造船所を買い集めた十年と、香港とミラノの二つの上場
イタリアのフェレッティ・グループは、いくつもの名高い造船所を一つに束ねた会社です。リーヴァ、ペルシング、イタマ、CRN。けれど公式の社史によれば、出発点は自分で船を造ることではなく、アメリカの会社の船を売ることでした。売り手が造り手になり、やがて買い手になっていく。その順番を、会社が公開している社史でたどります。
CHAPTER 1売り手から、造り手へ
1-1 1968 年、クリスクラフトの代理店
公式の社史は、フェレッティの始まりを 1968 年としています。フェレッティ兄弟が、アメリカの会社クリスクラフトの代理店になり、そのモーターボートを売り始めました。このときの名前は「フェレッティ・ナウティカ」です。
いまのフェレッティ・グループは、公式のページで、七つの名前を挙げています。フェレッティ・ヨット、リーヴァ、ペルシング、イタマ、CRN、カスタム・ライン、ウォーリー。このうち、最初からフェレッティの名前だったのは一つだけです。残りの名前がどうやって集まったのかは、次の章で見ます。その前に、兄弟の会社が自分で船を造るようになるまでを追います。
前に書いたアジムットも、よその会社の船をイタリアで売る仕事から始まっていました。プリンセスは、船を貸す計画から始まっています。モーターヨットで名の通った会社が、三つとも「造る」以外の所から出発していることになります。これは三つの社史を並べて読んだ私の感想です。
三年後の 1971 年、会社は初めて自分で船を造りました。長さ 10 メートルの、木の「モーターセーラー」です。社史は、帆とエンジンの両方を持つ船だと説明しています。のちにモーターヨットだけを造るようになる会社の最初の一隻には、帆が付いていました。
1-2 1982 年、エンジンだけで走る最初の船
エンジンの力だけで走る最初のモーターヨットを出したのは、1982 年です。最初の一隻から十一年たっています。社史によれば、この年から、屋根の無い開けた船、上に操縦する場所を持つフライブリッジの船、そしてスポーツフィッシングの船を造り始めました。一度に三つの種類へ広げたわけです。
1989 年には、技術の部署を作りました。社史はこれを、新しい材料を研究し、新しい量産の船を設計するための専門の研究所だと説明しています。売る会社として始まったフェレッティが、二十年かけて、自分の中に研究の場所を持つところまで来ました。
いまグループの本部が置かれているのは、フォルリの工場です。会社のページによれば、ここではフェレッティ、イタマ、ウォーリーの船を造り、グループのいくつかの系列の模型と型とガラス繊維の船体も作っています。船の形を決める型を自分のところで作ることが、いまも会社の真ん中に置かれているわけです。
1-3 レースで勝ち、アメリカへ出る
技術の部署ができたあと、フェレッティは沖のボートレースに出始めます。社史は、船の種類が増えたことと、レースでの成功が、会社が国の外へ出ていく道を開いたと書いています。
1993 年、「フェレッティ・オブ・アメリカ」を作りました。アメリカ、カナダ、メキシコ、ベネズエラ、カリブ海でモーターヨットを売るための会社です。それまでに、ギリシャ、フランス、スペイン、ドイツ、イギリスには売る網ができていました。そこにアメリカ大陸が加わります。アメリカの船を売ることから始めた会社が、25 年たって、アメリカへ自分の船を売りに行ったことになります。
1994 年から 1997 年にかけて、フェレッティのチームは、ヨーロッパ選手権と、クラス 1 の世界選手権で勝ちました。世界選手権は二度です。社史は、もとはレースのために研究した技術を、量産の船に移すことができたと書いています。1994 年には、ヨーロッパの外に販売店の網を作る、世界に向けた売り込みも始めました。
- 1968フェレッティ兄弟がクリスクラフトの代理店になる
- 1971最初の船。10 メートルの木のモーターセーラー
- 1982エンジンだけで走る最初のモーターヨット
- 1989技術の部署を作る
- 1993フェレッティ・オブ・アメリカを作る
- 1994ヨーロッパの外に販売店の網を作り始める
CHAPTER 2造船所を買い集めた十年
2-1 投資家が入り、買う側に回る
1990 年代の終わり、フェレッティの進み方が変わります。社史によれば、機関投資家が資本の一部を持つようになり、会社は外へ広がる道を選びました。最上級のモーターヨットを専門にする造船所を、狙いを定めて買っていく、というやり方です。
その前の 1996 年に、「カスタム・ライン」が加わっています。これで、長さ 28 メートルから 40 メートルの、ガラス繊維のフライブリッジのヨットを扱い始めました。
1998 年には、アドリア海の造船所 CNA が加わり、「ペルシング」の名前がグループに入ります。社史はペルシングを、高い性能と、最上の居心地と、優れた設計を合わせた、開けた形のモーターヨットの専門だと書いています。1999 年には CRN を手に入れました。船体が鋼、上の構造がアルミニウムという、30 メートルを超える大きなヨットの専門の造船所です。CRN のアンコーナの造船所は 1963 年にできたもので、会社の別のページによれば、45 メートルから 95 メートルの、鋼とアルミニウムの注文のヨットを設計して造ってきました。フェレッティよりも前からある造船所が、フェレッティの下に入ったわけです。
2-2 2000 年、リーヴァを全部買う
2000 年、フェレッティはリーヴァの株を 100 パーセント手に入れました。社史はリーヴァを、世界でいちばん有名で、いちばん特別な造船所と呼んでいます。別の箇所には、リーヴァは 180 年を超えて、イタリアの職人の技と設計で知られてきた、とも書かれています。グループに入る前から、ずっと名の通っていた造船所でした。
リーヴァの造船所は、イゼーオ湖のほとりのサルニコにあります。会社のページによれば、できたのは 1842 年で、名高い木の船体はここで造られ始めました。いまも 8 メートルから 21 メートルのヨットを造っています。造船所の真ん中には、技師カルロ・リーヴァの執務室があります。幅 40 メートルのアーチの下に置かれ、アーチを支える柱は、20 トンを超えるヨットを吊り上げる二つのクレーンも支えています。この建物は、造船所ごと、文化財として守られていると書かれています。
翌 2001 年の 5 月、フェレッティはラ・スペツィアのオラム造船所から、いくつかの資産を買いました。リーヴァが新しい工場を置く場所です。その年の 11 月には、ペーザロのモーキ・クラフトの取得も済ませています。
2002 年に買ったのは、造船所だけではありません。船の内装と家具の会社、ヨットの塗装と修理の専門の会社、木の家具を作る会社が、同じ年にグループへ入りました。アンコーナの造船所も買っていて、これで CRN が造れる数を増やせた、と社史は書いています。船を造る力に、船の中を作る力を足していったわけです。
2-3 イタマ、そしてアメリカの売り手
2004 年には、開けた形のモーターヨットを専門にする造船所イタマを手に入れました。2008 年には、アメリカのアライド・マリーンの資産と名前と事業を買っています。新しい船と中古の船の販売、仲介、売ったあとの面倒を専門にする会社です。
1996 年から 2008 年までの社史は、ほとんど一行ごとに、新しい会社の名前が出てきます。数えると、十二年のあいだに十を超える会社や事業がグループに加わっています。社史が冒頭で、フェレッティ・グループは「グループに入るずっと前から名の通っていた」名前を束ねていると書いているのは、この時期の買い方を指しています。
| 年 | 加わったもの | 社史の説明 |
|---|---|---|
| 1996 | カスタム・ライン | 28 メートルから 40 メートルのフライブリッジ |
| 1998 | CNA(ペルシング) | 開けた形の高性能のモーターヨット |
| 1999 | CRN | 30 メートルを超える、鋼とアルミニウムの大きなヨット |
| 2000 | リーヴァ | 株を 100 パーセント取得 |
| 2001 | モーキ・クラフト | ペーザロの造船所 |
| 2002 | 内装、塗装と修理、家具の会社。アンコーナの造船所 | 船の中を作る力を足す |
| 2004 | イタマ | 開けた形のモーターヨット |
| 2008 | アライド・マリーン | アメリカの販売と仲介 |
CHAPTER 3持ち主がかわり、二つの市場に上場する
3-1 2012 年、濰柴グループが 75 パーセントを持つ
2012 年、フェレッティ・グループの持ち主がかわりました。社史によれば、濰柴(ウェイチャイ)グループが 75 パーセントを持つことになります。社史は濰柴を、商用の車と建設機械の分野で世界でも指折りの産業グループだと説明しています。同じ年の 8 月には、譚旭光がフェレッティ・グループの取締役会の会長に選ばれました。
十二年かけて造船所を買い集めた会社が、こんどは自分が買われる側になったことになります。なぜそうなったのかは、社史には書かれていません。書かれているのは、持ち主がかわったという事実と、そのあとの結果です。
3-2 2016 年、巡視の船を造る部門
2016 年の 2 月、フェレッティは新しい部門を作りました。「フェレッティ・セキュリティ・ディビジョン」です。遊びの船ではなく、警備、巡視、捜索と救助のための船を設計して造る部門だ、と社史は説明しています。
最初の一隻は「FSD195」です。長さ 20 メートルで、55 ノットを超える速さが出せ、500 マイルを超える距離を走れると書かれています。沖のボートレースで勝つために積み上げた速い船の技術が、ここでは別の使い道を得ています。レースの技術を量産の船へ移したと書いていた会社が、二十年後に、同じ流れを仕事の船へも広げました。
この巡視の船を造っているのは、モンドルフォの造船所です。ペルシングとイタマも、ここで造られています。会社のページによれば、大きな塗装の部屋が二つと、試験用の水槽があります。水槽では、エンジン、排気、発電機などの確かめと、水が入らないかの試験をします。速い遊びの船と、速い仕事の船が、同じ建物から出てくるわけです。
3-3 香港と、ミラノ
社史は、持ち主がかわったあとの成果について、株主が満足するものだったと書き、その表れとして上場を挙げています。フェレッティ・グループは、2022 年から香港の証券取引所に上場しています。同じ時期に、部品を納める二つの会社の株の過半も手に入れました。
2023 年には、ミラノの取引所にも上場しました。社史は、アジアとヨーロッパの両方に上場したのは、世界でこのグループが最初で、ただ一つだと書いています。ほかの会社のことまで確かめた資料を私は持っていないので、これは会社の言い分として読んでください。
いちばん新しい行は 2026 年 5 月 15 日です。スタッシ・アナスタソフが最高経営責任者に就いた、と書かれています。登記上の本社は、いまもイタリアのカットーリカにあります。
会社のいまの姿も、公式のページに数字で書かれています。イタリアの中に七つの造船所を持ち、70 を超える国の客に船を届け、選んだ販売店は 55 あります。カットーリカの工場は 2001 年に開き、24 メートルから 30 メートルのフェレッティのヨットを造っています。組み立ての持ち場は 16 あり、それぞれが独り立ちした「島」のように働く仕組みです。アンコーナの造船所は 2019 年にグループの大型ヨットの拠点になり、1,000 人を超える人が働いています。クリスクラフトの代理店として始まった兄弟の会社は、買い集め、買われ、二つの市場に上場しても、住所はイタリアのままです。
SOURCES出典
- Ferretti Group 公式サイト「Our history」
https://www.ferrettigroup.com/en-us/Corporate/Our-history(2026-10-02 確認) - Ferretti Group 公式サイト「About」
https://www.ferrettigroup.com/en-us/Corporate/About(2026-10-02 確認) - Ferretti Group 公式サイト「Shipyards:Sarnico」
https://www.ferrettigroup.com/en-us/Corporate/Shipyards/Sarnico(2026-10-02 確認) - Ferretti Group 公式サイト「Shipyards:Ancona」
https://www.ferrettigroup.com/en-us/Corporate/Shipyards/Ancona(2026-10-02 確認) - Ferretti Group 公式サイト「Shipyards:Cattolica」
https://www.ferrettigroup.com/en-us/Corporate/Shipyards/Cattolica(2026-10-02 確認) - Ferretti Group 公式サイト「Shipyards:La Spezia」
https://www.ferrettigroup.com/en-us/Corporate/Shipyards/La-spezia(2026-10-02 確認) - Ferretti Group 公式サイト「Shipyards:Forlì」
https://www.ferrettigroup.com/en-us/Corporate/Shipyards/Forl%C3%AC(2026-10-02 確認) - Ferretti Group 公式サイト「Shipyards:Mondolfo」
https://www.ferrettigroup.com/en-us/Corporate/Shipyards/Mondolfo(2026-10-02 確認)
この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や長さなどの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と艇名は、各社の商標です。