要旨
負けたら賭金を倍にする「倍賭け」は、勝率をいくらでも $1$ に近づけられる。本稿が問うのは、それで期待値が動くかである。答は、ちょうど $0$ のままである。新しい数学定理も新しい法則も主張しない。
第一に、勝率はいくらでも上げられる。資金 $2^{k}-1$ で $k$ 連敗まで耐えられ、$k=20$ なら勝率は $\mathbf{99.9999046\%}$ である(第2節)。
第二に、これが本稿の芯である。それでも期待値は $k$ によらずちょうど $\mathbf{0}$、$1-2^{-k}-1+2^{-k}=0$ である(第2節)。
第三に、負ける確率と損失の積が、利得とちょうど釣り合う。$2^{-k}\times(2^{k}-1)=1-2^{-k}$ であり、$k\to\infty$ で $\mathbf{1}$ に近づく(第3節)。
第四に、動いたのは分散である。$k=20$ で標準偏差が $\mathbf{1024}$ 倍になり、期待値は $0$ のままである(第3節)。
第五に、胴元の取り分があると悪化する。同じ $1$ 単位を勝つのに、期待損失が $\mathbf{26.07}$ 倍になる(第4節)。
第六に、分離子は確率ではなく資金である。資金を無限にすると任意停止定理の前提が三つとも破れる(第5節)。
射程(何を示さないか)
新しい数学定理も新しい法則も主張しない。倍賭け戦略、マルチンゲール、任意停止定理、その三つの十分条件は、いずれも標準的である。確率論を作らない。使うのは一つの等比級数と、一つの期待値の計算だけである。任意停止定理を証明しない。十分条件を引くだけであり、証明には立ち入らない。賭博を勧めない。本稿は期待値がどう振る舞うかだけを数える。第4節が示すとおり、胴元の取り分がある賭けでは期待値は負である。最適戦略を論じない。ケリー基準にも、効用関数にも、破産確率の最小化にも立ち入らない。現実の賭場を論じない。賭金上限も、資金制約の実際も扱わない。資金 $2^{k}-1$ は数学的な設定である。分散を悪だと言わない。第3節の $1024$ 倍は事実の記述であって、分散が大きいことが常に悪いとは主張しない。裾の分布を扱わない。論文190 が重い裾と大偏差を扱った。本稿は分布の形に入らず、期待値と分散だけを数える。既刊との関係:論文143 は最小エントロピー生成が原理ではなく柵つきの定理だと示した。本稿の任意停止定理も柵つきの定理であり、柵が外れると結論が崩れるという同じ形である。論文194 は四つの平均が一つの族であり、等号の柵が一つしかないと示した。本稿も柵が一つだけである。論文220 は「独立」が四つあると数えた。本稿の各回の賭けはそのうち一つの意味で独立である。論文190 は「稀」を対数の目盛りで測った。本稿の $2^{-20}$ も対数で読む。加えたのは期待値が $k$ によらず厳密に $0$ になると計算したこと、負ける確率と損失の積が $1-2^{-k}$ で利得とちょうど釣り合うと示したこと、標準偏差が $1024$ 倍になると測ったこと、胴元の取り分があると期待損失が $26.07$ 倍になると計算したこと、柵を「確率ではなく資金」と名指したことである。
1. 記法と問い
設定:公平な賭け(勝率 $1/2$、勝てば賭金と同額を得る)を考える。戦略は「負けたら賭金を倍にし、勝ったらやめる」である。
観察 1.1 $k$ 回目で初めて勝てば、それまでの損は $1+2+\dots+2^{k-1}=2^{k}-1$ で、その回の利得は $2^{k}$ である。差引 $\mathbf{+1}$、いつ勝っても、必ず $1$ 単位の得になる。
問い:では、この戦略は儲かるのか。
観察 1.2 儲からない。本稿はそれを数で示し、なぜかを分ける。止めているのは確率ではなく、資金である。
2. 芯:勝率を上げても、期待値はちょうど $0$
設定:資金を $2^{k}-1$ とする。これで $k$ 連敗までは耐えられ、$k+1$ 回目の賭金が払えず破滅する。
検算 2.1:
| $k$ | 資金 $2^{k}-1$ | 勝率 $1-2^{-k}$ | 負けたときの損失 | 期待値 |
|---|---|---|---|---|
| $1$ | $1$ | $50.0000000\%$ | $1$ | $\mathbf{0}$ |
| $5$ | $31$ | $96.8750000\%$ | $31$ | $\mathbf{0}$ |
| $10$ | $1023$ | $99.9023438\%$ | $1023$ | $\mathbf{0}$ |
| $20$ | $1048575$ | $\mathbf{99.9999046\%}$ | $1048575$ | $\mathbf{0}$ |
| $30$ | $1073741823$ | $99.9999999\%$ | $1073741823$ | $\mathbf{0}$ |
観察 2.2 これが本稿の芯である。勝率は $k$ とともに $1$ に近づくが、期待値は $k$ によらず厳密に $\mathbf{0}$ である。
検算 2.3:代数で確かめる。
$$\mathrm{EV}=(1-2^{-k})\cdot(+1)+2^{-k}\cdot\bigl(-(2^{k}-1)\bigr)
=1-2^{-k}-1+2^{-k}=\mathbf{0}$$
観察 2.4 項がそっくり打ち消し合う。$-2^{-k}$ と $+2^{-k}$、$+1$ と $-1$、近似ではなく、恒等的に $0$ である。
観察 2.5 $k=20$ の行を読む。$\mathbf{99.9999\%}$ の確率で $1$ 単位得るが、$\mathbf{0.0001\%}$ の確率で $\mathbf{1{,}048{,}575}$ 単位失う。「ほぼ確実に少し勝ち、ごく稀に破滅する」。
3. 釣り合っているのは積であり、動いたのは分散である
検算 3.1:負ける確率と、そのときの損失の積を取る。
| $k$ | 負ける確率 $2^{-k}$ | 損失 $2^{k}-1$ | 積 |
|---|---|---|---|
| $5$ | $3.125000\times10^{-2}$ | $31$ | $0.9687500000$ |
| $10$ | $9.765625\times10^{-4}$ | $1023$ | $0.9990234375$ |
| $20$ | $9.536743\times10^{-7}$ | $1048575$ | $0.9999990463$ |
| $30$ | $9.313226\times10^{-10}$ | $1073741823$ | $0.9999999991$ |
| $40$ | $9.094947\times10^{-13}$ | $1099511627775$ | $\mathbf{1.0000000000}$ |
観察 3.2 積は $1-2^{-k}$ であり、$1$ に近づく。そして利得の側も $(1-2^{-k})\times1$ で同じ値である。確率を小さくした分だけ、損失が大きくなっている。
観察 3.3 これが「期待値が動かない」ことの中身である。勝率を $1$ に近づける操作と、損失を大きくする操作が、同じ一つの操作、片方だけを動かすことはできない。
検算 3.4:では何が動いたか。$k=20$ で分散を計算する。
| $1$ 回だけ賭ける | 倍賭け($k=20$) | |
|---|---|---|
| 期待値 | $0$ | $\mathbf{0}$ |
| 分散 | $1$ | $1.0486\times10^{6}$ |
| 標準偏差 | $1$ | $\mathbf{1024.0}$ |
観察 3.5 倍賭けは標準偏差を $\mathbf{1024}$ 倍にしただけである。期待値は $0$ のまま、戦略が動かしたのは第一モーメントではなく第二モーメントである。
検算 3.6:賭ける回数はどうか。
| $k$ | 期待される賭け回数 |
|---|---|
| $10$ | $1.998047$ |
| $20$ | $\mathbf{1.999998}$ |
観察 3.7 平均すると$2$ 回で終わる。ほとんどの回は $1$ 回か $2$ 回で勝って終わる。破滅が稀に見えるのは、実際に稀だからである。稀なぶん、大きい。
4. 胴元の取り分があると、$26$ 倍悪くなる
設定:ルーレットで赤に賭ける。$0$ があるので勝率は $18/37=0.486486$ である。
検算 4.1:
| 量 | 値 |
|---|---|
| $1$ 回の期待値(元金 $1$ あたり) | $\mathbf{-2.7027\%}$ |
検算 4.2:同じ倍賭けを、この不利な賭けで行う。
| $k$ | 勝率 | 損失 | 期待値 |
|---|---|---|---|
| $5$ | $96.429250\%$ | $31$ | $-0.142640$ |
| $10$ | $99.872497\%$ | $1023$ | $-0.305626$ |
| $20$ | $99.999837\%$ | $1048575$ | $\mathbf{-0.704659}$ |
観察 4.3 公平な賭けでは $0$ だったものが、負に開いていく。そして $k$ を上げるほど悪くなる。倍賭けは不利を消さない。
検算 4.4:「$1$ 単位勝つ」という同じ目的を、二つのやり方で比べる。
| やり方 | 期待損失 |
|---|---|
| $1$ 回だけ賭ける | $0.027027$ |
| 倍賭け($k=20$) | $0.704659$ |
| 比 | $\mathbf{26.07}$ 倍 |
観察 4.5 同じ $1$ 単位を狙うのに、倍賭けは期待損失を $\mathbf{26.07}$ 倍にする。勝率を上げた代償が、そのまま期待損失に乗っている。不利な賭けでは、分散を増やすと期待値も悪くなる。
観察 4.6 公平な賭けでは期待値が動かず、不利な賭けでは悪化する。どちらの場合も、良くはならない。これが「戦略で期待値は動かせない」ことの二つの顔である。
5. 分離子:柵を作っているのは資金である
観察 5.1 ここで奇妙なことが起きる。資金が無限なら、$k$ に上限が無く、勝率はちょうど $1$ になる。確率 $1$ で $+1$ 単位、すなわち公平な賭けから確実な利益が出る。
観察 5.2 これは任意停止定理に反する。定理は「公平な賭けを止めても期待値は変わらない」と言う。ただし前提つきである。
検算 5.3:三つの十分条件のどれか一つが要る。
| 前提 | 倍賭けでは |
|---|---|
| (a) 停止時刻が有界 | 破れる(いつ勝つか分からない) |
| (b) 増分が有界 | 破れる(賭金が $2^{k}$ で増える) |
| (c) 一様可積分 | 破れる(破滅時の損失が発散する) |
観察 5.4 三つとも破れている。したがって定理は適用できず、矛盾は起きていない。定理が間違っているのではなく、前提の外にいる。
観察 5.5 分離子、何を動かすと、この戦略が機能するか。資金である。確率を変える必要はない。公平な賭けのまま、資金だけを無限にすれば「必勝法」になる。
観察 5.6 論文143 は最小エントロピー生成が原理ではなく柵つきの定理だと示した。任意停止定理も同じである。柵(有界性・一様可積分性)の内側でしか成り立たない。そして本稿の柵は、確率の側ではなく資金の側に立っている。
観察 5.7 したがって「勝率 $99.9999\%$」という数字は何も保証しない。同じ数字が、有限資金では期待値 $0$、無限資金では期待値 $+1$ を意味する。確率だけを見ても、どちらか分からない。
6. 点呼と結び
- $k=20$ で勝率 $99.9999046\%$(検算2.1):資金 $1048575$。
- 期待値は $k$ によらず $0$(検算2.3):恒等的に打ち消す。
- 積は $1-2^{-k}$(検算3.1):利得とちょうど釣り合う。
- $k=40$ で積が $1.0000000000$(検算3.1):$1$ に収束。
- 標準偏差 $1024$ 倍(検算3.4):期待値は $0$ のまま。
- 期待賭け回数 $1.999998$(検算3.6):ほぼ $2$ 回で終わる。
- ルーレットで $-0.704659$(検算4.2):$k$ を上げるほど悪い。
- 期待損失 $26.07$ 倍(検算4.4):同じ $1$ 単位を狙って。
- 三つの前提が全部破れる(検算5.3):矛盾は起きていない。
- 柵は資金の側(観察5.5):確率ではない。
結び:勝率 $\mathbf{99.9999\%}$ の戦略の期待値は、ちょうど $\mathbf{0}$ である。資金 $2^{k}-1$ で $k$ 連敗まで耐えられ、$k=20$ なら勝率は $99.9999046\%$、それでも $(1-2^{-k})-2^{-k}(2^{k}-1)=\mathbf{0}$ が恒等的に成り立つ。釣り合っているのは積である。負ける確率を $2^{-k}$ に下げる操作と、損失を $2^{k}-1$ に上げる操作が、同じ一つの操作であり、片方だけを動かすことはできない。動いたのは分散だけである。倍賭けは標準偏差を $\mathbf{1024}$ 倍にし、期待値は $0$ のまま置いた。胴元の取り分があれば、さらに悪い。同じ $1$ 単位を狙うのに、期待損失が $\mathbf{26.07}$ 倍になる。分けるものは一つ、確率ではなく、資金。資金が無限なら任意停止定理の前提が三つとも破れ、公平な賭けから確実な利益が出てしまう。柵は確率の側ではなく、資金の側に立っている。だから「勝率 $99.9999\%$」という数字は、それだけでは何も保証しない。
参考文献
- Doob, J. L. (1953). Stochastic Processes. New York: Wiley.
- Ville, J. (1939). Etude Critique de la Notion de Collectif. Paris: Gauthier-Villars.
- Williams, D. (1991). Probability with Martingales. Cambridge: Cambridge University Press.
- Feller, W. (1968). An Introduction to Probability Theory and Its Applications, Volume I. New York: Wiley.
- Kelly, J. L. (1956). A New Interpretation of Information Rate. Bell System Technical Journal, 35(4).
- 山岸勇輝 (2026). 最小エントロピー生成は、原理ではなく柵つきの定理である [論文143]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22082367
- 山岸勇輝 (2026). 「稀」は、対数の目盛りで測る [論文190]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22106182
- 山岸勇輝 (2026). 四つの平均は一つの族であり、等号の柵は一つしかない [論文194]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22106809
- 山岸勇輝 (2026). 「独立」は四つあり、たがいに何も言わない [論文220]. Zenodo. 10.5281/zenodo.22119838
作成にあたって:本稿の着想と内容は、著者自身の考察に基づくものです。文章の構成整理や英訳、数式の確認には AI(大規模言語モデル)の助力を得ました。最終的な内容の解釈や誤りがあれば、それらはすべて著者の責に帰します。お気づきの点があれば、ご教示いただければ幸いです。
書誌
山岸勇輝(2026)「勝率 99.9999% の戦略の期待値は、ちょうど 0 である」[論文298]. Zenodo.
DOI: 10.5281/zenodo.22171857
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引用するとき
山岸勇輝 (2026). 勝率 99.9999% の戦略の期待値は、ちょうど 0 である [論文298]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/298 ・ DOI: 10.5281/zenodo.22171857
Yamagishi, Y. (2026). A Strategy That Wins 99.9999% of the Time Has Expectation Exactly 0 [Paper 298]. YOI: https://www.yamagishiyuuki.com/yoi/298; DOI: 10.5281/zenodo.22171857
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