【論文133】フィッシャー計量が一意なのは、古典の側だけである

要旨

確率分布のなす空間には計量が入る。時空にも計量が入る(論文108)。本稿は、この二つが同型でないことを二つの独立な理由で書き、そのうえで一意性がどこまで届くかを数える。新しい数学定理も新しい物理法則も主張しない。

第一に、同じ「計量」でも符号数が違い、曲率も違う。正規分布族のフィッシャー計量を本稿で計算すると $\mathrm{diag}(\sigma^{-2},\,2\sigma^{-2})$、固有値は二つとも正、符号数 $(2,0)$、正定値である。ガウス曲率は定数 $-1/2$。一方ミンコフスキー計量は符号数 $(1,3)$、不定符号で平坦である。違いは一つではなく二つある(第2節)。

第二に、「フィッシャー情報」という一語が、数とテンソルの二つを指している。母数を $\mu=a\nu$ と置き換えれば $g$ は $a^2$ 倍になる。数としては母数の取り方で動く。動かないのはテンソルとしての計量である(第3節)。

第三に、一意性がある。ただし条件つきである。チェンツォフの定理(1972)は、十分統計量のもとで不変なリーマン計量は、定数倍を除いてフィッシャー計量ただ一つであると述べる。「自然な計量がある」ではなく「ちょうど一つある」。これが本当の中身である(第4節)。

第四に、これが本稿の芯である。その一意性は柵の内側にしかない。量子では単調計量が一族をなす(ペッツ 1996)。本稿では一量子ビットについてSLD情報とクボ=モリ情報を数値計算し、非可換な族では $0.3600$ 対 $0.4159$ と食い違い、可換な族では $0.1670$ 対 $0.1670$ と完全に一致することを得た。分けているのは可換性である(第5節)。

第五に、クラメール=ラオの柵は不偏性である。$d$ 次元正規平均について本稿で二乗誤差を計算すると、ジェームズ=スタイン推定量は $d=3$ で $1.597$ 対 $2.993$、$d=10$ で $1.250$ 対 $9.985$ と最尤推定量に勝つ。それは偏りを持つので、柵の外に立っている。そして閾値 $d\ge3$ は、次元が本当に選んでいる例である(論文114)(第6節)。

射程(何を示さないか)

本稿の射程:新しい数学定理も新しい物理法則も主張しない。フィッシャー(1925)、ラオ(1945)、チェンツォフ(1972)、甘利(1985)、ペッツ(1996)、スタイン(1956)とジェームズ=スタイン(1961)はいずれも標準的である。本稿が加えるのは、符号数と曲率の二重の相違を明示したこと、一意性の柵を数えたこと、量子側で柵が破れることを数値で見せたこと、クラメール=ラオの柵の外に立つ実例を挙げたことだけである。情報幾何と時空幾何を同型と呼ばない。

1. 記法と位置づけ

母数 $\theta$ を持つ確率密度 $p(x;\theta)$ について、フィッシャー情報行列を
$$ g_{ij}(\theta)=\int \partial_i\log p\;\partial_j\log p\;p\,dx \tag{1} $$
と書く。これを確率分布のなす多様体上のリーマン計量と読むのが情報幾何である。

位置づけ:既存の定理を並べ、その射程を書く。新しい定理は主張しない。論文17 は別根と言うのは半分であり、住所を書いて初めて検査可能になると述べた。本稿は「計量」という一語について、それを行う。

2. 符号数が違い、曲率も違う

検算 2.1(正規分布族のフィッシャー計量):$p(x;\mu,\sigma)$ を正規分布として (1) を実行すると、本稿では
$$ g=\mathrm{diag}\!\left(\sigma^{-2},\;2\sigma^{-2}\right) $$
を得た。固有値は $\sigma^{-2}$ と $2\sigma^{-2}$、二つとも正である。(証明終)

検算 2.2(曲率):この計量のガウス曲率を本稿で計算すると定数 $-1/2$ である。負の定曲率、上半平面の双曲幾何と同じ型である。(証明終)

観察 2.3 (ミンコフスキーとの二重の相違) 

フィッシャー計量 ミンコフスキー計量(論文108)
符号数 $(2,0)$ 正定値 $(1,3)$ 不定符号
曲率 $-1/2$(定曲率・負) $0$(平坦)
測るもの 分布の見分けやすさ 事象の間隔

違いは一つではない。符号数と曲率の、二つの独立な相違がある。「統計の多様体にも時空と同じように計量が入る」という言い方は、この二つを見落としている。

観察 2.4 (不定符号は光を作る) ミンコフスキー計量が不定符号であることは装飾ではない。ゼロでない長さゼロのベクトル、すなわち光的方向が存在するのは不定符号だからである(論文111)。正定値な計量には光円錐が無い。因果構造という語がフィッシャー計量の上に意味を持たないのは、そのためである。

3. 一語が、数とテンソルを指している

検算 3.1(母数を取り替える):$\mu=a\nu$ と置き換えると、本稿の計算では $g_{\nu\nu}=a^2\,g_{\mu\mu}$ となる。「フィッシャー情報の値」は母数の取り方で動く。(証明終)

観察 3.2 (動かないもの) 動かないのはテンソルとしての計量である。(1) は正しく変換するから、曲率や測地線といった幾何的な量は母数の取り方に依らない。

観察 3.3 (一語、二つの対象) 「フィッシャー情報」は、行列の成分という数を指すことも、多様体上の計量というテンソルを指すこともある。前者は規約を含み、後者は含まない(論文95)。どちらを言っているかを書かないうちは、比較は始まらない。

4. 一意性はある。ただし条件つきである

確立された事実 4.1(チェンツォフの定理 1972):有限標本空間上の統計多様体において、十分統計量による写像(マルコフ射)のもとで不変なリーマン計量は、定数倍を除いてフィッシャー計量ただ一つである。

観察 4.2 (これが本当の中身である) 情報幾何はしばしば「確率分布の空間に自然な計量が入る」と紹介される。だが「自然な」は評価語であって定理ではない。定理が言っているのは「ちょうど一つある」である。存在ではなく一意性が、この分野の芯である(論文126・127)。

観察 4.3 (柵を数える) チェンツォフの定理が要求するのは、(i) 有限標本空間、(ii) マルコフ射のもとでの不変性、(iii) リーマン計量であることである。一つ落とせば一意性は失われる。論文127 は一意性定理があると聞いたら、まずその柵を数えよと述べた。本稿はその指示に従う。

5. 量子では、一族になる

確立された事実 5.1(ペッツの分類 1996):量子状態の空間において、完全正な写像のもとで単調な計量は一意ではなく、作用素単調関数で径数づけられる一族をなす。SLD情報、RLD情報、クボ=モリ情報、ビュール計量はその成員である。

検算 5.2(一族であることを見る):一量子ビットについて、SLD情報 $\mathrm{Tr}(\rho L^2)$($L$ は $\partial\rho=\frac12(L\rho+\rho L)$ の解)とクボ=モリ情報 $\mathrm{Tr}(\partial\rho\,\partial\log\rho)$ を数値計算した。

族 SLD クボ=モリ 一致するか
回転する族(非可換) 0.360000 0.415888 しない
$z$ 軸に沿う族(可換) 0.167002 0.167002 する

回転する族のSLD値 $0.360000$ は $r^2=0.6^2$ に厳密に一致し、計算が正しいことを裏づける。(証明終)

観察 5.3 (分けているもの) 可換な族では、量子の単調計量はすべて古典のフィッシャー計量に潰れる。非可換なところでだけ、一族が広がる。分離子は可換性である。

観察 5.4 (柵の形) 

どこか 不変な計量の個数
古典(有限標本空間・マルコフ射不変) ちょうど一つ(チェンツォフ)
量子・可換な族 一つに潰れる(本稿で確認)
量子・非可換 一族(ペッツ)

論文127 と同じ形である。一意性は真ん中の行にしかなく、柵の外に出れば消える。そこではワイル関係と自由度が柵だった。ここでは可換性が柵である。

6. クラメール=ラオの柵は、不偏性である

確立された事実 6.1:不偏推定量の分散はフィッシャー情報の逆数以上である。「不偏」は仮定であって、飾りではない。

検算 6.2(柵の外に立つ推定量):$X\sim N(\theta,I_d)$、$\theta=0$ について、最尤推定量とジェームズ=スタイン推定量の二乗誤差を $20$ 万回の試行で比較した。

$d$ 最尤推定量 ジェームズ=スタイン 勝つのは
2 2.005 2.005 同じ
3 2.993 1.597 JS
5 4.996 1.399 JS
10 9.985 1.250 JS
30 29.968 1.137 JS

($d\le2$ では縮小係数の $d-2$ が正でなく、この推定量は意味を持たない。)(証明終)

観察 6.3 (矛盾ではない) ジェームズ=スタイン推定量は偏りを持つ。ゆえにクラメール=ラオの言明が適用される範囲の外にある。定理は破れていない。反例は定理の届かないところに立っている(論文127 のガラポンの反例と同じ形)。

観察 6.4 (そして閾値は本物である) $d\ge3$ という条件は緩めることができない。$d=1,2$ では最尤推定量が許容的である。次元が本当に選んでいる例であり(論文114)、体系の $n=d-1$ のように次元を選ばない側とは資格が違う。

7. 結論

  1. 符号数が違い、曲率も違う(検算2.1・2.2)。フィッシャー計量は$(2,0)$ 正定値・定曲率 $-1/2$、ミンコフスキー計量は$(1,3)$ 不定符号・平坦。違いは二つあり、独立である。
  2. 一語が数とテンソルを指している(検算3.1)。母数を取り替えれば値は $a^2$ 倍になり、テンソルとしての計量は動かない。
  3. 一意性がある(事実4.1)。チェンツォフの定理は「自然な計量がある」ではなく「ちょうど一つある」と述べる。存在ではなく一意性が芯である。
  4. その一意性は柵の内側にしかない(検算5.2)。量子では単調計量が一族をなし、非可換な族で $0.3600$ 対 $0.4159$ と食い違い、可換な族で完全に一致する。分離子は可換性である。
  5. クラメール=ラオの柵は不偏性である(検算6.2)。ジェームズ=スタイン推定量は $d\ge3$ で最尤推定量に勝つが、偏りを持つので柵の外に立っている。定理は破れていない。
  6. そして $d\ge3$ は次元が本当に選んでいる例である(観察6.4・論文114)。

結び:同じ「計量」という語が、符号数の違う二つの対象に使われている。そして一意性という強い言明は、いつも柵とともに来る。チェンツォフの柵は古典であること、クラメール=ラオの柵は不偏であること。柵を数えずに一意性を受け取ってはならない。

参考文献

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  22. 山岸勇輝 (2026). $k_BT\ln2$ のうち、物理は $T$ だけである [論文131]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22080240
  23. 山岸勇輝 (2026). 伊藤の $2$ は、次元ではない [論文132]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22080358

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書誌

山岸勇輝(2026)「フィッシャー計量が一意なのは、古典の側だけである」[論文133]. Zenodo.
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山岸勇輝 (2026). フィッシャー計量が一意なのは、古典の側だけである [論文133]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/133 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22080550

Yamagishi, Y. (2026). The Fisher Metric Is Unique Only on the Classical Side [Paper 133]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/133; DOI: 10.5281/zenodo.22080550

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