要旨
近交は劣性の変異が固定する確率を最も押し上げ、近交係数 1 では優性の度合いの差が消える(論文984)。そこでは近交係数を遺伝子型の割合にだけ入れ、写しの数の偶然の揺れは変えなかった。本稿は、50 個体の二倍体で子の一部を自殖で作り、遺伝子型ごとの数を多項分布で引く模型を遷移行列で厳密に解き、984 の近交係数の模型と比べる。新しい定理も法則も主張しない。
第一に、自殖は優性の変異が固定する確率を下げる。一つのヘテロ接合から始めた優性の変異は、自殖の割合 0 で $0.080004$、1 で $0.049281$ と、$\mathbf{0.615984}$ 倍に下がった。984 の模型では同じ範囲で $1.166348$ 倍に上がる(第2節)。
第二に、劣性の押し上げは、近交係数の模型より小さい。劣性の変異は $0.024597$ から $0.045052$ と $\mathbf{1.831588}$ 倍、984 の模型では $3.726468$ 倍だった。相加の変異は $0.982352$ 倍でほとんど動かなかった(第2節)。
第三に、自殖が多いほど、近交係数の模型は固定する確率を大きく出す。遺伝子型の模型÷984 の模型は、自殖 0 で $0.979811$〜$0.997453$、0.9 で $\mathbf{0.538466}$〜$0.567902$、1 で $0.481585$〜$0.526785$ だった(第3節)。
第四に、完全な自殖では、ホモ接合から始めると半数体と同じになる。一つのホモ接合から始めた変異の固定する確率は三つの優性の度合いとも $\mathbf{0.094116}$ で、50 個体の半数体の遷移行列の値と $10^{-9}$ 以内で一致した。一つのヘテロ接合からはその $0.478692$〜$0.523621$ 倍だった(第4節)。
第五に、分離子は、写しを一つずつ引くか、個体ごとに引くか。984 の模型は写し 100 個を一つずつ引き、近交は遺伝子型の割合だけを変えた。個体ごとに引く模型では、自殖の個体の二つの写しが一緒に次の世代へ入る。二つの模型で向きが分かれたのは優性の変異だった(第5節)。
キーワード:自殖、近交係数、優性、固定する確率、遺伝子型、集団遺伝学。
射程(何を示さないか)
新しい定理も法則も主張しない。自殖が近交係数 S/(2−S) の釣り合いを作ること、自殖が有効な集団の大きさを小さくすること、自殖が劣性の変異を選択にさらし優性の変異の有利さの効きを変えることは、いずれも集団遺伝学で知られている。実在の値を主張しない。個体数 50、有利さ 0.05、優性の度合い 0・0.5・1、自殖の割合 0〜1 は模型の値で、どの植物にも対応しない。模型を広げない。世代は重ならず、選択は親の数を重みにしてかけ、子の遺伝子型は自殖の子と任意交配の子の割合で決まるとした。近交弱勢、花粉や胚珠の制限、性の違いは入れない。仕組みを言い切らない。二つの模型の差を、有効な集団の大きさの変化だけで説明することは示していない。固定する確率を並べるだけである。既刊との関係:論文984 の射程注記は、偶然の揺れを変えず、近交係数は遺伝子型の割合にだけ入れ、近交で有効な集団の大きさが小さくなることは入れていないと書き、仕組みを広げず、近交が何世代でどう作られるかも入れないと書いた。本稿はその席に座る(先客なし)。論文984 は、近交は劣性の変異が固定する確率を最も押し上げ、近交係数 1 では優性の度合いの差が消えることを示した。ここでは、近交を自殖として世代ごとに作り、個体ごとに引くと、その押し上げがどう変わるかを数える。論文982 と論文983 は、50 個体の半数体の固定する確率を遷移行列で厳密に出した。ここでは完全な自殖のホモ接合から始めた値がそれと一致するかを見る。加えたのは、六つの自殖の割合と三つの優性の度合いで遺伝子型の模型を厳密に解いたこと、984 の模型と比べたこと、優性の変異で向きが逆になることを測ったこと、完全な自殖が半数体と一致すると確かめたこと、分離子を「写しか、個体か」に置いたことである。
1. 記法と問い
遺伝子型の模型:$N=50$ 個体の二倍体で、AA・Aa・aa の数を $(i,j,N-i-j)$ とし、有利さを AA $1+s$・Aa $1+hs$・aa $1$($s=0.05$)とする。親の遺伝子型の重みを数×有利さとし、その重みでの A の割合を $p$、遺伝子型の割合を $f_{AA},f_{Aa},f_{aa}$ とすると、子の遺伝子型の確率は
$$q_{AA}=S\Bigl(f_{AA}+\frac{f_{Aa}}{4}\Bigr)+(1-S)\,p^2,\quad q_{Aa}=S\,\frac{f_{Aa}}{2}+(1-S)\,2p(1-p),\quad q_{aa}=S\Bigl(f_{aa}+\frac{f_{Aa}}{4}\Bigr)+(1-S)(1-p)^2$$
で、次の世代の $N$ 個体をこの確率の多項分布で引く。状態は $1326$ 個で、全部が AA になれば固定、aa になれば消える。行の和のずれは最大 $3.8\times10^{-14}$ だった。
比べる模型:論文984 の、近交係数 $F=S/(2-S)$ を遺伝子型の割合に入れて写し $2N$ 個を二項分布で引く模型。
問い:自殖を個体ごとに数えると、固定する確率は近交係数の模型とどう違うか。
2. 自殖の割合と固定する確率
計算 2.1:一つのヘテロ接合から始めたときの固定する確率(かっこ内は 984 の模型)。
| 自殖 $S$ | $F$ | 劣性 | 相加 | 優性 |
|---|---|---|---|---|
| $0$ | $0.000000$ | $0.024597$($0.025104$) | $0.047974$($0.048439$) | $0.080004$($0.080208$) |
| $0.25$ | $0.142857$ | $0.029158$($0.032720$) | $0.047756$($0.054953$) | $0.071740$($0.082852$) |
| $0.5$ | $0.333333$ | $0.034121$($0.044415$) | $0.047543$($0.063647$) | $0.063873$($0.085822$) |
| $0.75$ | $0.600000$ | $0.039435$($0.063008$) | $0.047334$($0.075734$) | $0.056392$($0.089278$) |
| $0.9$ | $0.818182$ | $0.042771$($0.079431$) | $0.047210$($0.085504$) | $0.052082$($0.091710$) |
| $1$ | $1.000000$ | $0.045052$($0.093550$) | $0.047127$($0.093550$) | $0.049281$($0.093550$) |
自殖を増やすと、劣性は六つの $S$ で上がり続け、優性は下がり続けた。984 の模型では優性も上がり続けた。自殖 0 から 1 への倍率は、遺伝子型の模型で劣性 $1.831588$・相加 $0.982352$・優性 $\mathbf{0.615984}$、984 の模型で $3.726468$・$1.931289$・$1.166348$ だった。
3. 二つの模型の比
計算 3.1:遺伝子型の模型÷984 の模型。
| 自殖 $S$ | 劣性 | 相加 | 優性 |
|---|---|---|---|
| $0$ | $0.979811$ | $0.990387$ | $0.997453$ |
| $0.25$ | $0.891127$ | $0.869038$ | $0.865873$ |
| $0.5$ | $0.768241$ | $0.746987$ | $0.744249$ |
| $0.75$ | $0.625867$ | $0.625004$ | $0.631643$ |
| $0.9$ | $\mathbf{0.538466}$ | $0.552135$ | $0.567902$ |
| $1$ | $0.481585$ | $0.503761$ | $0.526785$ |
観察 3.2 自殖が多いほど、近交係数の模型は固定する確率を大きく出した。自殖 0 でも比は 1 にならず(劣性 $0.979811$)、これは写しを引くか個体を引くかの違いだけによる差である。自殖 1 では比は $0.481585$ から $0.526785$ だった。
4. 完全な自殖
計算 4.1:自殖 1 で一つのホモ接合(AA)から始めると、三つの優性の度合いとも $0.094116$ で、50 個体の半数体($p’=p(1+s)/(1+ps)$・$N$ 個の二項分布)の遷移行列の値 $0.094116$ と $10^{-9}$ 以内で一致した。同じ値は論文982・論文983 の半数体の厳密解にも出る。一つのヘテロ接合から始めた値は、ホモ接合からの $0.478692$(劣性)・$0.500735$(相加)・$0.523621$(優性)倍だった。
観察 4.2 完全な自殖の集団は、個体の数だけの半数体として振る舞った。AA の個体は AA の子しか残さず、有利さ $s$ を一つの単位として運ぶ。984 の模型の近交係数 1 の値 $0.093550$ は写し 100 個の半数体の値で、個体ごとに引いたこの値とは別の数である。
5. 分離子
観察 5.1 分離子は、写しを一つずつ引くか、個体ごとに引くか。984 の模型は写し 100 個を一つずつ独立に引き、近交は遺伝子型の割合だけを変えた。個体ごとに引く模型では、自殖の個体の二つの写しが一緒に次の世代に入る。二つの模型で向きが分かれたのは優性の変異で、劣性の押し上げの大きさも違った($1.831588$ 倍と $3.726468$ 倍)。その違いを有効な集団の大きさの変化だけで説明できるかは、本稿では分けて測っていない。
観察 5.2 言わないこと。近交弱勢、花粉や胚珠の制限、世代の重なり、性の違い、個体数を大きくしたときの形、実在の植物は扱わない。示したのは、50 個体の一つの設定で、自殖を個体ごとに数えると固定する確率が近交係数の模型からどれだけ、どちらへずれるかである。
6. 点呼と結び
- 自殖と多項分布の遺伝子型の模型(第1節):状態 1326 の遷移行列。
- 優性は $\mathbf{0.615984}$ 倍に下がる(計算 2.1):984 の模型では上がる。
- 劣性は 1.831588 倍(計算 2.1):984 の模型の 3.726468 倍より小さい。
- 自殖 0.9 で比 $\mathbf{0.538466}$(計算 3.1):近交係数の模型は大きく出す。
- 完全な自殖のホモ接合から $\mathbf{0.094116}$(計算 4.1):50 個体の半数体と一致。
- 写しか、個体か(観察 5.1):分離子・論文984 の射程注記。
結び:自殖は優性の変異が固定する確率を下げ、近交係数だけの模型とは向きが逆になる。50 個体の二倍体で自殖の子を個体ごとに多項分布で引くと、一つのヘテロ接合から始めた優性の変異は自殖 0 から 1 で $0.615984$ 倍に下がり、984 の近交係数の模型の $1.166348$ 倍とは逆だった。劣性の押し上げは $1.831588$ 倍で模型の $3.726468$ 倍より小さく、自殖 0.9 で二つの模型の比は $0.538466$〜$0.567902$ だった。完全な自殖でホモ接合から始めると、50 個体の半数体の $0.094116$ と一致した。分離子は、写しを一つずつ引くか、個体ごとに引くか。既刊との位置:論文984 が遺伝子型の割合だけで入れた近交を、論文984 が入れなかった自殖の世代ごとの作り方と個体ごとの偶然で数え直した。正直に言えば、一つの個体数と一つの有利さで、二つの模型の固定する確率を並べた。仕組みは分けて測っていない。自殖を個体ごとに数えると向きがどう変わるか、そこまでである。
参考文献
- Hartl, D. L., & Clark, A. G. (2007). Principles of Population Genetics (4th ed.). Sinauer.
- 山岸勇輝 (2026). 『二倍体では、有利な変異が固定する確率を優性の度合いが分け、相加なら半数体の半分に近い』[論文982]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/982
- 山岸勇輝 (2026). 『世代が重なると、固定までの世代も有利な変異が固定する確率も半分に近づく』[論文983]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/983
- 山岸勇輝 (2026). 『近交は劣性の変異が固定する確率を最も押し上げ、近交係数 1 では優性の度合いの差が消える』[論文984]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/984
作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。
書誌
山岸勇輝(2026)「自殖は優性の変異が固定する確率を下げ、近交係数だけの模型とは向きが逆になる」[論文993]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/993
日付の証拠(OpenTimestamps):日本語版の .ots・英語版の .ots・SHA256SUMS
予備の置き場所(ミラー。中身は上と同じです):PDF 日本語・PDF English・SHA256SUMS
住所:https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/993・CC BY 4.0・プレプリント(査読を経ていません)・ORCID 0009-0006-8587-3450
引用するとき
山岸勇輝 (2026). 自殖は優性の変異が固定する確率を下げ、近交係数だけの模型とは向きが逆になる [論文993]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/993
Yamagishi, Y. (2026). Selfing Lowers the Fixation of Dominant Mutations, the Opposite of What an Inbreeding-Coefficient Model Gives [Paper 993]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/993
@misc{yamagishi2026yoi993,
author = {Yamagishi, Yuuki},
title = {Selfing Lowers the Fixation of Dominant Mutations, the Opposite of What an Inbreeding-Coefficient Model Gives},
year = {2026},
howpublished = {YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/993},
note = {Preprint, edition 1}
}
指紋(SHA-256)と確かめ方
13a230f8a6bea16373d2895f5ca0b07bb226d4a7bdce89f910be8ed024d94353 yamagishi_yoi993_v1_jp.pdf51df559f8922e97ca046c9f47b302e94bd8db79abfc17197b6bb3650cbdda19c yamagishi_yoi993_v1_en.pdfPDF と .ots を同じ場所に保存し、opentimestamps.org に .ots、続けて PDF を落とすと、記録された日時が表示されます。PDF が 1 バイトでも変わっていれば通りません。