ジャノーは、窓の外を通った一隻のボートから始まった

セーリング

1957 年のパリ六時間レースから、ベネトウとの合流、60 フィートを超える量産艇まで

フランスのジャノーは、セーリングヨットでもモーターボートでも名の通った造船所です。公式の社史によれば、始まりは一人の男の思いつきでした。飛行機と自動車に夢中だったアンリ・ジャノーが、窓の外を通る一隻のボートを見て、ボートにも夢中になった。そこから木の船体を造り、レースに出て、いちばんに戻ってきた。趣味が商売になるまでと、そのあとを、会社が公開している社史でたどります。

CHAPTER 1趣味が、商売になった

1-1 1957 年、パリ六時間レース

公式の社史は、1957 年から始まります。アンリ・ジャノーは、すでに飛行機と自動車に夢中になっていた人でした。そこへ、新しい夢中がもう一つ加わります。モーターボートです。社史によれば、きっかけは、窓の外を一隻のボートが通り過ぎるのを見たことでした。

まもなく彼は、フランスのレ・ゼルビエで、木の船体を造り始めます。社史はレ・ゼルビエを、職人の仕事の豊かな伝統を持つ町だと書いています。できあがった船で、アンリは「パリ六時間レース」に出ました。当時、国内でいちばん大きなレースです。

結果は、一着でした。最初にゴールの線を越えたのです。社史は、これが彼を奮い立たせたと書き、こう結んでいます。こうして、趣味が商売になった、と。

会社はいま、自分たちの目標を一言でこう書いています。水の上に、混じりけのない幸せを作ること。六十年を超えて、海を愛するすべての人のために、工夫をこらしたモーターボートと帆の船を造ってきた、とも書いています。レースに勝ってうれしかった一人の男の気持ちが、そのまま会社の言葉になっているように、私には読めました。

前に書いたベネトウは、漁船の造船所が、漁の衰えで仕方なく遊びの船へ移った会社でした。同じヴァンデの地方にあるジャノーは、まるで逆です。最初から遊びのために、しかもレースに勝つために、船を造り始めています。

1-2 1958 年、ガラス繊維の最初の船体

翌 1958 年、造船所は最初のガラス繊維の船体を造りました。社史は、石油化学から生まれたこの新しい材料を、前例の無い技術の飛躍と呼んでいます。創業の翌年に、もう木から樹脂へ動いていたことになります。ベネトウがポリエステルの小舟を作ったのは 1963 年ですから、ジャノーのほうが五年早く始めていました。

社史には、当時を知る人の言葉が残っています。はじめは週に三隻を造っていた。とても手仕事だった。竜骨から肋材まで、木の型から全部作った。ガラス繊維が木と同じだけの働きをすることを、客に見せて納得してもらう必要があった。そういう話です。

最初の型は「スポール・ポリエステル」という名前でした。材料の名前を、そのまま船の名前にしています。新しい材料であることが、売り文句だったわけです。続いて「ミラージュ」と「プレリュード」が出ました。社史は、ガラス繊維はここで、はっきりと選ばれる材料になった、と書いています。

1-3 1964 年に帆の船、1970 年に「サングリア」

モーターボートで始まったジャノーが、最初の帆の船を造ったのは 1964 年です。「アリゼ」という船で、社史は本当の成功だったと書いています。

1970 年について、社史は、帆走が広く人々のものになり始めた年だと説明しています。船の生産が増えました。この年、ジャノーは「ラブ・ラブ」と「サングリア」を出します。サングリアは大当たりでした。3,000 隻が売れた、と社史は書いています。これでジャノーは、中で暮らせる帆の船の設計と建造で、市場の先頭に立つ位置を固めました。

1976 年には、もう一つ大事な出来事がありました。量産の船「メロディ」が、一人で大西洋を渡るレースに出たのです。舵を取ったのはイヴ・オリヴォーでした。社史は、この出来事の意味を短く書いています。量産の船でも、一人で大西洋を渡れる。それを、ただ示してみせた、と。同じころの社史には、小さな船についての当時の評も引かれています。6 メートルの船の中でとても高く評価する。頑丈で、よくできていて、どの面でも満足のいく船に見える、という評です。

TIMELINEモーターボートから帆の船へ(公式の社史から)
  1. 1957アンリ・ジャノーが木の船体を造り、パリ六時間レースで一着
  2. 1958最初のガラス繊維の船体
  3. 1964最初の帆の船「アリゼ」
  4. 1970「サングリア」。3,000 隻が売れる
  5. 1976量産の「メロディ」が、一人で大西洋を渡るレースに出る

CHAPTER 2レースと量産が、並んで走った

2-1 「海の四輪駆動」と、アフリカのラリー

1980 年、「カップ・カマラ 575」が出ました。社史によれば、この船は「海の四輪駆動」と呼ばれ、その海での強さは語り草になりました。いまも続くカップ・カマラの系列は、この一隻から始まっています。

翌 1981 年、ジャノーはアフリカで行われたニアメからバマコまでのラリーに出ます。距離 2,000 キロメートルの、耐久の試練です。ジャノーは一位から三位までを取りました。勝ったのは、ケブラーという強い繊維で特別に造った「カップ・カマラ・ニジェール 510」で、乗ったのはジェラール・ダボヴィルです。同じ年に、クラブ・メッドが、水上スキーを引くボートを入れ替える相手としてジャノーを選びました。レースで勝つことと、たくさんの船を納めることが、同じ年に起きています。

1987 年の行には、速さの数字が出てきます。量産のエンジンを積んだ船の速さの世界記録、時速 170.21 キロメートル。24 時間の耐久の記録も破りました。ルーアンの 24 時間レースでは四度勝ち、創業のきっかけになったパリの六時間レースでも、イギリスでも、シンガポールでも勝った、と書かれています。

2-2 帆の側でも、レースの工房

帆の側でも、同じことが起きていました。1982 年から 1998 年まで、ジャノーは、フランスを帆で一周するレースの、ただ一つの供給元でした。三世代の船がこのレースに使われました。

社史は、このころ会社の中にあった工房のことを書いています。競技の帆走と、先端の造り方に夢中な男女の集まりだった、と。この工房は、およそ 50 の試作の船を造りました。どれも先端のレースの船です。大きな多胴船、60 フィートの三胴船、アメリカズ・カップのための船まで含まれています。

1984 年には、「フルーリー・ミション 7」を造りました。当時、それまでに造られた中でいちばん大きい双胴船です。続く 8 から 11 までの船は、たくさんのタイトルを取りました。1986 年には一人で大西洋を渡るレース「ルート・デュ・ラム」に勝ち、1987 年には帆で大西洋を渡る記録を作っています。

1990 年には、フロランス・アルトーが三胴船でいちばんにゴールしました。二位と三位の船も、ジャノーが造ったものです。社史は、表彰台の三隻をすべて造ったジャノーの三重の勝利だった、と書いています。

2-3 1989 年、最初の「プレステージ」

レースの話が続く 1980 年代の終わりに、まったく別の種類の船が生まれています。1989 年の、最初の「プレステージ」です。設計はガッローニ・デザインでした。

社史によれば、この船は、いまふうの姿と、海での優れた強さで、すぐに人々の心をつかみました。そして社史は、この船の意味をはっきり書いています。これは、ジャノーが贅沢なモーターヨットの市場に入った合図だった、と。いまでは 2500 隻を超えるプレステージが、世界の海を走っているそうです。

速さを競う船と、何百隻も売れる船。ジャノーの 1980 年代は、この二つが同じ会社の中で並んで進んだ十年でした。試作の船が 50、売れたサングリアが 3,000、プレステージが 2500 を超える数。けたの違う数字が、同じ社史の中に並んでいます。

FIGURE社史に書かれている隻数
レースの工房の試作の船(およそ)50
プレステージ(これを超える)2500
サングリア3,000

CHAPTER 3ベネトウと一つになり、大きな船へ

3-1 1995 年、三つのことが起きた年

ジャノーの社史の 1995 年には、三つの出来事が並んでいます。

一つ目は、映画です。アルトーが乗った三胴船の写しを二隻、アメリカの映画「ウォーターワールド」のために造りました。主演はケヴィン・コスナーです。社史は、撮影のための途方もない数の注文に応えるためだった、と書いています。

二つ目は、新しい系列です。最初の「サン・ファスト」として、「サン・ファスト 52」が出ました。レースにも巡航にも使える帆の船です。設計は、フィリップ・ブリアンと、フルーリー・ミションの船に乗っていたフィリップ・プーポンでした。

そして三つ目が、会社の形を変えた出来事です。社史は一行で書いています。ジャノー造船所が、ベネトウに加わる。

ベネトウの側の社史は、同じ出来事をもっと長く書いていました。パリの役所が別の形で業界をまとめようとしていたこと、裁判所がベネトウの案を選んだこと、そして、これが自分たちの歴史でいちばん大きな出来事だということ。語り手は、ヴァンデの二つの家族と二つの会社が一緒になった、と振り返っていました。買った側が何ページも書き、加わった側が一行で書いている。二つの社史を並べると、同じ年の重さの違いが見えます。

3-2 40 ヘクタールの工場

2000 年代に入ると、巡航のための帆の船「サン・オデッセイ」の系列が大きく伸びます。社史は、優雅さ、居心地、新しさ、海での強さという、ジャノーらしさを備えた系列だと書いています。

2005 年、大きいジャノーの船を造るための拠点を広げました。社史によれば、これでジャノーは、量産の船を造る造船所として世界でいちばん広いものを持つことになります。広さは 40 ヘクタールです。週に三隻を手で造っていた会社が、半世紀たたないうちに、そこまで来ました。

外へも出ていきます。2011 年に、香港にアジア太平洋の子会社を作りました。2017 年には、アメリカのミシガン州キャディラックで、モーターボート「NC 895」の生産を始めています。この 2017 年は、船を造り始めてから 60 年の節目でもありました。

3-3 60 フィートを超える量産艇、歩いて回れる甲板

2014 年、ジャノーは「ジャノー 64」を出しました。社史の見出しは、60 フィートを超える最初の量産のヨット、です。会社はこれを大胆な一手と呼び、それができたのは作り手たちの経験と力があったからで、客にもとてもよく受け入れられた、と書いています。

サン・ファストの系列も続いています。2008 年の「サン・ファスト 3200」は、ヨーロッパの年間の賞を取りました。2019 年には「3300」が加わっています。

2018 年には、巡航の帆の船に新しい考え方を持ち込みました。船のまわりを歩いて回れる甲板です。「サン・オデッセイ 440」から始まり、「490」「410」と続きました。社史は、これらの船が世界中で賞を取ったと書いています。

窓の外を通る一隻を見て船を造り始めた人の会社が、六十年あまりで、64 フィートの帆の船と、2500 隻を超えるモーターヨットと、世界最大級の工場を持つようになりました。出発点がレースだったことは、いまの船の名前にも残っています。速い帆の船の系列の名前は、いまも「サン・ファスト」です。

TABLE1995 年からのおもな出来事(公式の社史から)
年 出来事
1995 ベネトウに加わる。最初のサン・ファスト(52)。映画のための船
2005 大きい船の拠点を広げ、40 ヘクタールに
2011 香港にアジア太平洋の子会社
2014 ジャノー 64。60 フィートを超える最初の量産のヨット
2017 船を造り始めて 60 年。アメリカで NC 895 の生産を始める
2018 歩いて回れる甲板のサン・オデッセイ 440

SOURCES出典

  1. JEANNEAU 公式サイト「History」
    https://www.jeanneau.com/jeanneau/history(2026-10-02 確認)
  2. BENETEAU 公式サイト「History」(1995 年にジャノーが加わった経緯)
    https://www.beneteau.com/history(2026-10-02 確認)

この記事は、上の資料の原文を確かめたうえで書いています。年や長さなどの数は、資料に書かれているものだけを使いました。資料どうしで書き方が違う所は、本文でそのように断っています。記事の中の社名と艇名は、各社の商標です。

WRITTEN BY山岸 勇輝Yuuki YAMAGISHI

独立研究者(Independent Researcher)。公式の資料や統計など、一次の資料にあたって書くことを続けている。船が好きで、とくにアルベマーレに思い入れがある。