $\dot f$、ライプニッツなら $df/dx$ と書く。数は同じである。記法は規約であり、定理を一つも動かさない。以下はすべて、この前提の上での話である。

3. 芯:約分すると $-1$ が出る

観察 3.1 $dy/dx$ は分数に見える。一変数の連鎖律 $\frac{dy}{dt}=\frac{dy}{dx}\frac{dx}{dt}$ では、実際に約分のように振る舞う。この成功が、次の場面へ持ち越される。

検算 3.2:理想気体 $PV=nRT$($nR=1$)で、三つの偏微分をそれぞれ第三の変数を止めて計算する。

$T$ を止めた $\partial P/\partial V$ $-0.75$
$P$ を止めた $\partial V/\partial T$ $0.6666666666666667$
$V$ を止めた $\partial T/\partial P$ $2.0$
三つの積 $\mathbf{-1.0}$

検算 3.3:理想気体の癖ではない。陰関数曲面 $F=x^3+y^3+z^3+xyz-10=0$ で繰り返す。

$x$ $y$ $z$ 三重積
$1.0$ $1.0$ $1.833751$ $\mathbf{-1.0}$
$1.5$ $0.5$ $1.732544$ $\mathbf{-1.0}$
$0.7$ $1.3$ $1.7990588$ $\mathbf{-1.0}$

(証明終)

観察 3.4 約分の答は毎回 $-1$ である。記法が約分を誘い、約分は符号を落とす。

観察 3.5 ニュートンの点は、これを誘えない。分母を持たないからである。二つの記法は同じ定理を書くが、犯しうる間違いの種類が違う。規約が選べるのは真偽ではなく、滑りやすさである。

4. 二階では、分数の読みが破綻する

検算 4.1:$x=t^3$、$y=t^2$ とし、$d^2y/dx^2$ を「二階微分の比」として読んだ場合と比べる。

$t$ 真の $d^2y/dx^2$ 比として読んだ値
$1.0$ $-0.22222222222222$ $+0.33333333333333$
$2.0$ $\mathbf{-0.013888888888889}$ $\mathbf{+0.16666666666667}$
$3.0$ $-0.0027434842249657$ $+0.11111111111111$

真の値は $-2/(9t^4)$、比として読むと $+1/(3t)$ である。(証明終)

観察 4.2 値が違うだけではない。符号が違う。$d^2y/dx^2$ は一つの記号であって、二つのものの分数ではない。一階で当たったことが、二階で当たる保証を一つも与えていない。

5. 一方の約束は守り、他方は破る

検算 5.1:積の法則。$u=e^{2x}$、$v=\sin3x$、$x=0.4$ で、$n$ 階微分を直接計算した値と $\sum_k\binom{n}{k}u^{(k)}v^{(n-k)}$ を比べる。

$n$ 直接 二項和
$1$ $6.567908305582929$ $6.567908305582929$
$2$ $-0.6941515037403181$ $-0.6941515037403181$
$4$ $-343.6136864015332$ $-343.6136864015332$
$6$ $3553.448468147446$ $3553.448468147446$

一致する。(証明終)

検算 5.2:連鎖律。$g=\sin$、$h=e^x-1$、$x=0.3$ で $n=4$ のファ・ディ・ブルーノの公式を当てる。

$d^4 g(h(x))$ を直接 $-15.82942435520884$
ファ・ディ・ブルーノ(まとめて4項) $-15.82942435520884$
差 $0$

使った重複度は $1$、$4$ と $3$、$6$、$1$ であり、和は $15=B_4$ である。(証明終)

検算 5.3:二つの伸び方を並べる。

$n$ 積:項数 積:重みの和 連鎖:項数 連鎖:重みの和
$2$ $3$ $4$ $2$ $2$
$4$ $5$ $16$ $5$ $15$
$6$ $7$ $64$ $11$ $203$
$10$ $11$ $\mathbf{1024}$ $42$ $\mathbf{115975}$

(証明終)

観察 5.4 積の法則では、記法の約束がそのまま守られている。係数は二項係数そのもので、重みの総和は $2^n$ である。連鎖律では守られない。項数は分割数、重みの総和はベル数であり、$n=10$ で百倍以上の隔たりになる。

観察 5.5 一つの記法が、隣り合う二つの規則に対して違う態度を取る。だから「$d$ は分数のように使ってよい」は、規則ごとに確かめる以外にない。記法から出てくるのは予想であって、証明ではない。

6. 同じ記号が、二つの役を演じる

検算 6.1:$z=x^2+y^2$、$y=3x$ とする。どちらも「$z$ を $x$ で微分する」と言われる。

$x$ $y$ を止めた微分 $y$ を追わせた微分 比
$1.0$ $2.0$ $20.0$ $\mathbf{10.0}$
$2.0$ $4.0$ $40.0$ $10.0$
$5.0$ $10.0$ $100.0$ $10.0$

(証明終)

観察 6.2 裸の記法が同じに書く二つのものが、十倍違う。熱力学が止める変数を添字で書くのは、このためである。添字は飾りではなく、それが無ければ式は数を指していない(論文16 が「=」について書いたのと同じ形)。

7. 記法が正当化されるまで

観察 7.1 $dx$ を「無限小」として使うことは、長く当たるが根拠のない操作であった。それが正当化されたのはカルタンの微分形式においてであり、そこで $dx$ は $1$ 形式という定義された対象になり、「約分」は写像による引き戻しという定義された操作になった(論文92)。

観察 7.2 つまりライプニッツの記法は、二百年後に意味を与えられた。その間ずっと当たり続けたが、当たることは意味を持つことではない。当たり方の限界が第3節から第5節である。

8. 点呼

観察 8.1 

場所 見かけ 実際 動かすと動くもの
一階の連鎖律 約分に見える 当たる なし
三変数の関係 約分すると $+1$ $-1$ 変数の個数
二階の $d^2y/dx^2$ 分数に見える 符号すら違う 微分の階数
積の法則 二項定理に見える 二項定理である なし
連鎖律の高階 単純に見える ベル数 微分の階数
偏微分 一つの記号 二つの意味 何を止めるか

観察 8.2 記法は真偽を動かさない。動かすのは、どの誤りが自然に見えるかである。そしてそれは、次に何を思いつくかを動かす。

9. 結論

  1. 記法は答を動かさない(検算2.1)。
  2. 約分は $-1$ を出す(検算3.2・3.3):理想気体でも陰関数曲面でも $-1.0$。
  3. 二階では符号すら違う(検算4.1):$-0.0138889$ 対 $+0.1666667$。
  4. 積は約束を守り、連鎖は破る(検算5.1〜5.3):$2^{10}=1024$ 対 $B_{10}=115975$。
  5. 添字は飾りではない(検算6.1):十倍。

結び:規約は自由に選べる。選べないのは、その選択がどの間違いを誘うかである。ライプニッツの $d$ は三百年にわたって正しい予想を与え続け、同じ三百年にわたって同じ場所で人を滑らせてきた。滑る場所は、記法を選んだ時点で決まっていたのである。

参考文献

  1. Newton, I. (1687). Philosophiae Naturalis Principia Mathematica. London: Royal Society.
  2. Leibniz, G. W. (1684). Nova methodus pro maximis et minimis. Acta Eruditorum.
  3. Faà di Bruno, F. (1855). Sullo sviluppo delle funzioni. Annali di Scienze Matematiche e Fisiche, 6.
  4. Bell, E. T. (1934). Exponential polynomials. Annals of Mathematics, 35(2).
  5. Cartan, É. (1899). Sur certaines expressions différentielles et le problème de Pfaff. Annales scientifiques de l’École Normale Supérieure, 16.
  6. Robinson, A. (1966). Non-standard Analysis. Amsterdam: North-Holland.
  7. 山岸勇輝 (2026). 等号にも別根がある [論文16] 第3版. Zenodo. 10.5281/zenodo.21600471
  8. 山岸勇輝 (2026). 共通のアルファベット [論文92]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21758486
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  10. 山岸勇輝 (2026). 関係としての時間と空間 [論文97]. Zenodo. 10.5281/zenodo.21758697
  11. 山岸勇輝 (2026). 伊藤の $2$ は、次元ではない [論文132]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22080358
  12. 山岸勇輝 (2026). $\varepsilon^2=0$ は環の定義であり、$(dW)^2=dt$ は道の事実である [論文148]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22083237
  13. 山岸勇輝 (2026). 定義は $d$ を $p$ で割り、定理は $p$ を判別式で割る [論文166]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22093052
  14. 山岸勇輝 (2026). ルベーグが買ったのは、クラスの大きさではなく、極限で閉じることである [論文168]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22093320

作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。

書誌

山岸勇輝(2026)「約分すると、+1 ではなく -1 が出る」[論文170]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22093731

YOI 170第1版・2026年8月ビットコインに記録済み

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引用するとき

山岸勇輝 (2026). 約分すると、+1 ではなく -1 が出る [論文170]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/170 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22093731

Yamagishi, Y. (2026). Cancelling the Differentials Gives -1, Not +1 [Paper 170]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/170; DOI: 10.5281/zenodo.22093731

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