フェッドシップは、造船所の名前ではなく、1949 年にカフェで作った輸出の組合だった

フェッドシップは、世界で最も名の通ったメガヨットの名前の一つです。けれどこれは、一つの造船所の名前ではありません。公式の社史によれば、フェッドシップは 1949 年に、オランダのいくつかの造船所がアムステルダムのカフェに集まって作った、輸出のための組合の名前でした。なぜ組合が要ったのか。なぜアメリカだったのか。会社が公開している年表を、順に読んでいきます。

リュルセンは、ダイムラーのエンジンを試すために、最初のモーターボートを造った

ドイツのリュルセンは、世界でいちばん長いヨットを造った造船所として知られています。公式の社史は 1875 年から始まり、四代にわたる家族の名前が並びます。その中に、船の歴史でも大きな一行があります。1886 年、リュルセンが世界で最初のモーターボートを造った、という行です。頼んだのは、エンジンを発明したゴットリープ・ダイムラーでした。漕ぐ船の工房が、エンジンの船、速い船、大きい船へと進んでいく筋を、会社が公開している社史でたどります。

ジャノーは、窓の外を通った一隻のボートから始まった

フランスのジャノーは、セーリングヨットでもモーターボートでも名の通った造船所です。公式の社史によれば、始まりは一人の男の思いつきでした。飛行機と自動車に夢中だったアンリ・ジャノーが、窓の外を通る一隻のボートを見て、ボートにも夢中になった。そこから木の船体を造り、レースに出て、いちばんに戻ってきた。趣味が商売になるまでと、そのあとを、会社が公開している社史でたどります。

フェレッティは、アメリカの船を売る代理店から始まった

イタリアのフェレッティ・グループは、いくつもの名高い造船所を一つに束ねた会社です。リーヴァ、ペルシング、イタマ、CRN。けれど公式の社史によれば、出発点は自分で船を造ることではなく、アメリカの会社の船を売ることでした。売り手が造り手になり、やがて買い手になっていく。その順番を、会社が公開している社史でたどります。

アジムットは、大学生の貸しヨットから始まった

イタリアのアジムットは、モーターヨットで世界に知られる会社です。公式の社史は、最初の一行をこう書いています。1969 年、パオロ・ヴィテッリが帆走ヨットの貸し出しを始める。大学生の商売でした。船を貸し、よその船を売り、それから自分の名前の船を造る。その順番と、そのあとの大きな挑戦を、会社が公開している社史でたどります。

プリンセスは、貸し船の計画が流れたから、造船所になった

イギリスのプリンセスは、モーターヨットの名前としてよく知られています。けれど公式の社史によれば、最初の計画は船を造って売ることではなく、船を貸すことでした。借り手の手付け金が集まらなかったので、仕方なくその一隻を売った。そこから造船所が始まっています。会社が自分で書いた社史と、造り方の説明を読んでいきます。

1,500 人が 80 人を切った:バイキング(Viking)と、ぜいたく税の三年間

バイキングは、アメリカのニュージャージー州で大きなスポーツフィッシングの船を造っている会社です。創業から六十年を超えて、一つの家族が経営を続けています。公式の社史の中で、ひときわ重く書かれているのが 1990 年代のはじめです。連邦の税が一つ入っただけで、従業員が 1,500 人から 80 人を切るところまで減りました。この三年間の前と後を、会社が自分で書いた文でたどります。

ハルベルグ・ラッシーは、一度も組まなかった二人の名前でできている

ハルベルグ・ラッシーは、遠くまで行くためのセーリングヨットとして知られるスウェーデンの造船所です。名前は二人の人の名字をつないだものですが、公式の社史は、二人が共同で働いたことは一度も無いと書いています。では、なぜ二つの名前が並んでいるのか。造船所が自分で公開している社史を読むと、その事情と、いまの船の形がいつ決まったのかが分かります。

漁船の造船所ベネトウは、なぜヨットの会社になったのか?

フランスのベネトウは、セーリングヨットの名前としてよく知られています。けれど出発点は、いわし漁の町の、木の漁船の造船所でした。漁が衰えて仕事が無くなりかけたとき、この造船所は何を作って生き残ったのか。創業家のアネット・ルーさんが自分の言葉で語った公式の社史を、順にたどります。